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 あの日から麻穂の様子が変だ。涼はそう感じていた。


 それは麻穂が男子寮に忍び込んだ日。涼は彼女を迎えにいくため男装して向かった。その帰りから妙に麻穂の様子がおかしいのだ。何かと上の空でいることが多いし、涼に対してどこかぎこちない。


 涼はシャワーの熱い水流に打たれながら考えていた。


 寮の大浴場には行くことができないので、部屋に備え付けのシャワールームで風呂を済ませている。長い髪を洗うのは非常に面倒だった。


 麻穂はあの時、ああまでして男子寮に行った理由を言わなかった。彼女がそこまでして会いに行く相手など、一人しか心当たりがない。


(高時祐真だろうな)


 祐真とのことは転入してきてからよく相談にのっていたのに、どうしていきなり何も話さなくなってしまったのか。鏡に映る自分を見つめて、涼は考えてみた。


 その結果、たどり着いてしまうのはやはり。


(高時とうまいこといったのか?)


 そういう結論だった。鏡の中の自分がため息をつく。


(そしたら俺、めっちゃ邪魔者じゃん)


 今までは自分の思うままに、麻穂に近寄るな、と言ったりしていたが、今後はそうもいかなくなるかもしれないということだ。


 義理堅い彼女の性格からして、涼の正体を祐真に告げることはないだろう。しかし好きな人がいるのに他の男と同じ部屋で暮らすのは、彼女もきっと嫌に違いない。


(俺、麻穂が高時とうまくいったかもしれないことがショックってことに、ショックを受けてる……どういうことだよ。婚約者同士の二人がくっついたなら、みんなにとって万々歳のはずだろ)


 シャワーで体を洗い流しながら、はあとため息をつく。


(もー。吉田は毎日ずーっと見てきてしつけえし、麻穂の様子はおかしいし、高時はうぜえし。わけわかんねえ)


 涼はシャワーを止めた。考えても仕方ないことだ。


 肌着を着用しジャージを穿くと、濡れた長い髪をタオルで絞りながらドアを開けた。


「シャワー終わった」


「うん」


 麻穂は机で宿題をしながら、ちらりとも涼を見ないで生返事。


 お湯を浴びたあとは今の時期でも流石に暑い。しかし服を脱ぐわけにはいかないので、涼はジャージの裾と袖を大きくまくった。


「なー、麻穂。プレステしねえ?」


「あ、うん。いいよ」


 麻穂が来てからは、涼は一人でゲームをすることが少なくなった。やる場合はもっぱら対戦ゲームで麻穂と遊ぶ。


 そしてこういう風になんとなく様子がおかしい時に話すきっかけとしても、お互いをゲームに誘うことは多い。


「何やる?」


 がちゃがちゃとソフトの入った箱をあさりながら、涼が尋ねる。


 麻穂はシャーペンを置いて涼の方に向き直った。


「えっと、戦うのじゃないやつ。車のがいいな」


「はいはい、格ゲーじゃないやつね。レーシングね」


 涼はあぐらを組んで座る。麻穂はその少し後ろに足を崩して座った。


 横並びでお互いの顔は見えない。光るテレビ画面を見ていた。


 プレイしながらゲームに関しての他愛もない話をぽつぽつとする。涼はゲームの趣味が古くて渋いだとか、麻穂はパズルゲームばかり得意だとか。


 何気なく喋っている間も、涼は麻穂の態度がぎこちないことを確かに感じていた。普通に振舞おうと頑張っているように思えるのだ。


 その時、妙に改まった口調で麻穂が口を開く。


「あ……涼、そういえばね」


「あーっ、ちょっと待って!」


 涼はその先に続く言葉を想像して、思わず彼女の言葉を大声で遮ってしまった。


 麻穂はびっくりして彼を見つめた。


 涼も自分の行動に我ながらびっくりしていた。取り繕う言葉を探すけれど、次第にげんなりとした表情になってしまう。


「どうしたの、そんな顔して」


「いや、なんとなく分かってたんだよ。最近様子が変だったもんな、俺が気づくのが遅すぎたっていうか」


「へ?」


「だから高時とうまくいったとかそういうあれだろ? 麻穂、色気づいてきたもんな……」


「……一体何の話?」


 訝しげに麻穂が首を傾げる。全く話が読めない、といった風だ。


 一人で暴走しきりだった涼がそこでようやく、合点のいっていない麻穂の困惑した表情を見た。


「え、なんかあれじゃないの? 彼氏が出来てそれが高時、みたいなことじゃないの?」


「そんなわけないでしょー!」


 涼のとんでもなく的外れな推測に、麻穂は咄嗟にそばにあったクッションを投げつけた。


「なんで私が高時くんと付き合わなきゃいけないのよ!」


 全くもって理解できないとばかりに憤慨している。その顔は真っ赤だ。


 ぶつけられる寸前で、持ち前の反射神経を発揮して受け止めたクッション。涼はそれを抱きかかえ、いじらしいまでの女々しさを見せながらぽつぽつと理由を口にする。


「だって麻穂、なんか最近様子おかしかったし、俺に対して妙によそよそしいっていうか、ぎこちないっていうか」


「だからって私が高時くんと付き合ってるなんて思わないでよ!」


 そう言うと麻穂は立ち上がり、自分の机に戻ってしまった。


 どうして彼女がこんなに怒るのか、涼には理由が分からなかった。


 彼女をなだめようと慌てて傍に寄る。


「わ、悪い。俺、何か勘違いしてたみたいで……」


 彼の謝罪を突っぱねるように、麻穂はぷいと横を向いてしまう。


「この通り!」


 涼は拝むようにして両手を合わせて、深々と頭を下げる。


 そこまでするのならしょうがないな、と麻穂はそらしていた顔を戻したが、彼に動きはない。


「麻穂が許してくれるまで、ずっとこのままの姿勢でいるから」


「ええっ! ちょっとやめてよ、許すから!」


「マジで許してくれる? もう怒ってない?」


「怒ってない怒ってない。代わりに、涼が前に見たいって言ってたもの見せるよ。そもそもさっきこれを見せようと思ってたんだよ」


 えっ、と涼は顔をあげた。


「これ、実家から送ってもらったの」


 目の前に差し出されたのは一枚の写真。そこには麻穂の姿があった。後ろに大きな屋敷が見える門の前で、かしこまった麻穂の姿。きっと実家の前で撮ったものだろう。


 杉浦の制服ではない。そして髪も長くて巻かれており、今よりフォルムがふわふわとしている。


挿絵(By みてみん)


「前の学校の時の写真じゃん」


「この前言ってたでしょ? 髪が長かった頃の写真見たいって」


 前に劇の練習で校外に出かけるとき、麻穂が涼の髪をアレンジしたことがあった。あの時涼がちょっと言っただけの言葉を、麻穂は覚えていてくれたのだ。涼はじっと写真を見て、本人と見比べる。


 まじまじと見られて、麻穂はちょっぴり恥ずかしそうだった。


「なんかすげえ女の子って感じがする」


「髪型、そっちの方がいいかな?」


「今も似合ってると思うけど。でも、また伸ばしてみてもいいんじゃないか」


 そう言いながら涼は、彼女が髪をもう一度ここまで伸ばしたとき、もう自分は傍には居ないのだということを思う。


 今まではそれが当たり前だと思っていたのに、どうして心がもやもやするのか。

「なあ、この写真もらっていい?」


 涼はダメ元で麻穂に聞いてみた。人に写真が欲しいと言うなど、仲の良い相手でも恥ずかしい。


 しかしドキドキしていたのは涼だけではないようで、麻穂も頬をほのかに紅潮させる。


「そんな、昔の写真がほしいの?」


「昔のっつーか、麻穂のだから……」


 そう言いかけてから涼は自分で墓穴を掘ったと後悔する。表情こそ変わらないものの、涼の言葉は途中で止まってしまった。


 麻穂はどうして涼がそんなことを言うのか考えていた。それはもしかしたら涼が突然いなくなってしまうかもしれないからだろうか。吉田に詰め寄られたあの日、中庭で話したように。いきなり、あともなく。


 そう考えると胸がちくちくと痛んで、恥ずかしさを押しのけて不安がわき上がってきた。


「じゃ、じゃあ涼の写真もちょうだい……交換なら、いいよ」


 顔を背けてぽつりと言った。我ながら都合よく理由を付け足してずるいなと麻穂は思う。


 あの日、祐真が自分をまっすぐに見つめて気持ちをぶつけてきたことを思い出す。自分は“軽々しい”とか言ってしまったけれど、人に何かを求めることはなんて恥ずかしいのだろう。今更ながら祐真はすごいなと思った。


「俺の写真?」


 キョトンとした表情で涼が聞き返す。


「んー。女装してる今の写真はあんまり残したくなくて、行事とかで無理に撮らされる以外は逃げてんだよなぁ」


 彼が残したくないという理由は“女の格好をしている姿を残されるのは恥ずかしい”ということだけではないようだった。万が一何かがあった時に“残ると困る”からである。


 麻穂もそれは分かっていた。だからこそ残るものが欲しかったのだ。


 どさくさで、麻穂は約束をさせる。


「じゃあそれは貸しててあげるから、いつか絶対に涼の写真ちょうだい。そうじゃなかったら、ちゃんと責任もって“手渡しで”返してね」


 もっともらしくそう言いながら、麻穂は彼の顔が見られなかった。


 彼のことを直視するのが最近はどうしてこんなに恥ずかしいのか、自分でも説明がつかない。


 涼が先ほど妙な勘違いをしていた理由を述べる時に言っていた。様子がおかしい、涼に対してぎこちない、態度がよそよそしいと。


 全くもってその通りである、自分でも自覚していたことだった。それをまさか祐真と付き合いだしたからと誤解されていたのは予想外だったけれど。


 涼に“高時祐真と付き合っているのでは”と言われたとき、その言葉そのものより、涼に言われたということがショックだった。


 涼を見ていると、あの夜自分を迎えにきてくれた彼の男の姿を思い出してしまう。最近彼と話していると不意にそれが重なって、自分が今誰と話しているのかわからなくなってしまうのだ。涼は男の姿でも今の女の姿でも、彼自身であることに変わりがない。そのことは頭では理解しているのだけれど。


 あの時の涼の胸板の感覚だとか、腕の中の温度だとか、覚えていなくてもいいことばかりが鮮やかによみがえってしまう。


 涼は麻穂の許可を得て、満足げに片方の口角を上げた。


「サンキュー」


「約束だからね!」


「分かってるよ」


 写真を得られて嬉しそうな涼を見て、麻穂は考えていた。


 自分は祐真とデートする。姿の分からない婚約者として祐真を嫌悪していた時の気持ちはもうないし、全力で嫌がるつもりもない。けれど涼に対して罪悪感がするのは何故だろう。


 涼をかばうための嘘をついてもらうことを自分が勝手にお願いし、その交換条件としてのデートなので、勿論涼には全て秘密にするつもりだ。しかしそれ以外の説明出来ないもやもやした理由からも、涼には知られたくないと強く思うのであった。


 麻穂は彼とプライベートで校外に出かけたことはない。普段は登校中から下校中、寮生活に至るまでずっと傍にいるのだけれど。


 もし出かけるとしたら男の姿でだろうか、女の姿でだろうか。そんなこと彼に聞かずとも分かっている。


 でも麻穂は思ってしまう。男の姿の涼ともう一度会いたいと。


 前は祐真は自分のことをドキドキさせっぱなしで、涼といるとほっとできると思っていた。気を張らず、何も考えず気楽にいられると思っていた。


 でも今は違う。祐真が自分に繰り出す予想のつかない驚きとはまた違う種類の、胸が苦しくなるような切ないドキドキを涼は自分に与えてくる。でもそれを嬉しいと、もっとドキドキさせれたいとさえ思ってしまう。


「俺も勉強しよっと。文化祭終わったらすぐテスト期間に入るもんな」


 涼も自分の机に向かってしまった。邪魔そうに髪を高く一本にしばって、初めて正体を明かされた時のように男らしい。


 自分が“会いたい”と思っている相手は真後ろにいる。後ろをなかなか振り向けないこの気持ちをなんというのだろう。

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