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挿絵(By みてみん)


 転校生が来るには少しばかり珍しい時期の、はじまりたての秋の頃。

 十五歳の少女、吉瀬キチセ 麻穂マホは、この杉浦学園中等部にやってきた。

 ある目的を果たすため、自分のため、覚悟を決めて。




「門限は夜八時。事情がある場合は、寮長のわたくしに事前に相談すること」


 麻穂は寮長・如月キサラギ 雪乃ユキノの言葉をひとつひとつ頷いて聞いていた。


 まとうは真新しいブレザーの制服。肩に触れるセミロングの髪。大きな二つの丸い瞳。小さな唇。細い首筋。


「以上が寮の施設の説明になるわ。よろしくて? 吉瀬さん」


「はい、如月さん。案内と説明ありがとうございます」


 大きなボストンバックを腕いっぱいに抱えた小柄な麻穂は、自分より背の高い雪乃を見上げて笑顔でうなずいた。


 雪乃は長い髪をなびかせ、麻穂に向き直る。


「分からないことがあったら、何でもわたくしにお聞きになって」


 雪乃が優雅に微笑む。


 麻穂が再び深くうなずくと、「さて」と雪乃はその澄んだ瞳を少しかげらせた。


「ここからが面倒なんだけれど、貴方のルームメイトを紹介するわ」


 雪乃の言葉に、麻穂は小首を傾げた。


「面倒、なんですか?」


 麻穂が目をぱちくりさせ尋ねるも、雪乃はそのまま咳払いをして歩き出した。


 あわててそれを追いかけると、雪乃は一番奥の部屋の前で足を止めた。そして手の甲で上品に扉をノックする。


「ここが私の部屋ですか?」


「そうなんですけれど」


 いくら扉を叩いても室内から返事がないことにいらだちを見せ、雪乃はキャラに似合わぬ大声を張り上げた。


「片岡さんっ! 片岡カタオカ リョウ! 出ていらっしゃい!」


 雪乃が扉のノブをひねるも、鍵がかかっていて開くことはない。


 しばらくすると、部屋の中から「やべっ」とくぐもった声が聞こえた。


 しかし反応があったときにはもう、雪乃は腰に手を当ててイライラと足を踏み鳴らしていた。

 そしてようやく開いたと思うと、勢いよく開きすぎたその扉が雪乃の顔に激突してしまった。


「悪い悪い、うっかり昼過ぎまで寝過ごした……ってあれ? あんた誰?」


 部屋から飛び出してきたのは、長い髪に寝癖をつけた生徒・片岡 涼だった。


 麻穂は思わず、涼と見つめ合って苦笑いを浮かべてしまう。


 怒りに眉根を寄せた雪乃が涼に噛み付くまでに、そう時間はかからなかった。


「何をなさいますの!」


「あ、そんなとこで何してんのさ、寮長」


「貴方の扉の開け方ががさつ過ぎるから、わたくしがぶつかったのよ!」


「マジか。どんまい」


 ちっとも悪びれた様子を見せない涼に、雪乃は今にも火を吹き付けるドラゴンにでもなりそうだった。


挿絵(By みてみん)


 きっちりと制服を着込んだ麻穂と雪乃の目の前で、涼は寝巻き兼部屋着のジャージ姿。


 さらりと真っすぐ伸びた髪は雪乃より長く、背も雪乃より高かった。落ち着いた声が、きんきんと響く雪乃と対照的だった。


「で、寮長、この子は誰さ?」


 二人の言い合いに全くけりがつかず、麻穂がぽかんと置いていかれていることに気づき、涼が雪乃に尋ねる。


「そうですわ、今日はこの子を貴方に紹介しにきたんですの」


 雪乃は咳払いをして仕切りなおした。どうやら咳払いは彼女の儀式的なクセのようだ。


「紹介?」


 聞き返した涼に、雪乃は改めて麻穂を紹介する。


「今日から貴方のルームメイトになる、吉瀬麻穂さんよ」


 麻穂は涼に深くお辞儀をしたが、涼はただ目を見張っていた。眠気も一気に覚めたようだ。


「え、嘘だろ? あたしは相部屋は受け付けてないって言ってある……」


「理事長先生直々のお達しですわ」


 涼の言葉をさえぎって、雪乃が言い放つ。


「さ、吉瀬さん。荷物を入れてしまいましょう」


 ずかずかと中に入っていく雪乃に続いて、麻穂が申し訳なさそうについていく。


 その様子をただ呆然と見ていた涼は、我に返ると慌てて散らかった部屋の片づけを始めた。


「片岡さんはルームメイトとしては最悪だと思いますわ、吉瀬さんには心から同情いたします。しかし決まってしまったことですもの。頑張ってちょうだいね」


 心から哀れむように言う雪乃に苦笑いを返した麻穂は、せわしなく動き回る涼に声をかけた。


「片岡さん、これからよろしくお願いします」


 再びぺこりと頭を下げる。


 涼はそれを困ったように見つめ、後頭部を指先で掻いたのち、「おう……」と軽く返事をするにとどめた。


 涼が部屋の片づけをある程度終えると麻穂の荷物を広げ、涼の物置と化していた二段ベッドの下段を麻穂のために空けた。


「じゃあ、ごゆっくり」


 ある程度形が整うと、雪乃は部屋を去っていった。


 二人きりになると急に沈黙が重苦しく思えてきて、麻穂は涼の顔をうかがった。


「あの、ご迷惑でしたか?」


 涼は一瞬視線をそらして考え込んでから、


「いや、迷惑ではないけど……なんていうか……」


 と言葉を濁す。


 麻穂は肩身が狭くて、室内に入ってからずっと立ちっぱなしだった。それに気づいた涼が「座って」と勧めて、ようやく床に座った。


 そして涼も床にあぐらをかいた。


「麻穂って呼んでいい?」


 長い髪をかき上げながら、涼が尋ねた。


「うん。私は何て呼べばいいですか?」


「涼でいいよ。あと敬語もやめて、同い歳なんだから」


 フランクな涼の様子に少し気おされながら、麻穂は「うん」と頷いた。


「どこからきたの?」


「同じ都内から。理由があって転入してきたの」


「うちの学校は転入には厳しいはずだけど、理事長と親しいとか?」


 先ほどの寝起き姿からはイメージのつかない、涼の鋭い眼光がきらめく。


 麻穂はたどたどしく説明を口にしはじめる。


「あの……私、本当は杉浦 麻穂って言うの。吉瀬はお父さんの旧姓で。そっちのほうが都合がいいだろうってことで吉瀬の苗字で転入してきたの」


 麻穂の説明にピンときた涼は思わず眉をひそめる。


「それじゃあ、あんたは」


「杉浦学園理事長の孫なの」


 それを聞いて、涼は盛大にため息をついた。


「マジかよ」


「皆にはなるべく秘密にして。コネで入ったとバレると、あんまりよくないから……」


「分かったけど……分かったけどなあ」


 涼は髪を掻き乱すように後頭部をわしゃわしゃと掻いて、いきなりすっと立ち上がった。


 今麻穂が着ているものと同じ制服をクローゼットからハンガーごと取り、「着替えるからあっち向いてて」と麻穂に指示する。


 口調や振る舞いはワイルドなのに、着替えをしっかり隠そうとするのはやはり女の子だなあと思いながら、麻穂は涼に尋ねた。


「急にどうしたの?」


 背を向けた麻穂の耳に、忙しない衣擦れの音が届く。


「ちょっと用事が出来た。でかけてくるから、部屋でゆっくりしてて」


 そう言うとあっという間に着替え終わった涼は、髪をブラシでとかして靴下を履いた。


 身だしなみを整えた涼は、雪乃と同じくクールビューティーな雰囲気を持っていた。女子としてはかなり高い身長に、制服からのぞくすらりと伸びた長い手足。長いストレートヘアは、シャープな輪郭に乗った切れ長の鋭い瞳によく似合っていた。


「あたしの荷物はいじるなよ。爆発するからな」


 爆発なんてするわけないだろうと苦笑いしながら、「いってらっしゃい」と麻穂は手を振った。


 一人残されると部屋は急にがらんと広く見え、こんな広い部屋に涼は一人で暮らしていたのかと麻穂は驚いてしまう。


 涼は相部屋を受け付けていないとちらりといっていたが、何か理由があるのだろうか。麻穂は少し考えてみた。


(女嫌いとかかな?)


 かなりワイルドに振舞っていたこともあるし、女の子らしい女の子が苦手なのかもしれない。


(あるいは、他人が居ると気になって眠れないとか)


 しかし、そんなデリケートな性格の人物が昼過ぎまで寝過ごしているとは考えがたい。それに他人の存在が気になるのは誰にでもあることで、寮生活では我慢しなければならないことである。涼一人が特別扱いされるわけがないだろう。


 麻穂はしばらく、自分のルームメイトになる人物のことについて考えていた。


 休日でほとんどの生徒が出払っているため、寮はとても静かで足音ひとつ聞こえてこなかった。


 この寮で、そしてこの学校でうまくやっていけるかどうか不安に思いながら、「いやいや」と決意を新たにする。


 麻穂には目的がある。この学校にきた明確で譲れない目的が。それを果たすためだと自分を叱咤するのだった。




 この杉浦学園は初等部・中等部・高等部からなるエスカレーター式の私立で、全学年が全寮制である。麻穂が転入してきたのは、涼や雪乃と同じ中等部三年。


 都内にありながら広大な敷地面積を誇る杉浦学園は、それぞれの校舎が全て同じ敷地に建っており、その近くにそれぞれの学部の男子寮と女子寮があった。ここ、杉浦学園中等部女子寮もそのうちの一つである。


 杉浦学園は公立学校より何倍も進んだ独自のカリキュラムを実施しており、有名大学への進学率が高い学校として都内でも指折りの名門である。


 一時間ほどして、涼が帰ってきた。


 顔に疲労が刻まれているようだと、麻穂は思った。


「おかえり」


「ああ」


 麻穂の言葉に軽く返事すると、涼は疲れた体をそのまま床に投げた。


「制服にしわがついちゃうよ」


 麻穂が注意すると、涼は仕方なさそうに起き上がる。


 あまり口うるさいことを言ったら余計に迷惑がられるだろうかと思って、麻穂は慌てて口をつぐんだ。


 黙りこんだ麻穂に、涼は立て膝をして向き直った。


「ねえ麻穂。率直に訊くけど、この学校に来た理由って何?」


 涼の視線は鋭くて、麻穂は思わずびくっと体を強張らせてしまう。


 けれど麻穂にも譲れぬことがある、首を横に振って言った。


「それは、言えない」


 その言葉に涼は、しばらく彼女を見つめたままだった。


 涼の双眸にまっすぐ見つめられて、麻穂は思わずドキッとしてしまう。涼の眼差しは何か深いものを包含しているようで、その考えは読み取れなかった。


「ふうん」


 涼は髪をかきあげ、興味を失ったようにあぐらをかいた。


 しばらく何も発しない時間が続いた。涼は何かを思案しているようだったが、麻穂は沈黙に耐え切れず声を発した。


「私、制服着替えちゃうね」


 そう言ってブレザーのボタンに手をかけると、涼は急にあわあわと取り乱して、自分のベッドにもぐりこんでしまう。


「女のくせにはしたないぞ! 着替えは人の見てないとこでやれ!」


(そう言っても同室だからなぁ……)


 麻穂は涼の徹底的な女らしさの追及に困惑しつつ、ベッドに背を向けて着替えを済ませた。


「着替え終わったよ」


 私服に着替え終えた麻穂が声をかけると、涼はちらりと麻穂の方をうかがって、それからベッドを降りた。


 その後涼も制服から私服に着替えたが、その間も麻穂はずっと背を向けさせられていた。


 着替えが終わった二人は、涼の提案で親睦を深めるためゲームをすることにした。それは寮に涼が持ち込んだもので、テレビ線のつながっていないテレビはそのために設置されている。


 プレイしたのは格闘ゲーム。そもそもゲームをしたことがほとんどない麻穂。格闘ゲームなどもちろん初めてだったが、涼がやり方をわかりやすく教えてくれた。しかし涼はかなりやりこんでいるらしく、どれだけハンデをつけても麻穂は勝てなかった。


 麻穂は最初、ワイルドな涼に少しびくびくしていたが、思ったよりも親切な人だということが分かってきた。


 これからこの学校で、この寮で頑張っていけそうだと嬉しくなる。


 そしてゲームによって、二人の距離は確かに親密になったのだった。

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