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誰かが夢見るシロクロシティ  作者: 水島緑
オレンジ・パープル
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 目が覚めたのは、陽が落ち始めてしばらく経った後だった。

 明かりをつけていない室内は夕日の光だけに照らされ、まるで燃えているかのような錯覚を起こした。

 寝起きだけはあって頭が回らないな、と寝返りを打ったマジメは大きなあくびを漏らして体を伸ばそうとした。

 しかし、途端に激痛が全身を走り抜けて奇声を上げたマジメは、自分の体が傷だらけだということをすっかり忘れていたのだ。

 全身を苛む痛みに悶えながら、腹の虫が鳴いた。

 まさかのダブルコンボに驚きながらも、今日は何も食べていないことを思い出して、マジメはまた瞼を閉じた。

 体を治すには眠ることが一番だ。今日の夜もまた白黒の世界に行くのだから、少しでも体を癒やしておいたほうが良い。すんなりと寝入りかけたマジメだったが、またしても腹の虫が騒ぎ出してついには空腹を意識してしまった。

 一度意識してしまったら最後、何かを口にするまでこの空腹感に苛まれるだろう。そうなれば眠るどころの話じゃなくなる。

 嫌々ベッドから這い出して痛みに呻きながら、キッチンの冷蔵庫を開けてみるが予想していた通りにすっからかんだった。昨日のうちに冷蔵庫のものは全て使ってしまい、今日は買い物をする予定だということを今更思い出してげんなりと脱力した。

 まだまだ体の疲れが残っているせいか、着替えることすら億劫だ。しかしこのまま何も食べないとなると眠ることも出来ない。

 仕方なく、マジメは立ち上がった。

 立ち上がったのだが、まるで足に力が入らずそのまま転倒してしまった。

「いっ、てぇ……これ、足ほぐさないとダメそうだな」

 ふくらはぎの強張りは自分が予想していたよりもひどいらしい。這いずるように風呂場に向かって、温水を当てることにした。

 引きつるような痛みを訴える箇所を重点的にほぐしていく。浴槽の縁に腰掛けた状態は少し危険だが、固い床に座ると尻の筋肉が痛むのだ。

 そうやってしばらく筋肉をほぐすと少し痛みが抜けた。

 温水を当てて血行もよくなったらしく、今なら歩いても平気そうだ。マジメは早速着替えると痛みがぶり返さないうちに家を出た。

 マジメが住んでいるのはとある小さなアパートメントの一室だ。二階に位置する自室と、一階の一部屋だけしか埋まっていないアパートは普段から物静かで、マジメはここを気に入っていた。

 もう一人の住人とはあまり顔を合わせたことがなく、帰宅も不規則なようで言葉を交わすことはほとんどなかった。

 塗装の剥げた階段を下りて、マジメは一番近いコンビニへ向かった。この足では自室の近辺を歩くのがやっとだ。

 もう完全に日は暮れており、空には月が見え隠れしていた。穏やかな気候が続く最近では珍しく風も強いようで、雲が足早に流れていく。

 こころなしか、雨が降り出しそうだった。

 次第に雲行きが怪しくなっていく空を見上げていると、いつの間にかコンビニに到着していた。時間はまだ遅くはないが、風が強いせいか客足は途絶えているようで、若い店員が暇そうに掃除をしていた。

 しゃいませー、と気の抜けた声で迎えられ、マジメはすぐに弁当コーナーに向かった。夕食時を過ぎたためか、あまり弁当が残っていないが、幸いマジメに好き嫌いは存在しない。一番値段の安い弁当とペットボトルの飲料を購入した。

 ありあっしたー、とやる気のない声に送られて、マジメはコンビニを出た。

 マッサージのおかげで痛みが引いたが、もうぶり返しはじめているらしい。じわじわと滲むような痛みが広がっていくのを感じて、マジメの足は自然と早くなった。

 流石にここまできて自宅に戻れない、なんて間抜けなことにはなりたくない。

 薄暗い街灯の下を足早に歩いていくと、前方に誰かが立っているのが見えた。

 その人影が身じろぎせず佇んでさえいなければ、マジメも別段怪しく思うこともなかった。

 暗闇に紛れた人影との距離はほんの数メートルほどだ。レインコートのようなものを被っていた顔は見えない。

 訝しんで警戒しながらも、かかわらないように人影の脇を通ろうとした瞬間だった。不意に頭上の街灯が点灯し、人影を鮮明に写し出したのだ。

 まばゆい光はレインコートのフードの中までも照らした。

「お……お前」

「ん? ああ、君か。偶然だな。こんなところで会うなんて」

「そんなことより! その血っ、その血はもしかして」

「ああ、あの時と同じだよ。正義の鉄槌を下したあとだ」

 アヤや謎部の二人が欠席した原因である殺人鬼が、目の前にいた。

「何が正義だ……あんたのやってることはただの人殺しだぞ」

 レインコートのあちこちに付着した血液を憎らしげに睨みつけた。

「もう聞き飽きた台詞だな。無能な警察どももよく言っていたよ」

 殺人鬼の男、下塚柊(しもつかひいらぎ)はおもむろにフードを取り払った。お互いの素顔を知っているからか、特にごまかすつもりもないらしい。

 フードを取り払ったヒイラギの顔は、いつか見た容姿と変わらない。ただ一つ違うとすれば、あちこちに返り血らしき斑点が付着していることだろうか。

 レインコートの長い袖で見えづらいが、電灯を反射するナイフを握っている。そこにも血液が付着していて、ヒイラギの言葉に一切の嘘がないことを雄弁に語っていた。

 自らの足にちらりと視線を向けたマジメの表情は、いつになく苦いものだった。

 痛みがぶり返しているのだ。こんな状態の足では、走ることもままならない。それでも油断なく身構えるマジメに、ヒイラギは何を思ったのか、ちらつかせていたナイフを袖で隠した。

「安心してくれよ。僕は君のような、心が美しい人間に決して害を為さないと決めているんだ」

「……どうだか。それを言うなら、俺の目の前で人を殺すのは害じゃないのか?」

 なるべく嫌みったらしく聞こえるように言ってやる。まだ自分は平気だ。自分だけなら、多少の悪態だけで許せたはずだ。だが、アヤたちを巻き込んで、彼女たちにあんなもの見せたことだけは許せそうになかった。

「それは……申し訳ないことをした。謝罪しよう」

 その言葉と共に、沈痛な面持ちで頭を下げたヒイラギに、マジメは驚くと同時に叫んでいた。

「謝るくらいなら、んなことすんなよ! それに俺に謝ってほしいわけじゃない! 俺じゃなくて、俺と一緒にいたやつらに謝れ!」

 声を抑えることも出来ず、激情のまま叫んだマジメは奥歯を強く噛み締めてアヤの顔を思い出していた。

 今にも泣きそうな、それでいて唇をきゅっと結んでこらえる青ざめた顔が今でも頭から離れない。あの顔を思い出すだけで、マジメの怒りは胸を焦がすほど噴き出してしまうのだ。アヤにそんな顔をさせる原因が目の前にいて、勝手なことをのたまわっている。

 震える拳を抑えるのが精一杯だ。足の負担を無視してでも殴りかかってしまいそうだ。

 神妙な表情でマジメを見つめるヒイラギは、どことなく嬉しそうに笑った。

 それが癪に障ったマジメは、ついに一歩を踏み出した。

「まったく、君みたいな人間が世界中にいてくれれぱいいのだけどね。そう上手くいくわけもないか」

「……何を言ってるんだ?」

「ああ、僕が人を殺す理由だよ。君のように、友人を大切にする人間を食い物にする醜い人間どもがいるから、この世界は優しくないんだよ」

 確かに、ヒイラギの言うことは間違っていない。だがマジメにとっては、この男がアヤたちに消えない傷跡を刻んだ害悪でしかなかった。

 世界がどうのだとか、自分の知らない誰かがどうのだとか、聖人君子ではないマジメにしてみれば興味も湧かない戯言でしかない。

 ヒイラギはマジメが共感してくれるとでも思っているのだろうか。マジメが向けるのは共感ではない、敵意だ。

 世界を浄化している自分に酔っているようにしか見えなかった。

 何が正義だ。真に世界を、善良な人間を憂いているのならば正義なんて言葉は使うべきじゃない。

 正義、なんて言葉は、大義名分を必要とする人間だけが使う言葉だ。ただの言い訳を正当化させるための魔法の一言。

 だが、ヒイラギは何度も正義を述べている。正義の味方である自分はさぞ美しく見えるのだろう。

 そんなもの、ただの幻想だ。

「いつまで喋ってるつもりだよ。悪いけど、俺はあんたの敵だ。三人を傷つけた時点で、覆ることのない敵なんだよ。あんたのやってることは人殺しで、それ以上でもそれ以下でもない」

「それは……残念だな。心の清らかな君になら理解してもらえると思ったのだが。なに、強制はしないさ。僕は人の道を外れた人間に裁きを下すだけだからね。君も、君の友人たちにも手を出すつもりはないんだ。だから……」

「だから安心しろってことか? ふざけるな。もう十分迷惑なんだよ。手を出すつもりはない? 現に三人は傷ついてるんだよ!」

 あまりにも勝手な言い分に、マジメの怒りは濃密な殺気となって溢れ出た。それを感じたのか、ヒイラギはそれ以上言葉を重ねることはせず、静かに身構えた。

 そんなときに聞こえてきたのはサイレンの音だった。

 聞き覚えのあるその音はパトカーだろう。ヒイラギはすぐさま反応して身を引いた。

「逃げるのか?」

「ああ。こんなところで捕まったのでは使命が果たせないのだよ」

 追いかけようとしたマジメだったが、足を踏み出したと同時に走った激痛がそれ以上は進ませなかった。

「くそっ、こんなときになんで……」

 痛みに蹲ってしまったマジメを尻目に、ヒイラギの背中はもう既に豆粒ほどまで遠ざかっていた。

 次第に近づくサイレンの音に顔を顰めたマジメは、痛む足を引きずりながらその場から離れた。

 こんな体の調子で事情聴取でもされたらたまらない。

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