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誰かが夢見るシロクロシティ  作者: 水島緑
レモン・カンガルー
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 それから、三つほど教室を見て回ったが、子供はいなかった。

 これで、プレートの掛けられた教室はすべて回ったことになる。残りの教室はいずれも主用とされている教室ではないらしい。

 次に扉を開けた教室は、雑多な物置だった。

 準備室とも違い、この教室は物置代わりに使用されているのだろう。黒く染まっているので詳しくはわからないが、教科書のような本がぎっしりと詰められた棚や、一部が欠けた机のようなものが積み上げられている。

 床には紙が散乱しているのだが、雑多ではあるが整然としているこの場所では違和感を覚えた。

 まるで、紙の束をぶちまけたかのような有様だ。

 もしかしたらここに隠れているのかもしれない。ヒイは入念に探すことにした。

 足の踏みどころがない、というより、滑らせるかもしれないので散乱した紙を手早く一箇所に集めた。まるで黒い画用紙のような色だが、手触りや大きさからしてただのコピー用紙だ。

 紙を部屋の隅に寄せ、他のものにはなるべく触らないようにしながらヒイはひとまず部屋を探索することにした。

 部屋は普通の教室より幾分か広く、本棚が見通しを妨げていた。

 棚を迂回し、部屋の奥へ進む。入り口付近も荷物でいっぱいだったが、中はもっとひどい。棚に入り切らない本や紙の束、丸められた地図らしきものがわずかな足場を残して埋め尽くしていた。

 それらを崩さないよう、慎重に足を進めるのには理由がある。

 もし、件の子供がこの部屋に隠れいて、ヒイが見つけられないまま外に出たときに役に立つかもしれないのである。

 まず、ヒイが子供を発見出来ずに部屋を出る。しばらく経てば子供は警戒し、部屋の外を覗いて確認するだろう。それを待ってから、近くで待機していたヒイがおもむろに部屋に近づくと子供は慌てて隠れるに違いない。慌てているので当然、床に置かれた紙や本は蹴られることもあるだろう。それが足跡になる。

 簡単にいえば、見つけることが出来なかったときの保険だ。

 しかし、保険は保険だ。失敗することだってある。

 手を抜かず、隙間という隙間の隅々まで覗き込みながらヒイは部屋を歩いた。

 部屋の半分ほどを探したが未だに見つからない。こうなれば子供の息遣いを辿るほうが手っ取り早い。幸い、今ヒイがいる場所は部屋の中心付近だ。風の音すらないこの空間で自分以外の呼吸音を聞き取るのは簡単だろう。

 足を止め、耳を澄ました。

 自分の呼吸を止めれば、他の人間の息遣いを聞き分けるのは容易いことだ。

 大きく空気を吸ってから息を止めたヒイは、瞼を閉じて集中した。

 視界が遮られたことで聴覚が鋭敏になり、自身の心音がよく聞こえるようになった。

 音を探す、といっても、そう難しいことではない。目を閉じて集中すれば誰でも出来る。しかもこの世界は基本的に音がない。雑音がないということはそれだけで聞き取りやすくなるのである。

 集中してからはすぐだった。

 普段なら聞き取れないような、かすかな吐息の音が聞こえた。まるで眠っているかのような息遣いで、規則正しい。

 音のする方向はわかった。あとはそこを重点的に探すだけである。

 目を開け、静かな吐息が聞こえることを確認してからヒイはまっすぐ歩いた。

 目の前にある棚の下。閉じたダンボールは変哲もない。周りには棚に入り切らなかった本が積み上げられ、おそらくダンボールの中も本で埋まっているだろうと、普通はそう考える。

 だが、その箱の中からはかすかな吐息が繰り返されていた。

 一度音を認識してしまえば、ど忘れでもしない限りわからなくなるなんてことはない。わずかに緊張しながら、ヒイは恐る恐るダンボールに手を掛けた。

 輪郭しかわからず、ダンボールの縁を指でなぞるとテープのようなもので塞がれているのがわかった。これではダンボールの中に隠れることは不可能だ。閉じた箱の中に入っているのではなく、箱を被っているらしい。

 それがわかると早速、ヒイはダンボールを持ち上げた。

「よかった……」

 傍らに置いたスケッチブックに描かれていた子供が、寸分違わぬ姿でそこにいた。

 彼女が着ているレモン色のワンピースには、まるでカンガルーのようなポケットが腹部についていて、そこを抱きかかえるように彼女は丸まっていた。

 くぅくぅと寝息を立てる幼女に思わず微笑んだヒイは、彼女の瞼に掛かった前髪を優しく払った。

 あどけない表情で気持ち良さそうに眠る子供を起こすのは忍びないが、ここにいては危険だ。

 なるべく優しく心がけ、幼女の肩を揺さぶった。

「ん……んぅ」

「ほら、こんなところで寝ちゃダメだよ。風邪引いちゃうよ?」

「やー……まだ眠いの」

「ダメだって。ほら起きて」

 むにゃむにゃとリスのように口をもごもごさせた後、ゆっくりと瞼が開いた。

 眠気にとろんとしている瞳がヒイの顔を見て、幼女が大きなあくびを漏らした。

「ふぁ……もー、遅いよおねえちゃん。ずっと待ってたんだからね?」

「えっと……待ってた? それってどういうこと? おねえちゃんとどこかであったことある?」

「んーん、はじめましてだよおねえちゃん。でも、ここに来るって知ってたから。あれ? おにいちゃんは一緒じゃないの?」

 きょろきょろと辺りを見回しながら幼女が言った。

 ヒイが知る中で、おにいちゃんと呼ばれるような人間はマジメしかいない。

 彼のことを考えると、どうしても表情が暗くなってしまう。子供の前でそれはいけない、と努めて笑顔を維持しようとするが、かえってぎこちない。

「もしかして小田原くんのことかな? 小田原真面目くん。おにいちゃんっていったら、わたしは彼しか知らないよ?」

「うん! そのおにいちゃんだよ! おにいちゃんとおねえちゃんに会うの、ずっと楽しみにしてたんだ!」

「楽しみって……どういうことなの?」

 まるで、二人を知っているかのような物言いだ。だが、マジメにもヒイにも、この目鼻立ちの整った可愛らしい子に面識はない。

「あのね、わたし、おねえちゃんたちに話したいことがあるの!」

「話? あ、待って。先にお名前教えてほしいな」

「お名前? わたしの名前はあやっていうの! おかあさんがつけてくれたんだって!」

「そうなんだ。良いお名前だね」

 ヒイがそう言うと、あやは照れ照れとしてはにかみ、嬉しそうに飛び跳ねてヒイに抱きついた。それを優しく受け止めたヒイは、彼女を抱き上げて部屋を出た。

 今はここから離れることが先決だ。東地高校から離れてしまえばあのような未来は回避出来るはずだ。舞台から降りる役者が演技を辞めるように、離れてさえしまえばきっと起こらない。確証はないが、場面を変えることで何かは変わるはずだ。少なくとも、ヒイが描いた未来とは違うものになる。

 あやを抱き上げたヒイは階段を下りていた。

 しきりに話しかけてくるあやの声に耳を傾けながらも警戒は怠らない。

 あやは見てわかる通りに子供だ。行動に支障がでるから、と黙らせるなんてことは出来ない。そもそも、あやは隠れていたのだ。眠気は耐えられなかったようだが、隠れていたということは身の危険を感じたということでもある。今も途切れずに他愛ない話しているのは、きっと不安を紛らわせるためだろう。

 それに、あやの話は聞いているだけで心が落ち着いていく。ころころと話題が変わるので飽きないし、ちゃんと聞いているとわかっているのか、終始嬉しそうなのだ。

 その表情だけでも、少なからず元気が出る。

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