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二学期の終業式も間近に迫る、十二月の終わり。
ある放課後のこと。
三年生はどのクラスもやけに賑やかだった。
それは、杉浦学園中等部・毎年恒例の冬季校外学習”スキー合宿”の申し込み書が配られていたからだ。
一・二年生は全員必修だが、三年生はわずかながらも外部受験をする生徒たちがいるなど進路の関係もあり、有志のみの参加になる。
だからこうして三年生だけは申し込み書が配られるのだ。
有志と言っても、毎年ほとんど全員が参加する。エスカレーター式の私立であるし、外部受験をする少数の生徒たちも思い出作りにと参加したがる者がほとんどだ。
しかしそんな中、申し込み書を提出しないことで不参加の表明をする珍しい生徒が、二人。
涼と麻穂だ。
二人はみんなが用紙の記入をしながら盛り上がっている教室を早々に抜け出した。
涼は以前より麻穂に不参加の旨を伝えており、その理由はというと。
「学校や寮から皆がいなくなって、気が抜いてゆっくりできるめったにない機会だし」
とのこと。
自分の本当の性別を隠し、女子生徒として過ごして、学校でも寮でもずっと気を張っている彼らしい理由だった。
涼の不参加の話を以前から聞いていた麻穂も、「私も参加しないでおこう」と心の中で決めていた。
人の少ない廊下を正面玄関まで歩きながら、涼はすでに再三たずねたことを麻穂に訊く。
「なぁ麻穂。ホントに参加しなくていいのか? 中等部最後の機会だし、いい思い出になると思うぜ?」
不思議そうに問いかける涼。
答える麻穂も、これまで何度も口にした理由を述べる。
「私、本当に運動全般苦手なの。スキーも全然出来ないし……わざわざやりに行く気になれないよ」
苦笑いで回避しようとする麻穂。
涼は言葉を足す。
「まあ確かに、麻穂は運動苦手なんだろうけど……こういうのってスキーすることだけじゃなくて、いつも行かない場所に行ったり、景色見たり、クラスの連中とホテルで寝泊りしたり、そういうことも思い出になるんじゃねえの?」
彼なりに麻穂を思って言ってくれているのだろうと分かるのだけれど、それでも、
「心配してくれてありがとう。でも、私はほんとにいいの。気にしないで」
と、不参加を決めて譲らない。
物腰の柔らかい麻穂ではあるが、その芯には、こうと決めたら簡単には曲げない意志の強さがある。
本人がそれで良いというなら仕方ない。もったいないと思いながらも涼は引き下がった。
もちろん、麻穂のこの理由は建前で、本当の理由は隣にいる涼にあった。
スキー合宿が行われるのは学年末の三学期。
中等部が終われば、涼の密偵の計画は終了し、男に戻り、北海道に帰る。
こうして当たり前のように彼と居られる日々は、もう明確な数字として数えられる日数になってしまった。
その残り少ない日数を、少しでも涼と一緒に居たい。
秋に途中転入してきて、まだこんな短期間だというのに、クラスメイトたちともずいぶん打ち解けられた。他クラスの友達も増えた。
でも、そんな友人たちとの大事な思い出作りの機会を投げ打っても、優先される思いがあった。
自分のスキー合宿不参加を本気で惜しんでいるように見える涼に、麻穂はちょっぴり複雑な気持ちをいだいてもいた。涼は自分と一緒にいたいと思ってくれたりはしていないのいかな、と。
麻穂は隣を歩く涼の顔をチラチラうかがいながら、彼の本心を探ろうとしている。
そんな時。
涼の背後から突然、ある人物が元気に声をかけてきた。
「やあやあ! 今日も元気に女の子してるかい?」
びっくりして目を丸くする麻穂。
まさかの声に、振り返った涼も眉間にしわを寄せた。
底抜けに明るく話しかけてきたのは、あの高時祐真だった。
今までの冷めて余裕ぶったような澄ました笑みから一変、にこにこと満面の笑みを浮かべている。
公園で彼の想いを断って以来の再会だったが、あまりの態度の変わりように、麻穂の目は点になったままだ。
そのまま祐真は、怪訝な顔をしている涼の首にフックをかけるように腕を引っ掛け、自分の方に引き寄せる。
いきなりの行動に涼は防御ができず、体ごとよろめく。
体術を修めている祐真のこと、本気を出せば同じような体格の涼だって簡単に押さえ込めるのだろう。
「もう麻穂ちゃんに告白したの?」
涼に顔を近づけた祐真は至近距離で、麻穂がすぐ後方にいるというのに、とんでもないことを尋ねる。
「は?!」と声をあげる涼に、祐真は呆れたように言葉を続けた。
「まさか、まだ告白してないの? 心に傷を負った僕が、あれだけアシストしてあげたのに……。とにかく、ふられたらすぐ連絡ちょうだい。僕、リベンジする気満々だから」
全く悪意のない笑顔で、祐真が述べる。
涼はなんとか祐真の腕を振りほどいて、「こいつは何を言ってるんだ」と、照れと狼狽で顔を赤くしながら睨みつけた。
「お前はフラれたんだから、もっとしょげてろよ! なんでそんなに元気なんだよ!?」
麻穂に聞こえないよう二人の背中を壁にしながら小声でつっこむ涼に、祐真は「ははは」とふざけたような笑い声を返すだけ。
完全に流れにおいていかれた麻穂が、遠巻きに眺めながら、二人の背後から遠慮がちに声をかける。
「あのー……えっと、涼? 高時くん? 二人とも、いつからそんなに仲良しになったの?」
「仲良しじゃねえ!」と、涼は叫んで振り返る。すると祐真がまた口を開く。
「いやぁ。僕はもう、片岡さんの女とは思えない男気に惚れちゃって惚れちゃって。なんだったっけ、片岡さんが僕にくれたあの名言。確か『俺から見たら、お前も普通の男だよ……」
「黙れえええ!」
とんでもないことを暴露しだした祐真の口を、涼は慌てて塞ぎにかかる。あまりに騒いでいるので、廊下を歩く生徒たちもチラリと視線をやってしまう。
祐真はつかみかかる涼の腕をひらりとかわして、彼の耳元にまたささやいてみせる。
「僕も君のような格好良さがほしいものだよ。なんだっけ、『どこに居ても、俺がお前を迎えにいくぜ』だっけ?」
「や、やめろ! っていうか、なっ、な、なんでお前がそれを知ってるんだ?!」
顔を真っ赤にして制止する涼の口調が、恥ずかしさと混乱からどもる。
「ふふっ。結構君のことは気に入ってるからね。他にも色々と知ってるよ。たとえば、前に寝言で麻穂ちゃんのことを……」
「それ以上喋ったらぶっ殺す!」
祐真は本気で涼をからかっていたし、涼は必死でそれをやめさせようと食い下がっていた。
祐真と目が合えば、近寄りがたいくらいの敵意をむき出しにしていた涼が。
涼とはいつも、作り物の笑顔の壁をもって接していた祐真が。
麻穂から見ると、彼らがじゃれあってるようにしか見えない。
知らぬ間に急に近づいた二人の距離を不思議に思いつつも、それは麻穂にとってほほえましい光景だった。