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誰かが夢見るシロクロシティ  作者: 水島緑
レモン・カンガルー
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 拷問がようやく終わって、ヤミコはヒイたちを探すためにその場を離れた。

 足音が聞こえなくなるまで抱き合っていたヒイとあやは、顔を青くしたまま涙を堪えていた。

 後半はほとんど声が聞こえなかったのでわからない。だが、男が教室の前で死んだことだけはわかった。

 黒丸の拳が廊下にめり込む音。血液が飛び散る音。それらが耳に届いてしまえば結論は一つしかない。

 幸いなことに、ヤミコはヒイたちが目の前の教室に隠れていることには気づかなかった。

 気分が高揚していたせいか、あるは最初から眼中になかったか、どちらにせよ、未だにヒイたちは見つかっていない。

 しばらくはこの教室にいても平気だろう。この広い東地高校で、同じ場所を短時間にみて回ることは難しい。忘れ物をして取りにくるならわからなくもないが、ヒイたちがどこかにいるかもしれない現状、二度も同じ場所は捜索しないはずだ。

 だが、ヒイたちは今すぐにでもこの教室から離れたいくらいだった。

 壁越しに行われた残虐極まりない拷問に精神は不安定になり、これ以上なにか起こるようであれば正気を失いかねない。

 教室の前に死体があるかもしれない、ということも問題だ。

 もしかしたら男の死体を持っていったかもしれない。希望的考えてはみるが、理性はそれを簡単に否定した。

 死体を運ぶメリットなど、ヤミコには存在しないだろう。男の死体はそのまま放置されていると考えたほうがいい。

 問題はそれだ。教室から出るにしても、まずその死体が壁になる。ヒイたちは死体の状態を知らないが、欠損状態を見てしまったら最後、軽くて嘔吐はしてしまうだろう。いくらこの世界での生活が長いとはいえ、耐性があるわけではない。

「これからどうしましょう……」

 未だ血色の悪いヒイが赤くなった眦を拭いながら呟いた。ときたま嗚咽が聞こえてくるのは、彼女の腕の中にあやのものだ。子供には衝撃が大きかったに違いない。耳を塞ぐことは出来たが、異様な雰囲気までシャットアウトできるわけではないのだ。空気の変化に鋭敏な子供にとって、あれは辛かっただろう。

 あやが見上げてくるのがわかる。

 しばらくはここから動かないほうがいいのかもしれない。精神衛生上、あまり良くないがヤミコが去ってからそう時間の経ってない今、付近をうろつくのはよろしくない。

 とはいえ、あんなことがあった後だ。壁越しで直視こそしていないが、どうしても気分が悪くなってしまう。

 あやを抱き上げて窓に近づいたヒイは外の様子を窺ってみる。

 ベランダがある。出入り口は棚に遮られて見えなかったのだ。棚に回り込んでガラス戸を開けると二人はベランダに出た。

 それほど長い時間部屋に篭っていたわけではないのに外の空気がひどく懐かしかった。

「あ、ねえおねえちゃん。隣に移れるかもしれないよ?」

 鼻声のあやがそう言って、彼女が指差したほうを見る。

 黒く染まった柵だ。劣化具合などはわからないが、少なくとも崩れることはないだろう。近寄ってみると、隣の教室のベランダと隣接していて、あやだけでも飛び移れそうなほど近い。確かにこれなら廊下に出ずとも教室を移動することができる。それがわかっただけでも今の二人には十分だった。

 しかし、いくらベランダ間の間隔が狭かろうと、見下ろせば萎縮してしまう高さだ。二階か三階か、無我夢中で走っていたので階段を下りたのか上ったのかすらわからないが、落下しても大丈夫だとは思えない高さがある。

 だが、ここで止まっていても何も始まらない。それに、子供であるあやが高さに怯えた様子を見せてないのだ。足を滑らせなければ大丈夫だ。

 場所を移せば気分も変わる、と考えて、早速二人は教室を移ることにした。

 まずは抱き上げたあやを隣のベランダに移す。背の高い柵のせいで持ち上げて移動させるのも一苦労だったが、物怖じしないあやが手伝ってベランダ間を移動することが出来た。

 ヒイ自身も長いワンピースの裾をたくし上げて、太ももの位置で留めると、慎重に柵をよじ登って隣の教室に入った。

 ほっと安堵の息を吐いたヒイの膝は、頼りなく笑っていた。

 棚で埋まっていた先ほどの教室とは違って、こちらには何もない。机や椅子、棚、掃除用具入れもなかった。

 使われていない空き教室のようである。

 一つ隣の部屋、ほんの数十メートル程度しか離れていなくとも、死体がすぐ傍にあるような状況とは比べものにならないほど不安が払拭された。泣きっぱなしだったあやも落ち着きを取り戻しており、ヒイも肩の荷が下りたといった様子だ。

 とはいっても、近くに死体があることは変わらない。なるべくそれを意識しないようにしながら、硬い床に腰を下ろした。

「外に出るにはどうすればいいでしょうか……」

 真っ先に思い浮かんだのは正門や裏門が見下ろせる場所から飛び降りることだ。ヤミコたちに見つかる確率も低いだろうし、移動も少なくて済む。しかし仮に、この階から正門の見える場所で飛び降りるとしよう。腰が引けるほどの高さから、勇気を持って飛ぶまでが第一の難関。それを越えても着地という難関が待っているのだ。うまく着地できれば万々歳、生命線である足首を挫く程度の失敗でもその時点でアウトだ。骨折や頭からの落下はもちろん論外である。

 それらを念頭に置き、ヒイの身体能力とあやを抱えた状態を加味すると、無傷で成功する確率は相当低いと断言できる。そのため、この案は却下だ。

 次に考えたのは、陽動作戦である。どこか別の場所にヤミコとハギリを引きつけている隙に、ヒイたちは学校から逃げ出すのだ。

 果たしてなにを陽動に使うのか、それが問題になる。

 ぱっと思いついたものは時限爆弾だ。タイマーをセットし、自分たちは一階のどこかに隠れる。爆発を聞いてから外に出ればミッションコンプリートだ。だが、ヒイに時限装置を作る知識はない。そういったものに詳しい人間がいれば作れなくもないのだろうが、そもそもこの世界でのあらゆる物は一部の建物を除いて黒く染まっている。形状から見分けることは可能だが、あくまでそれは輪郭だけだ。手触りや匂いも確認に使えることは使えるが、確実ではない。そのため、時限爆弾も却下だ。

 それでは他に何かあるのだろうか。

 うんうん唸って記憶を引っ張り出していると、いつかみた映画を思い出した。

 確かその映画はとある機密情報を手に入れるために敵拠点に潜入するエージェントが主人公のアクション映画だった。劇中では、その主人公がヒイと同じように陽動を決行し、見事機密情報を奪い取って脱出したはずだ。

 方法は確か、水を使っていた。

 紙を束ねて強度を上げ、その紙でタライを釣り上げて高い場所から落ちるように設置する。その仕掛けに時差で水を当て、タライを落として陽動に使ったのだ。細かいところを覚えていないのはかなり前に見た映画だからだ。アクションシーンは格好良かったが、何分自分は体が弱く運動もままならない。最後まで見たものの、あまり思い出したくない映画だったはずだ。

 細部は覚えていないものの、陽動作戦はどうやら使えそうだ。

 水はどこにでもあるし、音が鳴る物もどこかにあるだろう。紙だって大量に置いてある場所を知っている。飛び降りるよりはずっと安全で成功する確率が高い。

 そうと決まれば道具集めだ。紙には心当たりがあるので音の鳴るものを探すことにした。

「あやちゃん、ちょっとだけここで待っててくれないかな?」

「え……? どうして?」

 置いていかれると思ったのか、不安げにしがみついてきたあやに苦笑いを漏らしながら、学校から出るために必要な道具を探すことを伝えた。すると、彼女は少し迷う仕草を見せた後、自分もついていくと言い出した。

「わたしもいく!」

「部屋の外は危ないからダメだよ。ね? おとなしく待ってて。ちゃんと戻ってくるから」

「わたし、ちゃんとお手伝い出来るよ?」

「ううん、おねえちゃん一人でも大丈夫。だからあやちゃんはここにいて」

 それからもしばらくついていくと言って聞かなかったが、声を荒らげることなく粘り強く説得したヒイに折れておとなしくここで待つことを了承してくれた。

 子供とは思えないほど素直に従ったと思えば、子供にしか見えないくらいわがままを言ったり、どこかちぐはぐな印象を受けたがそういうものだとヒイは流した。

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