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誰かが夢見るシロクロシティ  作者: 水島緑
レモン・カンガルー
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 今、このときの問題は黒丸ではないのだ。

 甲高く、耳障りな音。それはおそらく校舎の中にも響いているだろう。

 外で何かあったと気づくには十分で、そうなるとヒイたちの姿が見つかってしまう。

 ヤミコたちにバレてしまうのだ。

 そうなってしまえば二対五の圧倒的不利な状況になる。もとよりあやもヒイも戦えない。ならば逃げの一手だが、二人と三体に囲まれてしまえばそれも難しくなる。

 残り時間は少ない。ヤミコたちがやってくるまでに目の前の黒丸をかわして学校から逃げるのだ。広い町に雲隠れしてしまえば簡単には見つからないだろう。

 だが、黒丸をかわす自信がなかった。

 極度の緊張の中、全力で走ったせいで体中が痛む。それに、ヤミコたちに見つかってはいけないと、焦りが再燃してきた。

 必死に冷静になれ、と自分に言い聞かせているが効果はなさそうだ。それどころか、ますます焦りは募っていく。

「おねえちゃん、おねえちゃん!」

「え……? あ、なに? どうしたの?」

 自己暗示に没頭するあまり、あやの声を聞き逃していたヒイが彼女を見た。

 ひどく怯えた表情だ。

 きっと原因は黒丸だけではない。不安にさせているのは切迫した自分の態度も原因なのだろう。

 それを自覚した途端、自らの思考が落ち着きを取り戻していくのを感じた。

「大丈夫? おねえちゃん真っ青だよ」

「お揃いだね。でも大丈夫だよ、心配しないで」

 安心させるように微笑む。今は、後ろのことを考えている余裕はない。切り捨てろ、と念じて集中した。

 目の前のことで手一杯なのだ。他のことを気にする暇はない。

 のしのしと近づいてくる黒丸に身構える。

 振りは早いが大振りだ。力任せの攻撃で、技術はないと考えていい。警戒するのはその腕力。かするだけでもひ弱なヒイの体は吹き飛びかねない。

 時間はない。ヤミコたちに見つかるのはまずいのだ。一回こっきりのチャンスだと思ったほうがいい。

 がくがくと震える足で一歩、また一歩と近づいていく。もうすぐで黒丸の腕が振るわれる距離だ。

 それを避ける。避けて、その巨体の裏へ走るのだ。そのルートしか今は見えなかった。

 黒丸が腕を振り上げるのを見て、ヒイはわずかに腰を落とした。

 視界の端にあやの抱えるスケッチブックが見えて、加熱しかけていた頭が冷えた。もう少しで目的が果たせる。ここが踏ん張りどころなのだ。

 黒丸の腕にあわせてヒイは左へ体を振った。それを追いかけて黒丸の腕が微修正される。が、あくまでヒイの動きはフェイントだった。

 直後に、ヒイは黒丸の振り上げられた腕の反対側へ駆けた。飛び込んではだめだ。立ちあがる前に叩き潰される。

 逡巡は一瞬にも満たなかった。

 地響きが背後から聞こえて、ヒイは思わず口元を歪めた。だが、視界から流れていく黒丸の体が、わずかに身震いした。

 この状況でその挙動はなんだ?

 どこかで見たことのあるその動きに、ヒイは戦慄する。

 すれ違うヒイに、黒丸は人間では人体の構造上不可能な動きで追従すると、今までに見せたことのないコンパクトな挙動でその拳を振り上げた。

 完全に虚を突かれた。振り切ったはずが、黒丸の拳が迫っている。

 この黒丸にあるまじき行動には見覚えがあった。

 校舎のほうを見なくてもわかる。

 ヤミコかハギリのどちらかに操作されている。

 もはやどちらでもいい。この攻撃はどうしたって避けられない。

 予知能力が発動しなくてもそれだけはわかる。黒丸の拳はヒイの左脇腹を貫くだろう。あるいは潰すか、あるいは吹き飛ばすか。どちらにせよ、その膂力を耐え切ることは出来そうにない。

 ならばせめても、とヒイはあやを放り投げようとした。このまま抱きしめていたら巻き添えにしてしまう。そんなのは御免だ。ここまできて助けられなかった、なんて絶対に嫌だった。

 間に合って、とひたすら念じて、ヒイは目を見開くあやを投げようとした。

 そのときだった。

 ヒイの目に、高速で近づいてくるモノがあった。宙に浮かんだそれが風を切り、こちらに飛来してきたのである。

 目視したのはほんの一瞬だった。

 それはヒイの肩をかすめて通り過ぎた。耳元で風の唸りが聞こえてぞわりと肌が粟立つ。

 ああでも、生きてる。

 腕の中から離しかけていたあやを改めて抱き締めて、ヒイは足を止めた。

 振り返る。黒丸は黒い霞となって霧散している最中だった。

 飛んできたのは多分石だ。何の変哲もないただの石ころ。見たことがある。こんなことができるのは一人しか知らない。

「郡山さんっ、怪我は!?」

 小田原真面目がヒイの肩を揺さぶった。

「おだわらくん……」

 生きているとは信じていた。けれども、こうして再び会うことが出来るなんて、半信半疑だった。

 生きている。小田原くんは、生きてる。

 不意に視界が歪んでぼやけた。涙で滲むマジメが苦笑を浮かべた。

「俺が言うのもなんなのですが、再会を喜ぶのは後にしましょう。今はここから逃げないと」

「本当ですよもうっ! でも、今は我慢します」

 浮かんだ涙を拭うと、困った顔のマジメが再び苦笑いをこぼしていた。

「俺がその子を連れていくから、郡山さんはついて来てください。……まだ走れますか?」

 息を乱したヒイの様子に心配したのだろう。どことなく不安げな表情を浮かべている。しかし、その心配は杞憂だ。何故なら、今のヒイは精神的に回復している。多少体がだるかろうがどうにでもなる。

 とはいえ、流石にあやを抱いたままでは難しい。突然現れたマジメに驚いた様子をみせないあやを、マジメに抱えてもらった。

 特にあやが抵抗することもなく、なんとなくマジメがやりづらさそうな顔をしていたが、前言を翻すつもりはないらしい。

「それじゃあ、あやちゃんはお願いしますね」

「わかってますよ。……あやちゃん?」

 抱き上げたあやを思わず見遣ったマジメに、気づいたあやが見上げてくる。あやという名前はどこにでもあるだろう。マジメの友人にも一人同じ名前がいる。少しだけ気まずいが、別にアヤの名前を呼ぶわけではない。気持ちを切り替えて、マジメはヒイを促した。

 黒丸を倒したので邪魔者はもういない。門が吹き飛ばされているが、二人は正門をくぐって学校の外へ出た。

 ようやくヒイは目的を果たした。マジメとも再会することが出来たし、なにより未来は回避された。だが、今はまだ喜べないのだ。

 安全が確保されるまではすべての感情を抑える。安全な場所を見つけてから、話したいことを話せばいい。

 自分に言い聞かせて、ヒイは先を走るマジメを追いかけた。

 ヒイは大丈夫だといったが、肉体的には相当疲弊しているはずだ。彼女がついてきているか確認して、置いていかないようにペースを調整する。

 すると、

「わたしが見てるからおにいちゃんは前だけを見てて」

 おとなしく抱き上げられていたあやが言った。どことなく大人びた声色だ。そのことに驚きながら、マジメは半信半疑ながらもあやに任せることにした。

 まだ警戒していなくてはいけないのだ。それだけに集中できるのは素直にありがたい。

 みるみるうちに東地高校から離れていく二人は、ヤミコたちを完全に振り切ったのだった。

 ヤミコ、ハギリ姉妹はようやく玄関前のロータリーに到着した。これから追いかけるにはもう遅かった。

「あーあ、逃げられちゃったよ」

 どこか楽しげに笑い声をもらすヤミコに呆れた視線を向けたハギリが肩をすくめた。

「追いかけなくていいの? 先輩、色々聞いたみたいだけど」

 先輩、と言葉にしたときの胸の疼きは感じなかったことにした。

「構わないよ。むしろ楽しくなってきたじゃないか。あの二人がどうやってここから抜け出すか見ものだ」

「見逃すってこと?」

 ハギリの言葉に首を振ったヤミコが、途端に冷淡に言う。

「まさか。もちろん探すよ。探して、見つけたら殺す。でないと困るからね」

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