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誰かが夢見るシロクロシティ  作者: 水島緑
オレンジ・パープル
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39

 どうやら黒馬は、マジメが落下した地点を特定出来ないでいるらしい。体を休めるために、マジメはしばらく雨避けの屋根に寝転がっていたのだが、いくら身構えようとも黒馬の巨躯は現れなかった。窓を睨んでも馬が見下ろしてくることはなく、黒馬は完全にマジメが未だ病院内にいると思っているようだ。

 それならそれで好都合だ。肺が痛むほど乱れていた呼吸は整ってきたが、足の方はまだ立ち上がれそうもない。しばらくはこの屋根の上に釘付けだ。

 額に浮かぶ汗を拭って、ふと気がついた。パーカーを回収し損ねていたのだ。

 黒いシャツを着ているし、特に肌寒さも感じないのだが、なければないで少し変な感じがする。普段から着ていたせいか、なにか足りないのだ。

 とはいえ、回収には行かないと決めた。わざわざ危険を冒すこともないだろう。パーカーを回収するためだけに病院にもどるよりも、ヒイたちと合流するのが先だ。

 そう考えて、マジメは不安に駆られた。彼女たちは建物の外に逃げたのだ。はたして無事でいるのだろうか。

 自分ではないと彼女たちを守れない、などと自惚れるつもりはないが、外にはあちこちに黒丸がうろついている。どこかで身を隠してくれていればいいのだが、隠れているのであれば探すのも難しくなる。

 どうあっても、合流するのに手を焼きそうである。

 それにしても、今も黒馬は走り回っているのだろうか。そう思い浮かべたときだった。

 耳をつんざく嘶きが響いてきたのである。

 思わず耳を塞いだマジメが窓を見上げると、黒い塊が窓枠を横切っていった。咄嗟に体を伏せたが、どうやら気づかれていないようだ。

 本当に心臓に悪い馬だ。

 それにしても、どうして黒馬がここにいるのだろうか。復活したにしては倒れた場所と現れた場所が離れすぎていておかしいので、蘇ったということはなさそうだ。

 二匹目。黒馬は二匹目なのだろう。ヒイたちに被害がないよう、あれほど苦労して倒したというのにもかかわらず二匹目だ。思わず笑ってしまうほど馬鹿馬鹿しい。

 誰だってため息を吐くだろう。多分、セガワだってため息を漏らす。

 今までの努力が否定されたようで悔しかった。

 とはいえ、いつまでも恨み言を重ねていても仕方がない。立って歩ける程度には足も回復したので、もうここに用はなかった。

「おわっ……」

 立ち上がろうとしたところでまたしても、黒馬が窓枠を横切っていった。なんとも間が悪い馬である。息を潜めて見上げていると気づいた。

 そういえば、あの馬は最初から馬の姿をしていた。マジメとセガワが戦った馬は、ずんぐりとした丸い体から、筋肉質でスマートな体へと変化させていた。しかし今の黒馬は最初から筋肉質でスマートだった。

 少女を追いかけていた時点で変化していたのか、元々あの姿なのかわからないが、どうやら別個体のようだ。

 だがしかし、それがわかったからといって倒せるわけもなく、マジメは頭上の様子を窺いながら雨避けの屋根から降りることに成功した。

 これからどうするべきか考える。

 マジメが今いるのは、病院の裏側に設けられた広い駐車場だ。駐輪場も兼ねているのでその分だけ面積は広い。

 何台か、自動車らしき影が点々と存在していて、同じように自転車もあるようだ。

 この世界が現実を元にしているのは知っている。しかし、こういった場所を見ると、どうにも現実味が薄くなるのだ。

 普通、病院といえばどんなときでも満員満室であるだろう。駐車場も同じように埋まっているはずだ。しかしこの東総合病院の駐車場は穴だらけになっている。市内有数の病院にもかかわらず、だ。

 現実を元にしているのであれば、それに忠実であるはずなのだが、ここではその法則は通用しないのだろう。

 広大な駐車場を真っ直ぐ横断して黒馬に見つからないようにヒイたちを追いかけるか、それとも病院をぐるっと回り、正面玄関まで向かってから彼女たちを追いかけるか、マジメは迷っていた。

 安全を第一にするのであれば当然前者だが、その分ヒイたちを探すことが困難になってしまう。逆に後者であれば、すぐにでも彼女たちを追いかけることが出来るが、黒馬に見つかってしまう可能性が高まる。

 合流を第一に考えたいところではあるが、もしも黒馬に見つかってしまえばまた逃げ回る羽目になる。マジメ一人が見つかるのであればまだなんとかなるだろう。最悪なのは逃げている最中に合流してしまうことだ。そうなってしまえばマジメが残って囮になった意味がなくなってしまう。

 ここは確実性を重視して、この駐車場を突っ切ってから探しに行くことにした。

 そう決めたマジメは早速歩き出した。

 自動車という遮蔽物がないので、背後を気にしながら進まなければならないだろう。こんなときこそ現実に忠実であれば、遮蔽物だらけで苦労しなかったのだが、無い物ねだりをしていても仕方がない。とはいえ、ほぼ全ての建物がない状態でもマジメとヒイはここまでやって来たのだ。楽観視こそしていないが、なんとかなるという実績はある。

 しかし、パーカーさえあれば多少は保護色になっていただろうと悔やまれる。いや、赤いジャージがネックなのは変わらないが、それでもなければないで物足りない。

 数少ない自動車の陰に隠れて、ほっと息を吐いた。

 この世界に来てからはどうも、ため息の回数が増えている。いや、むしろため息だけで済んでいることを感謝すべきかもしれないが、それほど殊勝にはなれない。

 また一つため息を漏らして、マジメは車体の影に伏せた体を起こした。自動車を支えにしながら立ち上がり、次の遮蔽物へと向かう。

 やはり、現実のように自動車で埋まっていればかなり楽だったに違いない。思わず文句を言って、まるで栗が弾けるかのように思考が冴え渡った。その衝撃はマジメが硬直するほど強くしばらく棒立ちになっていた。

 時間にしてほんの十秒前後だろうか。それでも、ここは駐車場のど真ん中だ。我に返ると同時に上からでは丸見えなことを思い出してすぐさま自動車の陰に駆け込んだ。

「どうして気づかなかったんだ……現実を元にしているなら、現実の日本を知っている必要があるじゃないか」

 打ちのめされたように呟いて、マジメは地面を撫でた。

 この世界、白黒の世界はどうして現実の長谷市にそっくりなのか。答えは簡単だ。誰かが現実を元にしているからだ。そうでもなければ、もっと非現実的な世界になっていただろう。

 マジメが今まで踏み入ったことのある白い建物はそれぞれ、光栄塾、東総合病院と、現実で実際に存在している建築物だ。

 異質さに気をとられてばかりで、まったく気がつかなかった。

 そうだ、簡単なことだったのだ。夢という不確かな世界を形作るのは記憶だけだ。その記憶から長谷市が利用されているのであれば、この世界の説明はつく。

 大事なのは、この世界はあくまでも夢の中である、ということに尽きる。

 何せ、マジメは光栄塾の存在を知っていても、場所までは知らないのだ。夢は記憶の整理とどこかで聞いたことがある。ということは、この夢はマジメの記憶ではないということだ。では誰の記憶なのか、誰が見ている夢なのか。少なくとも、マジメではない誰かの夢の中だ、ということだけはわかる。

 とはいえ、なんの確証もない以上、誰かがこの世界を作ったのかもしれないという考えはただの推測にしかならない。それを証明出来る何かが見つかれば良いのだが、そこら辺に転がっているわけもない。

 一応、この世界にマジメたちを呼び寄せた黒幕がいるかもしれない、ということだけは心に留めておくことにした。

 だが、どうしてこんな殺伐とした世界を作ったのだろうか。

 天も地も闇で染まり、町の姿は原型を留めていない。荒野だと言った方が納得出来る有様だ。何よりも、どうして建物が存在していないのか。些細なヒントすら手にいれていない現状、それを推理することも難しい。そして、あの化け物たち。

 もやか霧で構成された、全体的に丸いフォルムの黒丸と、目的によって姿を変質させることが出来る黒馬。化け物たちが二種類以上存在しているということは、まだまだ別種類が存在し、かつこれから遭遇するかもしれないということになる。

 確証もない推測では、なにひとつとしてこの世界を理解出来ていないということと同義だ。実際、この世界は現実の長谷市をモデルにしているかもしれない、という予想が他の疑問の答えに繋がるとは思えなかった。

 なんにせよ、今考え込んでいてもどうしようもない。解の出ない問題に頭を抱えているより、ヒイたちの安否の方が大切だ。

 気持ちを切り替えるように頭を振ると、マジメは次の自動車に向かった。



◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎



 ようやく東総合病院から離れることが出来たマジメは、駐車場からすぐの辻で辺りを見回していた。

 この辺りの地理には疎く、その上ヒイたちがどこへ逃げたのかもわからない。下手をすれば迷子になった挙句黒丸に発見されてしまうかもしれない。だが、動かないことには探しものも見つからない。ひとまずマジメは東総合病院の正面玄関近くまで歩いてみることにした。

 思えば、この世界を一人で歩くのは初めて目を覚ましたとき以来だ。しかもすぐ後にはヒイと出会った。それを考えると、一人歩きは実質初めてになる。

 ヒイと二人で歩いていたときも今と同じように静かだったが、一人と二人ではずいぶん違うのだと気づいた。

 この世界を一人で歩くのは勇気が必要だ。

 足を前に進める勇気と、孤独と恐怖に打ち克つ勇気。この二つがなければ、きっとその場にうずくまったまま何も出来なくなってしまうだろう。暗く静かで自分だけがこの世界に存在しているような不安と寂寥感。それらに打ちのめされてしまえば、待っているのは黒丸による心を叩き潰すような恐怖だ。

 マジメにはヒイたちを探すという目的がある。どんなに小さな目的でも、持っているだけで歩けるようになる。だが、それすらも持っていなければ。目が覚めたときから、誰とも出会わずにたった一人でこの地をさすらっていたら。思わず想像して身震いした。

 一歩間違えればマジメも発狂していたに違いない。路面の窪みに染み付いた赤色を見つけてしまい、気分がより落ち込んだ。

 しばらく歩いて病院の東側へと辿り着いたときだ。

 全身で警戒していたマジメの目が捉えたのは、向かい側からのっそりと歩いてくる黒丸だった。

 ずいぶんと久しぶりに見るが、相変わらず異様な姿だ。押し潰されるかのような錯覚を受ける巨体は、黒馬と似通ったものがある。大きいだけで威圧感を感じてしまうのだから、それを狙っていたのだとしたら大した奴らだ。

 気づかれる前に見つけることが出来たマジメは、音を立てないようにガードレールの影に身を潜めた。引きちぎられたような切断口に、全体はいびつにひしゃげてねじられたようにひん曲がってはいるものの、身を隠すには十分だ。

 のしのしと、巨体に見合う緩慢な動きでこちらへとやってくる黒丸は未だ気づいていないようだ。

 とはいえ、安心するにはまだ早い。

 目の前を通り過ぎ、黒丸の姿が完全に見えなくなるまで息を潜める必要がある。決して油断は出来ないし、もし見つかってもすぐに逃げられるように覚悟しなければならない。

 ガードレールの裏で身構えたものの、黒丸はマジメに気づく様子はなく、そのまま道路を渡って角を曲がって行った。

 ほっと息をつく前に周囲を見渡して、ようやく一安心した。

 黒丸と遭遇するだけでも普段以上に気を使った。おそらく、これが一人でいるということなのだろう。

 いつもより強く警戒し、消耗していく一方で休むことすらままならない。この世界における一人歩きはデメリットばかりだ。

 一刻も早くヒイたちと合流したらほうがいい。この調子で消耗していたらマジメが先に潰れてしまう。

 ガードレールを飛び越えて先を急いだマジメは、今までよりも時間を掛けて病院の外周を歩き、ようやく正面玄関が見える場所へと辿り着いついた。

 広々としたロータリーを一望出来るように電柱の影に陣取ったが、これからが本題だ。

 果たしてヒイたちはどこへ向かったのだろうか。

 ロータリーの対岸は、横断歩道先の右へ曲がる道と左へ曲がる道に分かれており、更に道路の奥へ行くと左右の道も存在している。おおまかに分けると、この四択になるのだが、もしかするとヒイたちはまったく別の道を進んだかもしれない。

 正直にいって、どの道を行っても合流出来ないような気がする。そう思いかけて、いやいや闇雲に探すよりも百倍マシだ、と考え直した。

「どの道に行けば合流できる……? いや、全部回ってもいいかもな。どれを選んでも他の道を気にしそうだし」

 言うが早いか、マジメは道の奥へと進むことにした。自分ならより遠くへ逃げるだろうという理由だ。

 ちらりと振り返れば真っ白な病院が静かに佇んでいる。夢だとわかっていても、あの中に黒い化け物がいると考えると、しばらくは病院に通えそうもなかった。

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