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誰かが夢見るシロクロシティ  作者: 水島緑
レモン・カンガルー
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「少しは楽しませてくれよ? じゃないとおじさんをいじめる意味がないからね」

 おじさん、と呼ばれるほどの外見の男は、それどころではないらしく、痛みを堪えきれずに呻いている。ヤミコがなにを言おうとあまり聞こえてはいないだろう。

 足をへし折られ、逃げることすらできない男に、ヤミコは操る黒丸で更なる行動を起こした。

 黒丸の丸い指が摘みあげたのは、男の左腕だった。

「どうしてここに入ってきたのか知らないけど、災難だったねぇ。今日の私は気が立っているんだ。だから、ストレス解消に付き合ってもらうよ?」

 みしり、と男の上腕の骨が軋んだ。摘まんだままに圧力を掛けたのだ。途端に響く悲鳴にあやはヒイの腰に顔を押し付けた。

 少しずつ圧力を加えていく。まるで骨髄を絞り出すかのような行為だ。骨だけではない、その周りについている皮膚や肉も巻き込まれているのだ。痛みは筆舌に尽くし難いはずだ。

 男の悲鳴が大きくなる。

 まるで男の悲鳴が物理的衝撃を伴っているかのように、ヒイたちは後退する。二人の顔は真っ青だ。絶え間なく響く悲鳴に、二人はついに窓際まで下がった。それでもなお悲鳴は止まない。むしろ、大きくなる一方だった。

 もしかしてヤミコは、ヒイたちが自分から姿を現すように仕向けて男を拷問しているのかもしれない。そう思いかけたが、そんなまどろっこしいことをしなくても黒丸を突入させてしまえばそれで終わりだ。

 つまりヤミコは進んで男をいたぶっているのだ。その証拠に、愉悦に満ちた忍び笑いがかすかに聞こえてくる。

 狂っているとしか思えない。どこかのネジが外れてしまったかのような行動だ。

 がたがたと震える二人はどちらからともなく抱き合い、互いの体温を身近に感じることでなんとか泣き声を堪えていた。

 喉が枯れるまで叫んでいた男の左腕が、ひときわ大きな軋み音を立てた。瞬間、声も枯れ果てたであろう男は絶叫を迸らせた。

 肩近く、上腕に位置する骨が潰されたのだ。その万力を彷彿とさせる圧力に、生身の肉体が耐えられるはずもない。

 無惨にも潰された骨が細かく枝分かれして、肉の内側から飛び出した。

 もはや悲鳴は雄叫びだ。耳を塞ぎたくなるような悲鳴を通り越した声は、精神を侵食していく。

 仮にこれがヒイたちを誘き出すための拷問だとしたら、むしろ逆効果だ。ほんのすこし男をいたぶるだけで、義憤に駆られたヒイが飛び出してくるところだったのだが、やりすぎては怯えて縮こまってしまうのが道理だ。

 とはいえ、あくまでそれは仮の話。まさかヤミコは拷問をしている目の前の教室にヒイたちが隠れているとは思ってはいないだろう。どちらかというと、気づいていないようだが。

 くぐもったヤミコの声はひどく興奮していた。息遣いが荒いわけではないが、声のトーンが高いように思える。

 彼女は行き過ぎた加虐嗜好の持ち主のようだ。人体が破損するくらいなら別になんとも思わないらしい。

 嬉々として拷問する姿は既に嗜好の域を超えていて、ひたすらに悪趣味だった。

「よし、次は指でも折ってみようか? それとも逃げられないように腰のほうがいいかな? ああでも鎖骨を折ったら良い音がしそうだなぁ。なんなら鼻を潰しても面白そうだ。地上で溺死ってね。口はきちんと押さえておいてあげるよ。どれがいいかな?」

 楽しそうに、本当に楽しそうに話すヤミコに、ヒイの背筋は凍りついた。

 世の中には様々な趣味趣向があることは多少ながら知っている。ヤミコのそれは加虐嗜好の延長線上にあるものなのだろうが、どうみても異常でしかない。

 男の方といえば、上腕を潰されたことで逃げる意思を叩き折られてしまい、痛みと精神的負担から顔面蒼白になりつつも、死刑宣告を待つ罪人のように大人しくしていた。彼が願うのは救いではない。こんなところに都合よく正義の味方が現れるわけがないのだ。男はただただ痛みからの解放を願った。

 

 ばきり、と乾いた音が廊下に響いた。

 完全に喉を潰してしまった男は痛みに悶えながらもわずかな悲鳴しか上げなくなっていた。

 間髪入れずにもう一度、枝を折るような音が響く。

 鼻歌が聞こえるところにその音が混じってくるのだから、壁越しでもヤミコの様子が手に取るようにわかる。

 彼女は鼻歌混じりに男の指を折っているのだ。今度は黒丸にやらせることなく、自らの手で嬉々としてへし折っている。

 関節を力一杯逆方向へひねり、指の可動域を無視して思い切り捻じる。まるで木の枝でも手折るかのようか気軽さだ。

 指が一本折られるたびに男の体は意思とは無関係に痙攣し、痛みに失神したと思えば痛みで覚醒を繰り返す。

 両手の指のうち七本が既に骨折していた。

 黒いフルフェイスヘルメットの奥で、口角を吊り上げたヤミコの表情が愉悦を満ちている。

「よしよし、だいぶすっきりしてきたよ。おじさん、なかなかやるね」

 言うと、ヤミコは黒丸に手をかざした。

 ヤミコの傍で待機していた黒丸が起き上がり、男に歩み寄っていく。

 失神した男に近づいた黒丸は、吐き気を催すほど歪んだ指の中で、無事な小指に握った拳を当てた。

 それを見届けたヤミコは精密な操作ができたことに満足したように頷くと、黒丸を動かした。

 黒丸の拳が、男の小指をすり潰した。

 瞬間、目を見開いて覚醒した男が思わず床と挟まれている指を引き抜こうとしたが、黒丸の腕力がそれを許さなかった。それでも痛みから逃れようとがむしゃらに腕を引っ張ると、ぶちりと嫌な音がして男の腕は黒丸の拳から離れた。

 潰されていた小指が根元から消失した手の平が男の視界に入った。

「あーあ、無理に引っ張るからもげちゃったよ。でももう使うことはないんだし構わないよね?」

 先ほどまでの嬉々たる声色はなかった。無機質な冷たさとでも言うのだろうか。機械音声のような、感情のない声でヤミコは唐突に呟いた。

「飽きちゃったよ」

 それを聞いた瞬間、男は己がここで死ぬことを悟った。もはや生還する希望はない。せめてもの救いは痛覚が麻痺して何も感じなくなったことくらいか。

 まるで、いや、彼女にとっては壊れた玩具を捨てる程度の感覚なのだろう。それほど愛着のない玩具が壊れたとしてもたいして嘆くことはないし、直そうとも思わない。ヤミコにとってはそれだけでしかないのだ。

 再び黒丸に手をかざしたヤミコが、どこかつまらなさそうね空気をまとって動かした。

「あ、ついでにこれもやっておこうか」

 思い出したように呟く。すると、黒丸が男の鎖骨を掴んで力を込めた。あっさりと骨が折れて、次いで黒丸は鎖骨をへし折った腕を振り上げた。

 あっけないといえばあっけなかった。

 胴体を中心に、手首や足首の先をすこしだけ残して、男は床の染みになった。

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