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 秋も深まり、肌寒さに生徒たちがセーターを着用しだす時期。杉浦学園の広大な敷地を占める草木たちも色づいて、日が落ちるのもすっかり早くなっていた。


 その日、麻穂は一人で寮に帰っていた。


 涼が園山に呼び出しをされていたからだ。涼は最近よく園山に呼び出されている。なんの用事があるのかどんな話をしているのか、彼は麻穂には話そうとしなかった。


 麻穂は私服に着替えて、クラスメイトの女子寮長・如月雪乃の部屋を訪ねていた。


「如月さん、聞きたいことがあるんです」


「あら、吉瀬さん。なんですの?」


 ドアから姿を表した雪乃も、既に制服から部屋着に着替えていた。


「女子寮って、男子禁制なんですよね?」


 麻穂の質問に雪乃は思わず目をぱちくりさせたが、彼女が転入して間もないことを思い、丁寧に説明してやる。


「ええ。もちろんですわ。男性は例え杉浦学園の生徒でも、教師でも、許可なく寮内には入れなくってよ。寮の風紀を守るためです」


「じゃあ、男子寮はどうなってるんですか?」


「男子寮? もちろんあちらも女子禁制ですわよ。何か御用があるのなら、女子寮と同じく、必ず寮の管理人が立会の元、玄関ロビーで面会することが出来ますわ」


「そうなんですね」


 少し考えるような表情を見せた麻穂に、雪乃は尋ねた。


「吉瀬さん。あなた、何か男子寮にご用ですの?」


「いえ、そういう訳じゃないんですけど……」


 言葉を濁した麻穂を見て、雪乃は話題を変えた。話しにくいことに突っ込むほど、彼女も野暮ではない。


「もし御用があるにしても、誰か女子寮からお友達を連れて行った方がいいと思いますわ。一人で行くと何かと騒がれますから。わたくしがついて行っても構いませんけど?」


「ありがとうございます。でも、大丈夫です。涼に頼みます」


「そうね、あの野蛮人はボディーガードにはなると思いますわ」


 雪乃はにっこりとそう言う。


 麻穂は彼女に合わせて笑うしかなかった。女性らしさの塊のような雪乃からすれば、確かに涼は野蛮そのものなのかもしれない。


 麻穂は部屋に帰ることなくすぐに寮を出た。向かった先は、学校を挟んで反対側にある、杉浦学園の男子寮だ。




 少し冬の匂いがする風が、窓ガラスをノックする。帰路についたときの夕焼けはすっかり奥においやられ、いつの間にか星がまたたき出している。


 高時祐真は寮内の自室で宿題をしていた。制服から部屋着に着替えて、勉強用の眼鏡をかけている。寮長の特権により一人部屋なので、彼がシャーペンを走らせる音だけが室内に響く。


 ドアの外からは時折騒がしい声が聞こえていた。夕飯が待ち遠しい生徒たちが廊下に出ているのだろう。


 コンコン、と窓ガラスに何かが当たったような音がして、祐真は窓のそばに寄った。窓の正面には背の高い植木があるため、何かが窓に直撃することは考えにくい。更に今の規則的な音は、人為的なものに感じられて気になったのだ。


 窓から覗く景色に変化はない。祐真は窓を開けた。ひんやりした空気と共に、女性の声が滑り込んでくる。


「高時くん」


 自分を呼ぶ声に自室のドアを振り返るが、開くことはない。


 おかしいな、と思った時だった。窓から視線を下に落とすと、そこには思いも寄らない人物の姿があった。


「麻穂、ちゃん?」


 祐真は思わず目を見張った。ともすれば声を上げてしまいそうだった。


 私服に着替えた麻穂が、祐真の部屋の窓の外に小さくなっていた。


「変な真似をしてごめんなさい、どうしても二人で話したくて……」


 祐真は喋り出した麻穂に「しぃ」と黙るよう、口の前に人差し指を立てた。


「ここは声が響くんだ」


 麻穂は高時の手を借りて、窓から彼の部屋に滑り込んだ。


 祐真はすぐにドアに鍵をかけて、カーテンを隙間なくしめる。


 麻穂は室内をさりげなく見回した。女子寮とほぼ作りは変わらないが、祐真の部屋は整然としているようだった。そして何もものが置かれていない机と、布団のない空きベッドがひとつずつあることから、祐真が一人部屋であることがわかった。


「僕が男子寮の寮長だってわかってて、こんな風に会いに来たの?」


「ごめんなさい」


 祐真は怒っているわけではなさそうだったが、麻穂は謝った。自分は悪いことをしているし、秘密に加担することで祐真も同罪にさせているのだ。


「まあ、僕が君に信頼されてるからこその行動と思ってるから、こうして匿ってるけど。こんな風に女の子が会いに来たのは初めてだよ」


 学校で会うときよりも、心無しか声が低いような気がした。それは彼がなるべく声をひそめてしゃべっているからだろう。 


 祐真が床に座ったので、麻穂も床に正座した。


「迷惑かけたことは、謝るわ。どうしても二人だけで話したいことがあって」


「二人で話すことは学校でも可能だと思うんだけど?」


「えっと、そうじゃなくて……」


 麻穂がどう説明しようか迷っていると、祐真は笑いながら言った。


「意地悪言ってごめんね。わかってるよ、僕たちが接触していることを吉田に知られたくなかったんだろう?」


 祐真の言うとおりだった。


 あれから―舞台での劇練習の日から―吉田はまるで監視するかのように涼に目を光らせていて、祐真ともピッタリくっついていた。


 祐真が麻穂に忠告した通り、吉田は自分の疑わしいと思う気持ちが晴れるまで涼を観察し続けるつもりに違いない。涼は「しつけぇなアイツは」などと悪態をつきながらも、麻穂を不安にさせまいと気にしていないように振舞っているが、麻穂には彼が追い詰められていることが感じられるのだ。


「僕も最近、吉田は異様にくっついてくるとは思ってたんだ。麻穂ちゃんたちのことばっかり見てるしね」


「そうなの。涼のことを男だと言い出したあの日から」


 麻穂が困ったように眉を下げる。そんな様子を見て、祐真は目を細めた。


「涼に何か言われたわけではないんだけどね、私は同室の女の子がそんな風に疑われるのは嫌なの。涼のために行動したいの」


 自分の言葉が嘘であると、麻穂は分かって言っていた。同室の女の子、なんかじゃない。涼は本当は男だ。


 杉浦学園に転入してくるまで、というより今までの人生で、こんな大きな嘘をついたことはなかった。人を騙そうとしている、という意識があった。


 でもどうしても、その秘密を守りたい。


「ふうむ。その気持ちは分かったんだけど、どうして僕のところに来る必要が? わかってると思うけど、僕が説得したところで吉田の疑心は変わったりしないと思うよ」


「高時くんには、涼のために嘘をついてほしいの」


「嘘?」


 祐真は思わず聞き返した。生真面目な彼女の口から、そんなお願いが出てくるとは思いもしなかったのだ。


「私と三人で出かけたことがあるって言って欲しいの。えっと、一緒にプールに行ったっていうことにして」


「ああ、そういうことか」


「うん。色々考えてみたんだけど、普通に出かけたって言っても説得力ないかなって。ほら、プールだったら女の子だって絶対分かってもらえると思うの」


 少し顔を赤らめながら、早口で説明する麻穂。 


 祐真は「ふむ」と納得したように頷いた後、にこっと笑って尋ねた。


「じゃあどうして本当に一緒に行かないの?」


「それは」


「僕は麻穂ちゃんのために何かすることはやぶさかじゃないけど、頼まれてもない片岡さんに協力するのはなぁ。事情もよく知らないし」


 祐真が意地悪でそう言っているのは、麻穂はよくわかった。


 それに確かにこの行動は涼に頼まれたことではなく、自分が勝手に考えて涼に無断で起こしたことだ。


 もちろん祐真もそれは承知の上。まさか自分を目の敵にしている涼が、麻穂に危険を犯させてまでこんなことをさせるとは絶対に思えないからだ。


 麻穂は気まずそうに視線を逸らして、言葉を探している。


 祐真はそれを見ながら楽しそうだ。


「それ、わざと言ってるでしょう?」


「やっぱり分かる?」


「もう、私はまじめにお願いしてるのよ!」


 麻穂がすねたように口をへの字にする。


「確かに涼は高時くんのことをあんまり好きじゃないみたいだけど、こんなことを頼めるのは高時くんしかいないの。お願い」


 両手を合わせて彼を見つめた。


「麻穂ちゃんがピンチの時に、誰でもない僕を頼ってくれたのは嬉しいよ。でも、僕にもお願いさせて」


「お願い?」


「僕とデートしてください」


 にっこりと笑う祐真。麻穂はその固まった表情のまま彼を見つめることを数秒、「はあああ?!」と大声で叫ぼうとして、苦笑する祐真に口を塞がれた。


「静かにね」


「なんで私が、あなたと、デ、デートしなくちゃいけないの?!」


 小声ながらも精一杯の抗議の気持ちをこめて麻穂は言う。


 もちろん、麻穂は今までデートなどしたことない。


「君のお願いを聞いてあげるのはいいんだけど、吉田に嘘をつかなきゃならないし僕は何の得にもならないよね。だから、僕もお願いする」


 また微笑む彼に、麻穂は思わず顔が真っ赤になった。ここで麻穂が「絶対に嫌だ!」と言えないのは、勿論ただで協力してもらうわけにはいかないことが分かっているのもあるが、それ以外の気持ちもあるようだった。


「た、高時くんは、どうしてさらっとそんなことが言えちゃうの? 私、前から思ってたんだけど、すごく軟派っぽいっていうか、軽く感じちゃうよ……」


 そう言いながら、麻穂は彼の顔を見られなかった。


 すると祐真は言う。


「僕がさらっと言えてるように見えるなら、君がまだ僕のことをよく分かってないのかもしれないね。もしくは、僕が演技上手なのかな」


 「え?」と、そらしていた顔を上げた。


 彼女の目に写る彼は、麻穂のように顔色が変わることもなく、いつものように落ち着いているのだけれど、少しはにかんだように見える。


 麻穂は思わずぽかんとなる。


挿絵(By みてみん)


「照れてるの?」


「当たり前だよ。自分の好きな子に一緒に出かけようなんて誘うのは、勇気がいる」


「またそうやって軽々しく」


「軽々しく言ってると思うなら、ちゃんと言ってあげようか?」


 そう言う祐真の顔から、笑みが消えていた。


 迫る祐真に、麻穂は自分の肩がビクッとはねるのを感じる。


「僕は麻穂ちゃんが好きだよ」


 見たこともないまじめな表情で話す祐真と、しばらく見つめ合ってしまう。自分の顔が恥ずかしいくらいに真っ赤なのはよくわかっていた。熱をもった頬が、耳が、額が、自分のものではないように熱い。ドクンドクンと、全身が心臓になってしまったかのよう。息が苦しい。


「君が今、誰を好きでもいい。僕にチャンスがあるんだったら、僕の気持ちを胸にしまっておいてほしいんだ」


 麻穂は返す言葉が見つからなかった。


 嘘つき、誰にでもそんなこと言ってるんでしょう、と言ってやりたかった。でも祐真は「そんなことはないよ」と言うだろう、今まさに見たこともない真剣な態度で接してきているのも事実だ。そして、自分が求めている答えも否定なのは間違いなかった。否定してほしいから、その質問をするのだ。否定してほしくもないのなら最初からそんなことは訊かない。


 麻穂が困ったように再び目を逸らしてしまうと、祐真はまた元のようににこっと笑った。


「ふふっ、僕が本気なの、分かってくれた?」


「ば、ばか!」


 麻穂は、なんとかそう返すしかなかった。男の子からそんな風に言われたのは初めてだった。前に涼に婚約に反対している話を説明した時、自分は普通に恋をして相手を選びたいと言ったが、それがこんなに刺激的なことだとは。体感するまで思いもしなかった。


 もっと可愛くて、頭がよくて、スタイルのいい女の子だってたくさんいるのにどうして私なの、という疑問。そして不安。


「ね。デートしてくれる?」


「……わかった、けど」


 子犬のように無邪気にねだって見せる祐真。


 素直に受け入れるのは非常に抵抗があった。


 最大の理由は恥ずかしかったから。こんな風に立場を利用して誘ってくるのはずるい、そう思いながら、返事をするだけでこれほど恥ずかしいことをよく祐真は言えたなとも思う。


 そしてあとは、自分でも分からないモヤモヤした胸のわだかまりがあったから。


「あのね、私はまだ好きな人は居ないの。高時くんのことは、嫌じゃないけど、別に恋愛としての好きというわけじゃ……」


「自分が誰かを好きになってることを自覚出来ない時もあると思うよ」


 彼女の言葉をさえぎって祐真が話す。まるで聞いていられないという感じだ。


 麻穂は小首を傾げた。


「自分が気づいていなくても、もうそれは恋なんだろうね。相手のことで一喜一憂したり、たまには今までの自分では考えられないような、とんでもない行動をしてしまったり」


 彼はまるで何かを悟らせようとしているような語り方だった。


「まあちょっと鈍感なのかもしれないね、お互いに。僕にはすごく分かる。僕は昔から自分がちょっと普通でないことを自覚してるから、その分“普通の男の子”の気持ちはよく分かるつもりなんだ」


 祐真がすらすらと述べる台詞の一片も、麻穂は理解出来なかった。何を言っているのかさっぱり分からない。


「だからね、普通の男の子だったら期待しちゃうんじゃないかな。麻穂ちゃん、色々と期待させすぎだ。僕以外の男の子ももしかしたら、麻穂ちゃんに落ちちゃうかもよ」


 口調と違って、言葉に責めるような響きはない。


「どういう……」


 その時。だんだん大きくなるダンダンダンダンという地響きのような足音がして、祐真の部屋のドアが乱暴に叩かれた。


 声は出さないままだったが、麻穂はビクッと体を震わせた。


 そんな麻穂を動かないよう無言で手で制して、祐真はドアの近くまで寄って声を張った。


「なに?」


「高時、俺! 今日の授業のノート貸して!」


 がちゃ、とノブが捻られた音がして、麻穂は口から心臓が飛び出しそうなくらいびっくりする。


 しかし麻穂を招き入れた時に祐真は鍵をかけていたので、ドアは開くことはない。


「あれ、祐真なんで鍵かけてんの? いつも開けっぱなのに」


「ちょっと待って、ノート探すから」


 あえて質問に答えず、祐真はドアから離れて声を張った。


 そして麻穂に小さな声で言う。


「彼の性格からして、このままドアを開けずに彼を回避することはできない。麻穂ちゃん窓から帰れるかい?」


「う、うん」


 麻穂が頷くと、祐真はカーテンを少し引いて、なるべく静かに窓を開けた。ひやっとした外気が二人の肌を冷やす。


 外はすっかり暗くなっていて、部屋から漏れる光でしか周りを確認することが出来ない。


 祐真が先に顔を出して周りに誰もいないことを確認すると、麻穂に手を貸して彼女にうまく窓を超えさせる。


 彼女の小さな手が自分の手からするりと抜けた時、祐真は少し悲しげな顔をして「気を付けて」と言った。逆光で彼の表情が見えないまま、麻穂は返事をする代わりに頷いた。すぐに麻穂は真っ暗な中に消えていった。


「ここが女子禁制の男子寮だとしても、なんとしても来るだろうな……彼が“普通の男の子”なら」


 麻穂や周りの人間に対してではなく、呟くように祐真は言った。

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