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誰かが夢見るシロクロシティ  作者: 水島緑
レモン・カンガルー
57/92

56

 スケッチブックに描かれていた絵の中で、見ていられない三枚目の絵の背景はどこだったか。

 階段を下りて一階にやってきたヒイは、わずかに不安を覚えて周囲を見回した。

 あの絵の背景はどこかの教室だった。しかし、どこの教室もあまり変わりがないため見分けることはなかなか難しい。とはいえ、もう一階まで来れたのだ。あまり心配する必要はないだろう。

 自分に言い聞かせるように鼓舞したヒイは、隣を歩くあやの手を握る力を少しだけ強めた。

 一階へ下りたとき、あやが突然歩きたいと言い出してこうなった。特に反対する理由もなく、むしろずっと抱えて移動するのは難しいのでヒイはあやを降ろして手を繋いだのである。

「ねえねえ、おにいちゃん来ないの?」

「え? あ……それが、わからないんだ。ごめんね」

 不意打ちの質問に、取り繕う余裕はなかった。自分を生かすために無数の黒丸たちの囮となった彼を思い出して、ヒイの表情はゆがんだ。危ういところで落涙を堪えて、なんとか笑顔を絞り出してみるものの、あやはそんなヒイの姿をじっと見つめていた。

「大丈夫だよ、おねえちゃん。おにいちゃんはちゃんと元気だよ?」

「それは、どういう……」

 気になる言葉の続きを聞こうとしたヒイの背後で、爆発じみた轟音が響いた。

 あやを背中に隠しながら慌てて振り返ってみると、どこかの教室らしい木製の引き戸が吹っ飛んでいった。

 扉はくの字に割れて廊下の壁に激突した。鈍い音を立てて床に転がった扉から、割れた木屑がこぼれたが、それすらも黒色だった。

 扉をなくした教室から、黒い腕が伸びて壁の縁を掴んだ。

「嘘でしょう? だって、もうあやちゃんはわたしと一緒で……」

 思わず呟いてから、ヒイは気づいた。

 あの絵には、あやと黒丸の姿しかなかった。それを考慮すればつまり、東地高校の中で、この二人が揃っていればどこでも絵の通りになり得るのだ。

 死の未来を完全に回避するには、東地高校から脱出する必要があった。

 油断していた。もう既に予知を覆したと勘違いしていた。

 だが、この学校にいる限り予知は続行されるのだ。そしてヒイがあやとはぐれたら最後、この幼女はおそらく死んでしまう。

 それだけはダメだ。

 マジメが命を賭してヒイをここまで導いてくれたのに、目的が果たせなかった、なんてことになったらそれこそ無駄死になってしまう。

 壁の縁を掴んでいた腕が離れ、代わりに黒い巨体がぬっと姿を現した。

  自分の腰を抱きしめるあやの震えが伝わって、ヒイは彼女の小さな手を握った。

「大丈夫。おねえちゃんが必ず守るからね」

 小さなあやを抱き上げたヒイは、一目散に駆け出した。

 今は黒丸から離れることが先決だ。とにもかくにも距離を取らなければ隠れることもままならない。

 廊下を駆け抜けて階段に足を掛けたヒイが一度振り返る。追いかけてくる黒丸の姿が見えるが、すぐに追いつかれるほど足は速くないようだ。

 一息に三階まで駆け上がり、ヒイはそのまま廊下を走る。

「どうして黒丸が建物の中にいるの……? 前は近づくことも出来なかったのに」

 そのつぶやきに、腕の中のあやが涙目で首を傾げた。

 怯えるあやはぎゅっとヒイを抱きしめて胸に顔をうずめていた。無理もない。子供からしても黒丸は化け物だ。むしろ子供だからこそ、その異質さをより感じてしまうのかもしれない。

 泣きながらも声を抑えようとしているのは見つかってしまうかもしれないと子供ながらに考えているのだろう。堪えきれない嗚咽が漏れてしまうが、ヒイは咎めることもなく優しく抱きしめた。



 またしても三階から一階に下りたヒイは、息を乱しながら渡り廊下へ向かった。

 同じ校舎内をぐるぐる逃げ回ったところでいつかは捕まってしまう、という判断だ。

 土の上に敷かれたすのこを避けて進み、ふと思いついてヒイは校舎を見上げた。

 白い。

 この学校にやってきたときと変わらず、白かった。

 それなのにどうして黒丸が入ってこれるのだろう。以前マジメが言ったように、白い建物は絶対安全ではなくなってしまったのだろうか。

 渡り廊下を越え、別の校舎へ移動したヒイは流石に走っていられずに歩調を緩めた。

 いくらあやが小さくて軽いとはいえ、ヒイはもともと病弱で運動とは無縁の人間だ。むしろ今まで子どもを抱えて走っていられたことのほうが驚きである。

 走ることはやめたが、あやは抱き上げたままだ。それもそのはず、あやの歩幅では抱き上げて動いたほうが早いのだ。はぐれることもなくなるし、足よりは疲労の蓄積も遅い。

 背後を気にしつつ、ヒイは歩いた。

 汚れひとつない壁に体を預け、角をから顔を出して様子を窺う。追いかけられているときとは違う緊張感があるが、走りっぱなしよりはいい。

 腕のほうも限界になり、あやを降ろしたヒイは彼女の手を引きながら出口を目指していた。

 正直なところ、ヒイはこの高校の中をあまり知らない。登校出来た回数は数えられるほど少ない上、下校時刻までいられたことなんて片手の指の数で足りるほどだ。当然ながら、自分の教室と移動教室先、保健室や図書室くらいしか通ったことがない。

 学校の出入りは正門からだけだったので他の出口なぞわからない。渡り廊下に差し掛かったとき、そのまま外へ出れば良かったかもしれないが、生憎と中庭にしか出られない。

 これは困ったと廊下の影で足を止めていると、あやが腕を引いた。

「おねえちゃん、早く行こう? あのお化けがきちゃうよぉ」

 見れば、今にも泣き出してしまいそうな表情のあやが腕をぐいぐいと引っ張っていた。

「……そうだね。まだ歩ける?」

「うん! 歩けるよ!」

 はにかんで言うあやの頭を撫でてから、ヒイは歩き出した。



◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎



 ベッドライトに照らされた部屋の中で、羽布団にくるまった何かがもぞもぞと蠢いた。

 芋虫じみた姿であるが、これでもれっきとした花の女子高生である。それに加え、巷では天才少女とさえ褒め称えられている。

 両親が喜んでくれるのは嬉しいけど、別にちやほやされたいわけじゃない。むしろ、普通の友達がほしい。なんでも肯定してくれる取り巻きじゃなくて、ちゃんとしたお友達。

 そう考えてまず最初に思い浮かんだのは、無愛想で無口な少年だった。

 いつも遠くを見て、誰と話すことない彼に話し掛けたのはただの気まぐれだった。

 結果的にその日の自分の気まぐれに感謝したのだから、気まぐれに動くことはそう悪いものではないのだろう。

 謎部、という意味不明な部活を見つけてたのは偶然だったが、その偶然の後は単なる気まぐれだった。そのおかげで仲良くなれそうな先輩を見つけることが出来たのだから、やはり気まぐれには感謝すべきだろう。

 だが、手放しで感謝することはもう出来そうになかった。

 もう二日もまともに眠っていない。

 常盤彩は自らの気まぐれのせいで、悪夢に苛まれていた。



◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎




 どれがいけなかったのかと問われれば、アヤは真っ先にテレビと答えるだろう。

 気晴らしにつけたテレビでは、ニュース番組が放送されていた。

 しばらくはそれをぼけっと見ていたアヤだったが、映像が変わると同時に電源を落とした。

 ふつふつと粟立つ肌をなぞるような寒気が瞬く間に全身を包んだのである。

 思わず閉じた瞼の裏が明滅して、思い出したくない映像が繰り返し流れた。

 人が刺し殺された。

 精神を蝕む光景が焼き付いて離れないのだ。無事に家に帰ってきても、両親に抱きしめられても、忌まわしい記憶は決して消えてはくれなかった。

 その記憶に繋がるようなものを見て、あるいは聞いてしまうともうだめだ。

 吐き気、怖気、フラッシュバックや全身の震え、涙も止まらなくなる。

 完全な心的外傷だ。

 鮮明に思い出せる事件の内容が夢にまで出てくるものだから、事件が起こってからの二日間ですっかり眠ることが出来なくなってしまった。

 アヤの両親はひどく心配してカウンセリングを受けることを勧めてくるが、彼女は断っていた。

 出来ればもう思い出したくないのだ。カウンセリングを受ければ、余計に思い出してしまうかもしれない。そんな恐怖があることを両親に告げると、二人は納得してくれたようで勧めてくることはなくなった。



 夜も遅いがアヤは未だ眠れずにいた。いや、眠ろうとしなかった。

 眠ってしまえば嫌でも夢に出てくるのだ。飛び起きて泣き叫び、両親を叩き起こしてしまうくらいなら眠らないほうがマシだ。

 そんな気遣いも、瞼が重くなるにつれて薄れていった。

 寝たくない。眠りたくない。もう怖い夢は見たくない。

 じんわりと眦が暖かくなったが、止められそうになかった。

 そうだ、楽しいことを考えればいい。

 苦し紛れに思いついたが、なかなかに名案の予感がした。

 記憶にある楽しいことを思い出す。すると真っ先に出てきたのは、マジメとの他愛のない雑談だった。

 気を遣われることもなく、ありのままの自分で好きなことを話せるというのは存外に心地良く、楽しかった。彼は面倒そうにしながらも、決して邪険にすることはなかったし、いつだって自然体だった。

 それを思い出すと、冷たかった体が暖まるような気がする。

 楽しくて、嬉しい記憶はいつしかアヤの不安を吹き飛ばしてくれていた。

 眠気に対抗する力もなくなり、睡魔に流されるまま、アヤは眠りに落ちた。



 はやく学校にいきたいな。

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