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誰かが夢見るシロクロシティ  作者: 水島緑
ブルー・ブルー
13/92

12

 授業終了のチャイムが鳴り響くと同時に、教室は喧騒で溢れ返った。

 お手洗いに向かうものも入れば、弁当を持ち寄って早速昼食を摂る生徒もいる。マジメもその例に漏れず、クラスメイトに紛れて教室を出た。

 男子トイレから出た直後、何者かに体当たりされたマジメは危うく横倒する直前でなんとか持ち直し、混乱気味のまま強襲してきた人間を見た。

「お前……常磐。危ないだろ」

「ん? ああ、すまないハジメくん。ちょっと急いでいたんだ。さ、行こう!」

 言い終えるとアヤは有無を言わさずにマジメの腕を取ると、思い切り引っ張った。何がしたいんだ、と問いかけることも出来ず、マジメは仕方なく後をついていった。

 そうしてマジメが連れて来られたのは、飢えた生徒たちでごった返す購買だった。惣菜パンを中心に、菓子パンや作りたてのトーストなどなど、パン類を中心とした、別段変わった品揃えのない購買である。

 実のところ、東地高校に入学してから初めて購買に来たのだが、その熱気のすさまじさに尻込みしてしまった。何せ購買のレジ前にはもちろん、周囲の空間全てが人間で埋め尽くされているのだ。しかもそれぞれの眼光は鋭く、武力行使も厭わないといった雰囲気を纏っているのである。

 早い者が勝つ戦場と化したこの空間に、教師も生徒も、年功序列も関係はない。各々が己の腹のために店員に手を伸ばす様は、カルト宗教にのめり込んだ人間がごとき姿、或いはホラー映画に登場するゾンビたちが画面から飛び出してきたかのようである。

 心なしか、騒がしい生徒たちの声もゾンビの唸り声のように聞こえるのはその場の雰囲気に呑まれたからか。しかしそんなマジメを気にかけることもなく、彼の腕を引きながらずんずんと人混みを突き進んでいくアヤに迷いはない。

 一体こんなところになんのようだ、と考えて、昼食を買うためかと納得した。しかし彼女は入学当時から母親お手製の弁当を持っていたはずだ。つい昨日もその弁当を見たので、もしかしたら忘れたのかもしれない。

 しかし何故自分を連れてきたのだろうか? その疑問が顔に出ていたらしく、一度壁際で止まったアヤが言った。

「ハジメくんをつれてきたのは頼みたいことがあったんだよ」

「頼みたいこと?」

 おそらく、というか、十中八九買い物だろう。あの人混みを掻き分けてレジにまで辿り着くには、アヤの体格では厳しいものがある。

「うん、想像通りだよ。頼めるかな?」

「いや、現地にまで無理やり連れてきて何言ってんだよ……」

 有無を言わさず連れてきたのはこのためか、とアヤのしたたかさを遅まきながらに理解した。

 確かにこの光景を見てしまったら断るのは困難だ。いくらアヤとはいえ、この集団に飛び込んで掻き分けて、自分で買ってこい、と言うのは酷だろう。そしてそれを見越してアヤもマジメを連れてきたのだ。

 これだから頭の良い奴は困るんだ。口ではそうぼやきながらも断る気もないマジメはそのうち悪い人間に騙されてしまいそうだった。

「それで、何買うんだ?」

 代金はきっちり貰うぞ、と付け加えたマジメにいくらかの小銭を手渡したアヤは嬉しそうに顔をほころばせた。

「そう言ってくれると思ってたよハジメくん。私が欲しいのはただ一つ。イチゴオレンジブルーベリージャム入りハチミツクリームメロンパンだよ」

「えっと、なんだって?」

 耳を疑う前に、ほんの数文字しか聞き取れなかったマジメは眉を寄せた。

「やっぱり長いよ、この名前。でもこれが正式名称だから仕方がないんだよ。イチゴ、オレンジ、ブルーベリージャム入り、ハチミツクリームメロンパンだ」

 わかりやすいよう区切ってくれるのはありがたいが、いかんせんメロンパンの中に詰め込みすぎて順番を間違えてしまいそうである。

 更に、ここの購買はなかなかやっかいで、売り子のこだわりなのか商品名を正しく言わないと反応してくれないらしい。

 計三十一文字を一字一句間違えないようにしながら、あの飢えた獣のような群れの中に飛び込んで掻き分け、更には三十一文字もの羅列を正確に唱えなければいけないということになる。正直に言って無理だ。

 嫌そうな顔をしていたのがバレたのだろう。マジメを見て笑みを漏らしたアヤは提案した。

「というと?」

「ハジメくん、私の盾になってくれるかい?」

「はい?」

 つまりこういうことだ。

 天才少女アヤの提案は、もの凄く簡単なものだった。

 あの生徒の群れを突破してくれ、彼女はそれだけを言った。アヤ自身はマジメの背中にくっついてはぐれないようにしつつ、最前列に並んだと同時に例の三十一文字を唱えるのだ。

「なるほど、それなら確かに出来そうだ」

 とはいえ、油断してしまえばあっさりと弾き飛ばされてしまうだろう。そんな気迫が目の前の集団には存在していた。

 あれはもはや戦場だ。学生には似つかわしくない戦場。しかし誰もが己が食欲を満たすためにその手を伸ばしている。そこに果敢に挑もうとしている友人がいるのならば協力しても良い。なにせつい昨日、もう少しアヤには優しくしようと思ったばかりだ。

「わかった。はぐれないようにな」

「ハジメくん……っ!」

 感極まったようにマジメの背中に抱きついた、わけではなく、作戦上そうせねば最前列には辿り着けないということで、彼女はがっしりとマジメの肩を掴んで体を密着させた。

 慣れない柔らかい感触が背中に寄りかかり、わずかに緊張するものの、マジメはしっかりと前を見据えて一歩を踏み出した。

 眼前には無数に蠢く亡者のような生徒たち。その狂気じみた姿に腰が引けるがここを超えない限り勝利はない。

 深呼吸を繰り返し、いざいかん。

 肩を割り込ませる形で集団に食い込んだマジメはそのまま強引に体を滑らせると上手く集団の中に入り込んだ。その途端に、外から眺めていたときとは比べものにならないほどの熱気が二人を襲い、背中越しを様子を窺っていたアヤは亀のように顔を引っ込めた。

 思わず首をすくめてしまうような激しい罵倒と怒号も、肉の壁に食い込んだ今ははっきりと聞こえる。

 なんというか、弁当持ってこいよ、そう思わざるを得ないほど必死だ。マジメのように、登校中に近くのコンビニで買うことはできないのか、と声を大にして問いただしたかった。

 強引に歩を進めていくが、周囲の生徒たちも先は譲らんと二人を阻む。こんなときだけは貧弱そうな女子生徒もとんでもないパワーを出すのだから驚きだ。背後に陣取ったマジメを睨んで威嚇する女子生徒に思わず足を止めた。

 しかしマジメも大人しく引くことは出来ない。友人の頼みの一つも聞けないのでは男ではない、と心を鬼にして女子生徒をどけようした。しかしそれよりも前に、マジメの後ろから腕が伸びた。ひょっこりと顔を出したアヤが無邪気な笑顔を女子生徒に向けると、彼女は戸惑った様子を見せた。

 次の瞬間、にっこりと笑顔を浮かべたままアヤは女子生徒のスカートとつまむと、思い切り捲り上げた。

 マジメの周囲に盛る熱気は一瞬で凍りつき、付近の生徒、特に男子生徒はガッチガチに固まっていた。

 なんてことだ。咄嗟に顔を逸らしたためマジメは見ていないが、スカートを捲り上げられた女子生徒と、スカートの中をもろに見てしまった男子生徒たちは揃って顔を真っ赤にした。直後、女子生徒は悲鳴を上げて未だスカートをつまみ上げたままのアヤの指を払うと、一目散に集団から逃げ出した。

 声を上げて大泣きしている様子だったがマジメにはどうすることも出来ず、アヤはまったく悪びれた様子もなく舌をべっと出すとまたしてもマジメの背中に引っ込んだ。

 マジメの周囲だけが、熱狂の渦から外れていた。悲劇の女子生徒と、思わぬ役得を手に入れた若者たちは今にも鼻血を流さんばかりに顔を赤く染め、硬直している。彼らはもう満足に動けないだろう。後から来た猛獣に弾き飛ばされてしまうに違いない。せっかく集団に取り付いたのに、哀れだ。

 彼らの無念を叶えるにはなんとしてでもそのイチゴオレンジブルーベリージャム入りハチミツクリームメロンパンを手に入れなければ供養にもなるまい。

 と、勝手に思ったマジメは背中にアヤをくっつけたまま、台風の目として飛び込むのだった。



◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎



 目の前の障害を押しのけ、あるいは引き剥がし、割り込ませ、そうして前に進んでいくマジメはこの戦場がいかに危険な場所か改めて理解した。

 彼ら腹をすかした獣たちはまったく容赦がない。眼力での威嚇はもちろん、体を使った妨害、手足を使った攻撃、ありとあらゆる手段で先へはいかせまいとマジメたちを阻んでくる。しかし二人も負けてはいなかった。

 いや、二人というのは適切ではない。ほとんどアヤの手柄だろう。

 彼女はマジメの足が止まる度にひょっこりと背中から顔を出し、様子を窺ってはマジメが足を止める原因を取っ払ってくれていた。その手口は非常に非情で情け容赦なく、残忍かつ狡猾なものであった。

 体格の優れた男子が立ちはだかれば、彼の学生服のベルトを抜き去りズボンを降ろして悪趣味なパンツを衆目に晒し、またあるときは男の象徴かつ弱点を躊躇いなく蹴り上げるなど、マジメはいつアヤが間違えて自分にその毒牙を向けてこないか、内股になりつつ、背筋を凍らせていた。

 しかしそれだけではない。

 アヤは同性にも、いや同性だからこそ、まったく手加減しなかった。

 マジメの前に立ちふさがる影が女子ならば、まずはその人それぞれの大きさの胸部を鷲掴みにする。驚いて逃げ出せば労せずに前に進めるし、逃げなかったとしてもまだまだ始まったばかりなのだ。ここからが本番である。

 女子生徒の胸をおもむろに掴んだアヤは、にんまりと嫌らしい笑みを浮かべるとそのたわわな果実、あるいはつまむので精一杯な大きさの胸を激しく揉みしだいた。

 まったく加減せず、わざと形がわかるように揉むものだがら彼女たちの胸は大衆の目に晒されたままアヤの手によって卑猥に形を変えた。副次的効果として、それを目撃した大抵の男子生徒はノックアウト出来るし、アヤの胸揉み攻撃に耐えきれる女子生徒も今まで存在しなかった。

 その容赦のない手腕は男子にも女子にも驚異的であり、またマジメにも怯えを植え付けるほどのものだった。

 とはいえ、彼女の助力がなければここまで足を進められることもなく、その点だけでいえば、彼女もマジメにだけ任せきりにするつもりはないらしい。

 そうやって分担しながら、ようやく集団の半分ほどにまで食らいつくことが出来た。

 だが、真の戦場はここからだったのである。

 先ほどまでの戦いはいわば前座。集団の外側で立ち往生している生徒たちは元から敵ではなかったのだ。真の敵は集団の真ん中辺り、それも昼休みが始まってからその位置をキープしている猛者たちである。

 彼らはもはや手負いの熊と呼んだ方が語弊がない。

 レジまで後少し、しかし腹は減っている。そんな彼らはなにふりかまわず前を目指し、後ろから迫る獣たちをあっさりと弾き飛ばすと注文している途中だったひょろ長い男子生徒を押し込めて我先にと争い始めたのである。

 その凶暴性に息を飲んだマジメは、危うく雰囲気に呑まれてしまいそうだったが、それを察知したアヤが後頭部をぺしりと叩いで防止した。

「こらハジメくん、まだ半分だよ。キミにもイチコオレンジブルーベリージャム入りハチミツクリームメロンパンを奢ってあげるからもうちょっとだけ頑張ってくれないか?」

「あ、ああ。そうだな」

 持参した弁当がある、とは言いづらかった。だが、アヤが奢ってくるいうのなら期待しても良いだろう。その期待をパワーに変換して、マジメは目の前の男子生徒を引き剥がしたのだった。

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