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文化祭当日。
杉浦学園は小中高一貫。その広い敷地内で同時に12学年が文化祭を行うので、生徒の数も集まる人もかなりの数である。万の単位で押し寄せる来場者。保護者や家族は勿論、生徒の友人や入学希望者、卒業生、近隣住民も集まってくる。
麻穂と涼のクラス3年2組は、祐真のクラス3年3組との合同の劇発表が出し物である。自分たちの一つ前の団体が舞台に立つ中、麻穂たちは控え室として解放された隣のホールで直前の準備をしていた。
「きゃあああっ! 高時くん一緒に写真撮らせて!」
衣装に着替えて出てきた祐真の周りにはすぐに人だかりが出来た。祐真もそれににこやかに対応している。
野獣から元の姿に戻れた王子の役ということで、衣装も明るく華やか。背負ったマントも衣装製作班が良い生地を選んでいるのがよくわかった。
周りの男子からしたら面白くない状況だろうが、祐真に敵わないことは男子一同の共通見解だったため今更どう言うこともない。
それよりも男子たちが驚いていたことはというと。
「ちょっと……涼、本物の男よりキマってない?!」
「めっちゃかっこいいー!」
「涼が男だったらよかったのに……」
クラスメイトの“女子”がげんなりしながら、きゃーきゃー騒ぎ立てる女子たちに囲まれている。なんと不思議な光景だろう。
女子に囲まれている彼を遠目に見て、同じく衣装に着替えた麻穂は苦笑するしかなかった。
確かに涼は格好いい。ただでさえワイルドな振る舞いに、しっくりくるようなクールなルックス。学級委員が文化祭の経費で買ってきたショートヘアのウィッグをかぶって、見た目は完全な男の子だ。そこに獣耳がついているのは彼が野獣の役だから。シャープな雰囲気をうまく緩和している。
「おい、抱きつくな! 勝手に撮るな!」
女同士だと思うからこその思い切りだろう、どさくさに紛れてべたべた触ったり写真を撮りまくったり。祐真を囲んでいた女子たちも騒ぎが気になり涼を見に行く始末だ。
麻穂は涼が助けてほしそうにしているのを分かりながらも、何も行動できなかった。
きっと今彼に近づこうとしても周りに阻まれるだろうし、彼を独り占めしてしまったら、そのつもりはなかったとしても今後女子たちからの風当たりがきつくなることは間違いない。心の中で応援するのみにとどめた。
「吉瀬さん、いよいよ本番ですわね」
そんな麻穂に、雪乃が声をかけた。
彼女はナレーターなので服装に変化はない。いつも通り制服を着用していた。
「はい、頑張りましょう」
麻穂は彼女に微笑み返した。
「最初の衣装は随分とシンプルですのね」
「ダンスシーンの時に、この上からそのままドレスを着るんです。だからなるべく飾りのないものにした、って衣装製作班の子が言ってました」
「一度目のダンスは野獣姿の片岡さんと、二回目は王子様姿の高時くんとでしたわね」
「そうなんです。涼とはよく練習をしたんですけど、高時くんとはほとんど練習する時間がとれなくて……少し心配です」
そう言われて雪乃がちらりと祐真の方を見る。雪乃の視線は祐真に気づかれるより早く、祐真の周りの男子に気づかれた。
話すきっかけを察知して、彼らはわらわらと雪乃に寄ってきた。
「どうしたの? なんか用事?」
我先に雪乃と会話しようとする男子たちの姿に、麻穂は内心びっくりしてしまう。
当の本人はというと、いつもの優雅な微笑みで「結構ですわ」とあしらっている。本人の容姿や振る舞いもさることながら、この手の届かない感じも人気の秘密なのかもしれない。
麻穂も実際、雪乃のキリッとして芯のある大人びた雰囲気が羨ましいと思っていた。
「如月さんは後夜祭どこで過ごすか決まってる?」
男子の一人にそう訊かれて、雪乃は少し思案するように黙ってからにっこり笑った。
「秘密、ですわ」
「クラスの奴らで中等部校舎の屋上からあの花火見ようと思ってるんだけど、よかったら如月さんも来て欲しいな」
「うふふ、気が向いたら参りますわ」
「花火?」
麻穂が小首をかしげると、雪乃を誘っていた男子が説明してくれる。
「そっか、吉瀬さん転校してきたばっかりだから知らないよね。うちの学校は後夜祭でデカイ花火をたくさん打ち上げるんだ。それに関しての甘い伝説があって、花火を一緒に見た男女は近いうちに結ばれるっていう……」
「おいコラ、何やってんだよ」
楽しそうに花火の話を聞いていた麻穂の目の前に、ぬっと人影が現れる。
「か、片岡さん……」
現れたのは涼だった。麻穂に背を向けた涼は、男子をじーっと睨んでいる。見ているだけなのかもしれないが、どちらかというと目つきの悪い涼は、少しでも機嫌が悪かったり真剣な表情になるとすぐ怖い顔つきに見えてしまう。
さっきあれだけ女子に群がられていた涼の後ろ姿が、いつの間にか目の前に。麻穂は驚いた。
「困らされてないか?」
振り返った涼が麻穂に声をかける。
麻穂はあの日の男の格好の涼を思い出して、ドキッとしてしまう。
「あ、うん、全然……。後夜祭のこと教えてもらってただけだよ」
「ならいいんだけど」
涼に凄まれていた男子生徒がほっと胸をなでおろす。涼のこの気迫は一体なんなのだと、彼は心底不思議に思っているだろう。
野獣とはいえ一応元王子の役なので、涼もそれなりに良い服装をさせられていた。羽織ったマントは祐真のものとデザインがほぼ同じだが全体的に暗い色合いだった。
麻穂は彼の頭部につけられた可愛らしい獣耳に手を伸ばし、指先を触れさせた。
「涼、この耳可愛いね。凶暴な野獣には見えないよ」
少し腰をかがめてやって、笑いながら涼は言う。
「獣耳と実際の耳と合わせて耳四つもあるんだぜ。にしてもこの獣耳、リアルだよな」
和やかに雑談に移行しようとした彼に対し、ズバッと物申した生徒がいた。
「片岡さんっ! あなたは吉瀬さんに対して少々過保護すぎじゃなくって?」
そう指摘したのは雪乃だった。
実際、凄まれた男子は相手が女子であるはずにもかかわらず完全に怯えてしまっている。
「そんなことは……」
言い訳しようと彼女に向き直った涼の姿を見て、雪乃が目を細める。
「あらまあ、野獣の格好がこんなに似合う女子がいていいのかしら」
「褒めてんのかけなしてんのか、どっちだよ」
そこに更に割って入ってきた男子生徒がいた。
「本当に男にしか見えない」
3年3組の吉田だった。高時祐真のクラスメイトであり、涼のことを男ではないかとしつこく疑う人物である。
彼の登場に、途端に涼の顔色が曇る。
「う、うるさい」
普段のように男らしくならないよう、しかし女らしくなりすぎて演技に思われないギリギリのラインを見極めて、小声で非難する。男装した顔を直視されたくなくて、素早く顔を背けた。
涼はいつからか、今まで平気だった女らしい一人称や口調、振舞いが麻穂の前だと恥ずかしいと感じるようになっていた。
「え? 声が小さくてよく聞こえない」
吉田が涼の方に耳を寄せてくる。吉田は最近涼に対して本当に手厳しい。
それを見た雪乃がきょとんとした表情で問う。
「あら。もしかして吉田くんは、この野獣のような片岡さんがお好きですの?」
「んなわけあるか!」
涼が反射的に雪乃につっこみを入れてしまう。その声は男性のそれそのもので、麻穂が慌てて「落ち着いて」と彼を制する。
「やあやあ、相変わらず賑やかだね」
「高時くん」
会話にまた新しいメンバーが加わった。それは女子たちの写真おねだり攻撃からようやく解放された祐真だった。嫌な顔一つせずに一枚一枚律儀に応えるのも彼らしい。
王子様衣装の祐真の登場に、麻穂は思わず頬を赤らめてしまう。彼の整った顔立ちや落ち着いた物腰に、その衣装はとてもよく似合っていた。
ただでさえこの人は自分に「好きだ」と言ってきた男の子。意識しないわけにはいかなかった。
そして彼女の傍に立つ涼は、祐真の登場とそれに反応する麻穂を見て、不機嫌そうに眉間に深いしわを刻んだ。
「吉田、あんまり片岡さんにつっかかっちゃダメだって」
「別に俺はつっかかってない」
やんわりと制する祐真の言葉を、反省の色もなく吉田がさらりとかわす。
「僕はまだ、片岡さんのこと素敵だなって思ってるんだから」
「お前はまた……」
祐真が浮ついた言葉を並べるのに耐え切れず涼が口を開いたが、彼は言葉を止めない。
「だってこの間、僕と麻穂ちゃんと片岡さんと三人で屋内プール遊びにいったんだよ。ほら、こないだできたばっかのところ」
その言葉に一同は固まってしまう。
涼は、何を言ってるんだ、と。
雪乃は、やっぱりそういう関係でしたの?!、と。
吉田は、祐真の言葉の真意を探ろうと。
麻穂は、先日の自分との約束を果たしてくれたのだと。
「あれ、皆なんで絶句してるの? 僕、変なこと言ったかな。ねえ麻穂ちゃん、楽しかったよね?」
「あ、うん……そ、そうだね」
嘘をつくのが下手な麻穂なりに、口裏を合わせる。
祐真は少しも嘘をついているそぶりを見せない。口数が増えることも減ることもなく、かなりハイレベルなポーカーフェイスだった。
「麻穂、お前……?」
涼はあからさまな嘘を肯定する麻穂に強い不信感を覚えた。しかし彼女は無理に微笑むばかりで、答えをくれることはなかった。




