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「これとかどうかなぁ」
「ちょっと派手じゃねえか?」
「そうかな……。あ、じゃあこっちは? 涼は肌が白いから、濃い色が映えると思うの」
「ふーん。そういうもんなのか」
「……ていうか、私ばっかり選んじゃってるけど、いいのかな?」
「いいっていいって。むしろお前に選んでほしい。服選びとかそういうの、よく分かんねえから」
「そう? じゃあ涼のために頑張って見立てるからね!」
二人が今日、このクリスマスの日に出かけたのには、二つの理由があった。
まず、先日マフラーを一緒に買いに行くと約束したこと。
もう一つは、以前高時祐真にクリスマスの予定を訊かれた麻穂をかばうため、涼が「クリスマスはあたしは先約済みだ」と嘘をついたことだった。
涼としてもその場限りの嘘にするつもりだった。本音を言えば彼女と一緒に過ごしたいと思っていたが、突然の成り行きで勝手に決められても麻穂の迷惑になると思ったのだ。
それでも実際こうして一緒にクリスマスの街を歩いているのは、祐真のアシストがあったからだ。
彼は廊下や教室で会うたびに、わざとらしく「二人はクリスマス一緒に過ごすんだよね? 何をするの?」と満面の笑みで尋ねてきたのだった。
その度に涼は耳を赤くさせて「うるせえな! なんだっていいだろ!」と言い返していた。
祐真は、自分の麻穂への気持ちを知る唯一の人物。それを見透かされ、からかって遊ばれている気がしてならなかった。
ひやかされているうちに、涼と麻穂は自然とクリスマス「どうしようか?」という話になり、本当に二人で過ごすという流れになってしまった。
麻穂としては本当は涼と一緒に過ごしたかったし、出来ることなら勇気を出して自分から誘ってみようと思っていた。だから彼女にとってとてもありがたい展開だった。祐真のしつこいからかいには感謝の気持ちすら覚えている。
ショッピングビルの中の服屋や雑貨屋を数件周り、涼は麻穂が見立てたマフラーを買った。
周囲からすると女同士が仲良く買い物をしているように見えただろう。
麻穂は落ち着いた赤色の厚手のワンピースをまとい、黒いタイツの脚にモコモコしたムートンブーツを合わせている。首をマフラーで防寒している分、髪はアップにしてすっきりまとめられていた。
女子用の私服を持っていない涼の格好は、以前の演劇の練習の時と同じように麻穂がコーディネートしたものだ。白いタートルネックのセーターに、コーデュロイの短いスカートを合わせている。サイズの都合で麻穂がどうしても貸すことができなかったブーツは、同じ寮の女の子に借りた。
涼の見た目は完璧な美女だった。すらりとした背の高さや大人びた顔つきも相まって、何度か男の人に声をかけられたりした。涼はげんなりしていたが、麻穂としてはナンパされるシーンなど初めて間近で見たのでとても驚いた。
それでも麻穂は、涼とデートをしているようだと感じていた。
知り合ってもう結構経つけれど、こんな風に涼とショッピングに出かけたのは初めてのことで。
祐真との外出をノーカウントとするなら、きっと初めてのデート。
好きな人と出かけられるということはこんなに胸が弾むことなのだと、麻穂は初めて知った。街の景色なんて見慣れたはずなのに、横に彼がいるだけでまったく新しい光景に見えてしまう。
本当は知り合いに姿を見られたら困るはずなのに、ちょっとくらいなら誰かに見られて、素敵な涼のことを自慢したいような気持ちにさえなってしまう。
ランチタイムのピークが過ぎた頃、二人は外れにある静かな喫茶店で腰を落ち着けていた。
麻穂は「ウインドウショッピングだけのつもり」と思いながら、ついセール品などを買いすぎてしまった。その荷物はほとんど涼が持ってくれていてなんだか申し訳ないような、しかし女の子扱いされているようで嬉しいような気持ちがしていた。
「女子って、ホントにぬいぐるみとか買うんだな」
麻穂が一目惚れして買った、大きなペンギンの丸っこいぬいぐるみ。それが入った袋をつついて、涼が言った。
「だってかわいいんだもの」
「寮のベッドにも結構置いてあるよな。実家にはもっとあるのか?」
「いっぱいあるよ。私も買うし、おじいちゃんもよく持ってきてくれるし、ぬいぐるみで部屋が埋まりそう」
そう説明しておかしそうに笑って見せる。
涼は、かわいい孫娘を喜ばせようと大量のぬいぐるみを携えてやってくる理事長の姿を想像して、つい苦笑いが浮かんでしまう。
でもそこでふと、一つの疑問が浮かんだ。
「……でも、麻穂のことをそんなに溺愛してるはずの理事長は何で、麻穂の意にそぐわない婚約話を強引に進めようとしてるんだろうな」
麻穂が杉浦学園に転入してきた理由は、自身の祖父である杉浦学園理事長が勝手に決めた祐真との婚約話を破談にさせるためである。
祐真と麻穂の関係が互いに気持ちの良いものになった今も、その婚約者問題はいまだ片付いていないのだ。
涼の疑問には、麻穂も目を伏せるばかりだ。
「わかんない……。どうしてだろうね。私もおじいちゃんに、『婚約者を決めた』っていきなり言われたの。この歳で結婚相手を決められちゃうなんて絶対イヤ、って何度言っても、それだけは聞いてくれなくて……」
学園を経営するような超上流の家のことだ。思いきり背伸びして中流を演じているような家庭の生まれの涼には、想像もできない決まりごとや意図が数多くあるのだろう。
それでもなんとなく、麻穂から聞く理事長との関係と、理事長の実際の行動に違和感がある気がしていた。
「そういや、今さらだけどさ、麻穂のお父さんとお母さんはその婚約話に何か言ってないのか?」
話が麻穂の両親のことに及ぶと、麻穂は少しだけ複雑そうな顔をして慎重に言葉を選んだ。
「あ……実は、両親にはあんまりちゃんと話してなくて。おじいちゃんはあんな感じでひょうひょうとしてるからか、昔から何でも言いやすいんだけど……。お父さんとお母さんには、あまりワガママ言って迷惑かけちゃダメかなって思っちゃうっていうか……。だから、自分でどうにかしようと思ってるの」
涼は、麻穂が意外におじいちゃん子だったことにも驚きつつ、必要以上に“お利口”にふるまう家庭での彼女のことを考えた。
「あっ、でも、多分、お父さんとお母さんは婚約に賛成してると思うんだよね。おじいちゃんから聞いたんだけど、お父さんも学生時代から、おじいちゃんの娘だったお母さんと婚約してて、そのまま結婚したらしいから……」
涼からすると、麻穂は気が強いとすら思える一面もあるくらいなのに、てんでだめなこともあるらしい。以前、麻穂に告白をしにきた田中という男子と話しているとき、麻穂が「なかなかクラスに馴染めなかった」ということを話していたのを涼は思い出した。
場の空気が少しだけ重くなったのを察して、麻穂は逆に尋ねてみる。
「涼の実家のことも、教えてほしいな」
「うち? 別に面白いことなんて何もないぜ」
突然の質問に首をかしげる涼に、「面白くなくてもいいから知りたいな」と麻穂が頼む。
涼は腕を組んで、遠い昔を思い出すようにポツポツと語り出した。
「そうだな……とにかく冬が長くて、今の時期は毎日がドカ雪。男はみんな家の屋根にのぼって雪かきするぜ。さぼるとマジで潰れたり凍ったりするし。あ、こっちと違って家のドアは基本的に二重だぜ。冷気が入らないように。あとは、車がないとどこにも行けないから、免許取れる年齢になるとみんなすぐ教習所行く……」
そこまで話してから、麻穂が「そうじゃなくて」とでも言いたげなもどかしい表情をしているのに気がついて、言葉をとめた。
「涼の家の話が聞きたい」
そう言われて、涼は視線を宙にさまよわせる。
「んー、何を話したらいいかな……」
麻穂は涼のことをもっと知りたかった。自分の知らない彼のこと、自分と会う前の彼のこと。
「じゃあ、えっと……自分の部屋はどんな感じだった?」
「部屋? 一応あったけど、寮の部屋より狭いよ。でもあんまり自室にはいなかったな。大体居間のコタツでゲームしてた。んで、ゴロゴロしてんなって父さんに怒られる」
「涼のお父さんは何をしてる人なの?」
「親戚と一緒に、すげえ小さいけど工場やってる。町工場ってやつ?」
麻穂は、涼いわく彼にそっくりという彼の父親のことを考えた。
「お父さん、かっこいい?」
「はァ? ……まあ、カッコ悪くはないと思うけど」
突然の不思議な質問に、涼は片眉を上げたが、もじもじと本音をつぶやいてみせた。
前に教えてくれた眼鏡の一件といい、麻穂は涼は父親のことが好きなのだなと思い、その素直な気持ちにクスリとほほえんだ。
「お母さんとお父さん、仲がいい?」
「仲がいいというよりは……母さんが抜けてるから、父さんは目が離せない感じ?」
涼が極めて真剣な面持ちでそう述べるので、思わず麻穂は笑ってしまった。
その笑いに、「冗談だろう」と思われたと勘違いしたのか、涼が「いやいや、マジだよ」と言葉を足す。
「財布持たないで買い物いくのなんてしょっちゅうだし、鶏肉のことをずっと豚肉って言ってたり。電話かけといて用件忘れるとか、出先で雨に降られた父さんを迎えに行ったのに傘を一本しか持っていかないとか、とにかく天然なんだよ」
笑うしかないようなエピドードが、ぽんぽん出てくる。
麻穂は文化祭の時に会ったあの涼の母親が、そんなに抜けている人物だったことにただ驚いていた。まあ確かに、初対面の麻穂の前で涼の正体をぽろっと口にしてしまったりしていたが。
「でも、どんなに母さんがドジしても、父さんが母さんに怒ったところを見たことがないんだよな。『気をつけろよ』、とかは言うんだけど。呆れてるっていうよりかは、自分が居てやらないとって感じで。だからなのかな。自然と母さんのこと助けなきゃ、守らなきゃって思うようになった」
コーヒーカップに一度口をつけ、ゆっくりと息をつくと、涼は目を細めて薄く笑った。
「麻穂って、ほんの少しだけだけど、母さんに雰囲気が似てるよ」
「えっ。私って、そんなに抜けてる?」
思わず声を上げてしまった麻穂を見て、涼は「そういうところだよ」と笑った。
「ウチが余裕がある家じゃないのは何となく分かるし、工場やってて親が色々トラブル抱えてるのも見てるんだ。だから勉強は頑張ろうと思った。貧乏人が今以上に成り上がれる可能性が高い手段って、やっぱ勉強じゃん?」
たしかに涼はとても頭がいい。
それはもともとの頭の出来や天性のセンスだけでなく、努力の賜物であることを麻穂はよく分かっていた。名門私立である杉浦学園に、塾や受験を経ず公立校から転入してきて、常に成績上位をキープしている彼の努力は並みではないと思う。授業中によく寝ている彼だけれど。
「涼は目指してる大学とか決まってるの?」
杉浦学園は高校までエスカレーター式なので、進路の話となると自然と大学のことになる。
「まだ具体的には絞ってないけど、私立は学費がバカ高いから、国公立なのは確定だろうな。それでも奨学金借りまくってどうにかなるかどうかってとこで……。麻穂は?」
「私はもう私立文系って決めてるよ。理系科目が本当に苦手だから」
そう答えてからふと、麻穂は思った。
(四年後。大学生になったとき、涼はどうしてるのかな。私は、涼のそばにいられるのかな)
一口カフェラテを飲む彼の顔を見て、麻穂は切ない気持ちになるのを感じた。
大学生どころか、高校生になったら涼は北海道の田舎に帰る。彼や彼の家族にとって一番よいことのはずなのに、そのことを考えると胸が苦しくて仕方がない。
(まだ涼に、「好き」とすら言えてない……)
離れたくない。
でも、ただのルームメイトである自分に、彼を引き止める権利などない。
それに、引き止めたところで、麻穂一人ではどうにもならない問題が多すぎた。
「そういや……クリスマスのプレゼント、何も用意してなくてごめんな」
唐突に涼から飛び出した話題に、麻穂はきょとんと目をまたたかせる。
「え?」
「いや……普通こういうのって、なんかあげるのがセオリーなんだろ? さっきから街中で、ちらほら物を渡してる人が目に付くからさ」
視線をさまよわせつつ、涼は気まずさと恥ずかしさから声が小さくなる。
具体的な言葉を濁しているが、涼のいう「こういうの」とは恐らく、男女のクリスマスデートを指しているのだろう。
彼がまさかそんなことを考えてくれているとは思わず、麻穂は驚いた。彼から何か物をもらいたいなど、そんな気持ちは本当に一切なかった。
「私は、涼とお出かけできただけですっごく嬉しいよ」
麻穂の澄んだ瞳が嘘をついているとは、涼は思わなかった。しかしそれでも、「男としてどうなんだ」と自分を責めてしまう。
「俺、今までこんな風に出かけたことないし、高時みたいに気が回らねえから……」
「涼……その姿で“俺”はちょっと……」
麻穂に指摘され、涼はとっさに口を覆った。麻穂といるとつい気がゆるんで、素の自分が出てしまう。
つい出てしまった一人称に、麻穂は苦笑いを浮かべる。
見た目が完璧な女子である分、その一人称はかなり違和感があった。
「とにかく気にしないでね。……って、こんな話をしてからじゃ渡しづらいんだけど……。これ、よかったら受け取って」
目を丸くする涼の前に差し出されたのは、手のひらに収まるくらいの小さな箱だった。クリスマスを思わせる緑の包装紙に、かわいらしく赤いリボンが巻いてある。
「えっ、俺に?」
まさか麻穂が自分にクリスマスプレゼントを用意しているとは、夢にも思っていなかった。
涼はさっき指摘されたばかりの一人称が飛び出てしまうくらい驚き、ワンテンポ遅れて彼女の手から贈り物を受け取った。
「ちゃんとしたやつじゃないんだけど……、前に村木くんと話してるのを聞いたから。この間の夜、涼を迎えに行った時にお店で選んできたの」
袋から出てきたのは、きらりと輝くシルバーのイヤーカフだった。
今の女の姿の涼とはイメージの違う、シンプルな中にごつさを持ったデザイン。麻穂が涼の男の姿をイメージして選んでくれたことは、一目瞭然だった。
たしかに以前、麻穂がそばにいるときに村木とそういう話をしていたことがあった。
プレゼントをもらったこともだが、麻穂がそんなちょっとしたことを覚えていてくれたことが感動するくらい嬉しかった。
前にも、少し言いかけただけなのに昔の写真を実家から取り寄せてくれたり。麻穂は本当によく自分のことを見ていてくれる人だと改めて思った。
同時に、鉛を腹に埋め込まれたような申し訳なさに襲われる。
彼女に問いかける言葉が思わず敬語になってしまう。
「……麻穂さん、誕生日いつでしたっけ?」
「えっ、私? 六月生まれだけど……」
自分の不甲斐なさに深くため息をついてから、涼は彼女の顔を見つめてはっきり告げた。
「いつか、ちゃんとお返しするから」
涼の神妙な態度を見て、麻穂の眉が不安そうにハの字になる。
「もしかして、あんまり気に入らなかった?」
「そ、そんなわけないだろ!」
素直に喜びを見せるのが苦手なことを、涼はこれほど悔いたことはない。妙なプライドや気恥かしさが先行して、「ありがとう、嬉しい」とさらっと伝えるタイミングを失ってしまったのだった。
自分の脳内で勝手に作り出された祐真の幻が、自分のことを指差してあざ笑っているよう。
そんな幻を振り払うようにかぶりを振って、再び彼女の目を見る。恥ずかしくて頬が赤くなっていたと思うし、何度も目をそらしたくなった。
でも、こういうことは彼女のためにきちんと伝えなくてはならないと思った。
「……ホントに、ありがとう。すげえ嬉しい。ずっと大切にする。高校生になったら毎日つけるよ」
彼の素直な言葉。
麻穂は、涼が喜んでくれて嬉しいはずなのに、最後の一言だけで、意識していないと笑顔が消えてしまいそうなくらい心が沈むのが分かった。
きっと自分は、このイヤーカフをつけた涼を見ることは出来ない。