きみのために
その町には、不思議なボランティアがあった。
「話を聞くだけで、心が軽くなります」
駅前の掲示板に貼られたその紙は、
どこか胡散臭かったが、
困っている人ほど、そこに電話をかけた。
僕もその一人だった。
仕事の失敗、家族との不和、
夜になると理由もなく襲ってくる不安。
電話口の女性は、終始穏やかだった。
「それは、つらかったですね」
「無理しなくていいんですよ」
「あなたは、何も悪くありません」
ただそれだけなのに、
胸の奥がゆるむのが分かった。
通話は週に一度。
内容はいつも同じだ。
彼女は否定せず、
指示もしない。
ただ、寄り添う。
「つらいなら、逃げてもいい」
「頑張らなくていい」
「自分を守ることが、一番大事です」
その言葉は正しかった。
少なくとも、その時の僕には。
変化は、少しずつ起きた。
まず、会社を休む日が増えた。
「無理しないで」という言葉が、
背中を押してくれた。
次に、友人からの連絡を返さなくなった。
「あなたを傷つける人間関係なら、手放していい」
家族とも距離を置いた。
「理解されない場所に、居続ける必要はありません」
彼女は一度も「切れ」とは言わなかった。
ただ、選択を肯定しただけだ。
気づけば、世界は静かになっていた。
目覚ましは鳴らさなくなり、
カーテンは開けなくなり、
外出は「今日はやめておこう」が積み重なった。
それでも、電話の時間だけは楽しみだった。
「今日は、どうでしたか?」
「……特に何も」
「それは、平和でいいですね」
確かに平和だった。
もうなにも、僕を怖がらせるものはいない。
その瞬間、理解した。
彼女は何も奪っていない。
命も、自由も、意思も。
ただ、僕が世界に戻る理由を、
全部肯定して消していっただけだ。
「あなたは、もう傷つかなくていい」
「ここにいれば、安全です」
電話の向こうで、彼女は続ける。
「だから、今日も話しましょう」
「きみのために」
受話器を置こうとして、気づいた。
誰にも会う予定がない。
呼ぶ名前もない。
外に出る理由が、思い付かない。
それでも、電話は鳴る。
優しい声で。




