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 麻穂がいない、一人きりの休み。人が出払って静かな寮の部屋で、涼は考えていた。


 婚約破棄のことは祐真と麻穂に任せた。


 しかし、一番の問題が残っている。


 自分自身のことだ。


 女子生徒として正体を偽り、中等部女子寮で過ごす。


 杉浦学園の隠れた伝統として受け継がれているこの奇妙な制度は、涼で一体何人目になるのだろう。


 一時期、女子寮の風紀がひどく荒れた時期があったという。管理人の目を盗み、女子寮長の力も及ばなかったそう。


 今となっては誰が提案したのかも分からないが、そこで導入された、一見ムチャクチャなアイデア。


 女子だけで上手くいかないというのなら、女子のしがらみに縛られない人間を投入してみよう。


 それが大いに功を奏することになり、それから今に渡るまで、隠れた制度となっている。


 涼は、杉浦学園に教師として就職したいとこの園山からこの話を打診された。


 最初は何を言ってるんだと思った。


 だが、冷静になってよく考えると、この誘いを受けるのはとても良いことなのではないかと思えてきた。


 子供ながらに気をつかって、気づいていないふりをしていたけれど、その当時は特に両親が仕事で苦労しているのは分かっていた。サラリーマンなどでなく小さな町工場という自営業だから、特によく分かったのかもしれない。それに、そもそも園山が片岡家にその話を持ってきたのも、そういった事情を知っていたからなのかもしれない。


 都会の優秀な進学校で、学費・寮費・生活費を全て負担してくれる。中等部終了時には、地元の進学校への編入も便宜を図ってくれるということだった。


 親元を離れ、寂しさもあった。しかしそれ以上に、絶対に正体が発覚してはならないという緊張感に四六時中さらされた。


 体質的に、分かりやすい筋肉はつきにくいほうだったし、昔から女顔とは言われていたが、髪を伸ばして女子制服を着ているだけで、女としてまさかここまで隠し通せるとは、涼自身も驚いていることだった。


 それともうひとつ、拍子抜けしたことがある。女子寮の風紀がどうたら、という名目で投入されたはずなのに、肝心のそこは、とても和やかな場所だった。問題など起こりようもないような。


 一応、不定期に内部事情の報告をしたり、たまに話を聞くために呼び出されたりもするのだが、特に何も報告することがない。


 涼は杉浦学園にきてしばらくして、これが形骸化した制度だということを理解した。


 別に、それはそれで自分にとっては楽なことだからまったく構わなかったのだけれど。


 中等部まで女子寮で女子学生として生活したあとは、その女子生徒はいなかったことにされる。卒業アルバムにも、文集にも名前は載らない。涼もなるべく、後に残ってしまう写真やメールなどを避けていた。


 引き続き首都圏で暮らしていたのでは、気をつけていても万が一昔の同級生と遭遇し、気づかれてしまう危険性もある。その時はもう完全に男の姿に戻っているわけで、正体が発覚したら大変なことになる。


 だから、涼のように地方に実家があり、中等部卒業後には遠くの田舎に戻ってくれる人が適任だったのだろう。


 でも今は、それらの要因が涼の頭を悩ませていた。


 このまま麻穂の近くに、杉浦学園に居たい。


 しかし、もともと中等部が終われば姿を消すという約束だ。


 なら、杉浦学園を退学した後、勝手に東京で暮らすか。


 それも無理だ。実家の経済状況を考えて、こうしてやってきたというのに。高校生の息子を東京で一人暮らしさせて、しかも学校まで通わせられる財力など、涼の家にはない。金銭的問題は、子どもの自分には今はどうにもできない。


 考えても考えても、良い案は浮かばない。


 もうこのままどうにもならないんじゃないかと、弱気になりそうな気持ちも、ないと言ったら嘘になる。


 そんな時。


「ただいま、涼」


 思っていたよりも早く、家に帰っていた麻穂が戻ってきた。外が寒かったためか、頬や指先が赤みを帯びている。


 涼は考えながら寝そべらせていた体を起こす。


「おかえり。どうだった、約半年ぶりの実家は?」


 寮を出るときかなり緊張していた様子だったので、涼はずっと彼女のことを心配していたのだ。


「うん……。どうなるかと思ってたんだけど……本当に、普通って感じだった」


 そう答える麻穂は、行く前に比べ、肩の力が良い感じで抜けている。


 コートやマフラーを脱ぎながら、ぽつぽつと涼の問いに答えていく。


「普通?」


「……私、勝手に一人で考えすぎてたのかな。私が何を考えてるのかお父さんとお母さんが知らなかったように、お父さんとお母さんも私が何を考えてるのか知らなかったんだよね。私が何も言わなかったから……」


 麻穂が両親に自分の思っていることを打ち明けると、二人は真剣に話を聞いてくれた。時々つかえたり、話が前後したりしても、口を挟むことなく、最後まで黙って聞いていた。


 私はこうしたい、だからこうしてほしいと、麻穂が両親に対してしっかり主張するのは、彼女が覚えている限りきっとこれが初めてのことだった。


 怒られるかも、というよりも、両親に困った顔をさせてしまったらどうしよう、と心配していた。


 でも、実際はどちらにもならなかった。


「『麻穂がそうしたいなら、協力するよ』って、言ってくれた」


 少し口元をほほえませながら、話したことのすべてを涼に説明する。


 思いかえせば、祖父に杉浦学園への転入を希望したときだって、両親は理由も聞かず麻穂の気持ちを尊重してくれたのだ。麻穂が自分でよく考えて出した結論なら、と。


 ほんのりと、満たされたような空気をまとっている彼女に、涼は「良かったな」と優しげに目を細める。


「あ、それでね……」


 麻穂が真剣な面持ちで切り出したのは。


「お父さんとお母さんとちゃんと話したら、おじいちゃんから聞いてた話と、違うところがあったの。それがね――」


 その”理事長が言っていた話”と違ったという事実の詳細を聞くと、涼は目を丸くする。


「……え? そうだったのか?」


「うん。本当はどうだったのか、詳しい話も聞いた。自分のお父さんとお母さんのことだったから、ちょっぴり恥ずかしかったけど……」


 気まずそうに視線を逸らす麻穂に、涼も「気持ちは分かる」と苦笑する。


 話を聞いて、涼は理事長が本当は何がしたいのか、分からなくなってきた。


 でも、婚約の件に関しては突破口が見えてきた気がする。


 それに何より、高時祐真が本気で動いてくれるというのだ。いけ好かないやつだが、彼に任せたらきっと大丈夫と思えるのも事実だった。


 どこを見つめるでもなく黙って考え込んでいる様子の涼の顔を、不安げな表情の麻穂が覗き込む。


「……涼? 大丈夫?」


「え?」


 ハッと顔を上げた涼と、近い距離で視線がぶつかる。


「いろいろ大変だから……一人で悩んでるのかなって思って」


 不安げに下がった両の眉。


「あんまり力にはなれないかもしれないけど……私にも、なんでも話してね」


 心配してくれる彼女を改めて近くで見て、涼はふとあることに気がついた。


「……麻穂、髪のびたよな」


 彼女が髪を切る前、前の学校の写真を思い出す。


「あ、うん。また伸ばそうと思って」


 それは涼が「長いのも良いな」と言ってくれたからなのだけれど、彼が覚えているか分からないから言うのはやめておいた。


 しかし、実は涼も同じことを考えていた。


「麻穂の髪があの写真くらい長くなったところ、見たいな」


 その言葉に込められた色々な思いに、見つめあう麻穂は「うん……」とだけ応える。


 どうなるかは分からないけれど、本当に心からそう思っている。


 と、しばらく見つめあったところで。


 何となくこの空気に耐え切れなくなって、涼がわざらしく咳払いをする。麻穂もハッと気づいて、距離を取る。


 二人が恋人同士になろうとなるまいと、変わることなく同室のままなわけで。


 同じ部屋で勉強するし、着替えもするし、身支度もするし、上段と下段だけれど同じベッドで眠る。


 なるべく意識しないように、普通にふるまうようにしないと、四六時中一緒にいる部屋の中でずっと緊張してしまう。


 彼氏彼女のような雰囲気になってしまうと、その後どうしていいかお互いまったく分からなくなって、ぎこちなくなってしまってとてもやりづらい。


 けれど。


 涼は思っていた。


 こうやって互いとの距離感に照れたり困ったりしている今も、このままではただ終わりが迫るのみだ。もう、こんなことではにかんだりすることすらも出来なくなるかもしれない。


 だから涼は言った。


「麻穂。俺さ……」


 改まった彼の口調に、麻穂は小首をかしげる。


 涼はまっすぐ彼女を見つめて、言う。


「どうにかして……ちゃんと男の姿で、麻穂と高校生になるから」


 打開策は何も思いついていないというのに、こうして言い切ってしまうと、根拠もなく出来そうな気がしてきてしまうのはなぜだろう。


 麻穂もきっと同じ気持ちなのだろう。心に巣食いそうになる不安を、同じく根拠のない希望で蹴散らして、ほほえんで深くうなずき返した。

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