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「高時はほんとにこんなメンバーで遊びに行ったわけ?」
「こらこら吉田、“こんなメンバー”だなんて失礼だよ」
まだ納得いかず怪しむ吉田に、祐真は言葉を続けた。
「片岡さんなんて、すっごくスタイルよかったんだから」
その言葉に驚いたのは、発言者以外のその場にいた全員だろう。
「ちょ、ちょっと! わたくし片岡さんのそんなところ見たことありませんわ!」
「え、スタイルいいって、胸があったってこと?」
「もちろんじゃないか、片岡さんは女の子だもん」
「そうそう、涼はスタイルいいのよ……」
雪乃、吉田、祐真、麻穂の各々がそれぞれ自由に発言しまくることに耐えかね、涼が絶叫する。
「お前らうるせええ!」
そしてくるりと背を向けて会話の輪から去ってしまった。
その見るからに不愉快そうな背中に、麻穂は胸が痛んだ。彼のためだと思ってやっているのだけれど、結果として迷惑になっているのではないかと。
その時麻穂はふと祐真と目が合った。
祐真は視線だけで麻穂に微笑みかけてくれる。
それの微笑みは「大丈夫?」とも「約束守ったよ」とも取れたし、「デートよろしくね」とも取れた。しかしそれよりも麻穂は、心細さの中で無意識に見つめてしまったのが祐真だったということに戸惑いを覚えていた。
「ちゃっかりやることやってるのに、片岡さんってば照れ屋ですわねえ」
雪乃がまた火に油を注ぐようなことを言う。
麻穂は無理に笑うしかない。
「あ、でも涼はこの話されるの嫌みたいなので、あまり言わないであげてください」
「別に構いませんけれど、どうして高時くんと吉瀬さんと片岡さんの三人でお出かけしましたの? わたくし腑に落ちませんわ」
雪乃はあごに指先を添えて、名探偵が推理するかのように首を傾げる。
「えっと、それは……」
麻穂は言いよどむ。理由が言えないのは恥ずかしいからではなく思いつかないからだった。
そこに祐真がそれらしい嘘で助け舟を出してくれた。
「それは僕が麻穂ちゃんを誘ったら、片岡さんが自分も連れて行かないとダメだって言ったからだよ」
「まあ。あの人は本当にお節介ですわねー」
言葉にある刺など少しも気にしないような雪乃の毒舌が飛ぶ。
吉田は何か深く考えるような顔で腕を組んだまま黙っていたが、祐真がそう言うのならこの先を言及しても仕方ないという様子だった。
「演者さーん! 集まってくださーい!」
学級委員が声を張っている。呼ばれた麻穂と祐真は話の輪を離れた。
麻穂はどこかにいってしまった涼が気になって辺りを見回してみた。
と、その時。
祐真と麻穂の距離が開いたのを見計らって、涼が背後から近づいた。
「おい麻穂、どういうことだ?」
突然耳元で低い声がささやかれ、麻穂は驚いた。
「涼……」
ただでさえ目つきの鋭い彼が、疑心に満ちた表情で自分を見つめている。いつもの長い髪がないことも迫力を増させているし、さらに顔が近いことにもドキドキしてしまう。
涼のこの姿を見るとどうしても、先日の男子寮からの帰りを思い出してしまう。
「知らないところでなんかしてるんじゃないだろうな?」
麻穂は返事に困った。涼は自分が何か企んでいることを勘付いている。
涼も涼で焦っていた。麻穂が自分のために何か無茶をしているのではないかと。
「一人で行動するなって前に言っただろ? それに……」
「さあ野獣さん。一緒に行きましょう」
二人の間を割るように入ってきたのは祐真だった。
涼は不愉快そうに舌打ちをし、麻穂はため息をつくのだった。
そして本番は始まった。失敗の出来ない一度限りの大舞台。
全校生徒を収容できるキャパシティを持つ巨大なホールに、立ち見が出るほどの観客が入っている。無数の揺れる黒い影と、ざわざわと反響する声。
公演開始のブザーが鳴る。
演劇「美女と野獣」は、舞台端でスポットライトを浴びる雪乃のナレーションで始まった。
『ある嵐の夜のこと。一晩の宿を求めて城にやってきた老婆を冷たくあしらった王子は召使共々、老婆に化けていた魔女に呪いをかけられてしまいました』
「ああ。この私が、こんなに恐ろしく醜い獣の姿になるなんて!」
「優しい心を持たぬ王子よ。このバラの花びらが全て散り落ちるまでに、心から愛し愛されるという『真実の愛』を見つけなければ、お前は一生その姿のままだ」
野獣となった王子役の涼と、魔女役の女子生徒の台詞が舞台に響く。
魔女役の生徒の声に緊張からの強張りを感じたが、涼は普段から度胸があるだけあって練習以上の演技を見せている。なかなか台詞を覚えなかった涼だったが、直前の叩き込みの成果かすっかりものにしていた。
大きな城のセットを不気味にライティングしている舞台。
暗転するとすぐにステージチェンジが始まる。吉田や村木たちといった力に覚えのある男子生徒を中心とした生徒たちが急いでセットを変えていく。練習では多少ダラダラしていた生徒たちも大舞台に気合が入っているようだった。
うって変わってのどかな田舎の村の風景。
待機する麻穂の目の前を覆う暗闇が開けた。
満員の会場に圧倒されてしまいそうでなるべく客席を見ないようにしていた。しかし幕が上がれば、強いライト越しでもその人の多さが感じられる。
元々人前に出ることも声を張ることも得意ではない麻穂。自分の足がすくむのを感じた。
『ベルは村一番の美人で、心優しい娘でした。そんなベルにしつこく結婚を迫る男がいました。性格の悪い色男、その男の名はガストンといいました』
「俺は村で一番強いんだ。そんな俺と結婚できるなんて幸せなことだぞ。今すぐに俺の妻になれ!」
「私はあなたのような傲慢な方は好きではないわ」
『ガストンの強引な誘いから逃げるため、ベルは村外れに出かけました。その村外れで父親と出かけたはずの愛馬を見つけます』
「まあ、こんな慌ててどうしたの? お父様と山の向こうの隣町に行ったのではないの? お父様はいったいどうしたの?」
涼はすぐに出番があるので、舞台袖のすぐ近くで彼女の演技を見守っていた。
麻穂の演技が下手なのは本人も周りもよく分かっているが、涼からすればとても上手になったと思う。いつも寮の部屋で一生懸命に練習している彼女を毎日一番近くで見てきたのだから。
思わず「やるじゃねえか」と口元に笑みが浮かぶ。
再び暗転して城のセットへ舞台が変わる慌ただしい中。涼はさりげなく手の甲で麻穂の背中を軽く叩いた。
振り返った麻穂に涼は片方の口角を上げてみせる。
「いい調子だぞ」とも「頑張れ」とも取れる言葉ではないメッセージ。麻穂は心にじんわり広がるような温かみのある嬉しさを感じた。彼に勇気づけられて緊張が少しほぐれたような気がした。
『父親の身を案じ、ベルは愛馬の案内で山へ向かいました。なんと父親は山の中の不気味な城に囚われていたのです。その城の主は世にも恐ろしい姿をした醜い野獣でした』
「非礼があったのならお詫びいたします。どうか父をお許しください」
「ならぬ! お前の父親はこれからずっとこの城で囚われて生きるのだ」
「どうしたら父を解放していただけますか」
「ならば引き換えにお前が牢屋に入れ! もう一生ここを出ることは許さん!」
親子の別れを惜しむ間も許されず、父親は愛馬と共に城から放り出され、ベルは不気味な城に囚われることになる。
これが涼と麻穂が一緒に演じる最初のシーンだった。見せ場の一つだけに回りの演者たちにも力が入る。
麻穂は袖にいる間、舞台の上で改めて彼と向かい合うのは気恥ずかしいと思っていた。しかしいざ演技が始まるとそんなことなど吹き飛ぶくらいに入り込んでいた。
真剣に、そしてしっかり演技をこなす涼を改めて尊敬してしまう。変に気取らず、やることをしっかりやる。同年代の男の子と比べてはるかにしっかりしていると麻穂は改めて思った。
『家具に変身させられた家来たちがベルを親切に歓迎するも、彼女の表情は暗いままでした。そして数日が経ち、人を思いやらないわがままな野獣のふるまいに、ついにベルの我慢が限界に達してしまいます』
「あなたは最低ね! もう嫌、耐えられない!」
「待て、何処へ行く!」
『野獣の制止に応じることなく、ベルは泣きながらその身ひとつで嵐の中に出て行ってしまいました。夜の闇と激しい雨風、そして雷。不気味な山の中で、ベルは野生の狼の集団に囲まれてしまいます』
「もうおしまいだわ。さよなら、お父様……」
「この女に手を出すな!」
座り込む麻穂の元に涼が駆け込んでくる。野獣がベルを追って城を飛び出してくるというシーンだ。
狼の集団を演じるのは二本足の獣耳集団。原作では獣同士取っ組み合いの喧嘩になっているのだがこの劇では剣で戦うことになっていた。
涼は剣戟の効果音に合わせて、舞台狭しと駆け回る。
彼が運動神経抜群なこともあって簡単に立ち回っているように見えるが、やられ役である狼たちは大変そうだった。
アクションシーンに熱を入れて指導していたのは、誰でもない担任・園山だった。彼女は剣道経験者ということもあるが、更に能力を分かっていて何でも言えるいとこが相手となると、愛のムチはなおのこと強く振るわれてた。アクションの練習があった日の夜は、涼は必ず体のどこかが痛いと訴えていたくらいだった。
そのおかげかどのクラスの演劇よりもアクションシーンは秀でたものとなっていた。
最後に反撃をされ重傷を負うものの、野獣は見事に狼たちを退ける。
「私のためにこんなひどい怪我を……すぐにお城につれていくわ。しっかりして」
『ベルは城に戻り、献身的に彼を看病しました。ベルは身を挺して自分を守ってくれた野獣に惹かれ、野獣もまた自分を怖がらないベルに惹かれ、優しい心を身につけてゆきます』
雪乃のナレーションで舞台は暗転し、次は麻穂が一番心配していたシーンがやってくる。