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誰かが夢見るシロクロシティ  作者: 水島緑
ブルー・ブルー
8/92

07

 そびえ立つ白いビルを見上げて、マジメは気を引き締めた。

 安全なビルの外に出た二人は真っ先に周囲の警戒をして、黒丸がいないことを確認すると、細く息を吐いた。

 あの巨体に追いかけ回されるのは二度と御免だったが、こうして外に出た以上、そんなことも言っていられない。

「東総合病院っていったら……そもそもここはどこなんだ?」

 自分の知る長谷市だということを理解しても、景色が違いすぎるここでは元の世界の地理も多少のヒントにしかならない。そのためマジメは今の現在地が全くわからなかった。

「病院はここから東へ行ったところです。ここは西側なので」

 マジメのひと月前からこの世界にいるヒイも、おおまかな場所くらいしかわからないらしく、彼女も困った顔をしていた。

 幸いにも、東総合病院はヒイが最初に目覚めたところのようで、病院への道は彼女が知っていた。

 先導するヒイの小さな背中を見て、マジメは密かに感嘆した。

 この小さな背中に、一体どれだけの勇気が秘められているのだろうか。

 ヒイが目覚めたのは病院だ。なら何故ここにいて、黒丸のことを知っているのか。

 外に出たからだ。

 真っ白い、安全な病院から外に出て、この世界を見たのだ。

 ヒイは、自分以外の人間を見たのはマジメが初めてだと言っていた。つまり、彼女は一人で外に出たのだ。黒丸たちが跋扈している、この危険な世界に。

 それは生半可な覚悟と勇気では、決してできないことだ。例え何も知らないまま外に出たのだとしても、二度と外へは行きたくはないはずだ。

 なにせマジメだってそうなのだ。今は一人ではないから踏ん張ることが出来ているだけで、彼一人だったらビルから出ることはない。

 圧倒的な威容と恐怖を刻みつける存在。それほどまでに、黒丸は恐ろしいものなのだ。

 男のマジメでもそうなってしまうのに、この世界の脅威を知った後でもう一度外に目を向けることが出来る人間なんてそういない。

 だからこそ、彼女の小さな背中が、大きく見えるのだ。

 活力で満たされた瞳、勇気の宿った背中。

 改めて、郡山秀という少女に目を奪われた。

「どうかしましたか?」

 いつの間にか足が止まっていたマジメに気づいたヒイが振り返り、不思議そうに首を傾げた。

「あ、いやなんでもないんだ。行こう」

 強い人だ、マジメは思った。

 しばらく歩いていると、ふと気になったマジメが口を開いた。

「そういえば、俺たちがいたあのビル。元はなんの建物なんだろう?」

 この辺はあまり来ないし、この風景じゃわからない。そう言いたげなマジメの質問の意図を理解したヒイはくるりと振り返って後ろ向きに歩く。

「あそこは光栄塾ですよ。ほら、受験シーズンには県外からも受講希望者がたくさん来る長谷市で一番有名な学習塾です」

 その名前はマジメにも聞き覚えがあった。広告やCMなどでよく見るほど有名だ。

「県内で一番有名、じゃなかったか?いや有名なことには変わりないか」

 なんでも、光栄塾で学んだ塾生の七割が日本でも有名な進学校、名門校に進んだらしい。その分月謝が相当に高いらしいがいつまで経っても受講希望者が後を絶たないという。

「そっか、あそこは光栄塾だったのか。あんなにデカいビルが丸々塾なんて凄いな」

 その呟きにヒイは頷くと、少しばかり自慢げな表情をみせて彼女は足を止めた。

「わたし、光栄塾の塾生だったんですよ?」

「へぇ、そりゃ凄いな」

 素直に感心したマジメに、どうだといわんばかりに胸を張ったヒイはマジメに聞こえないように漏らした。

「でも、すぐにやめちゃったけど……」

 どこか物悲しそうな面持ちで歩き出した彼女には気づかず、マジメは現在地を考えていた。

 長谷市は県内で一番小さな土地だ。小さ過ぎるあまり、東西南北で地区を分けることが出来るほどだ。

 ここ、光栄塾があるのは確か西地区の最東だ。マジメの通う高校は東地区の中心辺りで、マジメには西地区の土地勘はあまりない。

 通りで長谷市内でもわからないわけだと納得したマジメは、大人しくヒイの後を追いかけた。

 普段の生活でも近寄ることがない西地区だ。特徴的な建物も、道順を覚えるのに役立ちそうなものも軒並み消えてしまっているいま、勝手に動き回れば迷子になることは必至だった。

 どこを見ても黒一色の風景にうんざりとする。ここまで色がないと気が滅入ってしまう。

 荒廃している、とまではいかないが、点在する地面のひび割れやうっすらと浮かんでいる電柱らしき輪郭が途中で途切れているのを見ると、荒れていると感じる。これも黒丸のせいなのだろうが、色がないせいでこれといった感情が湧いてこない。強いていえば、砕けた石の破片につまづくことに腹が立つくらいか。

 この世界に長く居ると、どんどん感情が欠落していきそうで少し怖い。

「うわっ……揺れた? 黒丸、か?」

 地震のような揺れに顔を見合わせた二人は、一層周囲を警戒した。

 もしかしたら黒丸かもしれない。考えが一致した二人は辺りに気を配りながら崩れた瓦礫に身を隠した。

「振動、続いてますね。段々近づいてきていますし、多分黒丸です」

「どうする?近くに建物なんかないけど」

 瓦礫から顔だけを出して様子を窺うヒイに問うと、彼女は振り返った。

「このままやり過ごしましょう。黒丸の視界にさえ入らなければ凌げます」

「やり過ごすって言ってもな。隠れる場所なんてないぞ?」

 長い前髪から覗く眉を寄せて小声で言うヒイに合わせてそう囁くと、彼女は顔を軽く俯けて考え込んだ。

 焦燥に任せて急かすことを堪えて静かに待った。情けない話だが、今のマジメはヒイに頼るほかないのだ。知識も経験も不足している彼が唯一出来ること、それは彼女の邪魔をしないことだった。

 何も出来ない自分にはらわたが煮え繰り返るが苛立ちのまま動くことはかろうじて抑えることが出来た。ただ感情のまま動いてヒイが傷付きでもしたら、本当に役立たずになる。そんなことになるくらいなら自分はいないほうがマシだ。

 自分が出来ることは、彼女を助けることだけだ。

 栗色の長い前髪が目元を隠していてヒイの表情が伺えない。固唾を飲んで見守っていると、勢い良くヒイが顔を上げた。

「服! そのパーカー貸してください!」

 小声にもかかわらず器用にも語気を強めて言うヒイに面食らったマジメは、ぽかんとヒイを見つめた。

 その視線はどこか珍獣を見るような眼差しで、むっとしたヒイはマジメの胸倉に掴みかかった。

「もう! 早くぬーいーでください!」

「うわわ、ちょっ、何を」

「早く早くっ」

 瞬く間に服を脱がされたマジメは一切の抵抗が出来なかった。抵抗しなかったのではなく、出来なかった。

 信じられないほど甘い香りが鼻腔をくすぐったせいだ。

 ヒイは気にしてもいないようだが、マジメの胸に寄りかかったせいで彼は否応なく彼女の柔らかい体に触れたのだ。

 両腕で抱えてしまえるほど小さな、綿の詰まったクッションなんかよりもよっぽどやわっこい体はほんの少しの間とはいえ、確かにマジメの腕のなかにあった。

 柔らかな感触の残る腕をさすって、マジメは戸惑っていた。

 触れられることは少ないが、アヤがよく頭を撫でてくるので多少は慣れている。しかしマジメから触れることは一度もなかった。

 触れる、ということに慣れていなくて、困惑していたのだ。

 暖かかくて、柔らかい。馴染みのない感触に戸惑うしかなかった。

 満足そうに黒いパーカーを広げるヒイは、マジメの様子には気づくことはなかった。

 マジメからパーカーを強奪したヒイはおもむろにパーカーを被った。

「……何してんの?」

 寒いのか? と眉を寄せたマジメに、じっとりとした眼差しを浴びせながら手招きしたヒイはパーカーの前を開けた。

「ほらほらっ、入ってください!」

「はい?」

 上の空で自分の腕を見つめていたマジメはヒイの言っていることがわからず、ぼんやりとした目を向けた。

「ほら、黒い服! これで隠れるんですよ! 早く早く」

 急かすヒイだったがマジメはどこかぎこちない。疑問に思うが地響きはもうすぐそこまで迫っていた。

「ほーらぁ! 急いでっ」

「いやでも、その服一人用だから……」

「ああもうっ」

 頭が働いていないマジメの態度に業を煮やしたヒイはマジメの背中に飛びつくとパーカーでマジメの体を包んだ。

「え? え、ちょっと何してんだ……!」

 背中全体に感じる温もりに驚いたマジメは慌てて振り払おう身をよじったが、それを焦って止めたのは他ならぬヒイだった。

「しーっ! 静かにしてください! 黒丸がすぐそこまで来ているんですよ!」

 もがくマジメをはがいじめにして口を両手で押さえ込んだ。

 黒丸が近づいてくるといわれてようやく大人しくなったマジメの背中に抱きついたまま、ヒイも動かなくなった。

 地響きは目の前までやって来た。

 折れた電柱の向こうに、丸っこい巨体が見えて二人は息を呑んだ。

 服を被っただけで本当に黒丸の目を欺けるのかはわからない。だがもう動けない以上ヒイを信じるしかない。

 ゆっくりと足を持ち上げ、下ろす。ただそれだけの行動に地震のような振動が伴うところから考えると相当な質量なのだろう。

 よくよく注視してみれば、丸い体は霧のような何かで構成されているようで、黒丸が動く度に微量なもやが周囲に撒き散らされていた。

 霧なのに質量?

 この世界の生物は人知を超えた存在なのだろうか?

 襲われていたときにじっくりと観察する余裕はなかったが、今は敵を知ることが出来る絶好のチャンスだ。ちらと横目でヒイを見ると、自分の肩に顎を乗せて真剣な表情で黒丸をつぶさに見つめていた。

 マジメも見習いたいところだったが、背中の暖かさがそれを許してくれなかった。

 甘く、柔らかい体が背中全体に触れている。心臓の鼓動が、黒丸に襲われたときとは比べものにならないほど早く脈打っている。

 ごくりと唾を飲んだのは慣れない感触のせいか。

 こんなこと、今までだって一度もなかった。経験のない人間が対処出来ないように、マジメもどうすればいいのか全くわからない。

 身を固くして離れるのを待てばいいのか、それともいっそ突き飛ばしてしまえばいいのか。

 混乱するほどではないが、どうすればいいのか戸惑っていた。周りの状況を見る余裕もなく、ただ背中の温もりを感じて、耳でヒイの吐息を聞くこのしか出来なかった。

 一つの嵐が遠のいたことで、密着しているもう一つの嵐も離れていった。

「もうっ、小田原くんのせいで見つかっちゃいそうだったじゃない!」

「あ、ああうん、ごめん」

 ぷんすかと怒るヒイが背中から離れたが、未だ心臓は落ち着かない。

 腰に手を当てわかりやすく頬を膨らませた彼女は続けた。

「確かに会ったばかりで信用出来ないのはわかりますけど、わたしこれでもキミの一ヶ月先輩なんですよ? もうちょっと信用してくれたらお姉さん嬉しいですっ」

 ぷいとそっぽを向いたヒイに、マジメは思わず声を上げて笑ってしまった。

 彼女の小さい体躯でお姉さん風を吹かされると微笑ましく感じてしまう。

 小学生が背伸びしてるかのような所作に、マジメはこらえきれなかった。

「ちょ、ちょっと! 何が面白いんですか!? わたしは真面目に言っているんですっ!」

「そりゃ、俺しかいませんからね」

「そっ……そうじゃなーい! わたしは真剣に言ってるってこと!」

「冗談ですって。わかってるよ」

「バカ! 小田原くんそんなにいじわるだったんだね! もうっ、バカ!」

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