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誰かが夢見るシロクロシティ  作者: 水島緑
オレンジ・パープル
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 先に飛び出したのはセガワだった。

 先ほどまでの攻め方と同じく、二人は前後に分かれて突進を封殺しにかかった。

 しかし注意しなければならないことがある。もちろん、前足のストンピングや後ろ足の蹴り上げなどもあるが、一番気をつけなければならないものが予備動作のない体当たりだ。

 馬の脚力を利用したこの体当たりは、まるで予備動作がなく、避けることが難しいわりに威力が高いのである。

 マジメも危うく角の餌食になったのでもっとも警戒すべき攻撃だろう。

 とはいえ、体当たりにだけ警戒していてはいいようにやられてしまうだけだ。

 しかし問題はそれだけではなかった。

 体が丸っこいときとは比べものにならないほど俊敏になった黒馬に、攻めあぐねているのだ。

 助走のいらない攻撃はそもそも隙がない。そのわずかな隙を突いて攻撃しても、あっさりとかわされてしまうのである。

 ただ、一つだけ希望があった。

 あくまでも予測でしかないが、馬はセガワの攻撃を避けている。避けているということはつまり、攻撃を貰わないようにしているのだ。

 丸い体であったとき、そんな様子は微塵もなかった。避けることもせずに突っ立って、二人の攻撃を跳ね返していたにもかかわらず、だ。

 つまりあの形態変化は黒馬を進化させたわけではなく、特化させただけなのだろう。でなければセガワの攻撃を避けずに待ち構えて反撃すれば良いだけだ。にもかかわらずそれをしないということは、あながち間違いではないはずだ。

 俊敏で攻撃的な今の体が攻撃仕様ならば、以前の丸い体は頑強で防御的な体なのだろう。

 いや、そう思わなかったらやっていられない。

 黒馬のストンビングを懐に潜り込むことで回避したセガワは、勢いを殺すことなく腹部に鉄パイプを突き出した。黒馬は前足を振り下ろした直後で咄嗟には動けないはずだ。会心の笑みを浮かべてより一層突きに力を込めるセガワだったが、引き締まった腹部にはかすりさえしなかった。

 空を切った鉄パイプを慌てて引き戻すと同時に、黒馬の姿が消失した。まるでテレポートでもしたかのように、セガワの視界から消えた馬に彼は目を見開いて驚いた。

「上だ! 跳んでる!」

 セガワが左右に視線を走らせるのを見たマジメは、馬が天井すれすれにまで跳躍したことに気づいていないと知って、大声で叫んだ。

 マジメの言葉を頭で理解するよりも早く、反射的に体を投げ出したセガワの背中に、砕けた白い床の欠片が飛び散った。

 頭部を両腕で守り、床に伏せていたセガワが、黒馬の着地と同時に立ち上がり渾身の振り下ろしを見舞った。

 細かい狙いをつけることは出来ず、おおざっぱに振り下ろした鉄パイプだったが、その鈍色の棒は着地直後で無防備だった馬の背中に直撃した。

 わずかに呻くような息を漏らした黒馬が、すかさず後ろ足を振り上げてセガワを追い払った。

 一進一退の攻防を繰り広げているように見えるが、その実セガワが圧倒的に不利であった。

 俊敏で隙のない攻撃を繰り返す馬。その一撃でも喰らえば重傷は免れないであろう攻撃に比べて、セガワの鉄パイプはあまりにも貧弱だった。

 しかし、その貧弱な鉄パイプが黒馬の小さな悲鳴を引き出したのだ。

「小田原くん、これはいけるぞ。攻撃が通ってる」

 確信を込めて言うセガワに頷いて、マジメが入れ替わるように前へ出た。

 駆け出したマジメが持つ消火器には、体当たりを防いだへこみがあった。それを気にしながらもマジメは再び黒馬の前に立ちはだかると同時に、消火器を振り上げる仕草を見せた。

 それに反応した黒馬が、角を突き出してマジメを狙うものの、攻撃するふりをしただけのマシメはあっさりとそれをかわした。

 横幅の狭い廊下を最大限に遠回りして馬の尻に近い側面にとりつくと、またしてもマジメは消火器を振り上げるふりをした。

 マジメに嵌められたせいで遅れを取った黒馬だったが、後ろ足を振り上げることでマジメを後退させた。

 だが、黒馬が反撃してくることも織り込み済みである。

 岩をも砕きかねない蹄から逃れて、今度は反対側へと素早く移動する。そうしてまた消火器を振り上げようとすると、敏感に察知した馬がすぐさま反撃に出る。しかし、それこそがマジメの狙いだった。

 重量のある消火器の制御はどうしても甘くなってしまう。その上、マジメはセガワのように戦いに慣れているわけではない。ほんのわずかな隙を見逃さずにつけ込み、的確かつ迅速に得物を振るうなんてことは無理だ。

 わずかな隙を突くのが無理なら、その隙を大きいものにしてしまえばいい。

 セガワの戦いぶりを見て、自分なりに考えた結果だった。

 極力側面に張り付きながら、反撃を誘発すること。単純だが、言うほど簡単ではないのである。

 まず、マジメが目的としたのは隙を作ることだった。そこから派生していった思案は、徐々に解答を導き出していく。

 隙を生ませるにはどうしても黒馬を動かさなければならない。それも、マジメがしっかりと殴ることが出来るほど大きな隙だ。

 今までの戦いからして、馬は用心深く行動している。だからこそセガワも攻めあぐねているのだ。

 マジメが攻撃出来るほどの隙を作るには、馬を大きく動かす必要がある。そこで思いついたのが反撃させることだ。先手を取られてしまえば、それだけで追い詰められてしまう。だからこそ、主導権を握りつつ、反撃させるという結果に落ち着いたのである。

 だが、それを実行するに当たって、一番ネックだったのが位置取りだ。当然ながら真正面から挑みかかるにはリスクが大きい。だからといって背後から襲いかかっても結果は同じだろう。そこで、マジメは一番届かないであろう尻近くの側面を選んだのである。

 しかし、その決断も糸の上を歩くような、危険極まりものであった。

 なにせ、少しでも初動が遅れてしまえばそれだけで黒馬に捕捉されてしまうのだ。だが、まだその段階であればなんとか切り返せる。

 もっとも最悪な場合、回避が間に合わずに反撃をもらうことだ。

 素人でしかないマジメでは、その可能性が大いに存在している。

 そして、黒馬の反撃が直撃してしまえばそれだけで致命傷になる。

 それだけにマジメは死に物狂いで喰らいついているのだ。

 息を整えているセガワからみても、理にかなった作戦だ。それに、徐々にではあるが危なげなく黒馬の反撃をかわすようになっている。それこそ、マジメ自身の資質があってのことだが、彼の吸収力には目を見張るものがあった。

 生まれた経験が残らず血肉になっているような、そんな上達具合である。

 だが、実際に戦っているマジメがそう感じているか、というとまったく感じていないのが現実だ。

 奥歯を強く噛むことでようやく押さえ込んでいる恐怖が、眼前を馬の体が過ぎていくだけで溢れ出しそうになっている。

 ぴくりとも動かない表情はまさに蓋だ。表情筋が動けばそれは感情の防波堤が決壊したことになる。だからこそ、マジメは恐怖を隠して動いているのだ。少なくとも、動いていれば目の前のことに集中できる。

 だが、体の震えは収まらない。氷に触れたかのような、握り込んだ指先の白さと冷たさは嫌というほど感じている。

 肩に担ぐようにして消火器を構えたマジメに、過敏なほど素早い反応をした黒馬が蹄を振り上げる。危うく顔面を潰されるところだったマジメはすんでのところで悲鳴を噛み殺した。

 叩きつけられるような風圧に視界が塞がれ、慌てたマジメが後方へ下がった隙を見逃さず黒馬が追撃する。

 位置が悪い。身構えながらマジメは細く息を吐いた。

 ほんの一歩前に進めば馬の射程圏内、というところまで下がったマジメが黒馬に張り付くのは簡単だ。しかしそれは馬と向き合っていない状態でのことで、今は無理だ。

 まるで筋肉に力を込めるかのように、後ろ足を膨張させた黒馬を見逃さなかったマジメはすぐさま体の前に消火器を突き出した。馬に触れないことが一番良いのだが、あの動きを見せた馬から逃げることは難しい。

 予備動作のない、体当たり。

「小田原くん!」

 黒馬の動きに呼応して、セガワが慌てて防止にくるが間に合うとは思えない。視界の端に見えたセガワを視認出来たのはその一瞬だけで、あとの集中力は全て黒馬に注がれた。

 口元が引きつって、体が硬直した。

 たった一度、されどその一度であわや殺されかけたマジメの脳裏には、吐き気がするほど生々しく刻み込まれた一連の動きであった。

 今度こそ吹き飛ばされないように腰を落として踏ん張り、突き出した消火器が弾かれないようにがっしりと掴んだマジメは、できうる限り最善の体勢で馬の体当たりを受けた。

 だが、事前に察知出来た体当たりはマジメの予想を遥かに上回るほど強力で、あっさりと、そうあっさりと盾代わりの消火器がへし折られた。

 くの字に折れ曲がった消火器に驚くより先に、凄まじい衝撃がマジメを襲った。

 まるで巨大な手の平に打たれたかのような衝撃は、突っ張った足をものともせずにマジメを弾き飛ばした。

 内臓がひっくり返るような衝撃と、前後不覚になるほど激しく床を転がったマジメは、廊下の奥まで吹っ飛ばされて突き当たりにぶつかることでようやく止まった。

 全身の骨が砕けたかのような激痛だが、幸いにも動かないところはないようだ。

 思いのほか意識はしっかりしているものの、わずかに視界がかすんでいる。

 上下があやふやになった視界で黒馬の姿を探すと、ずいぶん離れた場所でセガワが応戦していた。

 その離れっぷりと言ったら思わず笑ってしまうほどで、一番最初に受けた体当たりは様子見の一撃だと理解した。

 床を転がっているうちに手放してしまった消火器が、折れたまま廊下の壁際に転がっているのを見つけた。あれではもう使い物にはならないだろう。そういえば、中身が入っていないのは何故なのだろうか。

 横たわった体を起こそうと両腕に力を入れてみるものの、震える腕は上手く機能しそうにない。

 そんな風に立ち上がれない自分にどこか安心していることに気づいて、マジメは全身が脱力するのを感じた。

 物理的に起き上がれない。だからあの馬に近づかずに済む。そう考えてしまった自分がひどく小さい人間に思えた。

 遠くで、セガワが戦っている。まだ体力も回復していないだろうに、何が彼を駆り立てるのだろうか。

 あのままセガワが馬の気を引かなければ馬はマジメにとどめを差していたはずだ。その隙に、逃げるなりなんなりすれば安全だったのに、とややふてくされたように呟いた。

 その感情はまるで子供だ。嫌いな人間に助けられて納得がいかないのである。その上、元々はマジメがセガワを助けようとしていたのだ。にもかかわらず立場は逆転してしまい、情けない自分への苛立ちも膨らんでいる。子供がすねている、というのが一番近い。

 だが、そうも言っていられないのが現状だ。

 一刻も早く消耗したセガワを助けにいかなければいけないのだが、内心とは別に体が動かない。体当たりを受けた衝撃が大きすぎたのだ。消火器越しとはいえ、直接受けたに近い腕は痺れたように痛むし、頼りなく震える足では歩けそうもない。

 それに、武器も壊れてしまった。

 一度目の体当たりを受け止めた際にはへこむだけで済んだのだが、あれはおそらくほんの小手調べだったのだろう。そうでもなければ鉄塊じみた消火器がへし折られることなどないはずである。

 ようやく元通りになった視界で武器になるものを探すものの、付近には何も見当たらない。流石に素手で立ち向かうのは無謀だ。

 その考えを、マジメは唾棄した。

 武器がないから、体が動かないから、そうした理由に、自分が動かない言い訳を探していたのだ。

 確かに確実性を求めるのは正しいことだ。戦略的撤退も時には必要であるし、無意味な特攻は何も生まない。だが、そこに逃げる理由をつけるのは間違っている。

 いや、ここで逃げるのもまた正しい一手だ。体勢を立て直してからもう一度挑むというのも、二度と遭遇しないように遠くに逃げるというのもまた間違いではない。

 しかし、セガワは、ヒイは、どうするんだ?

 なんのために戦おうと決めたのか。どうしてセガワを見捨てられなかったのか。そんなもの、自分が一番知っている。

 最初から、逃げるなんて選択肢は存在していないじゃないか。

 ただ勝つこと。黒馬を打ち倒し、セガワを助け、ヒイが静かに休めるように。

「……逃げずに、立ち向かえよ」

 ヒイの背中を見て、そう決めたはずだ。

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