4
涼と麻穂は、寝るまでの時間を涼の持っているテレビゲームをしながらすごしていた。涼は沢山のソフトを持っていた。
「なあ麻穂?」
涼はコントローラを握りながら声をかけた。レーシングゲーム中、画面の中の車が激しくドリフトする。
「さっき麻穂を迎えに行った時、誰か人の影が見えたような気がしたんだけど、誰かと一緒に居たのか?」
麻穂は一瞬ぎくっとしたが、出来るだけ平静な声色を保ったままこたえた。
「関係ない人だと思うよ」
なるべくテレビの画面に集中しながら答えた。
「あのさぁ、麻穂。慣れないことはしないほうがいいぜ?」
涼が視線もくれずに、ため息混じりに言う。
「な、何が?」
うわずった声で答える麻穂が、瞳をすばやく動かした。
「嘘ついてるだろ。分かりやすいぐらい態度が変わってる」
麻穂は涼の言葉に、一度ついた嘘を貫き通すか正直に話すか迷っていた。
「ほら、その沈黙でもう"私は嘘ついてます”って証明してるようなもんだろ」
涼はゲームの車を見事一着でゴールさせると、コントローラを手放して麻穂に向き直った。いたずらな笑みをうかべながら、
「話しちまえよ。楽になるぜぇ」
と麻穂の表情をうかがっていた。
「涼ってば、ずるいよ」
麻穂はテレビを睨んでいた視線を涼へと移すと、半分泣きそうな声で悲痛に訴えた。ゲームの車はゴール前でエンジンをふかしている。
「あたしはもっとうまく嘘をつくからな」
と言って、涼はふふんと髪を耳にかきあげた。
麻穂はしばらく涼とにらみ合って、ふぅと息を吐くと、「負けました」とばかりに肩を落とした。
「あのね、あの時路地に高時祐真がいたの。知らない男の子二人組に暴力を振るってるところを見ちゃって……」
仕方なさそうに説明する麻穂に、涼は真剣な面持ちで質問する。
「麻穂は高時と一体どういう関係なの?」
「え?」
涼の言葉に、麻穂が分かりやすいくらいに動揺を見せる。
「だって、あたしが昼間一回だけ言った高時の名前をフルネームで覚えてるなんて、何かあるとしか思えないじゃん」
何とか取り繕う言葉を探して視線をさまよわせる麻穂をじーっと観察して、涼はひとつの答えを出した。
「もしかして、高時に惚れた?」
冷やかすでもなく至って真面目に訊いたのだが、麻穂はムキになって「そんなわけないでしょ!」と叫んだ。
「否定するところがますます疑わしい……麻穂って彼氏いないの?」
涼は自分の顎に手を添えて、まるで推理をする名探偵のように言葉を紡ぐ。
「彼氏はまだできたことないけど、私はちゃんと自分で恋愛して、自分で相手を選ぶよ。たとえ遅くなってもそれが人を好きになるってことだと思うし」
落としていた目線を上げて、しっかり涼の目を見据えて麻穂が言う。涼はそれに応えるように視線を送っていた。
「恋愛ねぇ」
麻穂の言葉を心の中で反芻させながら涼がぼそっとつぶやく。
今度は麻穂が涼に疑問を投げかけてみた。
「涼は彼氏とかいないの?」
「いるわけねーじゃん」
即答されたが、麻穂は屈せず言い返した。
「そんなことないよ。涼、美人だもん」
涼は片眉を吊り上げて、ゆっくりと言葉を繰り返した。
「あたしが、美人だと?」
「うん」
麻穂は真顔でコクリと頷く。
「やめてくれよ、気持ち悪い」
涼はげっそりした表情で両肩を上げた。
それを見て、麻穂は必死にフォローを入れる。
「お世辞じゃないよ! 本当にそう思ってるんだから!」
「いや、本当に思われてたら、それこそ本当に鳥肌立つわ」
「涼は遠慮しすぎだよ、もっと自信もって!」
「もたねぇよ」
そうぶっきらぼうに言い捨てて、涼は自分の勉強机に向かってしまった。
麻穂はしばらく涼の背中を見つめて、考えていた。涼は学校でも寮でも決して着替えを見せないし、女性性を褒める言葉も素直に受け取らない。涼には何かあるのではないかと、麻穂は考えていた。
涼は自分の学校指定学生かばんを取り出して、教科書を出し入れしている。
麻穂はふと気がついて、テレビ画面の中でエンジンをふかしっぱなしの車をゴールまで進めた。ようやく全部の車がゴールしてゲームが終了する。麻穂はゲーム機のスイッチを切ると、自分も机に向かい明日の準備をし始めるのだった。
翌日、いつものごとく寝坊がちな涼を必死に引っ張りながら、麻穂は登校した。
その際に登校する人の流れの中できょろきょろしていると、寝ぼけている涼に気だるそうにに指摘された。
「高時さがしてるんだろ?」
「ち、違うよ!」
麻穂は慌てて否定するが、その姿がまた疑わしいとばかりに涼は怪しく微笑んだ。
「もうっ、早く行かないと遅刻しちゃうよ!」
麻穂は怒って一人で足早に歩き出してしまう。しかし涼が大股で歩くと、それに余裕で追いついてしまっていた。
教室に行くと、麻穂は早速新しいクラスメイトに挨拶をされていた。クラスにうまく馴染んでいる様子を見て、涼は安心してあくびをひとつした。
「おはよー、涼」
クラスメイトの女子の一人が涼に話しかける。涼が「はよ」と短く挨拶を返した。
「麻穂ちゃんと一緒の部屋はどう? 涼はずっと一人部屋だったもんね」
「んー、まあな。相部屋も悪いもんじゃねえとは思うけど」
涼は肯定するも、何か含んだ様子だった。
そこに、女子たちの会話の輪から抜けてきた麻穂が顔を出した。
「涼、何の話してるの?」
麻穂が無垢な表情を向けているのを見て、クラスメイトの女子はにっこり笑ってこういった。
「麻穂ちゃんは可愛いねって話してたの。ねっ、涼?」
「ばっ、馬鹿いうなよ! あたしはそんなこと言ってないだろ!」
突然ムキになって否定し始める涼を、不思議そうに見つめ返してクラスメイトの女子は言う。
「じゃあ麻穂ちゃん可愛くないってこと?」
その言葉に涼は一瞬たじろいだ。
「だ……そんなことも言ってないだろ!」
そう言って麻穂のほうを一瞬ちらりとうかがうと、きょとんとした表情で麻穂が見つめ返していた。
涼の頬がほのかに紅潮する。
「涼、何で赤くなってるの?」
麻穂が尋ねると、涼は片手で顔を扇ぎながら「なんでもねえよ」とはぐらかした。
「ちょっと、片岡さん?」
現われたのは、如月雪乃だった。相変わらずの優雅な仕草である。
「あん? 何だよ」
涼が振り向くと、目の前には数学のノートが差し出されていた。
「授業の予習をしていたのですけれど、この問題が分かりませんの。あなたなら分かるんじゃなくって?」
涼は雪乃の差し出したノートを受け取ると、眉を寄せてにらめっこを始めた。
麻穂は内心、プライドの高い雪乃が相性の悪い涼にわざわざ質問しにくることを意外に思っていた。それを察したのか他の女子生徒が耳打ちする。
「涼は学年でもトップクラスの成績なのよ。雪乃より上のね」
「そうなんだ、意外……あっ」
麻穂は思わず本音を漏らしてしまってから、慌てて口を塞いだ。
問題を解き終わった涼が片眉をあげて、
「アホ面で悪かったな」
と麻穂に言い放つ。
「ほらよ、ここはこの公式を使って出た解をこっちに当てはめて……」
すらすらと雪乃に説明していく涼を見て、本当に勉強が出来るんだと麻穂は感心してしまう。
朝のショートホームルームが終わり授業が始まると、あれだけ朝ぎりぎりまで寝ていたというのに涼はまたぐっすりと眠っていた。麻穂は感心した自分が馬鹿みたいだと思った。
そんな彼女が考えるのは、昨晩のこと。
高時祐真との邂逅。昼間はあんなに好青年だったのが、夜は暴力漢。
確かに見た目が格好いいのは麻穂も認める。しかし暴力を振るう人間を許すことは絶対に出来なかった。
それにしてもどうして彼は、あんな時間にあんなところにいたのだろう。少年たちに暴力を振るっていたのだろう。そして傍にいた猫はやはり祐真が守ろうとしたものだったのだろうか。
「わかんないなぁ……」
シャーペンのお尻を噛んでつぶやいた麻穂の頭上から、担任・園山の声が降ってくる。
「何がわからないって?」
その顔は満面の笑みだが、その後ろには冷たい感情がうっすらと見え隠れしていた。
「えっと、あの、その、この問題が……」
麻穂が適当に英語の穴埋め問題を指差すと、園山はにっこりと笑いながら言った。
「そこは今答え合わせをしたばっかりのところだろう? 吉瀬」
「あっ、そうでした、すみません……」
教室の関心が自分に注がれるのを感じて、麻穂は肩身を狭くした。
「しっかりしてくれよ。まあ……」
ため息をついた園山の目つきが急に険しくなったと思うと、一番後ろの席の涼を指差して大声を張り上げた。
「同室の片岡は寝てるけどな!」
「うわぁ、なんだってぇ?!」
園山の大声に涼が寝ぼけ眼で飛び起きると、クラス中に笑いが起こった。
「二人してあたしの授業で上の空ったぁいい度胸だ。放課後職員室に来い!」
麻穂は泣きそうな顔をして「えっ」と声を漏らし、涼は「えぇ~?!」と大声で不満を垂れた。
麻穂が涼をちらりと横目にうかがうと、視線が合った。涼は目尻を指で吊り上げて、怒る園山の真似をしてみせた。
それに麻穂が思わず吹き出しそうになるも、麻穂の隣の席の女子生徒が先に笑いだした。そして麻穂に声をかけた。
「吉瀬さんって意外と大胆なのね」
ヒソヒソと小声でそういわれて、麻穂は思わず目を見開いた。
「うんうん、もっと絵に描いたようなおりこうさんで、大人しい子かと思ってた」
前の席の女子生徒も振り返って賛同する。
「そう、かなぁ」
麻穂が照れたように笑ったところ、園山の怒声が飛ぶ。
「コルァ! てめえら、通知表に0つけてやろうか?!」
園山が一喝すると三人は一斉に姿勢を正した。
涼はそれを見てケタケタと笑っていた。
放課後。涼と麻穂は荷物をまとめると、職員室へ向かった。
もっとも、涼は最初から行かない気でいたのだが、麻穂がやはり行かなくてはならないと説得して二人で行くに至る。
「めんどくせえよー。園山の呼び出しなんてシカトしたって問題ねぇって」
「ダメだよ涼。ていうか、園山“先生”って呼ぼうよ」
面倒臭そうについていく涼に、麻穂がまじめに注意する。
「いいんだよ。あいつはそういうの気にする奴じゃねえし」
「あいつって……口悪いよ、涼」
再び麻穂がたしなめるも、涼はその言葉をかわすだけだった。
二人は帰寮や部活に賑わう人ごみを抜け、教室からそう遠くない職員室へ。
職員室に入るとすぐに、コーヒーの香りに包まれた。喫茶店かと思うくらいの
濃い香り。放課後を無事に迎えた教員たちが、午後の一杯をかわしているところだったのだろう。
「片岡じゃないか」
突然、がたいのいい角刈りの男性教員に話しかけられて、涼はその人を見上げた。
「ああ、大作センセ」
涼が素っ気無い反応を返す。するとその男性教諭・大作は涼の頭を片手で丸々掴んでしまった。
「うわっ、やめろ! 何しやがる!」
涼がそこからなんとか抜け出すと、乱れた髪の毛もそのままに大作に食って掛かる。
「お前は本当に運動部に入らないと勿体無い女子だよな。背も高いし、運動神経抜群だし。って、一年の頃からずっと言ってるのになぁ」
「あたしは汗とかかくの嫌いなんだよ。熱血とかも苦手だし」
「現代っ子め」
なんとも涼らしい理由に麻穂が苦笑していると、後ろから声をかけられた。
「なんだ、お前らきてたのか」
「園山先生!」
麻穂が向き直ってお辞儀をする。
涼がかったるそうに振り返ると、大作は「じゃあな。努力は惜しむなよ」と言って去っていった。
「本当に来たんだな。まじめだなぁ、吉瀬は」
そう言って麻穂の頭を笑顔でなでる園山に、涼は「あたしも来てるっつーの!」とつっこみを入れた。
「どうせ吉瀬が誘ったんだろう?」
「うるせえ」
図星をさされて涼はぷいと横を向いた。
園山の案内で、英語教官専用の部屋に向かう。狭いが静かな部屋だった。英語の参考書が棚にずらりと並び、5つほど机がおいてあるだけだった。
「まあ座れよ」
園山が席を勧めるも、涼は座らず面倒臭そうに口を開いた。
「なあ、どうせ話なんてねえんだろ。早く帰してくれよ」
涼がうんざりしたように言うと、園山はそれよりさらにうんざりしたように肩をすくめ、
「可愛いいとこを心配してやってるっていうのに、なんだよその言い草は」
と言い返す。
麻穂はきょとんとしてまばたきを繰り返し、二人を交互に見てから、疑問をつぶやいた。
「いとこ?」
麻穂のつぶやきに、園山が首を傾げた。
「あら? お前、この子に“何も”説明してないのか?」
やけに「何も」という部分を強調して言う園山。
涼は顔をそっぽ向けて、
「“何も”言ってねぇよ。余計なこと言うんじゃねえ」
と釘を刺すように言った。
すると園山はニヤリと唇を皿形に曲げ、麻穂に向き直る。
「私の父親とこいつの父親は兄弟なんだ。私は結婚して苗字が園山に変わったんだけど」
「ああ、だからいとこ……そうなんですか。よく見ると似てますね、目つきとか」
麻穂が二人を見比べて、悪意無く言う。
しかしながら涼は嫌そうに、
「えぇ、こんな奴に似てるだなんて言うなよ……」
と言葉を搾り出した。
「おいおい、それはこっちの台詞だよ。お前みたいに目つき悪くないからな」
それに園山が負けじと言い返す。
麻穂は内心で、「道理でキャラが濃い二人だと思った」と思うのであった。