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誰かが夢見るシロクロシティ  作者: 水島緑
レモン・カンガルー
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 二人でひとしきり涙を流してからようやく落ち着いた。

 泣きじゃくるヒイにもらい泣きしてしまったあやだったが、泣きながらも必死にヒイを慰めていた。こんな小さな子に慰められるなんておねえちゃん失格だ、とヒイがなんとか堪えてようやく泣き声は収まった。

 すっかり赤くなってしまった目元をお互いに指摘し合い、二人で笑った。

「ねえあやちゃん。本当のあやちゃんにこの世界のことを教えれば、ここから出られるんだよね?」

「うん、そうだよ」

 鼻声のヒイの質問に、同じく鼻声のあやが答える。

「じゃあ、本当のあやちゃんがいる場所、教えてもらえないかな?」

「うん! わたしも、このままじゃだめだってずっと思ってたんだ。だから、本当のわたしに、本当のことを教えてあげて。自分が無意識に起こしていることを、はっきりと知らせてあげて」

 そうしないと、また人が死んじゃうから。

 舌たらずなあやではあるが、このときばかりは中身が変わったかのように厳かだ。子供には似つかわしくないほど真剣で、幼い子供が発したとは思えないほど、強い思いが込められていた。

「本当のあやちゃん……。あやちゃん、本当のあやちゃんがいるなら、あなたはどんなあやちゃんなの?」

 ふと湧いた疑問。なんてことのない、ただの好奇心だ。別に裏を読み取ろうとしているとか、駆け引きをしているとか、そんなことはなく、ただただあやの言い回しに疑問を覚えたのだ。

 考えてみれば奇妙な話だ。

 本当のわたしとは一体、どういうことなのだろうか。逆に、ヒイの目の前にいるあやは、偽者とでもいうのだろうか。

 あやの小さな口が、その疑問に答えようと開いたときだった。

 彼女の背後の壁が、外から破られたのだ。粉々に砕けた壁を貫いて、黒い腕が現れた。腕はそのままあやを掴もうと迫っていた。

「だめ、あやちゃん!」

 反射的にあやを抱き寄せたおかげで黒い腕は空を切った。

 あやを抱きしめたまま立ち上がると、今度はヒイを追いかけるように黒い腕が壁を一直線に崩しながら近づいてくる。咄嗟に壁際から離れたヒイは、脇目も振らずに視聴覚室から出ようとした。

 扉に駆け寄るヒイの背後で、爆発じみた粉砕音が轟いた。がらがらと壁が崩れ、薄暗い室内が急に明るくなった。

 思わず振り返ると、壁に大穴が開いていた。そこから覗き込むようにして視聴覚室に侵入して来たのは、一体の黒丸だった。

「どうして……ここは白いのに! それにカーテンじゃカモフラージュにならないの!?」

 怯えるあやを宥めている余裕はない。ドアノブに手を掛けると同時に、黒丸が猛然と追いかけてきた。その速度は今まで遭遇したどの黒丸よりも圧倒的に速い。

 姿形はなにひとつ変わっていない。だがその速度はまるで改造された自動車のように、造形は同じでも中身がまるっきり違っていた。

 ひっ、と小さな悲鳴が喉の奥からこぼれた。

 ドアノブを掴み、捻る。

 たったそれだけの動作、ほんの数秒も掛からない時間。にもかかわらず、ヒイは背後に気配があることを感じていた。

 悪寒が全身を駆け巡った。

 ヒイは咄嗟に体を投げ出した。助走も何もないためたいした距離は飛べなかったが、それでもその一動作が生死をわけた。

 あやを強く抱きしめて守ろうとしたが、真横からの衝撃に激しく煽られたヒイは吹き飛ばされた。丸めた背中が床に叩きつけられ、息を詰まらせたヒイだったが、決してあやを離すことはなく、涙を浮かべながら立ち上がった。

 浮かんだ涙を振るい落として先を見る。黒丸はまるで彫像のように拳を床に叩きつけた体勢で固まっていた。

 蜘蛛の巣状に割れ、めくれ上がった床の亀裂がだいぶ離れた場所にいるヒイの足元まで届いていた。

 強力無比な力だ。一撃でも当たれば、いや、掠ったたけでも骨が折れてしまいそうだ。少なくとも、コンクリート程度の強度では壁にもならないだろう。いや、あの剛腕では分厚い鉄板でも貫いてしまいそうだ。

 上昇しているのはスピードだけではない。この様子では全体的にチューンナップされていると考えたほうが身のためだろう。脅威であった黒丸が更なる脅威となって戻ってきたようなものだ。戦慄は免れない。

 あや共々ミンチにされてしまう姿を想像してしまい、顔面蒼白になった。あれは一度でも受けてはいけない。受けてしまえば死んでしまう。

 緊張のあまり、荒くなった呼吸を整えようと深呼吸を繰り返すヒイの目が、わずかに身じろぎする黒丸を捉えた。身構えた直後、大穴が開けられた壁に、人影が二つ現れた。

「やっぱり数で押したほうが簡単だったかな? 逃げられると厄介だったから手動操作にしてみたけど、難しいよ姉さん」

「もう、だから言ったじゃないか。あまり繊細な動かし方は出来ないんだから難しいって」

 嘘でしょう?

 言葉は喉に引っかかったまま出ることはなかった。



「葉切ちゃん……」



 黒いフルフェイスヘルメットを被った小柄な女性の隣で、ハギリが黒丸に手をかざしていた。

 ひどく冷たい目をしている。感情のない無機質な瞳ではない。明らかな敵意と殺気が入り混じった瞳だ。まるで、少し前に別れたハギリは最初からいなかったかのような冷徹さを宿していた。

 ハギリの言葉と、今までにない黒丸を鑑みると、どうやらハギリがあの黒丸を操っているらしい。だが、ヒイにはそれが信じられなかった。

「ど……して……どうして、なの? ねえ、葉切ちゃん……ねえなんで!?」

 悲痛な叫びはハギリには届かない。彼女はヒイを見ることもなく、ヘルメットを被った女、ヤミコと言葉を交わしていた。

 ヤミコを姉と呼んだところをみると、以前ハギリが言った姉と同一人物だろう。しかし、姉妹にしては背丈が真逆だ。ハギリのほうがずいぶんと大きい。

 ヒイを無視して会話する二人は確かに仲睦まじい姉妹に見える。

 唇を噛んだヒイが顔を青くしながら黒丸を見た。

 あの巨体が扉の前に佇んでいる限り、ヒイとあやはこの視聴覚室から出ることが出来ない。壁を破ることも、強行突破することもヒイの細腕では不可能だ。

 それに加え、ヒイの精神状態は最悪だ。今にも倒れてしまいそうなほど顔色が悪い。抱き上げたあやも不安そうに見上げているが、ヒイは気づかなかった。

 どうして。

 その言葉だけがぐるぐると頭の中を泳いでいる。

「それじゃお手本を見せるから、ちゃんと覚えるんだよ?」

「うん」

 黒丸にかざしていた手を下ろしたハギリがヤミコと場所を入れ替えた。ハギリがそうしていたように、今度はヤミコが黒丸に手の平をかざすと、痙攣するように黒丸の全身が震えた。

 嫌な予感がする。

 ヤミコの言葉を考えるまでもない。黒丸が動く。

 顔面蒼白のままではあったが、ヒイはなんとかまだ動ける。何が起きてもいいように身構えると、黒丸が体を起こした。

 めくれ上がった床から拳を引き抜くと、砕けた床材が剥がれ落ちた。

 がらんどうの眼窩に真っ直ぐ射抜かれると、無意識に息を呑んでしまう。感情はもちろん、自我さえもないだろう。だが、ヒイを見る視線には確かな殺気がこもっていて、背筋が凍った。

 助けを求めるように、ついハギリに目を向けたが彼女はまるで我関せずに黒丸と、それを操るヤミコを見つめていた。

「それじゃあやろうか。きみには申し訳ないけど、死んでもらうよ? ああ、別にきみが悪いわけじゃないんだ。ただ、その子から色々聞いただろう? それがちょっとマズイんだよ。だからその子共々死んでもらうよ。恨むなら私じゃなくてその子を恨んでね」

 無感情な声でぽつりと言うと、ヤミコは黒丸を動かした。

 最初は緩慢とした動きだ。冬場で固まった体を動かすかのように、ぎこちない所作だ。ぎこちないまま数歩進むと、スムーズに動くようになった。同時に肩を回し、手の平を開閉して、まるで準備運動のように跳ねた黒丸はたった一歩の踏み出しただけでヒイとの距離を零にした。

 まるで反応することができなかった。ただただ棒立ちで見つめることしかできなかった。

「あっちゃあ……ちょっと無理があったかな」

「姉さん……これがお手本? あたしのほうがよっぽど上手かったじゃん」

「もう長いこと使ってないんだから仕方ないだろう?」

 相変わらず冷たい目をしているが呆れた表情を浮かべたハギリに、取り繕うように言ったヤミコは、ヒイの足元でずっこけた黒丸を起き上がらせた。

「大丈夫、今度は上手くやるよ」

 上手くやる。その言葉に肝が冷えた。

 つまりその意味は、ヒイを殺すということ。なんてことのないように言ったが、人を殺すということに他ならない。それを彼女は、気負うこともなく言ってのけた。

 実際にヤミコはなんとも思っていないのだろう。オモチャを壊し損ねたような物言いは本心からであろうことはありありと伝わってくる。

 そして、ハギリもそれは同じなのだろう。

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