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いそいそと身なりを整えたマジメはため息を漏らしながら家を出た。目的は夕飯の買い出しである。
先日は体の具合が悪かったため、仕方なしにコンビニ弁当を選んだが、普段は少し離れた場所にあるスーパーマーケットで買い物をすることに決めている。値段もさることながら、品揃えもコンビニでは敵わないほどのスーパーマーケットだ。流石スーパーと付くだけはあるとマジメは思った。
今の時刻は二十時を回ったくらいだ。この時間であれば惣菜や出来合いの弁当類は安くなっているだろう。流石に食材は鮮度が落ちているか残っていないだろうが、今日は諦めるしかあるまい。本音をいえば、体調が万全のうちに冷蔵庫を埋めておきたいのだが、どうしようもない。現実が夢に振り回されていることを嫌でも実感した。
半額シールが貼り付けられることを狙って、マジメは徒歩でスーパーマーケットに向かった。アパートの階段下には自転車も止めてあるのだが、あまり乗る機会がないため埃を被ってしまっている。
マジメのアパート周辺の住人は夜更かしをしないらしく、まだ早い時間にもかかわらずひどく静かだ。一人暮らしを始めてからしばらくはそれが不気味に感じたが今ではすっかり慣れてしまった。
目の前の暗闇に慣れたように、いつか白黒の世界で過ごすことも慣れるのだろうか。願わくは、慣れてしまう前に抜け出したいところだ。
街灯の光に集まる羽虫を嫌そうな顔で見た後、街灯を避けて歩いた。
歩道橋を渡り、橋を渡り、体が温まった頃にようやく目的地に到着した。
閉店時間にはまだ余裕があるが、閉店準備はしているのだろう。外から見た限りではほんの数人の客がいるだけだった。
自動ドアが開いて、店から一人の客が出てきた。それに合わせてマジメも店内に入る。
入り口すぐの売り場は生鮮食品の青果類がずらりと並んでいるはずだが、閉店間際ということもあって陳列台の中はすっからかんだった。
野菜や果実を素通りし、向かったのはその奥にある惣菜類の並んだ陳列棚だ。途中、鮮魚や精肉類の置いてある棚も残らず眺めていく。
流石に魚介類は鮮度が落ちているうえ、好みの食材もないため素通りだが、精肉類の方は半額シールが貼られている牛肉を見つけたので、入店時に持っておいた買い物カゴの中に入れた。
普段なら高くて手が出せない質の良い牛肉が、半額シールを貼り付けられるまで残っているのは珍しい。ありがたく購入することにした。
さて、次に見て回るのは本命の弁当コーナーだ。目論見通りすべての弁当には半額シールが貼り付けられていたが、こちらも売り切れている弁当が多く、みるからに人気のないであろう弁当が点々と残っていた。
一番多く残っているのは竹輪弁当だろうか。
磯辺焼きにした竹輪が二本、丸々入っていて、他のおかずはたくあんが少々、という安い値段相応の中身だった。何度かマジメも食べたことがあるが、この竹輪弁当、安いわりに腹も膨れ、何よりそこそこ美味しいのだ。竹輪が嫌いではない学生の味方だ。
他に残っている弁当といえば、オーソドックスな豚の角煮弁当や焼き鮭弁当、アジフライ弁当なんてのも珍しく残っている。
これだけの種類があるのなら、明日の分も買っていってもいいかもしれない。マジメは竹輪弁当と豚の角煮弁当をカゴに入れて、アジフライ弁当にも手を伸ばした。
「あ」
いつの間に隣に現れたのだろう。ウインドブレイカーを羽織った男が先にアジフライ弁当を掻っ攫っていった。
少々残念に思いながら、他にもまだ弁当はあったはずだと、もう一つくらい買いたいマジメは棚を見るが、そこには何もなかった。
もしかして、と先ほどアジフライ弁当を取っていった男のカゴを見ると、残っていた弁当すべてがそこに収まっていた。
買い占められてしまったことに文句はないが、マジメも気づかなかった素早い動きが気になってついつい男の顔を見てしまった。
見て、しまったのだ。
「お……お前っ! なんでここにいるんだ!」
黒いウインドブレーカーを羽織っていたのは、ヒイラギだった。マスクをつけ、怪しくない程度に顔を隠しているから一瞬誰だかわからなかった。自然な変装をしているので店員も他の客も気づいていないようだ。
「やあ、奇遇だね。こんなところで会うなんて、すごい偶然だ」
「いやそうじゃなくてっ。お前、警察は? 追われているんじゃないのかよ」
周囲の目を気にして思わず小声になってしまうマジメに釣られてか、ヒイラギも小声で返した。
「警察ならとっくに撒いているよ。彼らは決して無能じゃないが、僕とは相性が悪いんだ。だからほら、この通りに」
警察に相性もクソもあるか、と呆れたが、実際にヒイラギは目の前にいる。彼の顔を見て反射的に、片手を携帯電話の入っているポケットに突っ込んだが、電話を掛けているうちに逃げられてしまいそうなのでひとまずは諦めた。
「さっきの質問に戻るけど、僕は買い物をしていただけだよ。流石に飲まず食わずでいられるほど超人ではないからね」
「普通の人間でもないだろ、犯罪者」
「手厳しいな。世間一般から見れば間違っていないんだけど、君には話したはずだよ」
「お前の崇高な目的はただの人殺しでしかないんだよ。どんなお題目を掲げたって、人を殺せば世界の敵だ」
正義の味方を名乗っても、人を殺してしまえばただの殺人犯に成り下がる。はたしてヒイラギはそれを理解しているのだろうか。彼のいうところの裁きは結局のところ犯罪でしかない。
「ああ、僕の思想が受け入れられないのは理解しているよ。異端だとは思わないがね」
首を竦めたヒイラギに思わず唇を噛んだ。
煙たがられることを知っていて、理解されないことを知っていて、何故そこまで自らの意思を貫こうとするのだろうか。本当に尊い目的のためであれば、賛同こそ出来なくとも、応援くらいは出来たかもしれない。だが、彼がやっていることは、自己満足の延長線上のものにしか思えないのだ。
「そんなに正義を果たしたいなら、別の形でも良かっただろ」
「そうだね。だが僕はそれを選んだんだよ。これを選び取ったんだよ。他の誰にも出来ない、僕だけの正義をね」
理解出来ない、という面持ちのマジメに苦笑を浮かべたヒイラギは、抱えたカゴを足元に下ろした。
「僕はね、優しい人間が狡猾な人間に潰されるところを沢山見てきたんだよ。本当に善良で、自分を投げ出してまで誰かを助けようとしていたその人は、まるでハイエナそのもののような人間に食い散られて、死んだ。だから許せないんだよ。誰かを陥れても平然としている汚い奴が」
「そんなの、どうやって見分けてるんだよ。ストーカーでもするのか?」
「そんなことする必要はないよ。誰かのために体を張れる君には教えるけどね、僕は人の心が読めるんだよ。今の感情、心の声、そんなのが全部ね」
言葉が出なかった。口を開くのも嫌になるほど呆れていたわけではない。驚いていたのだ。
マジメは決して、霊的な存在や超能力を否定してはいない。ヒイが予知能力者だ、と知る以前から、オカルトは多少なりとも存在しているとは思っていた。
だからこそ、マジメは驚いた。これだけの短期間、それも二人だ。二人の超能力者に出会うなんて、誰が予想出来るというのだ。
そんなマジメの心の内を読んだのか、ヒイラギは驚愕の表情を浮かべた。
「そうか、君も超能力者が現実に存在していることを知っているんだね。やっぱり君とは気が合いそうだよ」
「冗談きついっての。あんたみたいなのと気が合うとか、鳥肌もんだぞ」
「肝が座っているというか、心臓に毛が生えているというか、君はすごいな。仮にも僕は指名手配されてる人間だよ?」
苦笑いを見せるヒイラギに、マジメの態度は変わらない。犯罪者だろうが殺人鬼だろうが、マジメにとっては敵でしかない。媚びる必要性はまったくといっていいほど感じていなかった。それはおそらく、恐怖心を抱かないことに起因しているのだろうが、どうしてもあの世界の化け物と比べてしまうため、目の前のひょろ長い人間には、どうしたって恐怖は感じられない。
「その読心、サイコメトリーは見るだけでわかるのか?」
「その通りだよ。見ればどんな人間の心だって読めるのさ。僕の能力はどうやら心の声を聞くことに特化しているらしくてね。今も……君の僕に対する怒りと嫌悪は十二分に見えているよ」
「自分の心に偽りがなくて安心したよ」
不遜な物言いにも、ヒイラギは苦笑を浮かべるだけだった。
普通なら、普通の人間ならマジメの態度に怒りを覚えていてもおかしくはないだろう。なのに何故この男はこんなにも穏やかなんだ?
不思議に思うと同時に、酷く癪に障った。
悟っているとはまた違う。例えることも難しいのだが、どこか微笑ましげにマジメを見ているような、そんな気がするのだ。その視線も仕草も、すべてが苛立ってしようがない。
「お前、本当になんなんだ」
耐えきれなくなったマジメが険しい表情で睨んだ。
「自分の思う正義を実行しているのはわかった。でも、お前の言うところの裁きはどんな基準で振るわれるものなんだよ。どんな人間だって、多かれ少なかれ後ろ暗いものは抱えているはずだろ。なのになんで俺には何もしないんだ」
「この前会ったときに言ったじゃないか。僕は心の醜い人間を、もっと具体的に言えば、他人に迷惑を掛けている人間を殺しているんだ。もちろん、それを悔いている人間がいれば見逃すかもしれない。もっとも、そんな人間は今まで見たこともないけどね」
ある意味では間違っていないのかもしれない。確かに、誰かを陥れるような、腐った人間は死んでも喜ぶ誰かがいるのだろう。
大まかに分別すれば、それは創作物の中の、正義の味方と変わらないのだろう。悪人を倒す、なんて、それこそそっくりだ。
だが、どうしたってやり過ぎにしか見えない。殺す、という選択はやはり言葉で更生させるよりもずっと簡単で、手っ取り早く終わらせることの出来る手段だ。だがそれは同時に、思考停止の末に存在している選択肢に見える。
人間は常に変化する生き物だ。
陥れたことのある人間が、突然奉仕活動に目覚めるかもしれない。誰かに迷惑を掛けながら生きてきた人間が、ある日を境に今までを清算するかもしれない。
詭弁かもしれない。そんな都合の良いことなんて起こらないのが当たり前だ。
だが、ヒイラギは、自分の理念が他人に迷惑を掛けていることに気づいているのだろうか。人を殺すことで、その周りの人間を不幸にしていることを知らないのだろうか。そうであれば、ヒイラギは同じ穴のむじなでしかない。
そして、ヒイラギは恐らく気がついていないのだろう。迷惑を掛けていることを自覚していても、巻き込まれた人間を、アヤたちの心を、知らないのだ。
謝るだけで、知ろうとしない。
それがマジメには許せない。
「もういい。帰る」
そう言ったマジメはヒイラギの反応を待たず、弁当の入ったカゴを持ってレジへ向かった。
改めて話してみてわかった。こいつは敵だ。自分の正義に酔っているだけの傍迷惑な男だ。ヒイラギの理念も信念も関係ない。紛れもない、敵だ。
店を出たマジメは近くの公衆電話で警察に通報すると、そのまま家に帰った。




