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唐突に指名された涼は「へ? 入っていいの?」ときょとんとしている。その隣にいる麻穂もびっくりして目が点になっていた。
「いやいや、片岡さん入れるのは反則でしょ!」
対する一組代表チームの男子たちが、危険を察知して口々に園山に訴える。しかし盛り上がればそれでよしと思っている園山は「何がいけない?」とただほほえんでいた。
戦力確保に必死な二組は、まるで子供のように強引な理論を展開する。
「女子を入れちゃいけないっていうルールあるんですか~」
「ないけど、これは男の勝負みたいになってたじゃんか!」
「男の勝負で、相手チームに女子がひとり入ったからって負けるわけ?」
「女子って言ったって……あんな男子だとしても超人みたいなやつを、女子にカウントできるか!」
「あー、女の子に向かってひどい言い草だなぁー。うちのクラス一番の美人に向かってそんなこと言ったら……うちの女子全員に嫌われるよ?」
屁理屈で言いくるめた二組の男子が、チームメイトたちから拍手を受ける。
納得いかない表情の一組の生徒たちを横目に、涼はストレッチを始めた。
足首をぐるぐる回す涼の前に突然現れた雪乃が、恥じらいつつこう言う。
「片岡さん。今だけは野蛮で構いませんから、頑張るんですのよ。わたくしたちの命運がかかっているんですからね。いいですわね?」
雪乃もやはり例に漏れず持久走が嫌いなのだろう。
滅多に見ない彼女のしおらしい態度に、涼から苦笑がもれる。
人気者で話しやすい彼に、他の女子も口々に声をかけてきた。
そして最後に麻穂が彼の腕を引いて腰を曲げさせ、軽く背伸びをして耳元でささやく。
「あの、できる限り頑張ってね……バレない程度と言わず存分に力を発揮して。ね?」
麻穂の正直すぎるおねだり。さっきまで「男であることを隠す気があるの?」と怒っていたというのに。
そんなに持久走が嫌なのかよ、と涼は笑ってしまった。
(お前にそこまで言われたら、本気出さないわけにはいかないよな)
涼は麻穂に髪留めの輪ゴムを借りて、髪を高い位置で一本に結った。体育の時でも滅多に髪を結わない彼の気合いの現れだった。
顔周りに残った髪を邪魔そうに後ろにやって、拳を作る。
「二組の持久走を無くすため、絶対に勝ぁーつ!」
女子たちの歓声に見送られながら、自分とみんなを鼓舞して男子の輪に駆けていく。
「片岡、お前をリーダーにする。指示してくれ!」
「よし。まずコート下にお前、入って。体力はないけどキャッチするのとシュートがうまかったよな。あと、お前は背が高いからリバウンド要員で入って。大丈夫、お前ジャンプ力あるよ。それから……」
涼の的確な指示でポジションが決まってゆく。クラスでも人気者の彼は皆から信頼を得ていたし、その分彼も皆のことをよく理解していた。
余裕を見せていた一組のリーダーであるバスケ部部長の顔が、わずかに焦りの色に染まる。
「一組代表、もう一度集まってくれ。俺以外のバスケ部二人は片岡さんをマークして。特にお前は、オフェンスの時もずっとくっついていて。片岡さんはがたいの割にすばしっこいから、まかれないように」
それを知ってか知らずか、涼はみんなに作戦を伝える。
「多分向こうは前半、あたしにべったりマークをつけてくるはずだ。そうなるとほぼあたしは動けない」
「そうしたら、どうしたらいい?」
「あたしにはボールを回すな、バスケ部の連中にカットされる。あっちの攻撃人数が減る分、前半はパス回しせずなるべく単独で攻めてくれ。前半あたしは役立たずを演じるから、ハーフタイムで一組の作戦方針が変わって後半はマークが一人は取れると思う。そうしたら作戦を練り直す暇を与えず攻める。後半に点を稼ぐから、前半はなんとしても守りを固めてくれ」
メンバーたちが「おう!」と力のこもった返事をする。さっきの弱気さはどこへやら。涼の深い読みによる作戦とメンバー編成で、敗戦の色は払拭されきっている。
「行くぜ!」
涼が手を伸ばすと他のメンバーも手を重ねる。彼のかけ声で一斉に気合いを入れた。
涼はジャージの手足をまくりあげた。
麻穂を含める多くのクラスメイトたちが、祈るようにして見守っている。
そして試合が始まった。
二組で背の高い男子にさせたジャンプボールは逃したものの、それを見越した位置にいた二組男子の手に渡る。
涼が少しでも前に出ようとすると二人がかりで進路をふさがれるし、彼に渡ろうとするボールは全てカットされる。しかしそのせいで相手の貴重な主戦力が二人も割かれ、攻守のバランスは確実に悪くなっていた。
そして審判を務める園山の笛も容赦なく鳴る。執拗に涼へなされるラフプレーを園山は見逃さない。
前半戦が終わる。
若干二組が負けているものの点差はほぼなかった。一組は涼へのマークに優秀な人材を割き過ぎていた。そして二組は涼の指示通り守りに徹していた。おかげで点数はさほど入らなかったものの、相手にも入れられていない。
お互い勝ちを確実なものにしたいと必死である。出場しているメンバーたちが今一番気にしている事項は持久走の有無ではない、互いのプライドだ。クラス中の人間が応援しているなかで、惨敗するわけにはいかないのだ。
一組リーダーのバスケ部長は、涼の読み通りに作戦を変えていた。
「このままだと点が取れないまま試合が終わってしまうから、マークを変更する。バスケ部は全員オフェンスメインで、片岡さんのマークは一人にする。前半を見てる限りじゃ彼女は足は速いけどバスケの実力があるようには見えない」
二組も作戦会議を開いていた。
「よし、前半よく守った。後半はガンガンあたしにパス回してくれ。リバウンドは絶対取ってくれよ」
涼はシンプルな指示を飛ばす。
乱れてきた髪をすばやく結いなおし、ちらりと麻穂の方に視線を送って片方の口角をあげてみせた。
前半あまりに彼が活躍しないので不安になっている様子は見て取れた。観戦側に作戦は通じていないのだから当たり前だろう。
涼の自信にあふれた微笑みは「心配するな」という無言のメッセージだった。
後半は涼自らがジャンプボールに立った。相手は長身の涼よりも背が高い、バスケ部の部長。
「女だからって手加減はしない」
「望むところだ。あとからネチネチ言うんじゃねえぞ」
笛が鳴って、ボールが宙に浮く。
反射神経、ジャンプ力共に涼の方が上だった。自分の脇に配置しておいた味方にボールを流す。
そして自分が体勢を立て直すと即座にパスをもらい、すぐに攻めた。マークを完全に引き剥がし、カットされることもなくレイアップシュートでまず二点入れる。
そこからは面白いように点が入った。
点が入ってからも止まることなくすぐに試合を再開する。それは涼たちの作戦でもあった。間を置くと一組たちが落ち着いて作戦を練り直してしまうかもしれない。涼へのマークが再び厚くなる前に、点をとりきってしまおうという作戦だった。
しかも頼みの綱のバスケ部員たちは、前半に涼がわざとやたら走り回って振り回したため、確実に体力が削られていた。
涼がシュートを決めて生じたちょっとした隙に、一組の男子生徒が涼に小さく耳打ちしてきた。
「なあ……。もう二組の勝ちは確実なんだから、手加減してくれないか? 惨敗したくないんだよ。頼むからさ」
「あぁ? 何だよいきなり」
上がった息を整えながら、涼も声をひそめつつ問い返す。
一組の男子生徒は少し迷って視線をさまよわせてから、涼に小声で伝えた。
「……俺の好きな子が見てるんだよ! あんま格好悪いとこ見せたくないだろ!」
仮にも女子生徒の姿をしている自分に恥を忍んでそう告げてきた彼には驚いたが、涼は首を縦には振らなかった。
「手加減なんてしてやらねえよ。そんなこと言ったら、あたしだって見られてるんだからな」
「へ?」
わずかな会話は笛の音で強制的に終了させられる。涼はすぐさまボールを奪い取ると駆け出した。
試合が終わる直前、メンバーの息はすっかり上がりきっていた。
それでも試合終了を知らせる笛が鳴った瞬間、メンバーは全員飛び上がった。そして試合が終わる数分前からそわそわしていたクラスメイトたちみんなが大きな歓声を上げた。
「やったああああ!」
持久走が無しになった喜びもあるだろう。それ以上にこの白熱した試合に、どう見ても不利だった自分たちのクラスが勝てたことに興奮しているのだ。
「片岡ぁ! やっぱお前すごいよ!」
メンバーたちはハイタッチどころか抱き合う勢いで喜び合っている。涼は微妙にみんなから体を離しつつではあったが、歓喜を隠しきれない様子だった。
対する一組は葬式のような盛り下がりっぷりだった。バスケ部を三人、しかも部長もいるという精鋭メンバーでほとんど勝てる試合だったと見込まれていただけに、落胆も一入だろう。
「涼~、ありがとう!」
観戦していたクラスメイトたちも彼に駆け寄って飛びついた。女同士と思うからこその無遠慮だろう。
「うわっ。お前ら、暑いんだからくっつくなよ!」
涼は必死に身を守ろうと振りほどく。それでもみんなは飛びついてくる。
「照れないでよもうっ。男子より、誰よりも一番格好良かったよ!」
「運動も出来て勉強も出来て、涼が男だったらよかったのになあ」
「そうそう、絶対惚れるわっ! 背も高いし美人だし、あーもうなんて女なのよっ」
周りでギャアギャアとわめかれて辟易する涼が助けを求めて麻穂に視線をやるも、彼女の視線は冷ややかである。
「男だったらモテモテ、だって。よかったね、涼」
気持ちのこもってない麻穂の言葉に「おい、何言ってんだよ!」と涼が一喝する。
「わたくしもあなたが男性だったらまだ、そのガサツな振る舞いを大目に見られましたわ」
麻穂の隣に立つ雪乃が心底哀れそうに言う。
「哀れむな!」
そして更にそれを爆笑しながら見ている園山の姿がある。事情を知らない人には、生徒たちと盛り上がって一緒に笑っている良い先生に見えるだろう。しかし麻穂からすると、女子に囲まれて困っている涼を見て腹を抱えている悪魔のような先生に思えた。
「園山、笑ってんじゃねえ! 聞こえてるぞ!」
「あーはっはっは、おっかしー」
園山は涼を指さして笑っている。
「指をさすな!」
涼の活躍により勝利をおさめた試合。しかしこの試合の勝利が、後に誰も想像し得ない事態を引き起こすことになった。