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誰かが夢見るシロクロシティ  作者: 水島緑
レモン・カンガルー
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「いやまさかね。流石にこんなに増えるとは思ってなかったな」

 引きつった頬を歪めて笑ったマジメの前には、五体の黒丸が彼を挽き肉にせんと迫っていた。

 相変わらずの巨体が、見た目の割りには軽快な動きで近づいてくるのはなかなかに壮観だった。

 ずんぐりとした丸い体。今はそれが凶器にしか見えない。

 近づいてくる五体だけならまだなんとかなったかもしれない。

 遠くからこちらに向かってくる黒丸たちの群れは、まるで獅子の行軍のようであった。

 異様な存在感を示す黒い巨躯と、ぽっかりと空いた眼窩の穴。強者の証は気味が悪く、しかし確かな恐怖の象徴でもある。

 一体いくつそれらを並べれば気が済むのだろうかと、思わず背筋を震わせてしまうほどの数だった。

 もっとも、獅子のような勇ましさも、華やかさもない、シマウマの白黒模様がないかのような集団ではあるが。

 人間と蟻の立場を入れ替えてみたのが今の状況に違いない。

 次から次へと後続がやってくる巨大な蟻の行列に見下ろされる一人の人間。こんな経験をするのは後にも先にもマジメだけだろう。

 そう、一人だ。ヒイはこの場にはいない。ついでにいえば、マジメの上着も今はヒイが使っている。

 これがマジメの作戦だ。誰になんと言われようとも胸を張れる腹案。

 眼前に迫る黒丸の集団から目を逸らすように背後をみれば、そちらからも黒丸たちが迫りつつあった。

 恐れがない、といえば嘘になる。今まで怪物たちと相対してきた中で、震えなかったことは一度だってない。奴らの脅威は十分に知っているつもりだし、決して気が抜けないことも体感としてわかっている。何度戦おうが慣れることはなかった。立て続けに戦っているからなのかもしれないが、これからも慣れることはきっとないと思う。

 怪物たちと対峙するときはいつも、病院で見た死体が脳裏に浮かぶ。

 願わくは、ヒイが無事に東地高校に辿り着くことを祈って、マジメは手の中にある石ころを転がした。



◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎



 進んだ距離は短く、減る体力は多い。時間が経つにつれて、マジメたちの心身は疲弊していった。

 肩で息をしながら呼吸音を抑えようと口を両手で覆うヒイが言うには、もうあと少しで目的地に辿り着くらしい。

 今のところ付近の景色に見覚えないが、背の高い白い建物が、瓦礫の裏に隠れた今の状態でもよく見えた。

 見えるのはその建物だけが良かったのだが、度々遮るように目に映る黒丸がそれを許さなかった。

 東地高校まであと少しというところで、黒丸が付近をうろつくようになってしまったのだ。

 まるで持ち場が取り決められているかのように、黒丸の姿が絶えることなく視界に入った。

 巡回している、とでも表現するのが正しいかもしれない。ようやく黒丸が離れて二人が動こうとすると、すぐさま別の黒丸がぬっと辻から姿を現すのだ。この瓦礫の影に隠れてから数十分ほど、マジメとヒイは一歩も動けずにいる。

 動けないだけであれば、むしろ体力の回復に努めることが出来ただろう。だが二人には時間がなかった。悠長に休憩を挟むことができるのは既に過去の出来事で、もう残り時間がない。

 ここで足止めされてからの焦りは心身を蝕んでいった。マジメはまだじれったいと思うだけなので軽いほうだろう。だがヒイの焦りは尋常ではなく、強く唇を噛んだことで血が流れてしまっていた。

 額に浮かぶ汗も、焦燥の表情も、もう余裕がないと気づかされるには十分なものであった。

 実際のところ、マジメも別の意味で焦っていた。タイムリミットが近いこともそうだが、このままここに足止めされてしまえば、いつかは黒丸に見つかってしまう。見つかってしまえば最後、何十体と存在するであろう付近の黒丸と大乱闘を繰り広げなければならない。そうなってしまえば、全滅は必至だ。

 温め続けていた腹案は、ここで使うべきだ。

 覚悟を決めたマジメは、必死の形相でなんとか先に進めないかと様子を窺うヒイの横顔を見つめた。

 もしかしたらこれが最後になるかもしれないのだ。これくらいは許して欲しい。

 心の中で呟いて、マジメは深呼吸した。

 作戦はこうだ。

 マジメが黒丸たちを引きつけている間に、ヒイが東地高校まで駆け抜ける。

 小難しいことはない。たったそれだけだ。

 単純明快であるが、この作戦はヒイには話していない。

 心優しい彼女のことだ。止められるのは確実だろうし、下手をすれば一緒に残ろうとするかもしれない。それらを鑑みると、やはりヒイには教えることが出来ない。

 だったら、もう引き返せないところまでヒイを引っ張ってしまえばいいのだ。

 マジメの独断で事を進め、ヒイには酷だが前に向かってもらう。

 そうすれば煩わしく考える必要もなくなる。

 強引すぎるといえばその通りだが、こうでもしない限りヒイは絶対に一人では動かない。ましてや、マジメが火中に飛び込むなど看過しないだろう。

 眉を寄せ、険しい表情で目の前の黒丸を睨むヒイの肩を叩いて、黒いパーカーを彼女の頭に被せた。

「俺、あいつら引きつけるのでなんとか先に行ってくださいね」

「え……」

 返事を待つことなく、マジメは瓦礫の裏から飛び出した。

 息を呑む音が背後から聞こえ、マジメは一番近くにいる黒丸の下に躍り出た。

 黒色以外を確認した黒丸が逃げるマジメを追い掛け始める。それを狙っていたマジメは黒丸を引き連れ、交代の巡回がやってくるであろう道を走った。

「早く行って! 必ず追いつきますから!」

 それだけを言い残して、マジメの背中は見えなくなった。



 その声が聞こえたかは定かではないが、もはや確認する術はない。

 予想通りに巡回にきた黒丸の足をすれ違いざまに殴りつけてマジメはその脇を走り抜けた。

 追っ手が二体に増えたがこれではまだ足りない。この近辺にいる黒丸をすべて引きつけなければならないのだ。こんな数では囮ですらない。

 ちらりと背後に目をやって、黒丸たちとの距離が十分に開いていることを確かめたマジメは、大きく息を吸い込んだ。

「おい化け物ども! お前らの警戒網穴だらけだぞ! ガバガバだぞおい! そんなんじゃ象だって逃げられるっつーの!」

 挑発するような叫びが周囲に広がった。

 意味がわからなくても構わない。遠方にいるであろう黒丸たちの目をこちらに向けることができればそれで目的は達成される。

 早速声に釣られたらしい黒丸が一体、道路の右の曲がり角からぬっと姿を現した。一息で黒丸の目の前を駆け抜けると、その黒丸の背後から二体の黒丸が続いているのが窺えた。

 この時点でマジメを追いかけるのは五体だ。しかしこれではまったく足りない。

 なにか大きな音が出せるものはないか、と辺りを見回したマジメは、数十メートルほど先に自動車の影を見つけた。

 珍しくスクラップにされていない乗用車だ。駆け寄って触れてみると、ガラスがしっかり嵌っているではないか。

 これは使えると判断したマジメはその自動車の屋根に飛び乗り、追い掛けてくる黒丸を待った。

 先ほどからずっと臆病の虫が騒いでいるが、それは努めて無視した。こうなることを望んで飛び出したのだ。今更怯えたってどうにもならない。

 目的を果たすこと。その使命感があれば逃げ出さずに済みそうだ。

 巨躯に似合わない軽快な走りで追従してきた黒丸たちが接近してきた。その丸太ほどの腕ならば、自動車程度のものは軽く叩き潰せるだろう。

 一番早くマジメに追いついた黒丸が、早速自動車ごとマジメを叩き潰そうと腕を振り上げた。自動車の上に立っても見上げる必要がある黒丸の姿にひくつく口元がつり上がり、マジメは余裕を持って車から飛び降りた。

 直後、金槌のように振るわれた黒丸の腕が、マジメの目論見通りに自動車の屋根を潰した。

 勢いよく振り下ろされた黒丸の腕がそれだけ止まるはずがなく、あっさりと自動車の外殻を破砕してそのまま地面まで砕いた。そうなれば当然、自動車のガラスは木っ端微塵に粉砕されて飛び散り、耳障りな音を立てる。

 一瞬でスクラップと化した自動車が衝撃でバウンドし、おかげでまた派手に雑音を撒き散らしてくれた。

 狙い通りだ、とマジメは駆けだした。



 それからも、マジメの囮大作戦は続いた。

 黒丸たちの気が引けそうな騒音を撒き散らしながらなるべく東地高校から遠ざかるように駆けていく。

 鉢植えや看板など、甲高い音が出るものを手あたり次第に破壊していった結果、マジメを追いかける黒い怪物たちは軽く二十体を超えていた。

 黒丸の数が多いとは思っていたが、これだけの数が追い掛けてくるのは流石に空恐ろしいものを感じざるを得なかった。

 相変わらず黒丸たちの質量はないようで、軽い振動が起こりそうなほどの数が追い掛けてくるが砂ぼこりすら立ち上らない。

 ぞろぞろと後続を引き連れて、マジメはカラーコーンを蹴り飛ばした。

 乾いた音が響くかと思われたがなにも起こらない。みれば、蹴ったカラーコーンは前方からやってきた黒丸の胸にぶつかって落下したではないか。幸い、ここは丁字路だ。挟まれる心配はない。

 黒丸が黒馬ほどの知性を持っていたら、マジメはあっさり路面のシミになっていただろう。今までマジメが無事だったのは、ひとえに黒丸の知恵のなさのおかげだ。

 ただ愚直を追い掛けてくる彼らをかわすのは比較的簡単だ。接触さえしなければすれ違うことだってできる。

 先回りすることもなければ挟み込むこともない。いくら無尽蔵の体力を持っていたとしても、対処方法が簡単ならばどうにでもなる。

 とはいえ、そろそろ息が続かなくなってきたのも事実だ。小走りで体力を温存しながら頻繁に角を曲がっているので追いつかれることはないが、決して休めるわけではない。早いところ限界まで黒丸を呼び寄せないとあっけなく挽き肉にされかねないのである。

 ふと遠方にいるであろうヒイの様子が気になった。だがそれどころじゃないと頭を振ると、マジメは丁字路を曲がった。

 これでもう一体、おいかけてくる黒丸が増えた。しかしこれだけではまだ足りない。そう思ったのもつかの間、マジメの眼前には黒丸の群れがあちらこちらから、自分を目指してやってくる姿が映った。

「よし、これでいい。これで……」

 震える手足さえ隠せればもっと格好がついたのだが、黒丸に囲まれる恐怖はそう簡単にはごまかせない。



◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎



「そんな……小田原くん、どうして」

 何故彼がそんなことをしたのか。そんな役にも立たない疑問が延々と頭の中を漂っていた。

 それでも足だけは前に進んでいた。慣れ親しんだ行動を無意識のうちに行っているだけで、彼女の頭の中は真っ白だった。

 あのまま足止めを喰らっていたら、件の子供は助けられなかっただろう。そのせいで焦っていたのだし、助けられないかもしれない、という恐怖に苛まれていたのは今も覚えている。

 だが、どうしてマジメがあんな、あんな無謀な作戦を決行したのか、ヒイにはわからなかった。いや決して理解できなかったわけではない。あそこで誰よりも先に進むことを望んでいたのは他ならぬ自分だった。それを見抜いたマジメが、自分だけでも先に行かせようと試みた結果、ヒイは先ほどまでの停滞が嘘のように目的地へと近づいている。

 理解したくなかったのだ。自分を行かせるために、活かせるために、マジメが己を犠牲にしたことを知りたくなかったのだ。

「どうして、どうしてこんな……」

 受け入れることは到底できなかった。こんな結果にするために彼を助けたわけではないのに、結局わたしは、彼を死なせてしまうことになった。

「こんな……こんなの、わたしが小田原くんを殺したも同然だよ……っ!」

 小田原真面目を助けた結果、自らのせいで結局は彼を殺してしまった。突き詰めていえば、生き残りたいがためにマジメを助け、マジメを犠牲にして生きている。

 ヒイはそう結論付けてしまった。

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