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ヒイの決断を尊重し、件の子供を助けに行くことになった。
予知について、より詳しい話を聞いてみたところ、残された時間はそう多くはないということがわかった。
なんでも、ヒイの未来予知は見た直後に起こるようなものではないのだが、半日や一日後のように、そう遅くもないらしい。ばらつきはあるものの、ほとんど数時間後に起こる未来のようだ。
そうなってくると、あまり時間がない。現在位置もあまりわかっていない上、目的地は東地高校だ。目と鼻の先にあるほど近い、なんてことはないし、おそらく移動だけで一時間前後は掛かってしまうだろう。東総合病院から離れすぎたことが悔やまれるが、詮なきことだ。
とにもかくにも、東地高校に辿り着かなくては話にもならない。短い休息を終えた二人は、その足で目的地に向かうことにした。
一番の心配はここがどこなのか、ということだ。元は高級住宅街のようではあるが、現在地を知ることが出来るような立て札や看板などは存在していない。いや、存在はしているのだろうが黒く塗り潰されていてわからないのだ。
もしここで道に迷ってしまえば子供を助けられなくなるかもしれない。二人揃って焦っていても仕方がないので顔には出さないようにした。
とはいえ、最悪でも東総合病院にまで戻ってしまえばあとはマジメが案内することが出来るはずだ。気負って失敗してしまえば元も子もないので、あまり考えないことにした。
それに、だ。ヒイによれば、スケッチブックに未来を書き出す過程で、ヒイの視点が俯瞰に切り替わり、現在位置から予知された場所まで視点を自由に動かすことが出来るらしい。
つまり、ヒイはこの場所から東地高校への道程を頭の中に刷り込んでいるのである。予知能力が発動するたびに起こる強制現象だが、今はそれに感謝だ。
一度その現象が起これば、目的地までの道程はほぼインプットされたも同然で、忘れることはほとんどないらしい。
ずいぶんと頼もしい超能力だが、否が応でも他人の死に様を見せつけられるのだからこれくらいの能力はあって然るべきだろう。
時は一刻を争うため、マジメたちは早速東地高校に向かうことにした。
安息の塀から出た二人は、周囲を警戒しながら歩く。
ヒイの先導が必要なため、どうしても彼女を先に歩かせてしまうことになるのでマジメはいつも以上に気を張ってヒイを追いかけた。
住宅街を抜けて大通りへと出た。しかしすぐさま脇の細道に入ってそのまま道なりに進んでいく。
頻繁に背後に目を向けながらも、ヒイの様子が気になって仕方がなかった。足早に歩く彼女についていけないわけではないのだが、少々ペースが早い。ほとんど駆け足だ。
ちらりと見えた横顔は青ざめており、唇を噛み締めた表情からはありありと焦りの色が窺える。
このまま焦りが募ってしまえば、心身ともに疲弊してしまう。そうなってしまえば、目的地に辿り着くことはおろか、道中でさえ危険だ。
細道をぐんぐんと進んでいくヒイに忠告しようと近づくと、車道を挟んだ向こう側に黒丸の巨体が見えた。
ヒイの後ろを、それもかなり距離が離れたところからでも黒丸の姿が見えた。にもかかわらず、ヒイはまるで見えていないかのごとくますます足を早めている。
「まずい、気づいてないのか」
危ういところで舌打ちを抑え、流石に緊急事態だと判断したマジメは駆け足でヒイとの距離を詰めて彼女の肩を掴んだ。
焦りのためか思わず力が入りすぎてしまっていたようで、急に肩を強く掴まれたヒイは小さな悲鳴を上げて足を止めた。
謝るよりも先に身を隠すほうが先決だと、マジメは黒丸をやり過ごすためにヒイの腕を引きながら道を逸れた。
幸いにも、近くには消火栓が存在していたのでその裏にヒイを押し込めた。
目を白黒させて暴れたが、引きつったマジメの表情で我に返ったらしく、辺りを見回してようやく黒丸の存在に気づいた。
おとなしくなったヒイの腕を離すと、マジメは息を潜めながら額に浮かんだ汗を拭った。
本当に焦った。あのままヒイが道路に出てしまえば確実に気づかれただろう。
鈍そうな見た目に反して黒丸の索敵能力はそこそこ高い。黒いパーカーを羽織っているマジメはまだしも、ヒイはもっとも目立つ白色のワンピースを着ているのだ。ピンクのカーディガンでは保護色にもならない。
焦りは視野を狭め、思考すら鈍らせてしまう。危ういところでヒイを止めることが出来たが、次回も止められるとは限らない。今ここで戒めておかなければいずれ命を落としてしまう。
車道の先にいる黒丸がのそのそと歩いていき、その後ろ姿が見えなくなるのを待ってから、マジメは深呼吸を繰り返した。
はっきり言えば、マジメは怒っていた。それも、今までにないほどの怒りだ。
滲み出る憤怒に気づいたのか、ヒイが体を縮こませてマジメを見上げた。
流石に、冷静にもなれば自身の失態に気づいたのだろう。深い後悔の色が瞳から見て取れた。
「郡山さん、俺がどうして怒っているのかわかってますよね?」
「はい……ごめんなさい」
「わかってるなら蒸し返すつもりはありません。焦る気持ちもわかりますが、どうか落ち着いて。俺たちが死んでしまえば誰も救えないんですから」
「……はい」
涙さえ浮かべてうなだれてしまったヒイに、怒気も萎んでいった。どこがまずかったのか気がつけばそれでいい。わざわざ怒鳴り散らすほうが危ないのだ。
周囲を見渡して黒丸がいないことを確認してから、ヒイが消火栓の影から出た。
意気消沈した後ろ姿が痛ましいが、突っ走ってしまうよりはいい。
どうやら本人も気持ちを切り替えなければいけないと思ったようで、頬を何度か叩いてマジメに振り返った。
「ありがとうごさいます。もう大丈夫です」
涙目のまま、ヒイは笑ってみせた。
おかしい。
ヒイの後ろをついていくマジメがこぼした。
その呟きを拾ったヒイが足を止めて振り返ると、マジメは険しい目つきで辺りを睨んでいた。
「どうしたんです? 何かありましたか?」
「俺の気のせいだといいんだけど……黒丸の数が多くないか? ここまでくる間にも何体も見かけたんだ」
「それは、確かにそうですね。普段より、昨日より多い気がします」
マジメが気にしたのはそれだった。
どうにも黒丸と遭遇するのだ。もちろん、まったく遭遇しない、なんてことは思っていなかったが、数分歩くごとに一体か二体、多ければ三体は黒丸の姿を見かけるのだ。
今までの遭遇頻度に比べると明らかに多い。何らかの異常が起こっていると考えるべきなのだろうが、この世界自体に変わりはない。
もしかすると、シキが話したように指揮官がマジメたちの行動を妨害しようとしているのかもしれないが、そもそもマジメたちが移動しているのは予知を覆すためで、ヒイと同じ予知をしない限り知り得ない情報なのだ。妨害という線はないだろう。
そもそも、指揮官が実在しているのかも怪しいところだ。
理由はともあれ、こうも黒丸と遭遇するのはあまり好ましくない。
ずんぐりした巨体を見かけるたびに隠れ、嵐が去るのを待っていてはいくら時間があっても足りない。こんなことに時間を取られてしまえば件の子供を助けることすら失敗しかねないのだ。
どうにかして黒丸をやり過ごしながら移動する方法を探したいのだが、そんな余裕があるわけもない。
別のルートで行ってみては、とマジメがヒイに聞いたが、今のルートが東地高校への最短距離らしく、他の道は時間が掛かってしまうとのことだった。
手詰まり感が否めないが、それでも諦めるわけにはいかなかった。
郵便ポスト裏に隠れ、目と鼻の先をのそのそ歩いていく黒丸をなんとかやり過ごして、二人は揃ってため息を漏らした。
「やっぱり変ですよ。今までこんなことなかったのに……」
「郡山さんでも初めてなのか。やっぱり何か理由がありそうだな」
マジメよりも一月も先輩のヒイがそう言うのだ。もしかしたらそれ以前にも同じような現象があったかもしれないが、今大事なのはどうやってこの難局を乗り越えるか、だ。
とはいっても、今できることはいつもとそう変わらない。隠れるか、倒すか。その二択しかない。
そうなると、黒丸と遭遇するたびに倒すことは当然却下だ。ハイペースにもほどがあるこの状況でそんなことをして回ればマジメが潰れてしまう。だが、隠れてやり過ごすという方法も時間が掛かってしまうのだ。
掛かった時間の分を取り戻したいのだが、ポストから出て少し歩いたところで辻から現れた黒丸が邪魔をする。
一文字に結んだ唇を噛むヒイのもどかしさはマジメも感じていた。考えたくはないが、このままでは確実に間に合わない。
頭を悩ませてもぱっと良案が出るわけもなく、二人は再び物陰の裏に隠れてやり過ごした。




