16
「ありがとう。あなたの愛のおかげで、わたしは本当の姿に戻れました」
よどみなく台詞を口にし、にこりと微笑んだ祐真。
その双眸は麻穂をしっかりと正面にとらえている。
「あなたを愛しています」
そう言って微笑む彼の言葉は、麻穂からするととても役としての台詞には聞こえず、彼自身の気持ちから麻穂に言われているようで。
麻穂はこのシーンの度に真っ赤になって彼から目を逸らしてしまう。しかし顔を背けると監督である園山からきつい激が飛ぶので、麻穂は視線をさまよわせながらも彼と向き合う羽目になる。
そんな麻穂の様子を正面から見る祐真は、どうみても楽しんでいるようにしか見えなかった。
今日は文化祭本番で使う学校の舞台を使用した練習だ。放課後、各々が部活動などに折り合いをつけて参加している。
舞台袖では、不機嫌な顔の涼が二人を見つめていた。隠れて祐真に黄色い悲鳴をあげている女子たちなどに目もくれず。
「わー、女王様みたいな顔してら」
そんな涼に話しかけたのは、いつかの教室での練習で話した3組の男子生徒たち二人だった。
「村木と吉田か」
お調子者の村木と、口数は少ないが物をよく見ている吉田。男子でも背丈の高く、運動部で力のある二人は大道具の移動の際に活躍していた。
今は、野獣役の涼が倒れ麻穂演じるヒロインの愛の力で本来の青年の姿に戻る一番の見せ場の場面だった。青年に戻ってからは涼から祐真に役者が変わる。ギャップをつけるためだとは言われていたが、涼としては納得がいっていない様子だった。
「あっ、今のとこ。あの野郎、麻穂にベタベタベタベタくっつき過ぎだよ……!」
大きく舌打ちする涼を見て、村木が訝しげに尋ねる。
「ねえ、片岡さん。なんでそんなに高時のこと気になるの?」
「あぁ? 気になってなんかない、あんな奴。気色悪いから嫌いだ」
尋ねる村木に目もくれず拳を作る涼。しかし次の思わぬ吉田の指摘に思いっきり振り返ってしまう。
「違うだろ、村木。片岡さんは高時が嫌いなんじゃなくて、吉瀬さんが好きなんだろ」
「あぁー、そういうこと……って、え? レズ?」
「だぁーっ!? 何言ってんだよ馬鹿!」
慌てて涼が振り返った舞台袖は、暗いけれども、何の表情も浮かべていない吉田と、驚くというよりは引いている村木の顔がよく見えた。
「あ、あたしは、あいつみたいな女たらしに麻穂が意地悪されるのが嫌なだけだ!」
「だってよ、吉田?」
涼の反論をどう受け止めるのか、村木も吉田に視線をやる。
吉田は涼しい顔をしたまま、
「そうか。俺にはそう見えたんだがな」
と、さらっと答えた。それが事実であろうとなかろうと、自分がそう思ったのだからといった様子だった。そこにはなんの反論も意味がないように感じられた。
すっかり顔に熱をもってしまった涼の頬。この暗がりで見えないとは思ったけれど、涼はなんだか居心地が悪かった。
「吉田。お前の目にあたしは一体どんな風に写ってるんだ?」
「どんなって。少なくとも普通の女子には見えない」
吉田の言葉に、涼はじっと彼を見つめ返した。
女装して約二年半。身体測定だったり、偶然体にぶつかられたり、水泳の授業だったり。なんどもひやひやすることはあったけれど、年月を経るごとにそのピンチは回数を確実に減らしていた。それは涼の警戒がうまくなったのもあるし、これだけ女として長く過ごしてきた仲間を今更男性などと疑わない皆との長い付き合いがあった。
しかし久々に、吉田の言葉に涼は少しひやりとした。
「じゃあ、なに、男子にでも見えるっていうの?」
まさかとは思いながら、探るような言葉がついわざとらしい女らしさを帯びる。
「男子でも不思議じゃないとは思うけど」
吉田の表情が、これは彼の率直な意見であることを表していた。
3年まで女子として通してきた涼。確かに15歳ともなると第二次性徴で男女の体格差は顕著になってくる。
幸いガタイがものすごく良いわけでもなく、どちらかというと細身。しかし涼は男だったとしても長身だった。今だって村木や吉田と対等な高さで目をあわせている。
「まあ、まさかねー」
反応を返さない涼が怒ったのかと思ったのか、村木が明るい声色で二人の間に割って入る。
それに追い風を得たように涼は女らしく反論してみせる。
「そうよ! 確かにあたしは背も高いし、口も悪いかもしれないけど、そんな言い方あんまり!」
「なんでいきなりそんな女口調になるの?」
吉田は首をかしげる。
涼は思わず内心で「げっ!」と叫んでいた。
(こいつ、めちゃめちゃ踏み込んできやがる……)
「確かにー。いつも、~~だぜ!とか言うくらい男前なのに。すごい不自然」
村木まで乗ってきて、いよいよ涼はどうふるまってよいのかわからなくなる。
涼は今までどうかわしてきたのか思い出そうとする。体に触られたらセクハラだとかいって騒ぎ立ててばよいだろうが、言葉で疑われるとどうしたらよいものか迷ってしまう。もちろん相手も冗談半分で言っているに違いない、まさか女子寮に入っている女子生徒が実は男子だったなんてありえないと分かっているから。しかし、吉田は妙に核心をついてくる。
涼は吉田の目を見ることができなかった。彼はじっと涼を見つめている。
「おや、何かあったのかな、この変な雰囲気は?」
涼と吉田の間に入り込んできたのは、舞台練習を終えて袖に戻ってきた祐真だった。その後ろには麻穂もいる。
「あっ、もう終わったんだねー。お疲れさま!」
重苦しい空気に耐えられなかったといわんばかりに声をあげる、村木。彼の明るい声で場の空気が崩れる。
「涼?」
祐真の後ろから麻穂が首をかしげる。いつもとは違う緊張感を帯びた涼の表情に気づいたからだ。
「あ、ああ。お疲れ」
涼は、なんでもないとばかりに麻穂に返事をした。
しかし、そんなことでごまかされる麻穂ではない。涼と吉田の間の不穏な空気と、無表情なようで実は鋭い吉田の視線に気づく。
居心地が悪そうにしている涼のそばにいって、麻穂が耳打ちする。
「吉田くんと何かあったの?」
涼はちらりと麻穂に視線をやると、彼女以外に気づかれぬよう小さく頷いた。
「あ、片岡さん。あとで園山先生が来て欲しいって言ってたよ」
祐真が麻穂と涼に近づいてくる。麻穂はそっと体を涼から離した。
「二人はほんとに仲良しさんだなあ」
「もう、いちいち突っかかってこないでよ」
麻穂が唇をへの字に曲げる。
その可愛らしい表情を見て祐真は笑った。
「片岡さんは何だかおとなしいけど、何かあったのかい?」
「……別に」
涼は吉田の目が光っているこの場で、どのようにしゃべればいいのか分からなかった。短く言い放された言葉に、祐真は肩をすくめる。
「なんだか嫌われちゃったかな」
「片岡さんに嫌われたのは高時じゃなくて、多分俺だ」
祐真の言葉に続き、吉田がさらりと言う。
そんな言いづらいことをさらっと言うものだから、思わずまわりの視線は吉田に集まる。
「お、おい。あたしは別にあんたのこと嫌っては……」
涼がしどろもどろになりながらなんとかその場の空気を落ち着かせようとするが、周りの女子が口々に吉田に「なにかあったの?」と尋ね出す。
吉田はそれにさらっと答える。
「片岡さんのことを男みたいって言いまくった」
麻穂は内心びっくりしていたが、周りのみんなは笑っている。
「確かに涼は男っぽいけどね~」
「そうそう、口調もワイルドだしね」
「でもさすがに、そんなことばっかり言ったら涼もきっと傷つくよっ?」
口々に騒ぎ出す周囲に、吉田はまた言う。
「いや、俺が言ってるのは男らしいってことじゃなくて、男じゃないの?ってことなんだけど」
無表情だがしかし、それゆえに説得力のある吉田の言葉を受けて、場が一気に凍りつく。
「……よ、吉田くん、何言ってんの?」
「俺がそう思ってるだけだから」
周りの女子の言葉に、吉田は言い切った。
麻穂はちらりと隣の涼の顔を見上げる。涼の横顔から何も窺えない。
場の空気がここまでシーンとなったのは、周りの女子たちも思い当たる節があるからだろう。大浴場に一度も現れない、人前で肌をさらさない、寮生活にも関わらず私服をほとんど見ない、水泳の授業に出ない、女子とは思えない抜きん出た運動能力、男子に混じっても高い身長。
麻穂は思った、今の涼を弁解出来るのは私だけだ、と。
そして麻穂が口を開こうとした時、涼がそれを手で制した。
「麻穂、いい。何も言うな」
涼の口調は怒っているようだった。しかし、その眼差しが包含しているものは怒りのようには見えなかった。相手の出方を探るような視線。
麻穂のまるで泣き出しそうな困惑した表情を見た祐真が、一言言う。
「吉田、いくらなんでも女の子にそんなことを言ったら失礼でしょ。この話はおしまいにしよう、みんな」
祐真が無理矢理ではあるがこの場を解散させる。皆持ち場に戻っていき、涼も舞台袖を後にした。
それを追いかけようとした麻穂だったが、
「麻穂ちゃん」
祐真が彼女を呼び止めた。
「高時くん?」
麻穂が彼の顔を見ると、彼の表情はいつもの穏やかな微笑みではなかった。真顔に近い表情で、祐真は言う。
「昔から、吉田は観察力があって勘が鋭いんだ。しかも一回疑問に思ったことは徹底的に調べ抜こうとする性格で。ああいう無口な感じだけど、行動力や意思はすごく強いんだ」
「……どうして、私にそんなことを話すの?」
麻穂はゆっくりと言葉を選び、彼を小さく見上げて首を傾げた。
「どうして話すんだと思う?」
祐真の目元がうっすらと微笑みを取り戻す。
麻穂は彼の真意を探ろうとしていた。
見つめ合う二人の間に、張り詰めた空気が漂う。
しかし、それもつかの間。他の女子が近づいてきたためか、祐真は話を強引に切り上げてしまった。
麻穂が彼を見つめ続ける中、彼は声をかけてきた女子と話し出してしまう。
そんな彼に肩を落とし、麻穂はゆっくりとひと呼吸した。落ち着いて今するべきことを考える。
(涼を追いかけよう、ちゃんと話さなくちゃ!)