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現実から持ち込んだ物なら黒丸を倒すことが出来る。しかし、マジメはこれらを持っていないにもかかわらず、数多くの黒丸を倒してる。それも、ただの石ころで、だ。同様に、黒馬を撃破しているが、あのときは少し事情が違って、武器にした石は白いものだった。何か違いはあるのだろうか。
「色の付いたものね。色であれば何色でもいいのか? ああいう、白い瓦礫も武器に使えたりするのか?」
「ああ、白いのは使えるぞ。小田原くんは自分で試したじゃないか」
「まぁ、そうだな。じゃあ、この石はどうだ?」
足元から拾い上げた黒い瓦礫を手の平で転がした。
「これじゃあダメだな。色付きとはいっても、黒に黒を投げて何か変わると思うか?」
「いや。でも俺はいままでこの石を使って黒丸たちを倒してきたんだぞ? 瀬川が鉄パイプで倒したように、これを投げたら消えたんだ」
風に巻かれたように霧散した黒丸を思い出す。たった一つの石ころが黒丸の額を貫いて、体を構成している黒い霧が分解されていく。以前にみた、セガワの攻撃で黒丸が消滅した光景となんら変わらない消滅だ。
しかし、セガワは表情を険しくした。
「残念だが、その方法じゃ黒丸は倒せない。倒すには色付きが必要なんだ。小田原くんがとった方法だと、黒丸を一時的に拡散させるだけなんだよ」
「拡散? つまり、倒せていないってことだよな」
「ああ。あいつらは見た目通りに脆いからな。やろうと思えば素手で同じことが出来るんだ」
だけど、それだけじゃあ一時的に吹き散らしただけなんだ。
そう続けたセガワに、マジメは静かに頷いた。手の中の石ころを転がしてみる。吹き散らしただけ。なるほど、わかりやすい。撃破ではなく撃退になっているということだ。
「その場しのぎには使える手段だな。瓦礫ならどこにでもあるし、使えないこともないな」
「野暮ったいレインコートにフード。それと、ナイフでしたか?」
「鴨井さん?」
シキの呟きを聞き取ったヒイが首を傾げた。つられたマジメがシキの視線の先を見ると、人影が一つ、こちらに向かってきていた。確かにレインコートとフード、袖に隠れた手には、ナイフらしき何かが握られていた。
「おいおい、こんなときにお呼びじゃないってのに……黒馬もいねえし。小田原くん、きみは逃げろ。手に負える相手じゃない」
顔をしかめたセガワが振り返らずに言った。セガワでも厄介な相手ということは、マジメたちでは太刀打ちできないということでもある。
つまり、
「足手まといか。二人とも、早く離れよう」
「で、でも……」
「本当に良いんですか?」
ヒイとシキが戸惑いのまま、マジメに言った。今こうしている間にも、レインコートの不審者は近づいてきている。セガワは既に戦闘態勢に入っていて、こちらの声はもう聞こえていないようだった。
「郡山さん、あの瀬川が逃げろって言ったんだ。あいつだって手に負えない相手を、俺たちがどうこう出来ると思いますか? 鴨井もだ。あいつは俺よりも、いや、多分この世界にいる人間の中でも相当強い奴だ。だから、離れよう」
真剣な眼差しのマジメに、シキは納得して、ヒイは渋々従うことにした。三人は半壊した教会の裏手へと回り、そこからセガワの様子を見ることにした。
「ったくよ、俺もアンタもとんだ貧乏くじ引いたよな。こんな世界、うんざりしないか?」
「……」
「ちっ、またいつものだんまりかよ。そんなんじゃ友達出来ねえぞ」
軽口を叩くセガワの表情に、戯けた色はない。それどころか、いささか以上に警戒の色がある。無言で近づいてくるレインコートが、右手のナイフをかざした。その瞬間、セガワが素早く鉄パイプを突き出して、体ごと飛び込んできたレインコートのナイフを受け止めた。
「くそったれ! どんな足してんだよっ」
レインコートの裾がたなびいたのはほんの一瞬のことだ。次の瞬間には、セガワの目の前に出現していた。
そう、出現だ。
移動が早すぎるあまり、瞬間移動したように見えたのである。
ぎりぎりと鍔迫り合う二人のうち、先に動いたのはセガワだった。予備動作のないローキック。レインコートのふくらはぎを強かに蹴りつけたのである。肉を打つ音さえ聞こえた威力に、レインコートはわずかに腕の力を抜いてしまった。すかさずセガワが押し込んで、姿勢が悪くなったレインコートは後退した。
どちらかといえば、セガワのほうが優勢だ。手痛い一撃を入れて、彼自身は無傷である。しかし、その内心では焦りを覚えていた。
離れた場所から見守っているマジメたちには、その焦りがわからない。
「言うほど、厄介そうではありませんが……」
見たままの言葉を発したヒイに、マジメが首を振った。
「まだ始まったばかりですよ。それに、相手は人間だ」
決して油断出来る相手ではないことは、数多くの黒丸を相手にしてきたマジメが一番わかっていた。
黒丸に策を講じる知恵はない。だが、人間はその貧弱な肉体を補うために、策を弄するのだ。しかも、あのレインコートは肉体的にも優れている。正直に言って、長引けば長引くほどセガワが押し込まれるようになるだろう。
再び接近してきたレインコートが、右手のナイフを閃かせた。横に一閃されたそれを一歩下がってやり過ごすと、すぐさま体勢を整えたレインコートがナイフを突き出してきた。対して、セガワは半身になって避けようとするのだが、その瞬間、レインコートはナイフを左手にトスして持ち替えると、右手に対して半身になったセガワに左からナイフを突き出した。
「っぐぅ!」
目を見開いたセガワが危ういところで鉄パイプの割り込ませて、高い金属音が響いた。
「なんだ、いまの……」
曲芸じみたナイフの持ち替え。やるほうもやるほうだが、あれをやられて即座に防ぐほうもどうかしている。
「あんなことをやってのける相手では確かに、私たちでは足手まといですね……」
シキが唇を噛んで漏らす。ただ一人、戦闘にあまり縁のないヒイが深刻そうな面持ちで戦いを見守る二人を困惑気味に見つめて、セガワに視線を戻した。
危うく脇腹を刺されるところだったセガワの額には、おびただしい量の脂汗が浮かんでいた。ナイフを避ける方向を予見していたかのような持ち替えだ。以前に矛を交えたときも同じような印象を受けて、最大限に警戒していた甲斐があった。しかし、そう何度もかわせるものではない。得物がナイフとは思えないほどの力強さに、取り扱い。更には予見じみた先読み。先に消耗するのはどうみてもセガワのほうだ。
防戦一方になってはまずい。一気に攻勢に出ることで、早々な決着をつけようとしたセガワは、リーチを活かしてナイフの射程範囲外からの刺突を試みた。
鉄パイプの扱いには自負があるつもりのセガワの刺突は、先端が霞むほどに熟達している。しかし、その鋭い一撃もあっさりとかわされて、逆にするりと接近してきたレインコートにナイフを突き出された。
避けるのはリスクが大きい。多少の怪我を覚悟して防いだほうが致命傷にはなりにくいだろう。トリッキーな動きは回避の天敵だ。
レインコートの手首を打ち据える勢いで鉄パイプが振るわれたが、あえなくナイフを弾くだけだった。だが、重量のないナイフは大きく弾かれて、レインコートの胴体はがら空きになった。その隙を逃さず、セガワはコンパクトに鉄パイプを振るって、回避も防御もさせずにレインコートの腹に一撃を叩き込んだ。
くの字に折れて殴り飛ばされたレインコートに、マジメは息を呑んだ。早さを重視した打撃だったろうに、それでも人体を吹き飛ばすだけの威力はあった。
しかし、レインコートのタフネスも凄まじいらしく、傍目からしてあっさり立ち上がると、殴られなかったかのようにセガワにナイフを振るった。
甲高い金属音を鳴らしながら、的確にレインコートの斬撃を防いでいくセガワ。やや焦りの色は見えるが、まだ余裕はありそうだった。
「あ……」
はたして、呻くような悲鳴を上げたのは誰だったのだろうか。
二人の戦いは突然の乱入者によって中断したのだ。




