旅、度々
スカンクを見つけた。
散歩の犬よりも早く歩いていた。
白と黒の模様というだけだと、果たして本当にあれがスカンクであったのかどうかと訝る自分自身に対して、記憶への信頼性を保つのには少し心許ない。
森のなかでアレキサンダーが、あれってスカンクじゃね、と指をさしたときには既にその姿は消えていた。
あのときはみんなで、いるわけないじゃん、と笑い飛ばした。
しかし私はスカンクを見かけてしまった。
今度は木々の繁茂する渓谷なんかじゃない。
ごく一般的な市民が暮らす街で、確かにスカンクはいた。
まさか民家の庭先に停めた車の影からスタスタと短い四本の足で素早く駆け抜けていくなんて、夢にも思わなかった。
リスは浴びるほど出会ったけれど。
今振り返っても、やっぱりスカンクじゃなかったのか不安になる。
オナラでも一発かましてくれたら、きっと忘れられない出来事になったに違いない。
人は痛みを乗り越えないことには、真に理解するのは難しいと言われている。
そのオナラが痛みに値するかは分からないけれど、鼻腔を破壊するほど猟奇的であるはずだと、なんちゃら動物記で子どものころに読んだ気がしている。
ノーペイン、ノーゲイン。
痛感というのはまさしくその通りだと。
頭で覚えるよりも、身体に刻むスタイルが好ましい。
そう思っているんだけど。
ミサキという女からDMが届いたのは、ちょうど海沿いの街並みと、知らない家族連れが桟橋を手を繋いで歩いている夕焼けの写真をインスタで投稿した直後だった。
キャンプに連れてってくれるって言ったじゃないですか?
そう、私はそんなことを伝えたはずだった。
でもミサキと私は十歳も離れている。
だからきっと揶揄われているんだ、なんて思って社交辞令でキャンプ行く?と言ってみたんだった。
投稿へのライクの多さが年の差を埋めてくれるはずはないが、なんとなくあの丸顔の姫カットが脳裏にチラついて離れない。
ミサキはIELTSの点数が高めで、語学に興味があったらしく、学生時代は海外で過ごし、一旦帰国してから再度ワーホリといった具合に、なかなか面白い経歴の持ち主だった。
現在の趣味は博打で、バイト終わりの夕方から翌朝まで徹夜で雀荘に入り浸るのを生業としている。
そんな彼女からの催促に動きかけた心を、エアビーのポストとの英会話がたどたどしく、私の納得のいくものではなかったこともあり、この機会にミサキに英語を教えてもらえたら、などといった口実が背中を押して、返信の文章を打ち始めた。
再来週でどう?
再来週ですね!分かりました〜
わりと返事はすぐに返ってきた。この場合はすぐ返すのが普通なのか、悩んだ末に一日放置することにした。
ガツガツしてるとか思われたくなかったし、仕事も忙しくなってきていたから、差し障りのない文面の構築にかける時間を捻出するのは難しかった。
ミサキがキャンプに憧れたのは、自然が好きだから、だったと思う。
週末には朝4時とかに車で出発して、サービスでコーヒー飲んだりして、目的の山に着いたらトレッキングして、カセットコンロでハム・チーズトーストなんか作ったりする。
そんな話をしたら、目を輝かせながら、腕、たくましいですね、とか言って、ボディタッチしてきたときに意識が逸れて。
来週も空いてたけど、アパートの玄関に最近住み着いたネズミの糞とか捨てなきゃとか、風呂の水垢いつもより丁寧に掃除しとくかとか。
酸素系の漂白剤を床にばら撒いて、ケトルで沸かしたお湯をかけるとプクプク泡が立つのを眺めながら、向こうも色々準備することあるだろうし、とか考えてみたりしていた。
ミサキは再来週までの間に、競馬行ったり、USJ行ったり忙しそうだった。
返事の間隔を一日ごとにしていたら、段々返ってこなくなった。
ダブルテキストするのってなんか微妙じゃないか、同僚に聞いてみた。
でも約束の時間とか、集合場所とか定まってないんでしょ?
うん。
じゃあメッセージしたら?
うん。
忘れてるだけかもよ。
うん。
ってことで連絡してみる。
明日なんだけどさ、何時にする?
すみません!返事遅れちゃってて、お昼からでいいですか?
ミサキの返事を見つめながら、朝出発できない場合の近場のキャンプ場を脳内でスクリーニングしてみる。
予約し直せるところとか、小規模の無料のところとか思い巡らせてみる。
もちろん!昼にしよっか。
ミサキの住居の位置情報を送ってもらって、迎えに行くことになった。
朝バタバタしたくなかったから、ガソリンは今夜入れてしまおうそうしよう。
いよいよ約束の日。
集合時間の1時間前、ちょうど車にタープを積んでいるときだった。
すみません!集合時間を1時間後にできますか?
メッセージを見るのと同時に、さっき食べたインスタントラーメンが胃袋でぎゅると鳴った。
大丈夫だよ!じゃあ1時に行くね。
ミサキの投稿によれば昨夜も麻雀に勤しんでいたから、寝坊して身支度が整ってないんだろう。
車への荷積みが済んだので、手を洗ってヘアセラムをプッシュして髪になじませた。
ジャージを脱いで、しわを伸ばしたジャケットに袖を通す。
ティーツリーの練り香水の匂いで気分が落ち着いた。
図書館で借りた本を返すために、少し早めに出ることにした。
ヴァージニア・ウルフを読んでみたかったけど、結局エントランスに飾られている今月のおすすめを手に取った。
いつもそうだ。毎月おすすめを借りている。
図書館はミサキとの待ち合わせの駅とは逆方向にある。
私は安全運転を肝に銘じながらも、路地をかっ飛ばす。
もしもあのとき、ミサキから家族全員がコロナに罹患したので今日のキャンプは無理ですごめんなさい、というメッセージがなかったら、私の運命は変わっていたのだろうか。
路地をかっ飛ばさずに済んだ。
おすすめ図書の江戸川乱歩を吟味する時間ができた。
床にぶん投げたジャケットの穴にたまたま気づけた。
下痢ぎみだったから帰ってすぐ横になれた。
揶揄われてるという直感が冴えていた。
という事柄はすべて起こらなくなって。
待ち合わせのロータリーから笑顔で手を振るミサキに会えた。
車内で好きなアーティストの曲を聴き合った。
実は料理が上手で、人参の皮むきに惚れた。
焚き火しながら満天の星を楽しんだ。
ってことが待ち受けていた可能性はある。
そもそもミサキなんて人はいなかったかも知れないし、そう考えるとやっぱりそもそも私はスカンクを見たわけではなかったんじゃないか。
でも、もしも全部夢だったなら、こうして夜中に物思いにふける理由が見当たらないんじゃないかな。
実はスカンク以外にも、リスやハチドリや、大きなナメクジに細いヘビも見かけている。
ムラサキのヒトデに、足をばたつかせる採れたてのカニなんかも。
世界は広い。
見たこともないものがたくさんある。
それと同時に世界は狭い。
たった一人の約束事でハートブレイクしちゃうんだから。
旅っていうのはそういうもんなんだろうか。知らんけど。




