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 いつもなら知らない電話番号など絶対に出ないのだけれど。


 もしかしてと思い、怖いながらも通話ボタンを押してしまう。


「……はい」


「あ、麻穂? 俺」


 電話越しに聞こえてくる、数千キロ遠くにいる大好きな人の声。ずっと聞きたかったその声に、頭と体が反応するのが一瞬遅れてしまった。


「聞こえてるか?」


「あっ、うん! 涼、久しぶり……」


 彼との久々の時間の共有が飛び上がるほど嬉しいけれど、それを悟られるのが恥ずかしくて、妙に冷静ぶってしまう。


「なかなか連絡できなくてごめんな。やっと携帯持てたよ。しかもこれ、園山が負担してくれてんだぜ。『これからのお前の誕生日祝い、お年玉、クリスマス、入学・卒業祝い、成人祝い、全部無しにして、それでも足りなきゃ働くようになったとき更にそこから取り立てるから、気にせず使え』って、悪魔の笑顔で言われてな」


 園山らしいセリフに、麻穂は思わず笑ってしまう。


 そう言って園山は、涼が受け取りやすいように、使いやすいようにしてあげたのだろう。たぶん、本当にお金を取り立てることなんてしないんじゃないかな、と麻穂は思う。


「あ。いつも手紙くれてありがとな。メールできなくて悪かったな」


「ううん。忙しいのにいつもお返事ありがとう。ほんとは涼、お手紙書くの苦手なんだよね?」


「いや、別に苦手じゃないけど、ただ……」


「ただ?」


「届くたび、すっげー母さんに冷やかされるのがクソ恥ずかしい」


 電話先で彼の耳が赤く染まっている様子が手に取るように分かって、麻穂は思わずぷっとふきだしてしまう。


 こんな風に他愛もない話をするなんて、どのくらいぶりだろう。


 久しぶりなのに、昨日もこんな感じで話していたかのように、楽しく話せる。


 何でもいいから話し続けていたくて、麻穂は当たり障りのない話題を振る。


「そっちは……どう? 寒い? こっちは少し暖かくなってきたんだけど」


「寒いよ。雪は例年以上にすげえし」


「あ、すごい大雪らしいね。天気予報、見てるよ」


「ああ。三年ぶりに田舎に帰って久しぶりだったからすごく感じるのかと思ったら、ずっと北海道に住んでる父さんもびっくりするレベルだって」


 そこまで話してから、涼は「ん?」と思う。


「にしても……そっちで俺んちらへんの天気予報なんて、詳しくやってんの?」


「東京のはほら、全国の予報、細かくやるから……」


 そうごまかしたけれど、実際は毎日涼の家の近くの天気予報を調べてしまう自分がいたりして。涼のいるところはいま、晴れてるのかなとか、雨が降ってるのかなとか。まるでストーカーみたいだなと自分でも思ってしまう。


 そこまで話してから、少しだけ二人の間に緊張感を伴った沈黙がおとずれる。


 麻穂も分かっている。今日が何の日なのか。なぜ彼が、電話をかけてきたのか。


「……でさ。今、手元に封筒が届いてるんだわ」


 改めて、涼が言う。


「これから開けるな」


 麻穂は「うん」と答えたつもりだったのに、予想以上に緊張しているようで、喉につかえて上手に出てこなかった。


 急に、手に湿り気を感じる。つばがうまく飲み込めなくて、だから“固唾を呑む”なんていうのかな、なんて実感してしまう。


 受験者本人の涼よりも、麻穂の方が緊張しているのではないかと思う。


 封筒の中身を確認している、カサカサと紙がすれるような音が電話越しに聞こえてくる。


 口から心臓が飛び出してしまいそう。


 涼からの言葉はまだない。


 どうしよう、どうしよう。信じていると言ってもこんなに緊張してしまうなんて。


 自分のこれからの幸運を全部あげてもいいからどうかお願いします、だなんて、見たことも信じたこともない神様にお願いしはじめてしまう。


 すると。


「……杉浦の高等部って、ピアス穴開けていいんだっけ?」


 合格でも不合格でもない言葉。


 麻穂が目をぱちくりさせていると。


「まあ、どっちでもいいか。麻穂からもらったイヤーカフがあるから」


 涼は自信たっぷりの声でそう言う。


「あの、それってどういう……」


「高等部の入学式につけていくよ」


 麻穂が喜びの声を上げようと、息を大きく吸い込んだとき。


「吉瀬さん。荷物はすべて運び終わりまして? わたくしもこれから持ってこようと思ってるんですけれど……」


 扉をノックし、麻穂のいる部屋に入ってくる人物が。


 麻穂は思わず、わたわたと慌てて携帯電話を背後に隠す。


 別に禁止されているわけではないので、そんなことをする必要などないのだけれど。とっさに。


「……あらっ? お電話中でしたのね。ごめんなさい」


 そう言ってそそくさ出て行ったのは、元・中等部女子寮長であり、麻穂と涼のクラスメイトだった如月雪乃だった。


 麻穂が今いる場所は、高等部女子寮。涼から電話がかかってきたとき、ちょうど荷物を運び込んでいたところだった。


 そしてなんと、高等部女子寮では雪乃と同室になることになったのだ。


「おーい、麻穂ー?」


 電話の向こうから、涼が呼ぶ声が漏れてくる。


 再び一人になった部屋で、麻穂は慌てて耳に携帯電話を当てる。


「あっ、ご、ごめんね! ちょっと今、新しい寮の部屋にいて、同室の子が……」


「聞こえてたよ。雪乃だろ。マジかよ」


 まさかの偶然に涼は笑ってしまう。


「でしょう? 私もびっくりしちゃった。でも、嬉しいな」


 麻穂も笑顔になる。


 二人がひとしきり笑い終わると、なんともいえない幸福に満ちた沈黙がおとずれる。


 さっきの緊張感など忘れ去ってしまうような、幸せな時間。


 涼がポツリと口にする。


「そういや俺、ちゃんと髪切ったんだ」


「うん。……早く、見たいな」


 熱を込めて、麻穂がそう口にすると、涼も同じ温度で応えてくれる。


「俺も。早く会いたい」


 当たり前のことだし、今までだってそうだったはずなのだけれど、電話越しに聞こえる彼の声は完璧に男の子のもので、麻穂の心をくすぐってしまう。


 涼が、戻ってくる。


 男の子として。


 泣きたいのか、笑いたいのか、喜びたいのか、もう分からなくて。


 涼との電話を終えたあと。有り余るエネルギーを放出したくて「うぅ……やったーっ!」と、がらにもなく飛び跳ねてみたら、ちょうど雪乃が入ってきてしまった。


 互いに目が点のまま見つめ合って、固まる二人が動き出せたのは、その十秒後だったという。

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