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結局、当てもなく歩き回ることになった。
なにせ、目的が漠然としすぎているのだ。あやを探す手掛かりを見つける、なんてヒントがまったくない以上、砂漠で砂金を探すようなものである。いや、あやを探すためには手掛かりが必要だが、その手掛かりすら探す必要があるというのはそれ以上に難しいことかもしれない。どことなく、卵が先か鶏が先か、というジレンマに似ているかもしれない。
先ほどから言葉少なく頷くばかりで、マジメは黙り込んでいる。ヒイはそんな彼を心配そうに見ては、シキに助けを求める視線をぶつけてくる。とはいえ、シキとしてもどうしようもないので、自ら立ち直るまで待つしかない。
沈黙を保ったまま歩く三人には、妙な緊張感があった。
黒丸も現れず、目的地もなく、暗い雰囲気のまま進んでいく。なんとか空気を明るくしようと、ヒイが話題を絞り出してシキが乗っかるものの、後が続かない。
マジメとしては、別段空気を悪くしているつもりはなかった。一応、雰囲気が暗いことは理解しているが、それが自分のせいだとは思っていなかった。なにせ、彼は普段から口数は少ないほうなのだ。ヒイと二人でいるときも、彼女から話を振ることが多い。そのため、マジメとしてはなんら変わらないのだが、あんなことがあった後だ。二人が気に掛けている故にこんな状態になっていた。
無言のまま歩き続けていると、ふとヒイが呟いた。
「瀬川さん、大丈夫なのでしょうか……」
「まあ、その辺で野たれ死にするような男じゃないですよ。たぶん」
いたって普通のマジメの返答にヒイが驚いたような目を向けて、彼は肩を竦めた。驚くと同時に、ヒイは安堵していた。先ほどは本当に一過性のものだったようで、多少口数は少ないものの、マジメは普段と変わりない様子だ。
マジメはいま、パーカーを着ていない。セガワの血をたっぷりと吸った服を着れるはずもなく、あの場に置いてきた。どうせ、明日になればまた新品同然になって手元に戻ってくるのだから、わざわざ持ち歩く必要はない。
「でもお腹の傷、自然に塞がるものではありませんでした」
刺された傷を思い出したのか、ヒイは眉を寄せながら言う。
「それに、この世界には医者なんていませんからね。失血死するのが早いか、朝まで耐えて救急車を呼ぶのが早いか、どちらかでしょうね」
シキの言葉に頷きながらも、心配そうな面持ちは崩さないヒイだったが、傍にいない人間を心配してもどうしようもないと、無事を願って割り切ることにした。
と、割り切ることが出来れば話は済んだのだろうが、そうもいかないのが人間という生き物だ。特に、ヒイのように穏やかで優しい女の子に対して、無理矢理にでも割り切れなんて酷なこと、うまく行くことのほうが少ない。見知らぬ誰かを救おうとして奔走するくらいなのだ。そのうえ、自分が傷つくことを厭わない自己犠牲の精神を持つ彼女は、見知った顔を捨て置けるほど達観しても荒んでもいなかった。
しかつめらしい顔をしたままため息を繰り返すヒイに、シキは密かに笑った。過去の自分を見ているようで微笑ましいのだ。悩んで悩んで、ああでもないこうでもないと眉を寄せて。けっきょくシキが出した答えはずいぶんと簡潔なものだった。
手が届く範囲で。
どんなときでもそれを守っていれば、少なくとも自分が傷つくことはない。
彼女が浮かべたその淡い微笑みを見ていたら、マジメたちは大層驚いたであろう可憐な笑顔だった。
もう、どれくらい歩いたとこだろうか。
気を取り直した三人は時折会話も混ぜながら歩きつづけていた。少なくとも、数十分なんて短い時間ではないだろう。
疲労も溜まりはじめ、まるで先の見えない道無き道を歩いているような気がして精神的にも負担が掛かってくる頃だ。
中間地点さえ決めてない以上、モチベーションが下がることは目に見えている。せめてどこかに休めるような場所があれば、と思うが白い建物は今や不可侵の聖域ではなくなってしまった。もうこの世界のどこにいても、安全な場所はない。
一番体力のないヒイの息が乱れはじめたとき、マジメは視界の端に消えていく人影を見た。
「郡山さんっ、あれ、あの子!」
「え? あ……あやちゃんです!」
その小さな人影は瓦礫の山に隠れてしまったが、一瞬だけ見えた後ろ姿はあやのもので、ヒイもしっかりも目視したのだろう。すぐさま彼女はかけだして、マジメたちもその後を追った。
あやを見つけることが出来たのはまさに奇跡だ。子供の足だから追いつくことが出来たのだろうが、それ以前に方向もどんぴしゃだったようだ。まるで疲れなんてないかのごとく、あやの名前を呼びながら走るヒイには気迫さえ感じる。
あやと距離があるため聞こえないようで、ヒイたちはひたすらに彼女の背中を追いかけた。あやは歩き、ヒイたちは走り、歩幅も違うため追いつくことは簡単だろう。しかしそれでもずいぶんと遠い。ヒイの声が届くまでもう少しかかるだろう。
どんどんあやの背中が近づいてきて、ヒイが叫ぶよりもはやくあやが振り返った。
そのときであった。
あやに駆け寄るヒイの頭上に、影が降りかかってきたのだ。
「郡山さんっ!」
鋭くさけぶマジメとシキに、何事かと足を止めたおかげで、自ら目掛けて落下してくる影に気づくことが出来たヒイは、素早く後方へ飛び退いた。
幸いだったのは、ヒイに影が重なったことだろう。少しずれて黒い地面と重なっていたら、おそらくは落下してくることを気づかなかったに違いない。
ボロボロの布のような何かが落下して、ヒイが息を呑んだ。
「あーらら、もう少しでストライクだったのに、残念」
嗜虐的に笑う声が遠くから響いて、ヒイは目を見開いた。
驚いたのは声に対してではない。落下してきた布のような物に対して、だ。
遅れて、ヒイに駆け寄ったマジメたちも同様に目を瞠った。
なにせその布は、ボロボロの布ではなくて人間だったのだ。
「まったく困っちゃうよ。少し目を掛けてやっていたら余計なことをペラペラと。まあ、どっちにしろ片付ける予定だったしいいんだけども」
あれほど強いセガワを一蹴したヒイラギが、ボロクズのような姿で横たわっていたのだ。
両手足はおかしな方向へ曲がり、レインコートはところどころが裂けている。彼の得物だったナイフは自らの眼球に突き立っており、フードと顔面を縫い止められていた。
悲惨と言う他ない姿で、下塚柊は死んでいた。
嘔吐感に口を押さえたヒイの肩を抱いたシキも目を伏せて直視しないようにしていた。
対して、マジメは呻いた。
あれだけ強かったヒイラギが、読心能力を持ったヒイラギが死ぬなんて、思ってもみなかった。
足音を響かせながら現れたのは、おかしな格好をした小柄な女だった。漆黒のライディングウェアに、同色のフルフェイスヘルメットを被った姿は場違いの一言に尽きる。しかし、これ以上ないほど、この世界には似合っていた。
どこかで見た覚えがある、とマジメは女を睨みつけながら必死に記憶を引き出していた。
「やぁ、久しぶりだね。君と会うのはしばらく振りだね。病院以来だよ」
あえて思い出させようとする口ぶりに、マジメは意識朦朧とした中でこんな姿をした人間を見たことがあったことを思い出した。
「あのときの……」
「そっちの子とは顔を合わせたことあるんだけどね」
くい、と顎で示す先にはヒイがいた。なるほど、彼女が言っていたのはこの女だったか。それに、さっきの言葉を信じるのなら、この不審者がヒイラギを殺したということになる。
「な、なんで……!」
声を震わせるヒイに、ヤミコはあっけらかんと言い放った。
「言ったでしょ? 口封じだよ。君たちみんな、知り過ぎたってわけ」
「なら、私は除外ですよね? 大した話は聞けていません」
裏切りとも取れる言葉だが、マジメとヒイはなんの声も上げなかった。




