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麻穂の細い指先を片手で包み込んだまま、祐真は言葉を続けた。


「前に言ったよね? 僕は君が好きなんだ。恋敵にエールをおくるような真似、すると思う?」


 祐真の顔はいつものように微笑みをたたえているというのに、声は少しも笑っていなかった。麻穂にはそれが分かった。そして背筋にゾクッと何かが走るのを感じた。


 薄くほほえんだ彼のその表情は、出会ったばかりの頃のことを思い出させる。


 初めて廊下で見かけたとき。その容姿と雰囲気で、彼のことを何も知らないというのに目を奪われてしまった。


 学園中の女子が騒ぐだけのルックスを彼は持っていたし、知性に関しても学年一位の折り紙つき。会話の端々から賢さがにじみ、紳士的な配慮を忘れない人。生徒会長として周囲の人々からの信頼も厚い。


 そして触れた彼の本性。本当の自分を受け入れてもらえず、笑顔の仮面をつけるしかない孤独な人。


 祐真は彼自身のために自分を求めてくれる。そしてきっと涼と同じくらい、麻穂のために行動しようとしてくれる。その優しさに何度頼らせてもらっただろう。


「高時くん……」


 麻穂は彼を見上げた。今まで見たことのない、思いつめたような彼の瞳。


「何度でも言う、僕は君が好きだよ。僕のせいで君が襲われそうになったとき、これまでの人生で一番感情が揺れ動いた。自分を突き動かす、怒りと焦り。後悔の念で放心するほど、僕は君のことを大切に思っているんだと、改めて思い知った」


 そう語る祐真は、つらそうに目を細め、眉根を寄せていた。


 薄暗い夜の公園で、街灯に照らされる祐真の顔。それを見つめる麻穂の丸い瞳。


「いつからこの気持ちが僕の中にあるのか、それはもう忘れてしまった。君が欲しくて仕方がないのに、手に入らない。それがもどかしくてしょうがないんだ」


 紡がれる祐真の言葉。それらが浮ついた言葉ではなく、本心からの気持ちであることはよくわかっていた。


 しかし。


 麻穂は彼に手をとられたまま、悲しげに顔をゆがめるしかなかった。


 祐真の気持ちにはどうしても応えられない。今まで何度も彼に助けてもらった、彼を頼った。申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


 でも。


 人と付き合うのは、人に好きだと伝えるのは、そんな後ろめたさを打ち消すためにしてはならないことだと、麻穂は分かっていた。


 彼は確かに誰が見ても、自分が見ても、完璧な人。そんな彼に迫られて少しもときめかないといったら嘘になる。


 それでも、麻穂の心の中にいる男の子は、ただ一人だけだった。


「麻穂ちゃん、そんな顔をしないで」


 申し訳なさそうに目を逸らす彼女に、祐真は訴えるように言った。


 そんな顔をさせるために、自分の気持ちを告げたのではない。


 いつもの自分だったらもっとスマートに、順序よく物事を運べるはずなのに。想いばかりが先走って、全てをあせらせ、自分らしさがなくなってしまう。


 祐真はいら立ちに近い戸惑いを感じていた。


 村木に指摘された通り、祐真は自分の変化を自覚していた。


 秋が近づいた辺り、麻穂と出会った時から、自分のペースが乱れていっていた。何が原因かは言うまでもない。


 黙り込む祐真に、麻穂はつらそうに眉根を寄せて、それでも声を絞り出す。


「……ごめんなさい。私、あなたとのことを前向きに考えると言ったのに……高時くんの気持ちには、応えられない」


 祐真にとらわれた細い指先が力をなくし、麻穂の胸元へと戻っていく。重ねた手が、胸の鼓動を感じている。


 前の学校のクラスメイト・田中に告白されたときとは比べ物にならない、胸の痛み。


 それは、少なくとも多少は、自分が祐真に特別な感情を抱いていたことの証だった。


「高時くんは悪くないわ。私があなたに甘えすぎていた、きっとあなたの優しさを利用していただけなの……。あなたには返さなきゃいけないことがいっぱいある。それでも、自分の気持ちに嘘はつけない。ごめんなさい、ごめんなさい……」


 一生懸命自分の気持ちを伝えているうちに、麻穂の頬を熱い涙がつたう。


 自分を見てくれない涼との未来が、真っ暗に思えていた時。彼の優しい言葉にすがってしまった。そして期待させてしまった。それは自分の罪。人を好きになることを、きっと軽く思っていた。


 祐真は自分を誰より必要としてくれている。好きでいてくれている。分かりやすい愛の言葉と、見通しの良い二人の未来を示してくれる。その道は困難が少なく、絵に描いたような幸せが約束されているはずなのに。どうしても彼を選べなかった。


挿絵(By みてみん)


 彼女の泣き顔を見つめる祐真の顔に、形容出来るような表情は浮かんでいなかった。


 マネキンのような、素の表情。周囲の人間が見たら、冷たくて怖い人だと思うだろう。いつもの余裕たっぷりに涼しくほほえむ祐真だけを知る人ならばなおさら。


 でも、麻穂には分かった。彼の表情が本当の悲しみに染まっていることに。彼の心が泣いていることに。


 祐真は麻穂の涙を拭ってやれなかった。自分にはその役目が相応しくないと分かってしまったから。


 そして、今一番彼女の涙を止められる人物がそばにいることに、だいぶ前から気がついていた。


 祐真は視線を足元に落として、静かに息を吐いた。


 もどかしい思いも、手に入らない悔しさも、彼女に受け入れてもらえない悲しみも、その深いため息に乗せてどこかへやってしまえたらいいのにと思う。


 そして、祐真は顔をあげた。


「ついてきてるんだろう?」


 突然声を張った祐真に麻穂は驚いた。こぼれる涙を拭うのも忘れて彼を見上げる。


 いつもの優しい声の響きとは違う、意志の感じられる、芯のある強い声色。


 麻穂には彼が何を言っているのかがさっぱり分からなかった。思わず動きが止まってしまう。


 周囲から何も反応がないままに、祐真は言葉を続けた。


「姿は見せなくていい。こんな夜道を彼女一人で出歩かせるわけがないことは、容易に察せられる」


 すらすらと述べられる鋭い言葉たちが、麻穂に向けてではないことをようやく理解した。


 麻穂はキョロキョロとあたりを見回したが、人影はない。


「僕が本気になれば、君がどうしてそんな姿をしているのか、すぐに明らかにすることができる。そして、その事実を白日の下に晒すことだってできる。でもそれをしないのはなぜだと思う?」


 わけが分からず彼の言葉を聞くしかない麻穂に、祐真はうっすら微笑みかけた。いつもの貼り付けたような表情ではない。やんちゃな子供のような目をしていた。


 その素顔で麻穂にほほえみかけてから、また言葉を続けた。


「それは、彼女の目にいつも君しか写っていないからだ。彼女から君を奪ってしまったら、彼女が彼女でなくなってしまうことは簡単に想像がつく。悔しい事実だけど、僕が恋した彼女は君によって作られたものだったんだな」


 大声でそれを言い切ると、ふう、と一度息をついた。


 一度目を伏せると、彼の顔はいつもの穏やかで余裕ある表情に戻っていた。


 状況が飲み込めず、大きな目で瞬きを繰り返す麻穂。泣いていたことすら忘れて、きょとんとした表情で祐真を見つめている。


 祐真はそんな彼女を、そっと抱き寄せた。


 あまりに優しく温かい抱擁に、麻穂は彼を突き放すことができなかった。


 彼からは想いを押し付けるような気持ちは感じられなかった。むしろ力を与えてくれているようにさえ思える。


(僕が心から欲しいと思っているのに手に入らないなんて、なんて難しいんだろう)


 自分の腕の中で動かない彼女。初めて抱き寄せた彼女からは、爽やかな中に甘い匂いがした。自分の胸にすっかり収まってしまう小さな彼女に、力をこめることはしなかった。この折れてしまいそうな細い体は、自分のものではない。


(でも、難しいからこそ、僕は君を好きになったのかもしれない。麻穂ちゃん、僕の知らない僕を見つけてくれて、ありがとう)


 最後の温もりを名残惜しそうに手放した祐真は、麻穂にだけ聞こえる声で、耳元にそっとささやいた。


「諦めたら、だめだよ」


 意味深長な行動と、言葉。彼はいつも自分を翻弄する。


 でもこの言葉だけは、素のままの彼から発せられた素直なこの言葉だけは、麻穂の心にじんわり染み込んで、彼女の心を温めるのだった。


 そして二人のいる公園の入口から少し離れたところに、一人の人物が佇んでいた。通りの住宅の塀に寄りかかり、二人の会話を聞いていた涼だった。


 涼は全て祐真の推理通りの行動をとっていた。飛び出した麻穂の身を案じ、寮から隠れてついてきていた。


 そして祐真の大声が、自分に向けられたものだということが分かっていた。


(高時……)


 ポツリポツリと星の浮かぶ黒い空を仰ぎ、髪をかきあげる。


 哀れみや同情と形容しては安っぽくなってしまう、言葉では表現しがたい感情が胸に去来していた。


 祐真は麻穂に、いつものように優しく言う。


「今日はこの夜道を、僕が送って帰る必要はなさそうだ。僕がいなくなったら、少しだけここで待ってみてごらん。もう一人の王子様が、君を迎えに来るはずだから」


 そう麻穂に告げると、祐真はにこっと微笑んで「じゃあね」と彼女の元をゆっくり離れていく。


 寂しそうな背中を見つめて、麻穂はしばらく動くことが出来なかった。

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