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 二学期の終業式の前日。各科目、これまでに受けた小テストや提出したプリントなどがまとめて帰ってきた。


 根がまじめな麻穂は、それらを片っ端からきちんと見直しをして、ノートにまとめ直している。


 何が悲しいかと言えば、そのまじめさがほとんど成績に反映されていないことだ。


 そんな彼女を横目に見ながら涼は、麻穂は勉強の要領が悪いんだろうな、と思っている。


「あんま夜ふかしして勉強するなよ」


 涼は二段ベッドの上段から声をかけた。


 麻穂は作業したままで「うん、そうなんだけどー……」とあいまいな返事をする。


 今は就寝前。灯りを消した部屋の中。室内で麻穂のデスクライトだけが煌々と光っている。


 涼は眠そうにあくびをもらし、「先に寝る」と布団にもぐった。


 そして。


 麻穂の勉強に区切りがついたとき、涼は既に眠りの世界にどっぷり浸かっていた。


「おやすみ、涼」


 いつも自分より遅く寝る彼の、貴重な夜の寝顔をちょっとだけ盗み見て、麻穂も眠りについた。


 しかし、その数時間後。


 部屋のドアが激しく叩かれる音で、麻穂は目を覚ました。


 カーテンの隙間からうかがえる窓の外はまだ真っ暗で、朝寝坊したわけではなさそうだった。


 手元の目覚まし時計を確認すると、深夜二時過ぎを指していた。


「涼~! 起きて、涼!」


 一方、ドア越しに名指しで呼ばれている涼は、爆睡しているのか一切反応を示さない。


 麻穂は眠い目をこすって、彼を起こす。


「涼、誰かが呼んでるよ」


 声をかけただけでは起きないのは、これまで幾度となく朝寝坊な彼を起こしてきた経験から分かっている。


 麻穂は二段ベッドにかかるはしごに足をかけ、彼の体をゆすった。


「なんだよもぉ……」


 音自体には気がついていたのか、麻穂の言葉にすぐに返事があった。


 仕方なく体を起こした涼が大あくびをして、面倒くさそうにベッドを降りる。


「何……?」


 ドアを開けてそう尋ねる彼の目は、眠気に押し負け完全に閉じられたままだった。


 姿を現した涼にいち早く飛びついたのは、同じクラスの女子生徒だった。


 体に触られて、一気に意識が覚醒する。起き抜けで、目つきがいつもより険しい。


「くっつくなって!」


 引き剥がそうとする涼にしぶとくひっつく彼女の言い分はこうだった。


「おばけ、おばけでた!」


「はぁ?」


 自分の体、特に胸部になるべく触れられないように体をガードしつつ、涼は眉間にシワを寄せた。


 涼の背後で様子をうかがっている麻穂も、不思議そうに首をかしげている。


「こんな真夜中に人を起こしといて、『おばけが出た』って……何、お前らバカなの? 暇なの? 眠くないの?」


 一蹴してドアを締めようとする彼の動きを制したのは、女子生徒について来ていた雪乃の一声だった。


「片岡さん、わたくしからも頼みますわ。ちょっと様子を見に行ってくれるだけでいいんですの」


 消灯時間をとうに過ぎた薄暗い廊下。雪乃が一歩前に出て声を張ると、その存在に涼はようやく気がついたようだった。


 髪をゆるく束ねた雪乃は、淡い桃色のパジャマに厚手のカーディガンを羽織っている。珍しく乱れのある頭髪が、つい先刻まで深い眠りの中にいたことを証明していた。


「寮長。まさかアンタまで『おばけが出た』って騒いでんのか?」


「さ、騒いでなどいませんわ。ただちょっと、寮長として看過できないというか……」


 雪乃の言葉尻が淀む。きっと、寮長として泣きつかれた彼女も、深夜に「おばけ」という単語が怖かったに違いない。


 涼は深いため息をついて、しょうがない、と腹をくくった。


 寮の女子たちは、何かあるとよく涼に頼む。人気者で頼みやすく頼りがいがあるのも確かだが、単純に度胸があること、女子とは思えぬ力の強さ、背の高さなども要因としてあるのだろう。固くて瓶の蓋が開かないとか、重い物を運びたいとか、高いところに手が届かないとか、結構どうでもいいことでもよく呼び出される。


「一回貸しだからな」


 雪乃が了承すると、涼は部屋の明かりを点けて、寝巻きの上に大きめのカーディガンを羽織った。


「麻穂、先寝てていいぞ」


 そうして再び電気が消されてしまうと、部屋は前より真っ暗になったように感じられた。


 独りで部屋においていかれた麻穂は、先程出てきた「おばけ」という単語を思い出す。


 考えなければいいのに、一度浮かんできた怖いイメージは、なかなか払拭できない。


 怖くなって、「私もついていく」と涼たちを追いかけた。


 四人は足元の非常灯を頼りに廊下を進んだ。あとはところどころにある非常口の灯りと、窓からわずかに差し込む月明かりだけが頼りだった。


 互いの顔もよく見えない薄闇の中、廊下を進む。


「んで、その人気の肝試しスポットはどこなわけ?」


 冗談めかして尋ねる涼に、女子生徒は真剣に言った。


「三階の共同トイレよ」


 涼たち三年生が主に使用するフロアは一階。三階は一年生の部屋がある階のはずだった。


 そして、各部屋にトイレがついているため、共同トイレはほとんど使用されることがない。ましてやこの寒い時期にわざわざ、寒い場所にある共同トイレを使用するのは考えにくかった。


「つーかそもそも、なんでそんなところに行ったんだ? こんな真夜中に」


 そう尋ねられた女子生徒は、一同をその場所に案内しながら説明しはじめる。


「三階には一年生の談話室があるでしょ? 三年生の談話室には置いてない漫画があるのよ。今夜はなんとなく眠れなくて、それを読もうと思って二階を歩いていたら……電気のついていないトイレから、子どもの笑うような声が聞こえたのよ……!」


 女子生徒の話に、雪乃と麻穂は青ざめて言葉を失っている。


 皆が寝静まった夜中、そして元気の消された廊下。それらが不気味な雰囲気を助長していた。


 その凍りついたような空気を派手に壊したのは、涼の気の抜けた一言だった。


「へえー。で、その漫画なんてやつ? そんな面白いの?」


「えっ、うん、すごく面白いけど……」


「ふーん。じゃあ今度読もうっと」


 おばけの話でなく、漫画の話にフォーカスする涼。思わず雪乃は、声をひそめつつも彼に小さく怒鳴った。


「ちょっと片岡さんっ。あなた、人の話をきちんと聞きなさい!」


「ちゃんと聴いてるよ。だったら何、一緒に『キャア怖いー』って震え上がったらよかったのか?」


 そういう要員として自分を呼んだんじゃないだろ、と言いたげな彼の口ぶり。


 雪乃はしぶしぶ閉口した。たとえ演技だとしても、涼までもが怯えてしまったら、この事態を誰も解決できなくなってしまう。


「き、如月さん。幽霊なんて、非科学的……」


「でもね、吉瀬さん」


 同じく青い顔をしている雪乃に、麻穂が努めて明るく声をかける。しかしその言葉は、怪談の語り部たる女子生徒によって遮られてしまった。


「吉瀬さんは転入生だから知らないと思うけど、ここって昔は病院だったんだって。金の力だけで医者になったような、ろくでもない奴が院長をやっていたそうよ。外科手術の失敗があまりに多くて、その遺体は秘密裏に処理されていたというわ。その場所がちょうど……」


 女子生徒が最後まで言い切らないうちにその怪談を止めてしまったのは、涼がすっと手で制してきたからだった。


「うちのルームメイト、怖い話ダメみたいだからやめてやってくれよ」


 困ったようにそう告げる彼の反対の腕には、足を止めた麻穂が小さくしがみついていた。


 途中までは我慢していたのだが、限界を超え、とっさに彼に飛びついていた。「やめて」とも言えなかった彼女が、反射的に頼ってしまったのはやはり涼だった。


 同じく言葉が出ない雪乃。引きつった笑いで強がりながらも、自分の両肩を抱いている。


「ここはそんなへんちくりんな病院跡地なんかじゃねえよ。ほら、これじゃ歩けないから」


 麻穂を慰める優しげな声色。


 涼に促され、麻穂は「ご、ごめんね」と腕から離れた。泣きそうなのか、声がわずかに震えていた。


「寮長も。理科得意なんだから、幽霊なんて正体を見破ってやる、くらいの姿勢でいろよな」


「わ、わたくしの得意科目は社会科ですわっ」


 寮長を少し茶化してやると、彼女は反射的に涼に言い返す。一瞬で元気なエネルギーが湧いたようだった。


 再び足を進めだした一同だったが、麻穂はこっそりと、涼のカーディガンの裾を指先で掴んでいた。


 みんなの手前、もう平気と振舞ってみせたが、一度怖いと感じてしまったものはやはりまだ怖い。かと言って一人では部屋に戻れないし、戻ったところで今あの静かな部屋に一人ぼっちにになるのは耐えられない。


 それにすぐ気がついた涼。自分の服の裾を掴む指先を辿り、雪乃たちに気づかれないように彼女の手を握ってやった。


 驚いて見上げた彼の横顔は、表情一つ変わることなく澄ましていた。でも、包み込む手から「大丈夫だ」と伝わってくるようだった。


 女子生徒の案内で三階にあがり、共同トイレを目指した。


 麻穂は本当は、遊園地のお化け屋敷どころか、文化祭のお遊びのお化け屋敷にすら入れないような怖がりだ。


 しかし、言うタイミングを完全に逸してしまった。


 恐怖で膝に力が入らず、これ以上歩けない、そう思った。涼の手を握り返す力も、段々尽きてくる。


 そしてそれは雪乃も同じだった。


 皆の手前、寮長としてしっかり問題を解決しなくてはならないと強く意識している。


 ただ今回ばかりは、キャラにそぐわないくらいの大声で悲鳴をあげたかった。


 もちろん、そんなことをすれば寮中の皆が起きてきて大パニックになるだろう。


 それでも、それによってこの事態を打開出来るのならばそれでいいかもしれない、とさえ考えるほど、思考が追い詰められていた。


 共同トイレのある廊下に足を踏み入れた瞬間、四人は同時に歩みを止めた。


 小さくだが、四人の耳に入ってきたのだ。女子生徒の言う、“子どもの笑うような声”が。


「わ、笑い声、ですわ……」


 緊張で舌がうまくまわらない雪乃が、目を見開いてそう言葉を漏らした。


「涼……」


 不安で麻穂が彼にぴったりくっついて、名を呼ぶ。


 しかし彼は反応を示さず、声のする方にじっと目を凝らしていた。


 足元のわずかな明かりしかない薄闇に落ちた廊下に、目視出来る人影はない。


 不規則なその声に耳を澄ませた。涼はこの「笑うような声」というものに違和感を覚えていた。


 しばらくすると、声は聞こえなくなった。あるいは声の主が移動したか、聞き取れない小ささになったか。


 涼は躊躇なく足を踏み出した。


「片岡さん、お待ちになって……!」


 雪乃が彼を呼び止めるも、涼は振り返って彼女に言った。


「大丈夫、お化けなんかじゃない。これは多分……、予想はついてるんだ」


 答えを濁したが、涼はそれを恐れている様子はなかった。

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