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 食堂が閉鎖され、唯一コンロが使える給湯室で、二人で年越しのためのそばを茹でた。


 涼はこれまで大晦日に何を食べるかなんて気にしたこともなかったが、麻穂が「年越しはやっぱりおそばを食べないと落ち着かない」というので、買ってきたのだ。


 食堂はあれだけ大きいのだけれど、普段あまり使われない給湯室はさほど広くなく、小ぢんまりとしたマンションのキッチン程度の広さ。


 そこで二人で横に並んで料理をしていると、麻穂としては色んなことを想像して、気持ちが浮ついてしまう。しかも、現在この寮にいるのは麻穂と涼の二人だけ。


 タタタタと軽快なリズムでネギやらほうれん草やらを刻んでいると、鍋を見守っていた涼が、


「はー。手際いいな、お前」


 と、隣から覗き込んでくる。彼の長い髪がサラリと肩をすべる。


「そ、そんなことないよ」


 びっくり半分、照れ半分。麻穂は赤くなった顔を見られないように、顔をうつむけたまま作業を続ける。


「いや。俺なんて調理実習で包丁握らせてもらえなかったからな。危ないからって」


「そうなの? 涼、なんでも器用そうなのに」


 自分がこの学園に来る前の話に、麻穂は思わず食いつく。


「料理関係はなぁ。実家でやる機会なかったし、今もないし。あの調理実習の時に麻穂がいたら、どんな手段を使っても同じ班になりたかったわ」


 そばの入った鍋をかき混ぜながら、本当に何の気なしに発せられた言葉。そんなことで麻穂はドキッとしてしまう。


 夜食を用意し終わると、涼の提案で、なんとロビーで食べることにした。


 一応ロビーには応接用の低いテーブルもあり、その目の前には大きなテレビがある。どのくらい大きいかというと、麻穂が横に立つとテレビの台座を含めてその肩くらいまで高さがある。


 応接用テーブルをまるでちゃぶ台のように使い、床にぺたっと座り込んで食べる。目の前には巨大なテレビ。涼はまるで自宅のそれであるかのようにリモコンをピッピッとあやつり、年末のスポーツ特番にチャンネルを合わせた。


「わー、大画面だとやっぱ違うな」


 感嘆の声を上げる涼の隣で、麻穂はキョロキョロと辺りをうかがっている。


「だ、大丈夫かな……。管理人さんとか、如月さんとかにバレたら絶対怒られるよ……?」


「管理人のおばさんは三日までお休みもらってるよ。寮長は……まあ大丈夫だろ」


 慣れた口ぶり。もしかしたら涼は毎年こんな風に、ロビーで一人自由に過ごしていたのかもしれない。


 まさかこんなところでご飯を食べる日が来るとは、と麻穂は、いつも食べているはずのおそばの味が正直あまり感じられなくなっていた。


 ロビーだけあって、とにかく広い。大きな階段もあれば、生徒たちの部屋が並ぶ廊下も見える。麻穂たちがいるテレビの反対側には、受付や玄関もある。


 ロビーの電気は煌々とついていて十分に明るいのだけれど、人の居ない上階へ続く階段や、麻穂たちが使わない通路は闇に落ちていて、その方向を見るとなんだか少し怖い。おまけに窓の向こうは塗りつぶされたように真っ黒。


 昼間は誰もいないことにはしゃいでいたけれど、夜は誰もいないことがこんなにも心細く感じられるなんて。


 涼は毎年こうして無人の寮を一人で過ごしてきたそうだが、もし自分なら怖くてとても耐えられないんじゃないかと麻穂は思う。


「……そば、美味いな」


「えっ?」


 考え込んでいた時にかけられた突然の言葉。


 麻穂は涼の顔を見つめる。


「何でわざわざ年末にそば食べるんだろって思ったけど、麻穂が作ってくれて良かったぜ」


 そう、少し照れ隠ししながら言う涼。


 お礼を素直に言うのが苦手な彼が、まっすぐ気持ちを伝えようと努力してくれているんだと分かって、麻穂は心臓のあたりがむずがゆくなる。


 涼に訊きたい。


 自分のことをどう思ってるのか。


 学園のこととか、女装して女子寮にいる事情とか、婚約のこととか、全部抜きにして。


 でも、一度たずねてしまったら、これまでのような関係ではいられなくなるような気がする。お互い表面上は今までどおりふるまえるかもしれないけれど、どこか作ったようなものになるのは間違いない。


 だけど、そうやってずっと先延ばしにしていたら、いずれ必ず別れが来てしまう。多分、もう二度と会えなくなってしまう別れが。


 涼はどう思っているのだろう。


 チラと隣を盗み見ると、食べるのに邪魔で、髪を適当に一本に結っている涼の横顔がある。


 周りのみんなは、彼が長い髪を下ろして太い首を隠し、女子制服を着ているだけで女の子と信じてしまうというのだから、本当に驚きだ。今の麻穂からすると、どう見ても男の子にしか見えないというのに。


「あ、スポーツ特番終わった。カウントダウン番組が始まるのか……」


 涼がリモコンをポチポチ操作しながらつぶやいている。


 近くの時計を確認すると、年をまたぐまであと30分。


「どこで年越ししよっか?」


 たずねながら麻穂が想定していたのは、ベタにここでこのまま大きなテレビを見ながら。逆に、いつもどおり自分たちの部屋で。もしかしたら涼なら寮の外に行こうなんて言いだすかも、と予想もしていた。


 しかし彼が提案したのは、麻穂の予想のどれとも違った。


「……いいとこ連れてってやろうか?」


 ニッと片方の口角を上げて笑う。


 想定外の答えすぎて、麻穂はパチパチとまばたきを繰り返すしかない。










「さむ……ジャンパーだけじゃなくてマフラーも持ってきて正解だったな」


「わあ。月がきれい」


 涼が言っていた”いい所”。それは寮の屋上のことだった。


 雲の無い濃紺の空はるか遠くに、場違いなくらい白い月が、小さくぽっかり浮かんでいる。


 麻穂はこの寮に屋上に通じる道があることを知らなかった。というか、屋上があることも知らなかった。


 どうして鍵を持っているのかたずねたら、「普段から管理人さんとは仲良くしておくものだぜ」とだけ、怪しい笑みを浮かべながら言われた。


 寒がりの麻穂はマフラーだけでなく、ジャンパーのフードをかぶって、手袋をして、完全防寒。本当は耳あてもしてきたかったくらいだ。


 フェンス越しに夜の街を見下ろすと、改めて「わぁ~」と声を上げる。


「涼、町が全部見えるよ!」


「さすがに駅前は夜中でも明るいな」


 はしゃぐ麻穂の隣に並んで、涼も同じ景色を眺める。


「クリスマスの頃に、駅前、一緒に歩いたよね」


 麻穂が少し前のことを懐かしむようにそう言うと、涼は皮肉っぽく笑って言葉を返す。


「お前が一人で寮を抜け出して、な。麻穂はいつからそんな規則破りの常習犯になったのか……」


「私が規則破りの常習犯になったとしたら、それは涼の影響だよ」


 言い返して、クスクス笑う。


 そう、本当に、麻穂はこの学校に来て、涼と関わって、変わった。自分でもそう思っている。


「そういえば、文化祭の時もこんな感じで空見てたよな」


「そうだったね。ほんのちょっと前のことなのに、なんだかもう懐かしいよ」


 二人はあごを上げて天を仰ぐ。


「麻穂がここにきて、まだたった数ヶ月だなんて思えないな……」


 ポツリとつぶやかれた言葉に、麻穂は「ねぇ、覚えてる?」と問いかける。


「私が転入してきてすぐのこと。高時君とモメちゃって、私が泣いてたら、涼が怒りに行ってくれたんだよね」


「……あったな、そんなこと」


 その後の高時との恋人疑惑のことまで思い出したのか、涼は笑いの中に苦々しさをにじませる。


「あと、怖い男の子たちに絡まれそうになった時も、涼が一人で守ってくれたよね……」


「守ったなんて、そんな大げさなものじゃないけどな」


 ううん、と麻穂は首を横に振る。あの時涼がいてくれて、どれだけ心強かったことか。


「麻穂も文化祭の時、俺の下手なダンス、フォローしてくれたじゃん」


「ええ? 全然下手なんかじゃなかったよ」


 遠くの夜景をながめながら、ポツポツと、思い出話に花を咲かせる。思い出、なんて言っても、これはほんの数ヶ月の出来事なのだ。出会ってからたった数ヶ月でもある。でも、互いにそうは思えないほど、沢山の出来事があって、いろんなことを深く悩んだり、考えたり、喜んだりした。


 ふと、会話が途切れて。


 出会った頃から今までのことに思いを馳せるように、二人の間に沈黙が流れる。


 麻穂は心の中で、「今だ、今しかない」と思っていた。絶対に邪魔の入ることのない、二人きりの時。涼も人目を気にせず男として振舞える今。


 自分のことをどう思ってるのか、訊きたい。特別な女の子として思ってもらえる可能性があるのか。


 それは同時に、自分が涼のことを特別な男の子として意識していることを告げることでもある。


 どうでもいい雑談ならスラスラ出てくるのに、肝心なことは全然口が動かない。思い切って言っちゃえ、と思うのに、舌が縮んでしまったかのような、からまってしまったような感覚がして。


 自分を鼓舞して、勇気を振り絞る麻穂の横で。


 涼はあることを決意しながら、自分のジャンパーのポケットに手を突っ込んで、用意していたあるものをまさぐる。


 そして。


「あ、あのね、涼――」


「麻穂。あのさ――」


 二人の声が重なる。


「あっ、ごめんね。涼からでいいよ」


「いや、別に急ぎじゃねえから……麻穂が先に」


「いいの。私のほうこそ後で大丈夫だから」


 お互いわたわたしながら順番を譲り合い、結局涼が咳払いをして、話し始めた。


「あの……。前に、クリスマスに一緒に出かけた時さ。麻穂、プレゼントくれただろ?」


 麻穂が涼にあげたのは、彼がいつか欲しいとこぼしていたシルバーのイヤーカフ。


 ぽろっと口にしただけのことを覚えていてくれたことと、男の時の自分をイメージして選んでくれたことがとても嬉しかった。


「お返しというか……あの時あげられなかったクリスマスプレゼントと思って、受け取ってくれ」


 涼は、紅潮した頬を夜でごまかしながら、麻穂の前に小さな包みを差し出す。


 赤いリボンが巻かれた白い包装紙。


 とまどいながら麻穂がそっと開封すると、中から髪飾りが出てきた。


 月明かりを頼りに、全容を確認する。髪ゴムに、ブローチのような大きさのチャームがついている。チャームは花を模したデザインで、花びらの部分はカットされた断面が光を受けてさまざまに輝き、花の真ん中の部分にはひときわ光る小さなスワロフスキーが飾れている。


 大事に両手に載せたそれを、麻穂は「わぁ……」と感動の声をもらしながら、まじまじと見つめている。


「なんか言ってくれよ……」


 何も言葉を返されないのがいたたまれなくなったのか、涼が困ったように指先で頬を掻く。


 麻穂は顔を上げた。


「きれい……。どうしたの、これ?」


「……この間、一人で出かけて選んできた」


 麻穂の問いかけに、気恥ずかしさから少し視線を外しつつ答える。


「ありがとう……。大人っぽくて、すてき」


 目を細めて、掌の上のそれをうっとり眺めている。


 彼女がとても喜んでいるのが分かって、涼はほっとした。


 これをいつあげるか、どうあげるか、品物はこれで正解なのか、しばらく前からずっと悩んでいたのだ。


 ようやく緊張から開放され気持ちが楽になった涼は、どうしてそれを選んだのか、自分の気持ちを述べてみせる。


「……麻穂が杉浦の高等部の制服を着てたら、どういうのが似合うかなって考えたんだ」


 その言葉に、麻穂は手元を見ていた視線を持ち上げた。


 彼女と目が合った涼は、薄く、儚く、ほほえんでみせる。


「高校生になった麻穂への贈り物だと思って選んだ。麻穂が高校生になった時……俺はもう、近くにはいられないから」


 麻穂は、時が止まったような気がした。


 目の前の彼の、優しいほほえみ。優しげな言葉。


 でも、それは麻穂にとってどんなセリフより残酷に聞こえた。


(俺はもう、近くにはいられないから……)


 それは、涼がこの先にある別離を受け入れていることを意味していた。


 麻穂は自分の表情が凍りついていくのを感じる。


 つい数秒前まで、初めてのプレゼントに胸を躍らせていたというのに。


 でも、ちゃんと笑顔でいないと。


 こんな風に感じるのは自分の勝手な思いだ。涼は自分の気持ちなんて何も知らないし、当たり前のことを言っているだけ。涼は何も悪くない。


 そう思って、麻穂は頑張って笑っていたはずなのに。


「うん……ありがとう……。高校生になったら、毎日つけ……る……」


 気づいたら、涙で言葉がつかえてしまっていた。


 最後のほうは言葉にならなくて、顔を覆い、嗚咽のようになってしまう。


 まさかここで泣き出すとは想像もしていなかった涼はうろたえた。


 今まで何度も麻穂の泣き顔を見たことはあるが、こんな泣き方をするのは初めてだった。


「麻穂……?」


 なぜ彼女がこんなに泣いているのか、自分が何をしでかしたのか、涼にはまったく分からない。


 でも、これが嬉し涙なんかじゃないことは、どう見たって分かる。


「ごめ……なんかもう……とまらなくて……」


 麻穂はもう一度「ごめんなさい」と告げると、その場から逃げ出すかのように、走って屋内へ戻っていってしまった。


 屋上に取り残された涼。


 夜風に髪を乱されたまま、彼女を追いかけることができなかった。

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