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誰かが夢見るシロクロシティ  作者: 水島緑
レモン・カンガルー
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 ハギリは二人の前から姿を消してしまった。引き止めることも出来ず、彼女の言葉の意味を咀嚼出来ないうちにハギリは二人から離れていった。

 いなくなった。消えてしまった。

 きっと、ヒイもいつかはこうなってしまうのかもしれない。アヤも、ササキもユギも、マジメの前からいなくなってしまうのかもしれない。

 一期一会。それを座右の銘にしたほうがいいのかも、とマジメは思った

 殺せない、というハギリの言葉はたぶん本物だ。ハギリに二人を殺すように言付けたらしい姉という存在がハギリを動かしていたのだろう。

 ハギリが騙している、というシキの言葉は正しかった。だが、騙されたのか、というとそれはまた違う。

 騙される前に、ハギリが騙すことを止めたのだ。良心の呵責か、それともヒイの人徳か、どちらかのおかげでマジメたちは生き延びたというわけだ。

 なんにせよ、

「疲れた」

 その場に座り込んだマジメは、呆然とハギリが去った方向を見続けるヒイに無感情な目を向けた。

 今までのマジメからは想像出来ないほど冷たく色のない視線だった。なんてことはない。他人を見ていただけだ。すれ違う人々を見るように、顔を知らない赤の他人を見るように。

 あらゆる出来事が電撃的すぎた。体は疲れ果て、思考は働くことを拒否している。

 正直にいえば、目の前のこの黒い景色さえどこかあやふやなものに見えた。現実味がなく、触れれば掻き消すことが出来そうで、夢のようで。

 この虚脱感はいかんともし難い。今日はもう、肉体的にも精神的にも動けない。もう動きたくない。声を出すことも億劫で、ヒイに声を掛けることも嫌だった。

 投げやりになっている自覚はある。たいして親しくなかったハギリにショックを受けるのも筋違いだということも理解している。だが確実に、決定的に、ハギリがいなくなったことが引き金になっていた。

 自分よりもヒイの方が衝撃は大きかったはずだ。ただ、思いのほか限界すれすれだったというだけだ。

 誰が見ても、どこからみても今のマジメは澱んでいた。清涼な水が何度も洗濯に使われて、もはや汚れを落とすことも出来なくなった水だ。ヒイを気遣っていたマジメはどこにもいない。心を砕いて励ましたマジメは過去のマジメだ。

 気遣うことも、気を揉むことも、骨を折ることも心を砕くことも、もう疲れてしまった。

 尽くして尽くして尽くして、助けようとして奮闘した結末には、たった一人しか残らなかった。ああ、それは構わないのだ。元々、誰かと共に在るということを考えてはいない。ただ、そうだな。労ってほしかった。疲れた見返りがほしかった。

 結局は何もなく終わったけれど。

 今日も空は黒い。なにも映さない。何も映らない。まるでマジメの瞳のようだ。



◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎



 電灯の眩しさに顔をしかめた。そういえば、昨日は電気をつけたまま眠ってしまったのだった。

 昨日の夜、ほんの六時間ほど前のことなど、もう遠い昔のようにおぼろげだ。

 それほどまでに、昨夜の夢が濃密だったわけだが、今のマジメはそんな感慨に耽るはない。

 虚脱、空虚、虚ろ、虚無、脱力。

 その全てに該当するのが、ぼんやりと天井を見上げるマジメだ。

 動きたくない、起き上がりたくない、腕を持ち上げることも、寝返りをうつことも、欠伸をすることも億劫で仕方がない。

 いわば、パンクした状態だ。空気を入れすぎて、張り切りすぎて、針が突き刺さったことでマジメの空気は抜けてしまった。

 だが、あくまで空気が抜けただけだ。破裂したわけではないのが救いだった。

 修復するのに時間もかからないし、確実に直る。だがその間、文字通りにマジメは空気が抜けて萎びた人間になるだろう。

 いや、張り合いがないという意味では常に萎んでいるようなものではあるが。

 何も思考しないまま、思考する余地がないまま、マジメはただただ無心で起き上がった。

 洗面所で寝癖を整え、制服に着替える。毎日の習慣をそっくり繰り返しているだけまだマシなほうかもしれない。

 ただマジメは、朝食を食べないまま家を出た。昼食を買わないまま学校に到着した。

 もしかすると、今日は食事をしないのかもしれない。



◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎



 マジメが教室の引き戸を開けた瞬間、クラスメイトの視線がすべて向けられた。

 興味深々で互いを牽制し合う姿。おそらく、誰が先にマジメに問いかけるか全員で競い合っているのだろう。

 迷惑も甚だしいが、何より現金だ。

 クラスメイトもそう思っているのか、なかなか近づこうとはしなかった。いや、むしろ当然だ。今までほとんど会話を交わしたことのない一クラスメイトにどうやって事件のことを聞けばいいというのだろう。

 そう、事件のことだ。マジメたちが、この東地高校に在校する生徒が殺人事件に巻き込まれたから、彼らはこうしてマジメを見ているのだ。

 幸いにも、無遠慮に聞いてくる図々しいクラスメイトは、このクラスにはいないようだ。

 とはいえ、今のマジメでは問い掛けられても何も答えなかっただろう。というよりも何一つ反応しなかった。

 全ての人間の言葉は等しく右から左へ流れていくだけだ。

 妙な空気の教室に我関せず、いつものように自分の席についたマジメは、いつものように机に突っ伏して瞼を閉じた。

 目が覚めたのは四時限目も残りわずかというときだった。

 ホームルームも休憩時間もあったはずだが、結局誰もマジメに声を掛けることはなかった。クラスメイトはおろか、担任の教師もだ。

 興味深々にチラ見してくるクラスメイトとは違い、人の良い担任はマジメが登校してきたことに驚きつつも極力事件のことは思い出させないように気をつかって、何も聞かなかった。

 なんともまあ優しい先生じゃないか。他人事のようにそう思って、あっさりと流した。

 少しばかり眠ったことで、空気が抜けた穴が直ったのかマジメはクラスメイトたちの視線に気づいた。

 好奇心を隠しもしない生徒、憐憫の裏に好奇心を隠すが滲み出ている生徒。

 自分の周囲の人間が事件に巻き込まれたというのだから、興味を持つのは当たり前だ。

 そう、あくまでも興味だ。それも小田原真面目というクラスメイトに興味を抱いているのではない。彼らは一様に、個人に興味を持っているわけではないのだ。

 マジメはただの、特異な体験をした人間であって、彼らの興味の対象ではない。彼らの好奇心をくすぐるのは、クラスメイトが殺人事件に居合わせた、という事実だけなのだ。故に、クラスメイトにとってマジメという存在はあくまでも情報を話す端末でしかなく、その価値は今までと変わらないこである。いや、経験したことのない体験をした、という分の価値だけはあるか。どちらにせよ、クラスにおけるマジメの扱いは、空気のように存在感の薄い奴から珍しい体験をした珍獣程度に変化した。

 しかしまあ、こういった情報は普通、規制されるものなのではないのか?

 いくら教師の口が軽かろうと、誰がそこに居合わせた、などとは漏らさないはずだ。せいぜい、この学校の生徒が事件に巻き込まれた、程度の情報だろう。とはいえ、少なくとも一クラス分の人間は知っているのだ。どこから漏れたのか、あるいは誰が漏らしたのか、突き止めるのは不可能だろう。

 それに、マジメは咎めるつもりはない。

 身も蓋もない言い方をしてしまえば、人間は好奇心の塊だ。強弱の差はあっても、好奇心は持っている。

 だからマジメとしても、害がない噂程度なら我慢できる。

 今はまだ学校規模に収まってはいるが、いずれマスコミなんかが嗅ぎつけてくるかもしれない。

 マスコミ。マスコミだ。

 被害者だろうが被災者だろうが、加害者、目撃者まで、無遠慮にマイクを向ける野蛮人のような人間たち。彼らには心底反吐が出る。

 警察が彼らの道徳心のない行動を咎めればすぐに報道の自由だと喚き散らす。まるで頭のおかしい狂人だ。自由なのだからプライバシーを侵害してもいいと彼らは考えているに違いない。

 彼らはきっと、自分がその立場に置かれたら、などとは考えもしないのだろう。だからこそ、人の心を抉るような真似が出来るのだ。そうとしか考えられない。

 それを考慮しても、学生の噂話のほうがまだ優しい。

 いや、人の心を悪戯に傷つけるという点はなにひとつ変わらないか。そこだけはまったく同じだ。悪意のあるなしにかかわらす人を傷つける分だけ、噂話のほうが酷いのかもしれない。

 アヤたちはこの先大丈夫なのだろうか。マジメは普段通りに過ごしているおかげか、質問攻めにされることはない。しかしアヤは違う。

 きっと無遠慮に聞かれるのだろう。それを止める友人も多く存在するのだろうが、その友人たちでさえも好奇心を滲ませた同情の目で見るのだから、休まる暇がない。

 いっそのこと、この事件沈静化するまで休んでいるほうがいいのかもしれない。

 数学の教師が解説を締めくくり、同時に授業終了のチャイムが鳴った。

 だらけた声に混じって、マジメに視線が飛んできた。

 興味、興味、興味。誰一人として気遣うような視線がないが、こうまで露骨だと逆に清々しくなってくるから不思議だ。

 ああ、なるほど。先生もか。

 数学教師の視線もそこに混じった。

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