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 麻穂と涼が並んで下校する。周りに生徒の姿は少ない。


 部活動をしていない二人はいつも、ほかの生徒たちよりかなり早く帰っている。それでも夕日はもう沈みはじめていた。


 コートに包まれた二人の体を打ち付けるように、北風が吹いている。


 麻穂は両手に手袋をして、涼は両手をポケットにつっこんで、足早に帰路を進む。


 最近は日が暮れるのが早いから必ず自分か誰か複数とで帰ること、と涼は麻穂にきつく言っていた。


 しかし「暗くなると危ないから」というのは建前で、本当に心配なことはほかにあった。


 それは、逆恨みした不良たちがまた麻穂を襲ってこないかという懸念だった。


 涼は決してそれを口に出さなかった。麻穂が怖がるといけないと、彼女の気持ちを一番に考えてのことだった。


 けれど暗い道が危ないというのは、あながち建前だけというわけではない。


 ここ一帯に大きな私立学校とその付属寮があることは有名だったし、時には変質者が出ることもあるという。


 すると、その時。


「……なんだ、あいつ?」


 突然、寮の近くで涼が歩みをとめた。彼につられて麻穂も足をとめる。


 涼は目をこらす。


 視線の先。女子寮の近くに、キョロキョロとあたりを見回しているジャージ姿の男が一人。背格好からして恐らく同年代くらいだと思われる。


挿絵(By みてみん)


 麻穂も気がついて声をひそめた。


「誰かいるね……。うちの学園の男の子かな?」


「高時みたいな野郎は例外として、杉浦の男子だったらこんなとこに一人ではこねえよ」


 男は手元を覗き込み、寮の入口をながめ、周りを確認することを繰り返している。


 そんな彼は二人を認識すると、こちらに近づいてきた。


「あのー」


 涼はこちらに近づいてくる彼に対し、一歩前に出た。麻穂を背中に回すためだ。


 その男から敵意や不審さは感じられなかったが、麻穂は以前の例もあり大人しく涼の後ろにつく。


「何か?」


 涼は丁寧に話してはいるが、相手の素性が知れないためか警戒心の強い口調だった。


「ここの近くに、杉浦学園ってありませんか?」


 近くで見るその男は涼よりは背が低いが、体格が良く肩幅が広かった。服を着ていても分かる、スポーツをしている体型だ。


「私、そこの生徒ですけど、何かご用で?」


 いぶかしげに涼が問うと、男は言いにくそうに口ごもる。


「その、知り合いを探してて……」


 麻穂は涼の背後からチラリと男を覗き見た。


 男子にしてはパッチリとした目の彼に対し、どちらかというと目つきが悪い涼。こうしてかばってくれているのに申し訳ないとは思いつつも、まるで優等生が不良に絡まれているように見えてしまう。


 しかしその時、曖昧だった麻穂の記憶が一瞬で蘇った。


「えっ、もしかして田中くん?」


 驚きの声をあげた麻穂に、二人の視線が集まる。


「……杉浦?」


 麻穂は涼の背後から姿を見せ、田中と呼ばれた男に近づいた。


「久しぶり、元気だった?」


 驚きつつも表情に笑顔をにじませる麻穂に、田中は少し恥ずかしそうに答える。


「うん、久しぶり……俺は元気。杉浦も元気そうだね」


「田中くん、変わらないね。あ、でも結構背が伸びたのかな」


「杉浦は髪切ったんだな。遠目からじゃ分からなかった」


 二人の流れに置いていかれた涼が、麻穂に説明を求める。


「麻穂、知り合いなのか?」


「あ、うん。前に通ってた学校のクラスメイトなの」


 麻穂に紹介された田中は、涼に小さく会釈した。


 涼は田中が麻穂のことを“杉浦”と呼んでいることに気がついた。麻穂が出会ったその日に教えてくれたことを思い出す。


 麻穂の本名は“杉浦 麻穂”。


 理事長の孫娘である彼女は、都内屈指の有名私立である杉浦学園にコネで転入してきた。それを隠すため、婿入りした父親の旧姓である“吉瀬”の姓を名乗っている。


 前の学校の知り合いであれば、彼女を本名で呼んでいることにも合点がいった。


「田中くんにも紹介するね。私のクラスメイトで、寮で同室の片岡さん」


 麻穂は隣に立つ涼を、当然ながら女として紹介する。


 涼は「どうも」と小さく顎を引いた。


 田中は涼にもう一度深く頭を下げてから、改めて麻穂に向き直った。


「俺、杉浦が寮に入ったって知らなくて、この間杉浦の家まで行っちゃったんだ。親御さんから何か言われたらごめん。迷惑かけるつもりじゃなかったんだけど……」


「言ってなくてごめんね。転校するのも寮に入るのもすごく急なことだったから……。ところで今日はどうしてここに? 平日の夕方なのに、部活は大丈夫なの?」


 麻穂が尋ねると、田中の表情がぎこちなくこわばった。ためらう唇が、何度かわななくように動く。


 涼は何やら嫌な予感がしていた。田中の態度に思うところがあったのだ。


「今日は……杉浦に会いに来たんだ。ちょっと、気になる話を聞いて」


 意を決して言葉を発した田中に、麻穂はぱちくりと大きくまばたきをする。


 特に杉浦学園に接点のない彼がここを尋ねてくる理由は、自分に会いに来ることくらいしか思いつかない。しかし突然何の連絡もなしに訪ねてくるのは、まじめな彼らしくないと麻穂は思った。


「気になる話、って?」


「えっと、その、俺が見たわけじゃないんだけど……この間うちの学校の近くで、杉浦を見かけたってやつがいるんだ」


 その言葉を聞いて、麻穂はドキっと胸が鳴るのを感じた。


 心当たりがある。


 祐真に涼をかばうための嘘をついてもらったお礼に、彼の望みで二人で外出をした。祐真はそれを“デート”と呼んでいたけれど。


 その外出先が、麻穂の前の学校の近くだったのだ。


「杉浦を見かけた時、男と二人でいたって聞いて。年上っぽい、背の高い、カッコいい男と仲良く歩いてたって」


「……へ?」


 数秒のフリーズ。そして光の速度で駆け巡る思考。


 すぐに麻穂は頭の中がパニックになった。


「あー! えーっと、そのー……」


 素っ頓狂な声を上げるしかない麻穂。どこから否定、訂正をしたらいいのかわからなかった。


 それに何より、隣に立つ涼になんと説明したらよいのか。彼には一番、変な誤解をされたくなかった。


 対する涼は、麻穂が隠しているつもりの事情を本当は知っている。不機嫌そうに眉間にしわを寄せた。


「と、とにかく違うの! 全然違くてっ! その日はたまたまその人と一緒にいたけど、仲良いとかではなくて……」


「付き合ってる人、とかじゃないんだよね?」


「も、もちろん!」


 田中の確認にそれはもう何度も深く頷いてみせる。それは麻穂にとって、田中に対してというより涼に対してのアピールだった。


 激しく否定する麻穂を見て、安心したように田中は息をついた。


「よかった。俺、話を聞いたらいてもたってもいられなくなっちゃって。そんなことだけが心配で、部活サボってここまできちゃったんだ」


 彼の言葉の真意が分からず、小動物のように小首をかしげる麻穂。


 勘の鋭い涼にはこの先の展開が読めていた。警告を発するような胸騒ぎを感じるも、どうすることもできない。


「杉浦が転校する時、言おうって思ってた。でも言えなくて、すごく後悔した。家に行ったら住むところまで変わってて、諦めるしかないと思ったんだ。でもやっぱり、杉浦の話を聞いたら気持ちが止まらなくなっちゃって」


 神妙な田中の態度に、麻穂は何かを察して肩をすくめた。薄く開かれた口から、「えっ……」と吐息混じりの声が漏れる。


「多分、杉浦は俺のことをそういう目で見たことは一度もないと思うけど、俺はずっと好きでした。友達以上恋人未満からで構わないから、俺を彼氏候補にしてくれませんか」


 改まった彼の、強張った台詞。赤みを帯びた頬と耳。それでも真っすぐ自分を見つめてくる瞳。


 言われると覚悟した台詞でも、いざ口に出されるとそのインパクトに何も言えなくなってしまう。


 麻穂は口を手でおおってしまう。彼は今まで全くそんなことを考えたことがない相手だった。でも彼は、自分をずっとそういう風に見ていた。そのことに驚きを隠せなかったのだ。


「田中、くん……」


 思わず彼の名が口をついて出る麻穂。


 そしてその傍に立ちながらも目を逸らすしかない涼。


 こういう時、自分は何も言うことができない。邪魔する権利も、怒る資格もない。涼は自分の心が冷えていくのを感じていた。


 彼女の傍に女の姿をした自分がいても、男は麻穂に告白する。自分の存在は何の障害にもならない。


 麻穂を好きになる人間は祐真だけではないと分かっていたはずなのに。目の当たりにして、自分の男としての無力さをまざまざと思い知らされた。


 この男と麻穂がどのくらいの付き合いなのか、どのくらい親しいのか、涼には分からない。祐真とは違い嫌味のない男だったけれど、麻穂を渡したくはない。


 今すぐさえぎってやりたいのに、邪魔できない。わずらわしい女の姿、女子生徒としての自分。ただそばで立ち尽くすしかなかった。


 緊張に染まる田中の表情から目をそらし、麻穂は頭を下げた。


「……ごめんなさい」


 麻穂は勇気を出して、彼の告白を断った。


 言葉を継ごうと顔を上げたが、先に口を開いた田中に言葉を奪われる。


「いいんだ、なんとなく分かってたから。転校する前から、杉浦は俺のことをそういう風に思ってなかったこと、分かってた」


 困らせないように精一杯笑ってみせていて、それが余計に麻穂を辛くさせた。


「あっ、あのね、田中くんはすごくいい人よ。分かってるの。入学したての頃、私がなかなかクラスに馴染めなかった時も、毎朝声をかけてくれて……」


「杉浦。嬉しいけど、それ以上言われると諦め難くなるから」


 彼女の言葉を遮って、田中は言い切った。


 何を言っても、それがフォローの言葉であるほどに彼を傷つけてしまう。眉毛がすっかりハの字になってしまった麻穂は口をつぐんだ。


「なあ、最後に教えてもらえないか? 杉浦が俺の気持ちに応えられないのは、誰か他に好きな人がいるから? 付き合ってる人がいるから? それとも、俺じゃダメだったから?」


 真剣な眼差しで迫られて、本当は素直な気持ちを言いたかった。


 「好きな人がいるの」と。


 しかし隣にその相手である涼がいる状況で、そんなことが言えるわけがない。涼がそれを聞いたなら“涼以外に好きな人がいる”と勘違いしてしまうことだろう。


 でも「好きな人はいない」と答えれば、消去法で“田中がダメ”ということになってしまう。田中が良い人であるとわかってるからこそ、麻穂は相応しい言葉を探せなかった。


 しばらくの沈黙のあと、待ちきれなくなったのか田中が再び麻穂に迫る。


「どうして何も言ってくれないの? 俺を傷つけないために、気を使ってくれたりしなくていいよ。俺は杉浦を諦めるために訊いてるんだ。お願いだから、正直に言っ――」


「ストップ。麻穂が困ってる」


 勢いづく田中の両手が、うつむく麻穂の肩をつかもうとした瞬間だった。


 二人の間に涼がひょいと自分の学生鞄を差し込んだ。


 麻穂と田中の問題に、自分は介入してはいけないとわかってはいた。しかし困惑し果てている彼女を見かねて、体が勝手に動いてしまったのだ。


 それに何より、麻穂に触れようとする田中を見て動き出す体が止めれなかった。


 こうなったら腹を決めるしかない、と涼は見下ろすようにして視線を田中に向けた。


 涼の行動で、田中はようやくヒートアップした自分に気づいたようだった。


「ごめん」


 行き場のなくなった両手が、消え入るような謝罪のセリフとともにゆっくり戻っていく。


(涼……)


 涼の行動に麻穂はただ彼を見上げていた。彼の冷淡な横顔からは何も読み取れなかった。


 涼は自分を傷つけようとするものからいつも守ってくれる。それがどんな気持ちからなのか、麻穂には分からなかった。


「……杉浦、最後にひとつだけ聞かせて。この間一緒に居たっていう、背の高い男の人のことは、好きじゃないんだよね? 付き合ってるわけじゃないんだよね?」


「うん。その人とはその日は確かに一緒にいたけど、仲が良さそうとかいうのは、見た人の勘違いよ」


 麻穂が深くうなずいたのを見て、田中は決意をしてこうお願いした。


「じゃあ……その人に会わせてほしい。直接その人の口から、『杉浦とはなんでもない』って聞きたい。そうしたらちゃんと諦められるから」


 「えっ?!」と声を上げたきり、麻穂の表情が固まってしまった。


 隣に立つ涼も大きくため息をつく。どうしてこう面倒くさいことを言ってくる奴がいるのかと。


(高時のことだ、麻穂が頼めばどこにだってついてくるだろう。ただ、「麻穂とはなんでもない」なんてセリフ、麻穂を狙ってる男に言うとは思えないな)


 頭の回転が早い涼が、返事の出来ない麻穂のかわりに田中に言ってやる。


「……分かった。その男を連れてくるから、一週間後の夜、駅まで来いよ」


「涼?!」


 勝手に了承してしまったことに驚いて、大声で彼の名を呼んでしまう。


 涼はチラリと麻穂に視線を送った。これまでの付き合いから分かる、「合わせておけ」の合図。


 彼の機転が間違えていたことは今まで無い。麻穂は意図が理解できないながらも、うなずいて同意して見せるしかなかった。


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