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誰かが夢見るシロクロシティ  作者: 水島緑
レモン・カンガルー
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 あやが眠っている間は、束の間の休息だった。

 ヤミコやハギリが追ってくることはなく、付近にも黒丸の姿は見当たらない。

 やむなく黒丸たちを引きつけたときとは大違いだ。

 あやの頭を優しく撫で続けるヒイを横目でみて、マジメは内心でため息を漏らした。

 ハギリが敵に回ることは予想していたし、覚悟していた。マジメにヒイを守る理由があるように、きっとハギリにも姉に付き従う理由があるのだろう。

 それを思えば、裏切り者だと糾弾することもできない。もっとも、ハギリを信じていたのはヒイだったので、マジメ自身にハギリを責めるつもりなかった。

 そのヒイは今のところ、表面上ではいつも通りだ。いつも、と判断がつくほど長く共に過ごしているわけではないが、安定しているようには見える。しかし、その内心ではなにが渦巻いているのだろう。

 裏切られたことへの悲しみか、それとも怒りか。いや、彼女のことだ。自分を責めているのかもしれない。

 どう言葉で取り繕ったところで、人の心は簡単に癒せるわけではない。傷が浅いうち、とはいうが、この世界にいる限りどうやったってハギリとは遭遇するだろう。むしろ、向こうから追いかけてくるに違いない。

 かさぶたにもならないうちに傷口を抉られるのは苦痛だ。その痛みはきっと、ハギリと再会する度に起こる。マジメに傷を癒すことはできない。口下手で、他人には関わらなかった人間だ。だが、痛みの原因を取り除くことはできる。

 ハギリと再会する度に泣きそうになるヒイを簡単に想像することができる。できれば、彼女には笑っていてほしい。この残酷な世界でそれは難しいことだというのはとうに知っている。それでも、彼女と出会ったときからの願いだけはやめられそうになかった。

 泣きじゃくって、瞳の活力が衰えていくのを見るのはもううんざりだ。

 ハギリを手に掛けることでその姿を見なくて済むようになるのなら、俺は喜んでハギリを殺そう。

 エゴだという自覚はあるし、ヒイは決して喜ばないという確証もある。だがこれはエゴだ。わがままをつらぬくことに自分以外は関係ない。

 なんといってもわがままだから。

 殺す覚悟はないけれど、殺すつもりはある。


 そんな物騒なことを考えているときだった。

 ふと気がつけば、寝息が二つに増えていた。

 そういえばさっきからヒイが静かだと思っていたが、眠ってしまったようである。

 もう既に寝入ってしまったのだろう。何か寝言を呟くように桜色の唇が動いたが、音はしなかった。

 山になった瓦礫に背中を預け、あやの額に手を置いたまま、ヒイは眠っていた。ずいぶんとあどけない寝顔だ。でも、こうやって眠ってしまうほどに疲れていたのだろう。ただでさえ運動に慣れていない体だというのに、奮闘したものだ。

「俺のおかげだっていうけど、俺はただ囮になっただけだ。この子を助けたのは郡山さんだし、学校から脱出したのだって郡山さん自身の力だ。誇っていいと思うんだけどなぁ」

 どこまでも謙虚で、そのくせ自分を責めてしまうヒイの寝顔に思わず呟いた。

 そういえば、現実世界に戻るときはいつも俺が先に寝てたっけ。

 そう考えると、ヒイの眠る姿はかなりレアな光景ではなかろうか。

 珍しがって眺めていると、マジメはあることに気づいた。

 女の子の寝顔をじろじろ見るなんて、これじゃあまるで変態じゃないか!

 思わず呻いてしまって、慌てて口を押さえた。

 おそるおそる二人の様子を窺うと、幸いにも起こすことはなかったらしい。

 大袈裟なまでにほっと安堵のため息を漏らすと、マジメは辺りに目を走らせた。

 雨雲のような黒丸の群れを知っている身からすれば、またどこからかわらわら湧いてくるかわからない。ヒイも眠ってしまった今、警戒するのは自分しかいないのである。しかし、マジメの懸念が当たることはなかった。

 黒丸の姿がない。もうずっと、ヒイと共に学校から抜け出してからまったく黒丸を見ていない。

 目が眩んでしまうほどの数が現れたと思えば、黒い霧の欠片すら見当たらない。いったいなにを基準に増殖し、衰退するのだろうか。

 まるで嵐が過ぎた後、もしくは嵐の前の静けさだ。

 これ以上の嵐は勘弁してほしいと思う一方で、その願いが叶わないことも理解している。

 難儀な世界に飛ばされたもんだ、とひとりごちて、マジメは睡魔の波にさらわれていった。



◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎



 なにがあっても泣くまいと決めていた決意は、簡単に崩れてしまった。

 感情を殺して、良くしてくれた人たちの恩を仇で返して、それでも、大好きな姉のためだと言い聞かせれば、泣くことなんてないと思っていた。

 でも、だめだった。

 枕に顔を埋めたまま、彼女は声を漏らさないように泣き叫んでいた。

 痛むのは果たして心臓か、それとも心か。

 姉と共に少女趣味ではない、彼女の性格を表すような実用一辺倒の水色のカーテンから太陽の光が差し込んだ。

 これだけ泣くのはいつ以来だろう、彼女はどこか冷静なままの心に問いかけた。たぶん、あのときだ。一番の友達を裏切ったとき。あの時に匹敵するほど泣いているかもしれない。

 自分に良くしてくれる人はみな、裏切ることになってしまう。いくら大好きな姉から言われたとはいえ、彼女だって人形ではない。それでも心を殺して姉に尽くすのは、やはり大好きで大切な姉だからだ。

 どれだけ泣いていたかわからない。

 目が覚める前からだったかもしれないし、目が覚めてからだったのかもしれない。

 でも、もうこれっきりだ。これ以上、醜態は晒したくない。裏切っておいて泣くなんて、卑怯者がすることだ。優しくしてくれた人たちを裏切った代償だ。多少心が壊れたっていい。

 だから甘えるな、考えるな。

 そう言い聞かせて、彼女はまた泣いた。

 朝日はもう、とっくに昇っているというのに、いつまで経っても涙が止まる気配はない。

 泣き止め、と念じていると、控えめに扉が叩かれた。

 まだ寝ていると思ったのだろう。しばらく扉の前に佇んでいたが、結局入ってくることはなかった。

 おかげで涙が止まってくれたようだ。

 顔を埋めていた枕がびちょびちょで、かなり息苦しいがもう大丈夫だ。

 二度と泣くつもりはない。そう決心して、多分無理だと自分で否定した。

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