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 昼休み。涼は中庭にある自販機前のベンチで、あの男を待っていた。どかっと腰掛け腕と脚を組み、その表情は静かに怒りに燃えていた。


 やみたての雨が残していった水溜りが、涼の横顔を映す。


 そこに、一人の男が現れた。


「ごめんね、待ったかな?」


 その人物は高時祐真だった。


 涼は高時が現れたのを見つけると、すぐに腰をあげて彼の目の前に仁王立ちになる。


挿絵(By みてみん)


 男性としても長身な部類に入る祐真に、涼はほとんど同じ目線で渡り合っていた。身長も、そして体格もほぼ変わらない。


「片岡 涼さんだったよね? 3年2組の。僕に用があるってクラスメイトから伝言を聞いたけど、何かな?」


 祐真は突然自分を呼び出した初対面の涼を目の前にしても、戸惑った様子はなく落ち着いて言葉を発していた。


 そこに涼が一喝する。


「あたしはてめえと馴れ合うに呼び出したわけじゃねえ」


 祐真は驚いたように小首を傾げた。


「すごい口調だね、いつもそんな喋り方なの?」


 涼は祐真の言葉をなぎ払い、自分の話を続けた。


「余計なお喋りしてんじゃねえよ。今朝てめえがしたこと、覚えてんだろうな?」


 自分が何を言っても無視されると悟ったのか、祐真は肩をすくめた。


「さあ。なんだろうね。僕と君が話すのは、今日が初めてじゃないかい?」


 涼はその“僕”だの“君”だのキザったらしい言葉の持つ響きに、気持ち悪くて鳥肌が立ちそうだった。


 祐真を睨み付けると、言葉を続ける。


「あたしじゃなくて、他の女子生徒に酷い扱いをしたろ?」


 涼が問い詰めると、祐真は唇を皿型に曲げて笑んだ。


「僕の周りには結構女の子が居てね。よく覚えてないや」


 その言葉に涼は激昂しそうになる。なんとか己を抑えたのは、こんな下らない男にキレてどうするという思いだった。


「あたしのルームメイトの吉瀬 麻穂が、昨日てめえに世話になったらしいな。それを礼に行ったら他人のふりをされたって言ってるが、どういうことだ?」


「ああ、麻穂ちゃんか」


 涼が柳眉を逆立てて言うも、祐真は相変わらず涼しい顔だ。


 涼は祐真が「麻穂ちゃん」と呼んでいることに、反射的に「気持ちわりい!」と言ってしまいそうになる。しかしぐっと飲み込んだ。


「でも、これって僕と麻穂ちゃんの問題であって、涼ちゃんは関係ないことだよね?」


「涼ちゃん……?!」


 声が裏返りそうになる。涼は一瞬で青ざめた。


 先ほど「気持ち悪い」とハッキリ告げておけばよかったと、心の底から後悔する。クラスメイトですら呼ばない恥ずかしい呼ばれ方に、涼は怒りに拳を震わせた。


「おい、二度とその口でそんな呼び方するんじゃねえぞ」


「恥ずかしがりやだね。可愛い名前なのに」


 祐真がにっこりと微笑むと、涼はいよいよ何かが切れそうになるのを必死に抑えた。


「涼ちゃんは麻穂ちゃんとはルームメイトなんだ。それは仲良しのはずだよね」


「歯ァ食いしばれ!」


 涼は己の拳を祐真に振り上げる。


 しかし祐真は、その拳を手のひらで受け止めてしまった。涼からの力を、すんでのところで受け流す。


 我に返って冷静になった涼は、思わず「やりすぎた!」と焦る。


 変わらず祐真は笑みを浮かべていたが、少し困ったような表情をしていた。


「びっくりしたなぁ。女の子から殴られそうになるとは思わなかったよ」


「て、てめえが気持ち悪いことばっか言ってるからだろ」


 涼は戸惑いながらそう返す。


 涼は祐真が相当喧嘩なれしていることを拳で感じた。そして今の自分の一撃により、男だということがばれないかというのが心配だった。拳を作れば、自分の手はさらに固くなる。


「もしまたそう呼んだら、次は一発じゃ済まねえからな」


 内心はドキドキしながらも、涼は強気にそう言い放った。


「分かったよ、"片岡さん”」


 祐真はそれを強調するように呼んだ。


「それと……麻穂のことは、あいつが許してもあたしが許せねえ」


 涼はキッと祐真を睨みつけた。


「麻穂ちゃん、泣いてた?」


 何も感じていなさそうな瞳で、祐真がたずねる。


「ご期待通り泣いてたよ。何でもてめえの思い通りか」


「思い通りってことはないけど、素直で可愛いね、麻穂ちゃんって」


 涼は「麻穂はこんな奴と婚約すべきではない」と強く思った。そして諦めたようにため息をつき、口を開く。


「分かったよ。てめえなんかに謝れって言ったあたしが馬鹿だった」


 そう言って祐真に人差し指を立てた。


「金輪際、麻穂に近づくな」


 祐真は肩をすくめた。


「おやおや、怖いね。もし近づいたら、片岡さんが飛んできて殴られでもするのかな?」


「あたしは本気で言ってるんだ。いいな?」


 ふざけて言葉をかわそうとする祐真に、涼は釘を刺す。祐真は仕方なさそうに、


「分かったよ」


 と了承した。


 用はもうない、と涼が足早に去ろうとするのを呼び止め、祐真は一言添えた。


「麻穂ちゃんによろしく」


「誰が伝えるか」


 涼はぶっきらぼうに言い捨て、その場を去った。


 雲の敷き詰められた空から、ようやく太陽が覗いた時のことだった。




 放課後。涼と麻穂は共に帰路についていた。


「ごめんね、涼。私の敵討ちみたいなことをさせちゃって……」


「いいんだよ、あたしが勝手にやったんだから」


 朝に使われた傘は畳まれて、それぞれの腕にかかっている。


 夕日が二人の背中を照らしていた。


「にしてもお前は、ほんっとやな奴を婚約者にさせられたもんだな」


 涼がため息混じりに哀れみの言葉を口にする。


「ホントにね」


 麻穂は自嘲するようにそう言ったあと、彼を見上げてお礼を口にした。


「でも、涼が私のために一生懸命になってくれて嬉しいかった。ありがとう」


 改めて彼女にそういわれて恥ずかしくなった涼は、ぷいと顔を背けて素っ気無い言葉を返す。


「別に、あの男のやり方が気に食わなかっただけだよ」


 そっか、と指先で頬を掻く麻穂。


 涼は内心で、麻穂の言葉を素直に受け入れられなかった自分を反省していた。


 下校する女子生徒たちがぽつぽつとおり、同じ方向へ向かって歩いていく。中等部女子寮のある方向へ向かって。


 そのうちの一人の女子生徒が、涼の背中を叩いて声をかけた。


「涼っ!」


 涼は振り向いて、背の低い彼女を見下ろした。


「みさき。何だ?」


 みさきと呼ばれた少女は、にやにやと口元に笑みを浮かべていた。


 涼が不審がって眉間にしわを刻む。


「なんだよ、気持ちわりいな」


 みさきは麻穂に目もくれず、涼を意味深長に見つめてこう言った。


「興味ないふりして、やる時はなかなかやるじゃない」


 涼はいよいよ意味が分からなくなって、彼女にぐいと顔を寄せた。


「おい、あたしにも分かるように説明しろよ」


「またまたぁ。本人が一番分かってるんじゃないの?」


 まだ言葉を選ぶみさきに、涼はまるでやくざのようなを形相で凄む。


「怖い顔しないでよ、もうっ。今日のお昼休みに、高時くんを中庭に呼び出したんでしょ!」


「はぁ?」


 涼は彼女が何を言っているのか全く分からないと、首を傾げた。


 彼の隣に立つ麻穂は、不安げに涼の顔を見上げる。


 みさきはにっこり微笑んで話を続けた。


「うちのクラス3年3組と、高時くんのクラス3年3組じゃもう話題持ち切りだよ。あの片岡 涼がようやく恋に目覚めたと思ったら、その相手は学校のリーダー高時 祐真なんだもん!」


 彼女の言葉に、涼は眉根を寄せたまま固まってしまった。


 麻穂は何も言えずにまばたきをしている。


 二人の空気が完全に止まったのを感じ取って、みさきは訝しげに尋ねる。


「どしたの……?」


 先に我に返った麻穂が、涼の腕をゆすった。


「涼!」


「あ、あぁん? 馬鹿野郎、そんな妄想どこで聞いてきた?!」


 すぐにスイッチが入った涼は、いつもの調子でみさきをまくしたてた。


「どこでって、皆知ってるよ。男子も知ってるんじゃないかな」


「そんな……」


 麻穂が口元に手をやって、小さな悲鳴を漏らす。


 涼はみさきに対し、力んで主張した。


「いいか、あたしはあんなキモイ男願い下げだからな! 誤解してるやつがいたら言っとけ!」


 それを聞くと、みさきは残念そうに口を尖らせた。


「えぇ~、じゃあガセなんだ。残念っ」


「残念っ、じゃねえよ。あたしも高時も否定するっつーの!」


「でもこういうのって否定すればするほど誤解って広がるもんだよね」


 にこやかにそう言ってのけるみさきに、涼はもう一度鬼の形相で睨み付けた。


 寮に帰ると、その噂が広まっていることがすぐに身をもって理解できた。


 ただでさえ人気者の涼は、いたるところで友達に話しかけられ、その話題を振られては火消しに必死になるのだった。その噂の勢いといったら、食堂のおばちゃんにまで冷やかされるレベルだった。


 涼は食堂から帰ると部屋のシャワーを浴びて、大浴場へ行った麻穂の帰りを待っていた。


 塗れた髪もそのままに、じっと考え込んでいた。


「屈辱だ」


 声に出してみると尚更悔しくて、涼は空中に拳を突き出した。


(俺は男だぞ? 男と噂になって嬉しいことなんて一つもねぇよ!)


 あの時拳を繰り出した勢いで殴り合いの喧嘩でもしてくればよかったと、涼は舌打ちした。


「ったく、ホモじゃねえんだから……」


「ただいまー」


 涼がつぶやくのと同時に、麻穂が部屋に戻ってきた。湯上りしたてで髪は湿気を帯び、頬は紅潮していた。


「ホモがどうしたの?」


 苦笑いしながら麻穂が尋ねると、涼は「なんでもねーよ」とごまかし、濡れた長い髪をタオルでわしゃわしゃと拭いだした。


 麻穂は彼の仕草を見つめながら、自分の椅子に座った。


「ねえ、髪いつから伸ばしてるの?」


「小5。この仕事が決まってから伸ばして始めて、実に五年も伸ばしてることになるな」


「髪、長くてきれいだよね」


 麻穂はそう言って微笑んだ。


 涼はそっぽを向いて、


「嬉しくねえよ」


 と拗ねてみせたが、顔が少し赤かった。昼間と同じように、涼は麻穂の言葉を素直に受け取れない。


 そんなことには気づかずに、麻穂は話を変えた。


「今日は変な誤解が生まれちゃったけど……涼が私のために行動してくれてそうなった結果だから、私も噂を消すのに尽力するよ」


 涼は虚空を見つめながら髪を乾かしていたが、噂のことを思い出し表情を険しくした。


「ああ、頼むよ。あいつとあんな誤解されたままじゃ、俺の人生最大の屈辱だ」


 涼は、部屋の中では自分のことを「俺」と呼ぶ。精神的に切り替えをしているようだった。


 風呂上がりでも相変わらず、偽の乳を形成するブラジャーをはずしていなかったが、心はリラックスして男に戻っているのだろう。


 麻穂はそんな涼を見ていると、たまに男の子らしく見える瞬間があって一瞬ドキッとする。最初に涼と女子同士として過ごした時の印象が強くて、彼を女の子としてみている自分がいるのため、そのギャップに違和感を覚えるのだろう。


 涼は自分の右手を見つめる。祐真に殴りかかった手で、固く拳を作る。


「あの野郎、殴ってやればよかった」

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