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 定期テストが終わり、生徒たちはなんとかその重圧から解放された。

 しかし部活動に所属している者たちは、テストが終わった当日から活動が再開される。基本的にほとんど全員が持ち上がりになるため、中等部では引退の概念がほぼないといってよい。そのため卒業のぎりぎりまで活動する生徒がほとんどだった。


 部活動に所属していない涼と麻穂は、帰寮しようと共に教室を出た。

 連日の寒さについにコートを着用し始めた二人。同じ学校指定の女子用コートだったが、サイズがまったく違った。涼いわく、制服の類はほとんどがオーダーメイドだったらしい。


「そういえば、バスケ部部長の広瀬くんはどうなったの?」


 麻穂が尋ねると、その話題は面倒だとばかりに涼はかいつまんで話した。


「この間広瀬が来て詫びてったよ。『件のことは俺は知らなかったとはいえ、申し訳ない。君に相応しい男にはまだまだなれないようだ』、だって」


 自分のことのはずなのに、他人事のように述べる涼。涼は本当は男なのだから、男から熱く片思いされても嬉しいわけがないのは事実だ。

 それでも麻穂からすると広瀬がかわいそうに思えてしまう。この美人な女子生徒が実は男であると、広瀬は毛ほども予想していないだろうから。


「……麻穂こそ、どうなんだ?」


 ためらいがちに涼が尋ねたのは祐真のことだった。

 濁すように訊いても麻穂にはすぐにそれがなんのことか分かった。


「高時くんのことだよね。あれから全然会ってないんだ。元気にしてるのかな」


 心配そうにうつむく彼女の横で、涼は最後に見た祐真の姿を思い出していた。彼は抵抗することなく打ちひしがれていた。

 自分のせいで麻穂が危険な目に遭い、自分ではどうすることもできなかったとなれば、あのくらい落ち込んで当然なのかもしれない。涼はそう考え直しはじめていた。


 ただ、頭に血が上ってはいたが、彼につかみかかったのは本心からであり後悔はしていない。


 そんな話をしているうちに玄関に着く。

 三学年共通の広い玄関には、あの日男子寮の玄関前で涼が凄みをきかせて蹴散らした二人の男子生徒の姿があった。


 麻穂に気づかれないように、涼が横目で氷のように冷たい視線を飛ばす。

 涼に気づくなり二人は慌てて深く頭を下げてくる。わけが分からない麻穂は不思議そうに小首を傾げた。


「麻穂ちゃん、片岡さん」


 玄関を出たところで、二人を待っていたらしい祐真に声をかけられた。丁度話題に出ていたところだったので麻穂は驚いた。


「高時くん……。大丈夫だった?」


 駆け寄る麻穂の後ろから、涼が嫌そうについてくる。

 祐真はいつも通りとはいかないが、前よりは随分気力を取り戻している様子だった。


「僕のことはいいんだ。麻穂ちゃん、怖い思いをさせて本当にごめん。元はと言えば僕のせいで……」


 謝罪の言葉を口にする祐真に、麻穂は静かに首を横に振った。


「違うよ。高時くんのせいじゃない。高時くんは間違ったことしてないもの。私が高時くんだったら、同じ行動を選ぶと思う」


 だから自分を責めないで、と目の前の彼を見上げて、麻穂は笑ってみせた。

 もちろん麻穂だって怖いことは苦手だ。けれどそれ以上に悪いことに屈するのは嫌だった。


 ありがとう、と彼女に伝えた祐真は、今度は涼に向き直った。


「片岡さん、すまなかった。麻穂ちゃんを守ってくれてありがとう」


 なんとあの高時祐真が、涼に九十度頭を下げている。

 まさかの行動に麻穂はびっくりしたし、涼はそれ以上に驚いて、謝罪を突っぱねる気持ちも削げてしまった。


「……別に、お前のためにやったわけじゃねえよ」


 涼はばつが悪そうに指先で頬をかいて、続けるべき言葉を探している。


 その時にわかに玄関が騒がしくなって、男子バスケ部三年生の集団が出てきた。

 そこには部長の広瀬や、祐真を脅迫してきた相手はいなかった。しかし涼と祐真からすると件の要注意人物がいたらしく、二人は同時に振り返った。


 思い切り睨みつける涼と、冷たく眼光を光らす祐真。目力に任せて気圧すその様子はさながら仁王のようだった。

 集団は二人の視線に嫌でも気づく。とんでもない二人を敵に回したものだ、とそそくさと退散した。


「わ、私はもう大丈夫だから、二人ともあんまり怖い顔しないでね……」


 麻穂は苦笑いするしかない。


「睨み利かせておかねえと」


「うん、あとは憂さ晴らしかな」


 涼と祐真が口々に言う。

 麻穂は二人が同じ意見を述べていることに驚いていた。男同士としてなら実はそんなに気の合わない二人でもないのかもしれない、と密かに思った。


 しかし、祐真の言葉で再び険悪な空気がたちこめる。


「今度こそ、僕に麻穂ちゃんを守らせてほしい。でも流石に女子寮までくっついていけないから……片岡さん、よろしくね」


「てめえに言われなくても、ずっと前からそうしてるっつーの」


 やっぱりこいつは好かない、と涼は早足で歩き出してしまった。

 涼の行動を見越してわざとそんな発言をしていたのかと思える早さで、祐真は麻穂の肩を引き寄せた。そしてそっと耳打ちする。


「麻穂ちゃん、本当にごめんね。前に約束していたあのことは、なかったことにしてくれて構わないから」


 涼を追いかけようとしていた麻穂は、思わず祐真の顔を見上げた。

 悲しく笑う様子。彼は最近自分の前で、いつもの完璧すぎる笑顔でなく色々な表情を見せてくれるようになったと思う。


 でも、そんな強がるような顔を見せられても、全然嬉しくはなかった。

 麻穂は一呼吸置いてからこう告げた。


「……高時くん。私のお願いで嘘をついてくれたことは事実だし、一度した約束は守りたいから……あの、えっと、いいよ、あのこと……」


 言い出したものの、恥ずかしくなってしまって言葉が切れ切れになる。とても彼を直視できなくて、視線を地面に落としてしまう。


「え?」


 いつも落ち着いているはずの祐真が、彼らしくない驚き方をしていた。彼女の発言が本当に想定外だったのだろう。

 驚かれてしまうと、言った側はもっと恥ずかしくなる。


「ありがとう、麻穂ちゃん。すごく嬉しい」


 うつむく麻穂に、祐真は顔を寄せてささやく。


「でっ、でも、そういう……デートとかじゃないからね。一緒にお出かけするだけ……」


「それで十分。あとはどう思おうと、僕の自由だしね」


 祐真がにっこりと笑う。赤面した麻穂が立ち去ろうとしたところを、手首をつかんで彼女を引き寄せた。


「片岡さんに伝えて。『それでもまだ、僕たちはライバルだ』って」


 麻穂にはその言葉の意味が分からなかった。けれど祐真は生徒会の仕事を残してきていると言って校舎に戻ってしまった。






 とある週末、土曜日の夜。


 それぞれ入浴を済ませた二人は眠りにつく準備をしていた。部屋の灯りを消して、互いの勉強机のデスクライトだけをつけている。

 自分の長い髪がなかなか乾かない涼は、椅子に腰掛けてドライヤーをかけていた。面倒だと思いつつ、乾かさずに寝ると翌朝寝癖の処理をするのがもっと手間だからだ。


 ぼーっと髪を乾かしていると、ドライヤーの大きな音に隠れるようにこそこそと、麻穂がクローゼット前で何かしていることに気がついた。


「ん? あれ、明日でかけんの?」


「えっ。う、うん……」


 同室である涼に隠し事をするのは難しい。麻穂は一瞬返事を迷ってから、ぎこちなく頷いた。


 同じ部屋に暮らす者として、出かけるときや何かあるときはお互い事前に言うのが暗黙のルールだった。

 だから、涼は彼女が何も知らせず出かける支度をしていることを不思議に思ったのだ。


「いいよ、先に寝てて。私もすぐに寝るから」


 沈黙を恐れるように、間を埋めるためだけの言葉が投げられる。

 彼に隠し事は出来ない。それは同室だからというだけでなく、彼の勘が鋭いからという理由もあった。そして何より麻穂には、彼に対して後ろめたい気持ちを持ちたくないという強い思いがあった。


 それでも麻穂は、彼に言わないつもりでいた。

 明日の日曜日は、祐真と二人で出かける日。


 涼は彼女を怪しいと思ったが、淡白に「ああ」とだけ返事をした。なぜなら涼には見当がついていたからだ。

 文化祭の演劇中に祐真に言われたことを、涼が忘れるはずがなかった。


(「僕、今度麻穂ちゃんとデートするんだ。片岡さんはそれ、知ってた?」)


 明日の洋服を選んでいる麻穂を、ちらりと横目で見やる。

 彼女の本当の気持ちは分からない。しかし支度している様子は、好きな人に会いにいくそれに違わないように見えた。そして自分に秘密にしようとしているあたり、本気であり邪魔されたくないのだろうと思った。


 涼はもう、ため息すら出てこなかった。


(麻穂から聞いた高時の伝言、「それでもまだ、僕たちはライバルだ」って。俺の完敗じゃねえか……。高時も、バカな奴だな)


 心の中で自嘲するしかなかった。

 彼女は引き続きこそこそと支度をしている。涼になるべく気づかれないように早く行動しようとしていたのか、彼女の髪はまだ湿り気を失っていない。


(二人の邪魔なんて、しねえっつーのによ。麻穂がまともな相手と普通にくっつけるなら、きっとそれは俺にとってもいいことなんだ。俺は余計なことは考えないように、忘れるようにするべきなんだ)


 涼は自分の髪をある程度乾かすと、彼女の元へ近寄った。そして彼女の頭にドライヤーの熱風を吹きかける。


「髪、濡れてるぞ。乾かさないと風邪ひくぜ」


 ひゃあっ、と驚いて変な悲鳴を上げる麻穂。


「涼こそ。髪長いんだからちゃんと乾かさなきゃだめだよ」


「俺、ここ数年風邪ひとつひいたことねーもん」


 隣であぐらをかいて笑ってみせる。近づくとお互いに異なるシャンプーの香りがした。

 二つのデスクスタンドのみが光る室内。部屋の隅は闇に落ちて、二人の周りをほのかに照らしていた。


「その服着てくのか?」


 彼女の手にあった洋服を見て、涼が何の気なしに尋ねる。


「う、うん……涼の目から見て、どうかな?」


 恥じらいながら問い返されて、涼は腕を組んだ。


「俺、あんまり女子の服装とか分かんねえんだよな」


 涼が麻穂と私服で外出したのは、記憶にある限り一度。それも文化祭の演劇の練習で近所の公民館に行っただけ。

 正直なところ、彼女が着れば何でも可愛いと思うくらいには盲目になっていた。

 しかしそんなことが言えるわけもなく、わずかな記憶を頼りに口を開いた。


「麻穂は女の子らしい服が似合うんじゃないか? そのワンピースとか」


「本当? じゃあ私、明日これ着るね」


 涼の言葉を聞いて、麻穂はいそいそとワンピースを出す。


挿絵(By みてみん)


 麻穂が嬉しそうなのは、涼が服を選んでくれたから。麻穂が尋ねるのは、誰でもない涼の好みが知りたかったから。

 しかし涼の目にはそう映らない。


(まったく、そんなにニコニコして……。高時と出かけるのがそんなに楽しみなんだな)


 明日の支度を終えるとデスクスタンドを消して、二人はそれぞれの布団にもぐった。

 お互い二段ベッドの上下に分かれているので、顔が見えないままにぽつぽつと会話していた。


「涼は明日何するの?」


 麻穂が下から上に声をかける。


「特になんもない。寝て、ゲームして、だらだらする」


 長い髪を邪魔そうに横にやって、涼は布団を肩まで引き上げた。

 沈黙が訪れ、本格的に寝る体勢に入ったのかと思いきや、また麻穂から声がかかった。


「ねえ、涼。こ、今度さ……一緒に、出かけない? 学校の行き帰りとかじゃなくて、お休みの日に……」


 突然の誘い。顔を見なくても彼女が勇気を振り絞っていることが分かる。彼女は普段こんなことを言ってくる人ではない。

 変な気を使ってくれているのか何なのか、彼女の発言の意図が分からない。涼は努めて普通の声色で返事をした。


「俺みたいなのと出かけたって、変だろ。買い物でも遊びでも、ちゃんとした奴と行ってきな」


 その一言に凝縮された意味。女にも男にも寄れない今の自分、この見た目。


 麻穂も駄目でもともとと思い誘ってみたのだが、高確率で彼が断るであろうことを予想していた。

 いつもぶっきらぼうな話し方の彼が丁寧にふるまおうとするせいで、言葉が必要以上に優しげな響きを持ってしまう。


「そんな……」


「もう寝る」


 これ以上話していると自分がつらくなる。涼は麻穂の言葉をさえぎり、強制的に会話を終了させた。

 そう言われてしまうと続けようがない。麻穂は小さく「おやすみ」と返し、話すのを諦めるしかなかった。


 でも麻穂は分かっていた。いつも夜ふかしな涼がこんなに早く眠るはずがない。姿は見られないけれど、今も眠る気なく起きていることだろう。


 この寮に来てから、もう何回の夜をこの部屋で彼と過ごしたのだろう。

 朝寝坊の常習犯なのに、悩みがあるときはいつも気が済むまで聞いてくれる。祐真との婚約話、ちょっとした愚痴。ポーズは面倒くさがっていても涼はいつも優しい。彼の前で強がってみてもすぐに見抜かれてしまう。


 転入直後やテスト前は、丁寧に勉強を教えてくれた。自分の勉強もあるのに、質問するとしっかり答えてくれる。“理事長の孫”というコネで特例の転入をしたものの、杉浦学園は都内屈指の難関私立。特別カリキュラムで普通の学校より内容が凝縮され、他の公立校より二年も三年も進んだ内容を教えている。彼の助けなしでは麻穂は授業についていくことができなかっただろう。


(それなのに、今は……)


 涼と距離を感じる。傍にいるのに心が離れていく気がする。元々二人の心がどのくらいの距離にあったのかも分からないけれど、勇気を出して涼に近づこうとするほど、自分の感情に素直になろうとするほど、彼は遠ざかるように思えた。


(今、私の一番近くで何を考えているの? 涼……)


 うるみそうになる瞳に、そっとまぶたをおろした。

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