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寮の部屋に着くと、ネクタイに手をかける涼に麻穂は尋ねた。


「田中くんにあんなこと言っちゃったけど……何か考えがあるの?」


麻穂が微妙に言葉を濁しているのには理由があった。


目撃された時に一緒にいた相手が祐真だということを、涼は知らないと思っている。それゆえ麻穂は余計な単語はなるべく口にしないようににしていたのだった。


ネクタイをほどいた涼も、細かいことを問い詰めることなく、適当にに話を合わせるつもりのようだった。

ブレザーをハンガーにかけながら麻穂に告げる。


「待ち合わせには俺が行く。男の格好していけばいいだろ」


涼のまさかの言葉に麻穂は目を丸くした。


するすると制服を脱いでゆく涼と対照的に、麻穂はまだ学生鞄を両手に抱えたままだった。


「その一緒にいた男ってのがどんな奴か知らないけど、話からすると田中はそいつの姿を直接は見てないんだよな? だったら俺が行っても大丈夫だろ」


「で、でも……」


麻穂は思わず彼をじっと見上げていた。涼に向けられる戸惑いの眼差し。


涼は彼女がなぜ止めようとするのか分からず首をかしげ、彼女を横目に言葉を続けた。


「田中が言ってた男の特徴、なんだっけ。えーと、年上っぽくて、背の高い、カッコいい男? 格好良いかはどうかは主観によるとして、俺は背が高いし、同年代の中では大人びて見られる方だから大丈夫だと思うけど」


すらすらと最もな言葉を並べる涼に、「そうじゃなくて」と言おうとした時だった。


急に涼が自分をじっと見つめてきた。麻穂が「なんだろう」とドキドキしていると、涼は再び首を傾げた。


「あのさ、トイレの個室入らねえの? 俺、脱ぐぜ?」


彼の台詞にぎょっとして、麻穂は思い切り目を逸らしてしまう。


涼は堅苦しい制服姿からとっとと解放されたかったのか手早く脱ぎ、気づけばボタンの外れたワイシャツから肌色が覗いていた。


女と偽り女子寮で麻穂と暮らす涼。性別の異なる同士が同じ部屋で暮らすにあたって、二人の間の取り決めのようなものは、暗黙の了解も含め多数あった。だいぶ早い段階で二人に浸透したルールの一つが、”着替えをしない方がトイレの個室に入る”というものだった。


涼は寮に帰るとすぐに服を着替える。だからいつも麻穂は、部屋に入るそのままの流れでトイレの個室に入る。


今日は彼女がいつまでもそばにいるので、涼はずっとそれを不思議に思っていたようだ。


「ごっ、ごめん!」


麻穂は慌ててトイレの個室に逃げ込む。

勢いよく閉めた扉に背を預け、麻穂は両頬を手でおおった。


(うう、恥ずかしい……)


ただ単に、肌の露出だけで恥ずかしがっているわけではない。

麻穂は思い出してしまうのだ。


彼を看病していたとき、あらわになった体を拭いてあげた時の熱。弱っていて妙に色っぽい彼の眼差しだとか、低くかすれた声だとか。好きな相手だからこそ、ドキドキしてしまう。


こんなことではだめだと、麻穂は自分に喝を入れるように目を強くつむった。


なんとか麻穂が心の落ち着きを取り戻した頃。涼がドア越しに「待たせたな、着替え終わった」と声をかけてきた。


涼はあっという間に、部屋で過ごすスタイルになっていた。

今度は入れ替わって涼がトイレの個室にこもり、麻穂が着替えをはじめる。


着替え終わった麻穂は、すぐに彼に声をかけることはしなかった。


麻穂は想像する。


涼が男の格好をして、田中に会いに行く。あの日一緒にいた相手として。そして「麻穂とはなんでもない」と、彼に言う。


麻穂はそれらのことを思案してから、私服の上にジャンパーを羽織り、携帯電話を手にとった。


そして部屋の扉を開けてから、涼に向かって声を張った。


「涼、私ちょっと出かけてくるね!」


トイレの個室のドア越しに「えっ?!」という彼のくぐもった声がするも、麻穂はそれを聞くか聞かないかの間に、部屋から飛び出した。


麻穂は涼に追いつかれないようにと走って玄関に向かい、そのまま外へ。




涼はきっと自分を追っては来なかったのだろう、と麻穂は思う。彼が本気で自分を追いかけたら、自分などつかまらないわけがないのだから。


麻穂は夕暮れに沈む住宅街を歩きながら、ある人に電話をかけた。


「もしもし……あの」


電話の先の主は、麻穂が名乗らずとも、声と話し方で彼女とすぐに判断したようだった。


「麻穂ちゃん? 電話してくれるだなんて、珍しいね」


電話の相手は祐真だった。


「いきなりごめんね。今から会えない?」


彼女のまさかの申し出に、祐真は一瞬会話を止めた。電話越しに意図を読み取ろうと思考を働かせる。


彼女が「なんとなく」で自分に会いに来ることがないのは分かっている。


連絡が来るときは何かしら自分頼ってくるときで、涼に頼ることができないとき。そして大概が涼を守るため、かばうため。

声に申し訳なさそうな響きがにじんでいるのも、その後ろめたさゆえだろうと祐真は分析した。


麻穂が自らの意思で自分に会いに来たがるわけがないことを分かっている。そんな冷静過ぎる自分の判断を、祐真は頭の片隅で自嘲するしかなかった。


「麻穂ちゃんが僕に会いたいなら、どこにだって行くよ。今、外にいるみたいだね? 場所を教えて」


祐真は歯の浮くようなセリフを至極まじめに口にしたのち、彼女に場所を尋ねた。十五分で行けると思う、と待ち合わせ場所を指定して、電話は切られた。


通話終了の表示が浮かぶ画面を見つめ、麻穂は悲しげに眉をひそめた。


(高時くん……いつも頼ってばかりでごめんね)


思えば彼からは、色々なものを与えてもらってばかりだった。

彼の気持ちに何一つ応えたことのない自分。彼の親切心を利用しているようで、罪悪感が胸をきしませる。


(それでも、どうしても涼に高時くんの代わりの役はやってほしくないの)


目を閉じればまぶたに浮かぶ、男の姿をした涼。

そんな彼が田中に「麻穂のことはなんとも思ってない、好きでもない」と告げる。


それが演技だったとしても、麻穂は彼にそんなことを言って欲しくなかった。


自分を好きになってくれなくたっていい。だけど、なんでもない存在のようにされたくはなかった。


自分の勝手なわがままだということはよく分かっている。


でも、言葉に出されたら、それが本当になってしまいそうで。


待ち合わせ場所は、女子寮から少し歩いたところにある公園だった。住宅街にあるその公園は、日が暮れたためかまったく人気がない。


麻穂がここに訪れるのは二回目だった。


最初に訪れたのは、転入してきてすぐの夜。悩む自分を、涼が気分転換にここに連れ出してくれた。


その時は寮の門限をすっかり過ぎていて、窓から部屋を出た。


初めて破った規則。大きすぎた涼の靴。非日常にとてもドキドキしたのを覚えている。ほとんど歩くことのなかった夜の街を、涼に案内されて歩いた。夜の空気を嗅ぐとその時のことをありありと思い出せる。あの夜のことは二人だけの秘密。


思えばあの時から、涼はいつも自分を守って、安心させてくれていた。



挿絵(By みてみん)



あの時と同じようにブランコに座ってぼうっと色んなことを思い出していると、祐真が姿を現した。

私服姿の彼は、急いで来てくれたのか少し息が上がっていた。


「お待たせ」


麻穂を見つけて、祐真が微笑む。


麻穂は立ち上がって彼に駆け寄った。彼の顔を見上げて、申し訳なさそうに言う。


「急に呼び出したりして、ごめんね」


祐真は「大丈夫だよ」と返す。


「ちょっと困ったことになって……。あの、お願いがあるの」


「今度はどんなお願いなのかな?」


茶化すように言ってくる祐真に、麻穂は「もう」と口をへの字にした。


「実はさっき、前の学校の同級生が来て。私と高時くんが一緒に出かけたところを見て、いろいろ誤解しちゃってるみたいで……。その男の子に、私とはなんでもないよって言ってほしいの」


麻穂のかいつまんだ説明を脳内で変換していく祐真。ピンときたようで、「ああ」と声をあげた。


「つまりその男の子は、麻穂ちゃんと僕がラブラブだと思ってるわけだね?」


彼のおかしな言葉選びに、思わず麻穂は肩を落とす。


「ラ、ラブラブって……。確かに、そういう感じの勘違いではあるんだけど……」


呆れつつも肯定するしかない。


祐真は更に笑顔で続けた。


「そして多分その男の子は、麻穂ちゃんのことが好きなんだね」


「えっ! どうして分かるの?」


反射的に聞き返してしまう麻穂。

分かるに決まってる、と祐真は唇を弓なりに曲げた。


「分かるよ。どうでもいい女の子が誰と付き合ってるか、誰を好きかなんて、普通の男の子は気にしない。でもそれが好きな女の子のことだったら、話は別。転校していった子のところにだって、わざわざ来ちゃうかもね」


自分の考えを披露してみせる祐真に、少しも間違いはなかった。

まるで告白された現場を見てたのかと思うような語り口だった。


「高時くんの言ってること、多分ほとんど合ってるわ。その人に……告白、されたの」


観念したように正直に認める麻穂。最後の言葉が少し詰まってしまったのは、そのことを思い出した恥ずかしさから。


気まずそうに目を逸らす麻穂に、祐真は「ふふっ」と小さく笑ってみせた。


「隣にいた美人さん、青い顔してなかった?」


「涼のこと?」


麻穂が不思議そうな表情で聞き返すと、祐真が「うん」と首を縦にふる。

どうして彼がここで涼の話を出すのかが分からなかった。


「青い顔……かは分からないけど、そばにいたわ」


何故そんなことが分かるのだろうと、不思議そうに麻穂は小首をかしげる。


それは祐真にとって簡単に想像のつく展開だった。でも、麻穂には説明してやらなかった。


代わりに祐真は麻穂の手をとった。彼女の指先を自分の口元に寄せて、目を細めてこう口にする。


「僕は誤解を解かないよ」


突然の行動、そしてその言葉に驚いた麻穂は、目を大きく見開く。


自分の指先がかすかに、彼の唇に触れたような気がした。

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