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「麻穂、起きろよ。朝飯食いっぱぐれるぞ」


 涼が声をかけるも、麻穂は聞き取れない寝言を呟きながら、布団を鼻先まで引き上げるだけ。


 いつも自分が起こしてもらっている側なので気づかなかったが、実は彼女はあまり寝起きが良い方ではないかもしれないと、涼は思った。自分は一声かけられれば、意識はすぐに目覚めるタイプ。それでもなかなか起きないのは、寝起きの気怠さや寒さのためだ。


 規則的な寝息を乱さない彼女は、すっかり深く眠っているようだった。


 彼女の肩を大きく揺すって、再度声をかける。


「なあ、マジで起きろって」


 体に伝わる振動に、流石に意識がはっきりと目覚めた麻穂。「ん……」と目をこすった後、自分の目の前に涼がいることに驚いて、一気に上半身を飛び起こした。


「えっ?」


 いつも自分が起こしてあげている相手が、何故か今日は自分を起こしている。


 寝ぼけてしっかり働いていなかった麻穂の頭が、次第に普段の機能を取り戻す。


 一瞬、寝坊したかと思いあせったが、枕元の目覚まし時計を確認するといつも起きる時間より少し遅いくらいだった。


 涼は彼女の意識がはっきり目覚めたのを確認すると、邪魔そうに耳に髪をかけながら言う。


「お前、何度声をかけても起きなかったんだぞ。早く支度しろよ」


 ため息混じりにそれだけ伝えると、涼は彼女のベッドのそばから離れた。


 麻穂が改めて彼の姿を見ると、制服を着込み、髪の寝癖も直してあり、すでにいつでも学校に行ける状態になっている。


 彼に「うん」と返事をすると、洗面所に向かった。顔を洗いながら、昨晩のことが思い出される。


 朝日が差し込む明るい部屋では、どうして昨晩自分があんなに大胆なことを言ってをしてしまったのか、まったく理解出来なかった。思い出すほどに恥ずかしくなってしまう。


(涼は仮にも男の子。一緒に寝てほしいだなんて言って、呆れられたんじゃないかしら……)


 色々考えはじめると、彼のそばに戻る勇気がなくなってしまいそうだった。


 麻穂が髪にくしを通していると、洗面所のドア越しに涼が声をかけてきた。


「よく眠ってたな、麻穂」


 麻穂は努めて平然とした口調で返事をする。


「昨晩あんなことがあって、結局深夜四時過ぎとかに寝たじゃない? まだすごく眠いよ。涼は昨日、あれから何時に寝たの?」


 なんの気なしに発せられた彼女の問いに、涼は片眉を釣り上げた。


「俺は、あれから寝てない」


「えっ。どうして?!」


 驚いた麻穂が、洗面所から飛び出してくる。


 理由を尋ねられても、「あなたの寝顔を見ていたら眠れなくなりました」などと正直に述べるわけにいかない。


 涼は咳払いをして強引に話を切り替えた。


「いいからほら、準備出来たなら早く食堂行こうぜ。麻穂は早く食えねえんだから」


 答えをもらえず腑に落ちない様子の麻穂だったが、彼の言うことはもっともだった。


 手早く身支度すると、二人で食堂へ向かった。


 涼の目の下にはうっすらとクマが出来ていたことは、言うまでもない。






 今日は杉浦学園二学期最後の日。


 初等部、中等部、高等部ごとに講堂で終業式を行い、生徒たちは担任から通知表を受け取る。それにほっとするもの、頬をひきつらすもの、様々な反応があった。


 杉浦学園での初めての通知表を受け取った麻穂は、予想していたよりもはるかに低い数字の羅列に青い顔をしていた。前の学校ではこんな数字は取ったことがない。


 フラフラと自分の席についた麻穂の耳に飛び込んでくる、担任・園山みことの声。


「聞け、お前ら! この帰りのSHRが終わってから、一部の者は高等部の選択授業のガイダンスがある。各々掲示された表を確認して指定の教室に向かうように」


 突然の授業の追加に、クラスからは「めんどくせー」だの「こんな日にやらなくてもいいのに」だの、ブーイングが漏れる。


「ごちゃごちゃ言うと……その通知表の数字を1ずつ下げるぞ」


 眼鏡の奥で眼光を光らせて園山がそう言うと、この担任なら本気でやりかねないと、みな不本意ながら口をつぐんだ。


 生徒たちは、園山が去ってから、黒板にはられた掲示を確認しにいく。


 ため息も出ないくらいにショックを受けている麻穂が通知表と見つめあっていると、後ろから涼に声をかけられた。


「麻穂、先に帰ってていいぜ」


 彼の突然の登場に、麻穂は慌てて通知表を隠す。


「あっ、え? うん?」


 挙動不審な彼女のふるまいに首を傾げつつ、涼は彼女に説明した。


「だから、今園山が言ってたろ。一部の生徒だけガイダンスがあるって。俺はあって、麻穂はない。めんどくせえけど参加して帰るから、先に寮長とかと帰ってな」


 涼がガイダンスを「めんどくせえ」と形容するのも無理はない。麻穂以外の生徒は誰も知らないことだが、彼は高等部には上がらないので、本当に関係ないことなのだ。


 麻穂は問い返した。


「ガイダンスってどのくらいかかるの?」


「さぁ。まあ、一時間以上は確実だろうな」


「なら、図書室で待ってるよ。一緒に帰ろう」


 麻穂にそう言われて、待たせるのは悪いなと思いつつ、正直嬉しかった涼。


「お、おう。悪いな」


 照れ隠ししつつ彼女にそう返した。


 そして彼女を待たせ、彼が向かったのは隣の三年一組の教室だった。座席はランダムに割り振られ指定制になっていたため、示されたように教室の真ん中辺りの席に座った。


 近くの席にいた同じクラスの男子生徒たちと談笑していると、しばらくして担当教師が教室に入ってきた。気さくに生徒に声をかけながら、「そろそろ席つけよー。ガイダンス始めるぞー」と指示している。


 周りを見回してみると、学年でも成績上位者ばかり集められているようだ。涼は、おそらくこれは上位国立大志望の生徒向けのガイダンスなのだろうと察した。一応進路志望表には正直に国立大志望と書いてしまったので、自分も呼ばれてしまったのだろう。


 そんなことを考えていた涼の隣の座には、いつまでも生徒が来なかった。


 教師がガイダンスを始めようと、「さて」と言ったちょうどその時。


 ギリギリになって姿を現した生徒がそこに腰掛けた。


 その生徒の姿を確認すると、涼はうんざりしながら呟いた。


「“ランダム”に作為性を感じるぜ……」


「やだなぁ、それ皮肉のつもり?」


 机に肘をついて引きつった笑いを浮かべる涼の隣には、ニコニコと笑みを浮かべる祐真がいた。


 別々のクラスである二人が同じ教室で授業を受けるのは、知り合ってから初めてのことだった、


「片岡さん。女の子がそんなに脚を開いて座ったら、はしたないんじゃないかな?」


 祐真は普段、そんなことを注意してくる奴ではない。


 涼は祐真がふざけているのを分かっていた。


「せんせぇー! 高時クンが女子のスカートの中を見てこようとしますぅー」


 さめた表情に似つかわしくない、わざとらしい芝居がかった台詞に、周りの生徒たちが一斉に吹き出す。


 そして皆は、いつも誰より一枚上手の祐真が涼にやり返されていることを、意外そうに見守っていた。


 隣の席の祐真が、涼に小声で尋ねる。


「麻穂ちゃんは?」


「あいつはガイダンス対象者じゃない」


 教師の話が始まったことでさっさと終わったと思った二人の会話だったが、祐真がなんと筆談を始めてきた。


 視線は前に向けるようにしつつ、涼の手元のプリントにさらさらとペンを走らせる。


 怪訝そうにペンの先を追っていた涼の表情が、一瞬で強張る。


――クリスマスどうだった?


 顔を赤くした涼は、その下に殴り書きに近い筆圧でペンを走らせる。


――お前には関係ない


 そっけない反応。しかし祐真は再びその下に続ける。


――片岡さんのことだから、プレゼントとか何も用意しなかったんでしょ?


「なあっ……!」


 まさかの図星に、涼は思わず声を漏らしてしまった。


 あわてて口を覆うも、教壇に立つ教師の瞳は涼をがっつりロックオンしている。


「片岡。隣が高時でテンションが上がるのは分かるけど、一応これ、授業だからな」


 色々と否定や訂正したいことはあったが、授業に迷惑をかけたのは事実。なんとか無理矢理「すいません」と反省の言葉をひねり出した。


 横では祐真がクスクスと笑っている。涼は再びペンを取った。


――変な事言うなよバカ


 祐真もさらさらと言葉を続ける。


――そんなことより、ちゃんとお返ししなきゃダメだよ?


――お前に言われなくても


 途中まで書いてから、涼は少し迷って筆を止めた。ちらりと祐真を一瞥して、グシャグシャとその文字列を消す。


――普通こういうのって、何をしたらいいわけ?


 思いもよらず素直な反応を見せた涼に、祐真はさらさらとペンを走らせる。


――そういうのは自分で一生懸命考えるから、相手に喜んでもらえるんだよ


 突っ込むようなことを聞いておきながら突き放す。


 祐真の言葉にも一理あったが、ひくひくと青筋を立てそうになってしまう。


――そんなことは分かってる。参考までにきいただけ


 涼がそこまで書いた時だった。涼とそれを覗き込む祐真の上に、影が落ちる。


「授業中に筆談とは、仲良しだな」


 結果的に頭を寄せて、隠れて筆談をする意味がなくなっている二人の前に、いつの間にか教師の姿があった。作り笑いを浮かべた顔が一瞬で鬼の形相に変わり、雷が落とされた。


「お前たち! 二学期の学年順位が一位二位だったお前らが騒いだら、周りに示しがつかないだろうが!」


 涼はともかく、まじめで誠実な優等生を絵に描いたような祐真が、そういったことで叱られる姿を見るのは周りも初めてのことで、周囲は笑うというよりポカンとしてしまった。






 ガイダンスが終わり、三々五々に出て行く生徒たち。


 涼が教室の外に出たとき、そこには帰り支度をした麻穂が待っていた。


「お前、ずっとここで待ってたのか?」


「ううん。ちょっと前まで図書室にいたよ。さっき来たところなの」


 そう言ってから、麻穂は視線を涼の後ろに動かした。


「あれ? 高時くん、眼鏡かけてるんだね」


 涼の背後から現れた祐真。物珍しそうに眼鏡姿の自分を見つめる麻穂に、挨拶代わりにクスリとほほ笑んでみせる。


「うん、授業中だけね。遠くが少し見えにくいんだ」


 眼鏡を外すとケースにしまった。


「近くは見えるの?」


「近くだったらほとんど問題ないよ。でも、麻穂ちゃんの顔はもっと近くで見たいけどね?」


「両目2.0のあたしが代わりに見といてやるから、お前はどっか視界に入らない所に行け」


 自分を挟んで麻穂と喋る祐真を、遠ざけるようにぐいと押しやる涼。


 そんな彼を麻穂がたしなめる。


「涼、ダメだよ。そんな言い方したら」


 麻穂にそう注意されてしまうと、涼としては不本意でも口をつぐまざるを得ない。


 不満げに口を閉じた涼に、祐真は上手いことを言う。


「わあ。まるでチワワに頭が上がらないドーベルマンだね」


 珍しいものを見させてもらったよ、と満足そうに祐真は笑った。

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