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 新学期を明日に控えた前夜。生徒たちはみな寮に戻ってきている。


 それはもちろん、女子寮だけでなく男子寮も。


 男子寮長・高時祐真は、全員が無事に寮に戻ってきたことを確認し、寮の管理人と担当教員にそれを報告して、寮長特権である一人部屋に戻ってきたところだった。


 ふう、と一息つこうとしたところで、何かいつもと違う気配に鋭い感覚で気がつく。


 まさかと思い、いつかのようにカーテンで覆われた窓を開ける。


 そこには。


「よう。入れろよ」


 祐真に投げられたぶっきらぼうな言葉。


 さすがに驚いたが、そこは祐真のこと。すぐにいつものほほえみをたたえる。


「……嬉しくない窓からの来客だね」


 暗闇にまぎれて、女子制服姿の涼が、そこにいた。


 サラリと背中に流れる髪。スカートから伸びる長い足。女性のようにきめの整った白い肌。


 いつかの麻穂のように手を貸す必要など全く無く、涼は革靴を脱ぐとひょいと窓の桟を飛び越えた。


 祐真はあわてることなく、まるで空気の入れ替えをした後のように普通に、窓を閉める。


「僕の部屋にはよくかわいい女の子が忍び込んでくるなぁ」


 のほほんとそう言いながら、勝手に床に座った涼の向かいに腰を下ろす。


 涼は「よく言うぜ」と引きつり笑いを浮かべるしかない。そんな涼はしっかりあぐらを組んでいた。


「で? 君がわざわざ僕に会いに来るってことは、麻穂ちゃんとようやく両思いになれたんだ?」


 何と切り出そうか悩んでいた涼の苦労を一瞬で無駄にする、祐真の直球。


「……お前、なんとも思ってないのか?」


 涼は二つの意味で、祐真に問いかけた。


 祐真は不敵に笑う。


「その質問が『麻穂ちゃんのことは諦めがついたのか』という意味だとしたら、今は順番待ちをしている状態だから、君たちが付き合ってくれてよかった。あとは別れるのを待つだけだから。そして『女同士で付き合うというのを不思議に思わないのか』という意味なら、僕は男の部屋であぐらをかく人を女の子とカウントしない」


 どこからつっこんでいいやら分からなすぎて、涼は「めんどくせーやつ……」と視線を逸らすだけにとどめた。


 祐真は涼に「君は男だ」とはっきり指摘したことはない。涼も祐真に正体を告白したことはない。でも、涼も以前から彼に正体がばれていることは感じていたし、いつか夜の公園で二人で話したときは「俺」という一人称を使って、男として話した。


 部屋の外の廊下を、男子生徒たちが通り過ぎていく声がする。


 それを聞きながら、涼はここが男子寮であることを改めて感じる。自分がいるべき本来の場所。


 でもそもそもここは、女の姿でなければたどりつくことはなかった学園だ。


「それで、僕に何の用なのかな。まさか、僕に二人のラブラブっぷりをただ報告しにきただけってわけじゃないよね」


 いつものようにうっすらほほえみを浮かべ、茶化すようなセリフだが、その目は真剣だ。


 涼は、祐真の独特の言い回しに文句をつけることはもはや諦めていた。


 そして涼も真剣に口を開く。


「麻穂とお前の婚約のことだ」


 やはりそのことだったかと、驚くようなそぶりも見せず祐真は話を聞いている。


「もちろん、俺自身にも解決しなきゃならない問題は山積してる。でも、婚約のことに関しては、完全に部外者の俺にはどうにもできない。だからお前に言いに来た」


 そう言われて祐真は、少し考え込むように視線を落とす。


「真剣に、向き合ってほしい。俺からの頼みだ」


 まっすぐ眼差しを視線を向ける涼。


「真剣に、ね……」


 そうつぶやくと視線を持ち上げた祐真は、少しだけ表情をゆるめた。


 以前の祐真では見ることの出来なかった、たぶん本当の表情。


「そうだね。僕も、麻穂ちゃんから自分と向き合う勇気をもらったから」


 何かを観念したかのように笑って、言った。


「分かったよ。君が一歩踏み出したように、僕も本気を出して踏み出さないといけない」


 祐真が応じてくれたことに安堵して、思わずため息をもらす涼。


「ん? そのため息は、僕が応じてくれないと思って心配していたからかな?」


 皮肉めいたことを言う祐真に、思わぬ答えが返される。


「いや。お前が本気で受けてくれんなら絶対大丈夫だろうから、任せられて安心だと思って出たため息だよ」


 面食らう祐真に、涼はしてやったりの顔だ。


 自分にやり返せる人間など、これまでいただろうか。


 祐真も自然と笑みが浮かぶのを感じていた。


 と、その時。


「高時~っ。冬休みの宿題なんもやってなくてピンチ! とりあえずノート全部貸して~!」


 と言う間延びした声が、廊下から投げかけられた。


 涼はビクッとして反射的に立ち上がったが、寮の各部屋にはちゃんと鍵があることを思い出した。


 しかし、そこで高時の一言。


「あ、鍵かけるの忘れてた」


「えっ?!」


 村木の手で、ドアが開かれた時。


 そのコンマ何秒かの間に、祐真は素早く涼を床に押し倒した。


 はじめは手首だけをつかみ取ったのだが、涼が反射的に踏ん張った力が予想以上に強かったために、足を引っ掛けて肩ごと床に押し付けてしまう。さすが体術の心得がある祐真、男の子としても背の高い涼をあっというまに組み伏せてしまった。


 あっさりと床に叩きつけられた涼は驚いて何を言うことも出来なかった。とっさに受身が出たからいいものの、あとわずかでも遅れていたらもろに頭に衝撃を食らっていただろう。子どもの頃から園山の不意打ち攻撃に鍛えられてきただけはある。


 涼が余計なことを口走ってしまわないように口を押さえ、彼の顔が見えないように馬乗りになった祐真の姿は、まるで男が女を強引に押し倒した時のそれだった。


「……あぁ?! た、高時……」


 とんでもない光景が目に飛び込んできて、村木の言葉が詰まる。


 涼の長い髪が床に乱れている。村木からしたら、どう見てもその姿は女性にしか見えない。


「お、お取り込み中、だったのね……」


 わずかも想像できなかった部屋の中の状況。気まずさと驚愕で顔色を青くした村木は、そろそろと後ずさり、ドアをしめようとする。


 祐真は振り返ってニコリとほほえむと、村木に言った。


「このことは秘密にしてね。三つ先の駅の私立高校に通う17歳の恋人、神原有美さんがたまにこの寮にこっそり遊びに来ていることを、僕は知っているよ」


 すらすらと祐真の口から出てくる情報。その笑顔は『僕は他にもいろいろ知っているよ』というオーラをにじませていた。変な脅迫よりも、誰も知らないはずの事実を淡々と述べられる方がよほど威力があった。


 村木は目を白黒させている。彼女を部屋に入れていたことに気づかれていたこともだが、彼女のプロフィールを把握していることにも、不気味に近いショックを受けていた。


 祐真には、逆らえない。そう思わされた瞬間だった。


「もっ、もちろん、俺と高時だけの秘密だよぉ……。じゃ、じゃあ、俺、学校指定のセーター買ってくるから!」


 ここから早く去りたいと焦るあまり、訳のわからない言い訳をしていなくなった村木。


 村木が叩きつけるように閉めたドアを施錠するため、祐真が「さてと」と淡々と立ち上がった時だった。


「おっ……お前! なんつーごまかし方してんだよ!」


 衝撃で裏返りそうになる声で、飛び上がった涼が怒鳴る。


 対して、あまり動じていない祐真は、唇の前に指を立てて「しぃ」と合図した。


「その声じゃ女子が忍び込んだとは思われないだろうけど、会話が隣に筒抜けになるかもしれないから、静かにね」


 涼は、そんなこと言ってる場合じゃないだろ、と言い返したかった。


「そんなに大騒ぎしないでよ。立場的に僕より君の方がリスキーだったんだからさ。とっさに機転を利かせたことを褒めてほしいくらいだよ。それとも何、逆に僕を押し倒したかった?」


「……お前、キャラが崩壊するくらい破天荒な行動をするようにになったな。女子寮より男子寮の方が風紀乱れまくってんじゃねえか……」


 何を言い返しても無駄だと思い、涼が不満げにつぶやく。


「つーか、抱擁に続き、押し倒すことまで男が初めての相手だなんて……」


 深く頭をかかえる涼に、祐真が信じられないとばかりに声を張る。


「えっ、麻穂ちゃんのこと一回も押し倒したりしたことないの?」


「は?! お前、何言って……」


「うわー、奥手にもほどがあるね。そんなんだから、麻穂ちゃんが自分が女の子として見られてないって悩んでたんじゃない? 自分の好きな女の子とずっと一緒の部屋で暮らしてて今まで何もないだなんて、そこまでくるともう理性が強いとかじゃなくて、ただのヘタレだよね」


 祐真の言葉の刃が止まらない。


「君、一回男子寮に入ったほうがいいよ。この思春期の貴重な三年間を同性と離れて過ごすあまりに、今時の男の子の考え方とずれてきてるんじゃない?」


「うるせえ! 俺は麻穂の嫌がることはしたくないだけだ!」


「キスもしないで何が『麻穂は渡さない』だよねぇ。笑っちゃう」


 いつかの涼のセリフを蒸し返して、祐真が肩をすくめる。


 負けじと涼も言い返す。


「お前こそ、そんな奴に負けてんじゃねえか」


「今のところはね。君だってフラれるかもしれないだろう?」


 終わらない応酬に言い返す気も起きない。口喧嘩に選手権みたいなものがあったらコイツがダントツだろうな、と涼は思う。


 それから。こんな機会はめったにないだろうから、涼は改めて気になっていたことを訊いた。


「ていうか……お前、なんで俺に何も聞かないんだ?」


 それは、どうして女装して女子寮にいるのか、ということ。わざわざ口にしなくても、祐真なら汲むだろうと分かっていた。


 祐真は自分が男だと分かったあとも、それを問い詰めるようなことも、事実を確認することもしなかった。自分がそうであると確信を持って分かっていればそれでいい、とばかりに。普通、なぜこんなことになっているのか気になったりしないのだろうか。


 涼はずっとそのことを不思議に思っていた。


 祐真は答える。


「僕が何を知っていようと、僕が何を訊いても君は僕に事情を話したりはしないだろう? なら、知っていようといまいと同じことだよ」


 複雑な言い回しで答えられたが、要するに「どうせ事情を話さないだろうから聞かないよ」、ということなのだろう。


「それと、特に何の理由を聞かず君に協力するのは、麻穂ちゃんのためでもある。君がいなくなったら彼女は悲しむだろう?」


 いつかの時のようにそう言う祐真。


「高時……」


「泣いてる女の子に取り入るのは趣味じゃないんだ。すごくラブラブでニコニコしているときにかっさらうほうが、実力で取った感じがしない?」


「……お前、一度マジで喧嘩してみるか?」


 涼はちょっとでも感動した自分が馬鹿みたいだと思った。

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