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当然自動ドアがひしゃげている、なんてことはなく、何事も起きないままマジメたちは病院に入った。
あれほど静寂に満ちていた空間はどこへやら。目の前のロビーは人混みで溢れかえっていた。
やはり新鮮だ。普段から病院に行くことがないマジメとしては病院に来るだけで落ち着かなくなってしまうのだが、それを差し引いてもこの感覚は拭えない。
いつの間にかあの白黒世界がマジメにとっての普通になりはじめているのかもしれない。そうでなくとも、あの世界でも行ったこともある場所に、現実世界で行ってみると同じような感覚を覚えるのかもしれない。
やはりというかなんというか、苛烈な方が印象に残るということだろう。
ごった返しているロビーは無視して、ササキたちは入院病棟へ向かっていく。その後に追従しながら辺りに視線を走らせるマジメを、まるで珍獣でもみるかのような目で見るアヤに彼は気づかない。
正直にいってしまえば、目新しいのだ。
パステルカラーの壁は子供にも配慮した結果なのか、病院にもかかわらず独特の冷たさを感じない。その壁にデフォルメされた動物のイラストがプリントされているのだから、小さな子供は喜ぶかもしれない。
徹底的ともいえるほど、患者に安心出来るように尽力している。こんな病院は他にないのかもしれない。
病棟を移動し階段を上ると空気が変わったように感じた。
これは白黒の世界で感じたものと一緒だ。空気が冷たいというか、熱がないというか、暑苦しかったロビーとは大違いである。やはりマジメとしてはこんな静けさがあるほうが好ましい。
窓から差し込む夕日を見る限り、もうそろそろ面会時間も終わってしまうだろう。そんな中で看護師たちが忙しそうに動き回っているのは夕食の時間が近いからか。
「それじゃあ私たちは行くけど、二人で大丈夫?」
「あ、はい。先輩たちはこの後そのまま帰るんですよね?」
「うむ、そのつもりだ。面会時間も残り少ないのでそう長居をすることはないだろうな。互いの用事が終わって、タイミングが合えば一緒に帰ろうではないか」
「あら、梓にしては珍しいわね。もしかしてやっと出来た後輩だからかしら?」
「べ、別にそういった意図はないぞ! 本当だからな!」
やいのやいのと仲良く去っていった二人を見送ってから、マジメも動いた。
が、隣にはアヤがついてきていた。
ついてくるつもりか、と思ったが、アヤはただついてきただけで彼女自身に用事はないようで、おそらく手持ち無沙汰なのだろう。ササキたちについていくのは気まずいし、かといって一人では退屈だ、といったところか。
「……一緒に行くか?」
「是非」
なんとなく聞いてみれば即答が返ってきた。
一緒に行って困ることもないが、きっと気まずく感じるだろう。それに、普通の世間話ならまだしも、異世界のこととなると結局アヤには離れてもらうことになる。
「……まぁ、いいか」
そのときはそのときに考えればいいか。
マジメがアヤと連れ立って向かったのは、ナースステーションである。
思いつきでヒイが入院しているであろう病院までやってきたのはいいものの、マジメは彼女の病室すら知らない。いや、厳密には知っているのだが、部屋番号まではわからなかった。
そもそも、この病棟にいるのかすらもわかっていないのである。
カウンターの前に立つと、マジメに気づいた看護師が一人席を立った。
「どうかしたの?」
やけにフレンドリーなのはマジメが子供だからだろうか。背後で待機しているアヤと交互に見ているのが気になる。
「あの、郡山秀って人の病室を探しているんです。俺と同じくらいの年で、一応友人なんですけどこの病院に来るの初めてなので……」
見知らぬ人間と口をきくのはなかなかに緊張する。特に人見知りなマジメは顕著だ。手の平は汗でいっぱいだし、視線はきょろきょろと落ち着かない。どもらず喋れたのは奇跡だ。
「郡山さん? ちょっと待ってね」
カウンターから離れた看護師が、他の看護師と何やら言葉を交わして戻ってくる。
「ごめんね、郡山さん今日の午前中で退院だったみたい」
「そう、ですか。ありがとうございました」
どうやらタイミングが悪かったようだ。唯一、現実で顔を合わせることが出来るのは病院しかなかったのだが、いないのならば仕方がない。当然彼女の自宅は知らないので、現実世界での顔合わせはお預けだ。
ナースステーションから離れた二人は、エレベータ近くのベンチに腰掛けた。
「一つ気になったんだが……」
「なんだ?」
「ハジメくんが見舞おうとした相手は友人だと言っていたけれど、本当に友人なのかい?」
怪訝そうな面持ちで自分を見るアヤに首を傾げた。
「いやさ、友人だって言う割には病室も教えてもらってないんだなーってね」
「ああ、そういうことか」
確かに看護師との会話は少し違和感があったのだろう。
友人の見舞いに来たといいつつ、その友人の病室を知らないのだから、アヤのようにアタマの回転が早い人間には違和感を覚えるのかもしれない。
よくよく考えてみれば、病院に来たことがないから、というのも妙な話である。なにせ、病院に来たことがなくとも、病棟と部屋番号さえ覚えていれば探すのは簡単だ。
看護師が特に警戒することはなかったのでマジメも気にしていなかったのだが、しっかり考えてみると怪しいことこの上ない。
「友達だよ。説明しづらいからなんていえばいいのかわからないけどね」
別世界で出会ったので連絡先は知りません、などと素直に言えるわけもなく、適当に濁すことにした。
それ以上話すつもりはない、といったマジメの姿勢に、アヤも追求することはなかった。
話題を変え、何気ない雑談で時間を潰しているうちにササキたちが戻ってきた。
「すいぶんと早かったね。何かあったのかな?」
「それがね、もう退院しちゃってたのよ。今朝のうちに家に戻ったらしくって、連絡なかったからてっきりまだ入院してるのかと」
「何かと忙しいのだろうな。夜か明日にでも連絡は来そうだ」
せっかく見舞いに来たのに、とは思わなくもなかったが、当の本人たちが退院出来たことに喜んでいる様子なので余計なことは口にしなかった。
「小田原くんはどうだったの?」
「俺のほうも退院しちゃってましたよ」
どちらの見舞い相手も既に退院した後だというのはなんとも奇妙な偶然だ。
驚いて、苦笑を浮かべたササキとユギの気持ちは良くわかる。
「少し残念だったな」
「何が?」
「南さんたちのお見舞い相手って学校の七不思議の人なんだろう?」
「ああ、確か事情があって来れないって」
「うむ、その通りだ。何故か我が部の副部長は皆体が弱くてな。私が一年生のときから副部長の席は埋まっていたが、歴代の副部長は皆七不思議だったのだ。実際には、三年間どころか八年は続いているのだよ」
ササキの言葉にいささか以上に驚いたのはアヤだった。
「それは……確かに七不思議に相応しい逸話だね。そのことを大々的に宣伝したら部員も増えるんじゃないのかい?」
「それも考えたことがあるんだけど……」
「確かに部員は増えるだろうな。だがそれは一時的にすぎないのだよ。時間が経てば新入部員はやめていくだろうし、宣伝効果も風化してしまう」
「何してるかわからない部活なんて楽しくもないからねぇ。新入部員だってすぐにやめちゃうのよ」
経験があるのか、どこか意味深に自身を見るユギから、ササキは目を逸らした。
「だいたい、活動内容不明の部活に、中二病の部長、物好きな生徒でも寄ってこないわよ」
徐々にユギの言葉に棘が見えだし、それを嫌ったササキがなんとか話題を変えようと試みるも呆気なく封殺された。
ササキに対する愚痴は留まることを知らず、授業態度や生活態度、果ては、めんどくさい性格、とばっさり切られたことで彼はがっくりと肩を落としてマジメの隣に腰を下ろした。座ったというよりくずおれたようだ。
もはや顔を上げる気力さえ残っていないようで、小声ながらも容赦なく続くユギの口撃に晒され続けている。
流石に不憫だと思うが、薮をつつきたくはない。もし、ユギの口撃が飛び火したらこっちの心も折られてしまいそうだ。
ユギを止められるとしたらアヤしかいないのだが、彼女がわざわざササキを助ける行動を起こすとは思えない。
いつも通り楽しそうに眺めるだけだろう、というマジメの予想を裏切って、アヤが口を開いた。
「でもさ南さん。そう言ってる割には佐々木さんを見限らないのはどうしてなのかな?」
「そっ……!」
あまりにも突然の横槍に奇声を上げたユギがアヤを見る。いつもと変わらない表情だが、どことなく笑っているように見えた。
「好きの反対は嫌いじゃなくて無関心、って言うでしょ? あれって、あながち間違いじゃないと思うんだ。人間って、理性がある割に残酷だから興味がないものにはまるで目を向けないんだよ。でも南さんは違うよね? この前もそうだったけれど、なんだかんだ言っても佐々木さんのこと気にしているじゃない? それって彼のことを見ているから、ってことになるよね。でないと愚痴になんてならないんだから」
うな垂れていたササキも、いつの間にか顔を上げてアヤの言葉に耳を傾けていた。
つまり、だ。
回りくどいアヤの言い分をまとめると、ユギはササキを気に掛けているからこそ愚痴を漏らす、ということになるのだろう。
また突拍子もないことを言い出したかのように思えたが、よくよく聞いてみるとかなりまともだ。
思わず唸ったマジメは、アヤの介入によって変わるであろう結果を見届けることにした。
「そ、それは本当なのか……?」
「九割九分ね。私が南さんだったら、めんどうな性格の人とは縁を切っているかも」
「うぐっ」
言外に、私もその性格を鬱陶しいと思っている、と告げられたようなものである。
相変わらず切れ味が良い。
またしても言葉の刃で刺されたササキはがっくりと肩を落とすも、どことなく縋るようにちらちらとユギに視線を飛ばしていた。
……それが鬱陶しいって言われる所作だっていうの、気づかないのか。
年がら年中こんなのと付き合っていたら、大層疲れるだろう。
今度はユギにばっさりと切り捨てられるかも、と思ったが、意外にもそんなことはなく、むしろ彼女はアヤに言われたことを気にしているようで、ちらちらとササキに目を向けては逸らしていた。
頬が赤い。
アヤの言葉は思いのほか的外れではなかったようだ。
恥ずかしそうでありながらも、アヤの言葉を否定しない辺り、“そう”なのだろう。感情の機敏に疎いマジメですらわかるほど、ユギの態度はあからさまだった。
しかし、それに気づかない男が一人。
「なるほど。これは面倒だな」
呟いて、ユギにちらりと視線を向けると、その意味を正しく受け取ったらしく、彼女は更に顔を赤くした。
一方で、面倒だと切り捨てられたササキは絶望的な表情を浮かべていたが、むしろいい気味だった。どうせ誰も彼を見放すことはないだろうから。




