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誰かが夢見るシロクロシティ  作者: 水島緑
レモン・カンガルー
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 教室を出たヒイが最初に向かったのは、廊下に出てすぐのところにある手洗い場だ。

 長いシンクと横一列にならんだ蛇口は相変わらず黒く染まっている。

 ヒイがまず確かめたのは水が出るか否かだった。

 この陽動に必要不可欠なのは水だ。それが使えないとなると他の物で代用するか、陽動作戦を諦めなければならない。

 以前、東総合病院にいたときには、電気が通っていないことをマジメが確かめたのだが、水道は調べなかった。

 緊張気味に、少しだけ栓を開ける。

 墨汁が蛇口から流れた。

 排水溝に流れていく水はまさに墨汁そのものだ。驚いたヒイが一度栓を締めて水は止まった。

 そもそも本当に水なのか。

 もう一度栓を開けて、流れ出る墨汁に恐る恐る触れてみた。

 感触は至って普通の水に感じる。では匂いはどうだろうか。これが墨汁であれば、独特の匂いがするだろう。意を決して水をためた手の平を鼻先に近づけてみた。

 水だ。まごうことなき水だった。かすかに感じるカルキの匂いでそう判断した。

 試しに、水に触れた指を舐めてみるとやはり水道水の味がした。

 これで、もっとも重要な水が存在することを確認できた。

 ついでに水分補給をしたヒイはどことなく嫌そうな顔をした。

「見た目が墨汁だから自分が変なものを飲んでいる人間に見えてしまいますね……」



 次に探すのは、音の出るものだ。もちろん、落としたときに音が出ればなんでもいい、なんてアバウトなものではない。音が大きければ大きいほど良いし、仕掛けに組み込める物である必要がある。

 映画の中で使われていたような金タライが一番理想的なのだろうが、学校にタライが置いてあるとは思えなかった。

 と、考えて、ヒイは思い直した。

 タライはなにかと便利だ。理化学の授業や調理実習のときなど、使うことはなかっただろうか。

 ヒイには覚えがないが、その想像もあながち外れではなかった。

 金タライはないにしても、鍋や茶碗くらいは調理室にありそうだ。ひとまずはそこを目指すことにしたのだが、一つ重大な問題が壁となって立ち塞がった。

「調理室ってどこなんでしょう……」

 ヒイが参加した授業に調理実習はなかった。

 タライの代わりに調理器具を使うという考えは悪くなかったが、場所がわからないのではどうしようもない。

 脱出作戦を構築している今、下手に歩き回ってヤミコたちに見つかってしまえば本末転倒だ。仕方なく、ヒイは調理器具を利用することを諦めた。

 となれば、果たして何を代用するか、ということになる。

 現在位置は水飲み場から動いていない。付近に何か良いものはないかと見回してみたが、目を惹くようなものは何もなかった。

「何か、では漠然としすぎいる気が……もうちょっと具体的に、どんな物が必要なのか考えないといけませんね」

 呟いて、ヒイは条件を設けた。

 まず最初に必要なのは音だ。なるべく大きく甲高い音がベストだ。そうなると当然材質はガラス製か金属製、あるいはアルミやスチールなどの硬い物が良い。

 次に必要なのは、仕掛けに組み込めるかどうか、という点だ。

 大きすぎるものは論外だし、かといって小さすぎては音も小さくなってしまうだろう。手頃な、例えば、軽く持ち運びやすいもの、そう条件をつけた。

 それに、陽動装置の内容も未だ不鮮明だ。思い出せないし、シルエットくらいしかわからない。

 どのような装置にするか、それも決めなくてはならないだろう。もちろん、完全に決めてしまっては柔軟な修正が出来なくなるので大まかにだ。

 装置のほとんどは紙だ。そのため装置とは呼べないのだが、便宜上装置と呼んだほうがややこしくない。

 紙で釣り上げる、ということはやはり手軽な物なのだろう。重量はあまりなく、それでいて音が大きい物というと、アルミ缶が真っ先に思い浮かんだ。

 確かにあれならば条件に合致する。だか、そのアルミ缶をどこから調達してくるのか。

 高校ともなれば、敷地内のどこかに自動販売機くらいはありそうなものだが、結局は探しに行かなければならない。そもそも電気が通っていない以上、使用は不可だと考えていい。

 では代わりになるもの。ヒイがありかを知っていて、条件に合う物。

 目の前にあるシンクはステンレス製のものだ。接着されていて取り外せないし、大きすぎる。シンクよりも小さく、持ち運びの簡単なもの。

 そう考えて、ヒイは一つ思いついた。

 一度手洗い場から離れ、廊下の先をみた。

 当然のように人気がなく、当然のように静かだ。夜の学校に似て、ひどく不気味な雰囲気がある。

 いや、不気味なだけである分、夜の学校のほうが何倍も良い。

 暗く静かで足音すら反響する学校でも、簡単に人間を殺してしまう化け物はいない。不審者が入り込むこともあるかもしれないが、拷問ののちに殺して喜ぶ狂人がいないだけマシだ。

 そうだ、こんなところに比べたら、世の中のホラー映画なんて鼻で笑い飛ばしてしまう程度の怖さだ。

 だからこそ、ヒイの体は震えている。

 恐怖に耐性がつくことはない。人の死に慣れることはない。些細な、自分の足音にすら驚いてしまう。曲がり角から黒い影が現れればそれだけで気が遠くなる。

 でも、逃げられない。

 動かなければハッピーエンドにならない映画のように、自ら動くことでしかこの黒い世界に光は差さない。

 立ち塞がる壁はどれもいささか以上に高いものだが、ここまできて諦めるわけにはいかなかった。

 なんとしてても東地高校を脱出し、マジメにこの世界から抜け出す方法を教える。

 それを思えば、いくらでも力が湧いてくるような気がするのだ。

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