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 二人の待ち合わせ場所は、互いの寮の最寄駅から電車を二本乗り継いだ先の駅だった。


 祐真は中間地点にある学校の前か最寄駅を提案したのだが、同じ学校の人に見られたくないという麻穂の強い希望で、思わぬ遠出になってしまった。

 しかもこの駅は麻穂にとってかなり馴染み深い場所だったりする。ここは麻穂が前に通っていた学校の最寄駅だった。


 麻穂は涼に選んでもらったワンピースの上にコートをはおり、伸びてきた髪を少しだけアレンジした。


 祐真のために気合を入れておしゃれをしていくのは、知られていないとはいえ同室にいる涼の手前申し訳なく思ったし、祐真に対して恥ずかしくもあった。でも手を抜いていくのは女の子として嫌だった。その間をとった格好だった。


 待ち合わせの駅に着くと、十五分も早く来たというのにそこに祐真の姿を発見した。


 濃い色のパンツに明るい色の革靴。シンプルだがしっかりとした生地のジャケットでコーディネイトしている。実年齢よりかなり上に見えるファッションと、それに似合う落ち着いたルックス。


 到着して数分で、麻穂は「もっとおしゃれしてきたらよかった」と強く後悔した。


 駅前広場のベンチで薄めの文庫本を読んでいた彼は、麻穂の存在にすぐ気がついた。


「麻穂ちゃん。早かったね」


 本を閉じて微笑む彼の隣に、麻穂は少し距離をあけて座った。


「高時くん何時から待ってたの? ずいぶん早くない?」


「僕もさっき着いたばっかりだよ」


「嘘ついてるの分かるんだから」


 祐真がさらっと述べた言葉に、麻穂は唇を小さくとがらせた。

 その様子を見て、祐真はセリフとは裏腹に嬉しそうに笑った。


「はは、嘘がつけないってつらいな。早く来てたに決まってるじゃないか。楽しみで仕方がなかったし、デートで女の子を待たせるなんて失礼でしょ」


「これは、その、デートとかじゃなくて……」


 彼の言葉を否定しようとする麻穂の目の前に、祐真は顔を近づけた。


「僕にはそう思わせて。それに、男の子と女の子が二人きりで出かけてるんだもの、周りだってデートだと思ってるよ」


 祐真が視線だけで周囲を示す。昼過ぎの駅前広場には男女二人の組み合わせが目立った。年齢は様々だが、彼らが幸せそうに一緒にいることは間違いなかった。

 祐真は、でしょ? とばかりに微笑んでみせる。


「も、もうっ。高時くんたら……」


 麻穂は恥ずかしくて、わざと膨れてみせるしかなかった。


 二人は駅前から近くの大きな公園へ続く道を歩いた。日曜ではあったがそれほど人通りは多くない。静かな町並みを抜けていく。

 整備された道には等間隔で街路樹が植えられていた。

 祐真はいつもさりげなく車道側を歩いてくれたし、何も言わなくても自然に歩幅を合わせてくれた。


 ここが麻穂にとって馴染み深い場所であること、前の学校の話、今の学校の話、好きな本の話、文化祭の時の話。他愛もない事をたくさん話した。あの先生の授業は面白いとか、あの生徒がこんなことをしていたとか。

 もちろん祐真は忘れることなく、さらりと今日の麻穂の服装や髪形を褒めてくれた。


 すれ違う人々は皆、祐真のことを見ていた。杉浦学園中の女子を騒がせる容姿の持ち主の彼である、それも当然のことだろう。


 そんな彼の隣を歩くのが自分であることに、麻穂は申し訳なさと肩身の狭さを覚えていた。祐真を見てくる人たちが、なぜこんな普通の子と一緒にいるのか、と疑問に思っているようにさえ感じられた。

 髪を巻いてみたりしたところで状況が大きく改善されるようにも思えないけれど、もっとおしゃれをしてきたら良かったと、麻穂は本日二度目の後悔にさいなまれた。


 途中の道で麻穂が温かいココアを買うと、祐真も同じものを購入した。


「意外だなぁ、高時くんってコーヒーとか飲んでそうなのに」


「そう見える? 勉強の眠気覚ましにたまに飲むけど、僕にとってあの黒い液体は薬みたいなもので、美味しいと思えたことはほとんどないよ」


 苦笑しながらそう言う祐真が、なぜかとても人間らしく、男の子なのに不思議とかわいらしく思えた。


 二人の話はいつになく弾んだ。祐真は麻穂の話をうまく引き出してくれたし、良いタイミングで相づちをうってくれる。加えて祐真の話は、その頭の良さのためか、分かりやすいし聞いていて面白いと思えた。

 自分がつまらぬ意地など張っていなければ、彼は最初から付き合いやすい人だったのかもしれないと麻穂は思った。


 公園につくと大きな噴水が見えるベンチに腰掛けた。少し離れたところでは大道芸やダンスの練習、手軽なスポーツなどをしている人たちが目につく。遠くに見える遊具の広場は親子連れでにぎわっていた。日曜日らしいにぎやかな公園だ。


 冷めてきたココアを一口飲んでから、麻穂はポツリと言った。


「高時くんって変わったよね。恥ずかしくなるような変なことを言ってくるのは相変わらずだけど、浮ついたような感じがなくなった」


「うん、麻穂ちゃんに約束したからね。二人で理事長先生に会いに行った帰りに、君以外を特別扱いしないって」


 麻穂はそうやってまた歯の浮くような言葉をさらりと言う彼の顔を、恥ずかしい気持ちはあるもののじっと見つめてみた。


 祐真が自分に向ける眼差しはいつも穏やかで優しい。

 それはたとえ自分がどんなに敵意にあふれた態度をしていても、初めから変わることはなかった。


 麻穂はなんだか自分の抱く恥ずかしさがバカらしくなってしまった。彼はこういう人なのだとようやく心の底から受け入れられた気がした。


「高時くんにあんなキャラは似合わないよ」


 そう言う麻穂の頬から不自然な紅潮は消えていた。

 祐真が不思議そうに目を丸くする。


 彼の完璧な表情が崩れるとき、麻穂は彼とより近くで向き合えている気がした。

 麻穂は小さく微笑み、目を伏せた。


「婚約破棄したいからって色んな女の子にちょっかい出してみたり、わざと浮ついたような不真面目なこと言ってみたり。でも、私も周りの皆も高時くんの根がすごくまじめで、優しくて、親切だっていうこと、もう分かっちゃってるから」


 そう言って再び祐真の顔を見つめると、あろうことか彼の顔はスッと逸らされた。


「えっ?」


「麻穂ちゃん、そういうこと言うの禁止。僕、どうしたらいいか分からなくなる」


 顔を逸らした祐真の耳がほのかに赤い。

 麻穂は驚いた。あの高時祐真が、照れている。


「高時くん……」


「ちょっと僕の話を聞いてもらってもいい?」


 彼は照れ隠しをするように咳払いした。


 麻穂は「もちろん」とうなずいた。

 思い返してみると、今まで自分のことを話しても彼の話を聞くことはほとんどなかった。


「僕は、幼い頃からちょっと変わってたんだ。ほとんど物事に動じないし、年齢に不相応な振る舞いをして、気持ち悪いくらいに冷めていた。よく言えば落ち着いてたんだけど、悪く言えば何にも期待が抱けなかったんだ」


 どう反応されるのか怖いのか、彼は何度も麻穂の表情をうかがっていた。


「僕が一番変わっているところは、自分が変わった人だということを自覚しているところ。麻穂ちゃんも僕と最初に話したとき、変な人だと思ったでしょ?」


 自嘲気味にそう言ってみせる彼に、麻穂はなんと返せば良いのか分からなかった。


「六、七歳くらいの頃かな。僕の反応があまりに無いものだから、周りには血も涙もない人間なんだと思われるようになった。両親にも情緒が足りないんじゃないかと心配された。だからそれからずっと笑ってるようにしてるんだ。笑っていれば大体のことは上手くいくし、良いように合わせられる。人からも好意的に接してもらえる。でも、こんな打算的な微笑みについてくる他人を、両親を、僕はますます信じられなくなった」


 彼の表情が悲しげに陰っている。薄い微笑みの上からでも、麻穂にはそれが分かった。


「学校の勉強もスポーツも何もかも、少しやったらすぐにコツをつかめちゃうんだ。絵を描けば必ず賞を取るし、書道では審査員に絶賛される。子供のいなかった武道家の叔父の望みで色々格闘技をやらされたりしたんだけど、すぐに僕の行き着く天井が分かった。両親は僕を天才だと言っていたけど、そんなことはない。どうやったら周りの人間が納得するのか理解してそう振る舞っているだけの、意思も希望もない、中身のないつまらない奴なんだ」


 気づけば怯えたように眉間にしわがよっている。人に自分のことをほとんど語ったことがないのだろう。思い出される自分の過去の奔流に、心を流されそうになっているのかもしれない。


「本当の僕を見ない両親と顔を合わせるのが辛くて、初等部の途中から全寮制の杉浦学園に入った。両親と別れここに来ても満たされなかった僕は、門限を破って外出したり、反抗期の子供らしいことを覚えだした」


 話が今においつくと、祐真は改めて麻穂を見つめた。


挿絵(By みてみん)


「最初ね、僕は麻穂ちゃんが怖かったんだ。出会った瞬間から君は僕を全力で否定してきた。僕は完璧に振る舞えているはずなのに、僕を嫌おうとしてくる、拒否してくる。すごく怖かった」


 その言葉に麻穂の胸はズキリと痛んだ。


 杉浦学園に転入してきたばかりの頃。勝手に決められた婚約者だというだけで、彼自身のことを知ろうともせず頭ごなしに彼を否定していた。彼がわざと軟派にふるまっていたのも理由の一つであるけれど、そこまで露骨に彼を嫌おうとしなくてもよかったはずなのに。もっと彼自身をちゃんと見てあげられたらよかったのに。


 麻穂は己のことだけ優先し、彼が傷つくことなど考慮に入れてもなかった自分を責めた。


「ごめんなさい、高時くん。今更謝っても、私が傷つけた事実は変わらないけど……」


「いや、謝るのは僕の方かもしれないな」


 そう彼が表情を崩して笑うのを不思議に思い、麻穂は小首をかしげた。


「実はね、出会ってすぐ心の中で、バレないように僕も君のことを『嫌い』だと思うようにしてたんだ。僕がこんなに好意的にふるまってるのに否定してくるなんて、って」


 普段から読めない彼。そんなことを考えていたなんて麻穂は思ってもみなかった。嘘をついてもなかなか見破れないくらいの彼のポーカーフェイスは、よく分かっているつもりだったのに。


「でもね、好意的に“ふるまってる”僕を受け入れる周囲を、最初に嫌ったのは僕の方だったんだ」


 語りを休める彼の横顔をじっと見つめた。

 鳥の鳴き声が耳に入ってくる。風は感じられず、照りつけるような太陽もない。彼以外の景色が止まってしまったかのような感覚がした。


「君が本当に僕の婚約者だと分かったとき、びっくりしたなあ。まぁ顔には出にくいんだけど、驚いたんだよ。こんな子が? ってね」


 改めて口を開いた祐真は、おかしそうに目を細めてみせた。


「本当は僕は婚約自体はどうでもよかった。いずれ適齢期になれば近しい女性とそうなるものだと思っていたし、それが早いか遅いかだけだと思ってたんだ。こんな空っぽの人間が他人を心から好きになれるなんて思ってなかったし、好意を持っているポーズをとっていれば見破られないだろうと思っていた。そんな僕の婚約反対は、両親への初めての反抗だった。変な噂を立ててやろうとか、素行を悪くしてやろうとか、呆れるくらい下手くそな反抗だったけどね」


 祐真は呆れた風に言ったが、麻穂も人のことは言えないと思った。婚約を破棄するためにわざわざ転校までして彼の欠点を探しにきたのだ。


「かと思えば、いざ婚約破棄しようって麻穂ちゃんが一緒に行ってくれた時も、両親のことを考えたら怖くなっちゃって」


 自嘲するように笑っていたが、麻穂には彼が両親に対しもっと複雑な感情をいだいているであろうことが伝わってきていた。


「親はその一代で事業に成功した人たちだから、他の富裕層との繋がりを強く求めていた。両親の思い通りの道具にされる婚約も嫌だったし、僕を否定してくる麻穂ちゃんも苦手だった。だから婚約は破棄したいと思ってた」


 そう言葉を切ってから、祐真は改めて麻穂に向き直った。


「でも、麻穂ちゃんはだんだん僕を見てくれるようになった。『珍しく僕を嫌ってくる“特別な女の子”』から、『本当の僕を見ようとしてくれる“特別な女の子”』に変わって行ったんだ」


 彼の柔らかな微笑みがまぶしい。きっと心を許し、素が表れている表情。


「麻穂ちゃんが僕に初めて笑顔を見せてくれた時のことは覚えてる。僕のことを心底嫌っていて、マイナスからのスタートだったはずなのに、僕の良いところを見ようとしてくれたね。僕は君にもっと好かれたくなった。どうしたら君が笑ってくれるかとばかり考えるようになった。もっと僕のことを見ていてほしいと思った。君なら、君となら、今までの僕が知らない僕を見つけられるはずだと確信した」


 真剣な眼差しで彼にこんなことを言われて、嬉しくならない人間などいないだろう。

 麻穂は戸惑う自分の気持ちとは裏腹に、心がときめいてしまうのを感じていた。


「ただ一人の特別な人に好かれたいと思うこと、それが恋する気持ちだと気づくのにそう時間はかからなかった。僕は普通じゃない、変わった男の子だったから。……何のせいでも、誰の指示でもない。初めて自分の意思で手に入れたいと思えた」


 手元の冷め切ったココアは、麻穂の手を温めない。そんな彼女の冷えた手をとって、祐真は真剣な表情で言った。


「だから、渡さない」


「え……?」


 戸惑いながら、見開かれる麻穂の瞳。


 祐真は低い声で言った。


「誰に渡すつもりがないのか、君はもう分かっているはずだよ?」

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