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 麻穂が涼を見つけたのは、中庭のベンチだった。


 建物に囲まれた空間なので閉塞感はあるが、逆に人が誰も居ないのがよく分かるので、屋外に居ながら一人になれるいい環境だった。


 肌寒い風が吹き、渡り廊下に立つ麻穂の髪を揺らしていく。


 秋に色づいた木の葉たちが、さざ波のような音を立てる中、憂いたような涼の横顔がそこにあった。


 白い肌に、鼻筋の通った小さな顔。さらりとした髪は長く、彼の髪を靡かせるにはまだ風の勢いが足りないようだった。手にはジュースのパックが握られている。


「追いかけて来たのか」


 麻穂の視線に気づいた涼が、彼女を手招きする。


「涼、探したよ」


 ゆっくり歩み寄っていく麻穂に、ベンチの隣に座るように手で示す。


 腰を下ろすと、麻穂は口を開いた。


「私が居ないときに何があったの?」


 涼は大したことではなさそうに、心配そうな表情をする麻穂に返す。


「さっき吉田が言ってたとおりだよ。男みてえ男みてえってしつこいんだ、あいつ。俺がごまかそうとしても超突っ込んでくる」


「……まさかだけど、ばれたりしないよね?」


「当たり前だろ。三年間女として学校に通ってるやつをいきなり男だって言い出したって誰も信じないだろうし、何よりあいつには確かめようがない。男子生徒がいきなり女子生徒の体を触るか? 服を脱がすか? それこそ退学ものだろ」


 麻穂の不安を笑い飛ばすように、涼が自信満々に言い放つ。しかし麻穂は、その割に涼が自分の顔を見てこないことが気になっていた。


「さっき、怒ってたの?」


「まさか。あそこで『あたしは女だ!』って騒いだって仕方ないだろ。ああいう場は早く終わらせんのが一番だと思ったから、怒ったふりしただけ」


 淡々と説明してジュースを飲み干す。空になったパックをぐしゃっと潰した。


 麻穂は彼の隣で考えいた。涼は何でもなさそうに振舞っている、しかしこの胸が不安を帯びているのはなぜ。


「ねえ、もしだよ、万が一ばれたりしたら、涼はどうなるの?」


「え、何てこと言うんだよ」


「答えて」


「そうだな……即、この学校から居なくなる。そのまま寮にも戻らず、そのまましばらくは蒸発だろうな」


「蒸発って、そんな」


挿絵(By みてみん)


「東京なんて誰に会うかわからねえし、故郷の北海道に帰って音信を絶つんじゃないかな。学校側としても他の生徒の保護者の手前火消しに必死になるだろうし、いなかったことにされると思う」


 麻穂は心がぎゅっと締め付けられるような気持ちがした。


 涼がいなくなる? そんなのは嫌だ。


「音信を絶つって、私とも連絡とれなくなるの?」


「“私とも”って、当たり前だろ。麻穂は杉浦の生徒だ。連絡先も知らないだろ?」


 当たり前。その言葉を受けて、麻穂は自分が深く傷つくのを感じた。彼の軽い口調から、涼にとって自分の存在は、いついなくなっても大丈夫なものだったのかと思い、ショックだった。


「教えるよ! 実家の住所だって電話番号だって……だから涼も教えてよ」


 切羽詰まったように手をつかまれ、涼は思わず麻穂の顔を直視した。震える二つの瞳は今にも泣き出してしまいそうだった。


 涼は思わずため息をつく。


「お前なぁ、よーく考えろよ。もし俺が急に居なくならなきゃならないような状況になったら、麻穂は俺に騙されていたって言わないといけないんだぞ」


「えっ」


 麻穂は目を見開いた。


 確かに、冷静に考えれば涼の言うとおりだ。涼が男だと言うことを知っていたと周りに判れば、麻穂も共犯になる。騙されていたという被害者を演じれば、それを回避することが出来る。ましてや寮の同室だ。騙されていたことに一番傷つき、憤慨しないといけない人間だろう。


 涼の手を掴む麻穂の小さな両手から、力が抜けていく。


「私、そんなこと、出来ない……」


「出来ない、じゃなくて。しないといけないの。お前この学校に居られなくなるぞ?」


「涼のこと悪く言うなんて私は絶対したくない!」


 麻穂の言葉を受けて、涼は小さく苦笑した。


「別に悪く言えだなんて言ってねえよ、知らなかったって通せばいいんだ。別にそれに対して俺は何とも思わねえよ、覚悟してることだし。それにそうなったら、麻穂と俺は多分、一生会わなくなるだろうからな」


「そんなこと言わないでよ……」


 消え入りそうにつぶやき、麻穂が俯く。


「涼は、私と会えなくなっても、全然平気なの?」


「え、いや、全然平気ってことはないけど……」


 涼は麻穂の言葉に、なんと返せば正しいのかわからなかった。


 そして内心で思うのであった。


 彼女の為を思い、寮の同室である彼女に自分の正体を明した。しかしそれにより彼女を共犯にしてしまうこととなり、結果としてこのように彼女を傷つけている。この先秘密を守っても守らなくても、彼女は苦しむことになるだろう。彼女が、心優しいが故に。


「ごめんな」


 涼は思わずそう口にしていた。麻穂が顔をあげると、彼の辛そうに歪められた顔があった。


 麻穂は思う。


 彼がいなくなってしまうかもしれないことがどうしてこんなにつらいのか。彼ともうずっとさよならしなくてはならなくなるかもしれないこと、そして彼がそれに対しドライであること。どうして胸がきゅっとするのか。どうして彼は自分に、謝罪の言葉を口にするのか。


「まあ、それは万が一の話だから。大丈夫、あと半年だ」


 涼が麻穂を元気づけるためにそう言ったのだが、麻穂はその言葉でもまた不安になる。


 半年後、涼がいなくなったら。


 でも、そんなワガママを言う資格がないということもよくわかっていた。


 だから、麻穂は決意した。絶対に涼の秘密を守り抜こうと。


「……そう、だよね。大丈夫だよね」


「ああ。だから麻穂、俺の為に何かしようとか、思わないでくれよ?」


 涼には考えがお見通しなのか、麻穂を見つめる。


「私、頼りにならない?」


「そうじゃない。俺の知らないところで何か起こっても、俺は手に負うことが出来ないし。それに麻穂にこれ以上大変な思いはさせたくない」


 そう訴える涼の眼差しは、いつになく落ち着いて真剣だった。


 涼は本心からそう言っていることが麻穂にはよくわかった。


 しかし、涼の足手まといにはなりたくはないけれど、迷惑かけてくれていいのに、と思う気持ちもあった。祐真とのことなどでいつも彼に心配してもらって、自分のほうが迷惑をかけている。自分が頼るのと同じくらい頼って欲しいと思ってしまうのは、自分のわがままなのだろうか、と。


 麻穂はごちゃごちゃとしてくる思考をリセットしようとするかのように、勢いをつけて立ち上がる。そして、ずっと気になっていたことを涼に告げた。


「ねえ。涼ってば、さっきからずーっと、自分のこと『俺』って言ってるよ」


「えっ?!」


 涼は自覚がなかったのか、麻穂の指摘に声をあげた。


 麻穂はそのままその場を去ってしまった。やはり、彼には自覚がなかったのだ。


 警戒心の強い涼は、学校に居るときは滅多なことでは一人称が“俺”になることはない。たとえ麻穂とふたりきりでも学校内では“あたし”を通す。


 そんな彼がいつものしきたりを無意識に崩しているということは、きっと何かある、と麻穂は分かっていた。麻穂の目を見ないことも。いつもの彼からすると不自然なことが多かったのだ。


 涼は、麻穂を追いかけることはできなかった。


(やべえな、俺、完全に気を抜いてた)


 麻穂に指摘されるまで全く気づかずに会話していた自分を悔いた。そして同時にどうしてこんなに気が抜けていたのかと考える。


(やっぱ、吉田のことだよな)


 自分を追いかけてきた麻穂があまりに不安な顔をするので、安心させるためになんでもない風に装った。しかし実際は、あの時吉田に追い詰められた自分の感覚を思い出すとぞっとするくらいだ。


(吉田は俺の正体に勘づいてる)


 吉田の眼差しを思い出す。彼は無表情で感情を読みにくいが、確かな意思を感じる。そして普段無口なだけに、あんなに主張してくると相当な疑問を抱いていると思える。


 そして、涼の不安要素はそれだけでなかった。吉田と親しくしているのはあの高時祐真だ。一度涼は祐真に殴りかかったことがあった。あの時は流石にひやっとしたことを、涼は覚えている。殴りかかった拳、受け止めた掌。その二つの鈍い衝撃が、お互いが男であることを物語っているようだった。自分も迂闊だったことを悔やむ。あれは明らかに女の殴り方ではなかった。


「ほんと、馬鹿だな……」


 もしそのことを吉田と祐真の間で共有されると、まずいかもしれないと涼は思った。


 しかもこの先の行事で待ち構えているのは文化祭での演劇。男装するとなるとまたリスクが上がってしまうのではないか。しかし一回それでいいと受け付けてしまったことを今更頑なに拒めば、また誤解が生まれるだろう。しかも、男装を断るという内容だ。


 涼はふうと深くため息をつき、空を仰いだ。校舎と校舎の隙間からのぞく空は狭く、そして高かった。


 麻穂の泣き出しそうな顔を思い出す。


(麻穂の思う理由とは違うかもしれないけど、俺だってここを離れるのは嫌だと思ってる。でも、俺がそんなこと言えるわけない)


 恥ずかしいから、とかではなく。自分がその状況を作り出している張本人だから。


 しかも麻穂は理事長の孫娘。そしてこの寮で同室にさせたのは理事長だ。なんらかの意図が働いていないと考えるほうがおかしいだろう。


 そして麻穂の婚約者、高時祐真の存在。


(あんな顔して。麻穂は俺が男だってこと忘れてるのか、なんとも思ってないのか)


 涼は自分の掌を見た。彼女がつかんだ、自分の手。


 俯いていると、さらりと肩から自分の髪の毛が流れ落ちる。視界に入ったその長い髪に触れる。


 自分は、髪を伸ばして女の格好をしているだけ。


(俺、男だって言ってるのに。そんなに女に見えるのか……)


 そう思ったところで、涼は眉を寄せた。


(いやいやいや、俺は何言ってるんだ。今は女に思われなきゃいけないって状況だろ!)


 頭を抱えて再び息を吐き出す。


「色々、勘違いしちまうよ」


 涼は問題山積の頭の中で、さっき話した麻穂のことを考えていた。麻穂が悲しい顔をすると、どうにも自分は辛くなる。いつもの自分らしくなくなってしまう。しっかりしなくてはならないこんな時期に。

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