魔王様には敵わない!
ツタで窓を突き破り、玉座をなぎ倒すマンドラゴラ。
猛攻は留まることを知らない。
「何をしたの、兄様、ハウト」
僕の後ろから顔を出して、エリュ様が問う。
語気を強めた彼女に、実行犯二人は目線を逸らす。
「それがだな……エリュが喜んでくれるもの用意しようと、魔法陣に全力を込めてみたのだよ……」
かたや両方の人差し指を合わせながら、恐る恐るの魔王様。
「そしたらですね、別の場所と繋がってしまい……」
かたや後頭部を掻きながら、笑うしかない勇者ハウト。
「やりすぎですよ……にしても、どうしたものか」
僕は溜息混じりに、マンドラゴラを見上げる。
茶色く干からびた根菜の形をしていて、皺だらけの体躯からは無数のひげ根が生えていた。手足のような部位はあれど、全てがツタとして広間を支配していた。
空洞のように目と口がくり抜かれていて、その口は今にも叫ばんと大きく開かれていた。その顔面に、思わず肩をビクつかせてしまう。
頭頂部の葉は傘のように広がり、先端は枯れていた。
あのマンモラゴラが端くれとして生まれるのが不思議なくらい、マンドラゴラの姿は不気味で悍ましい。
「恐らく、土の中で栄養分を吸収していたのだろう。とにかく、元の場所に戻すぞ。大事になる前に」
魔王が膝を付き、指先を魔法陣に添える。
被害が大きくなる前に、元の地中に転移させるつもりだ。
「ハウト」
「勇者が魔物を引き寄せたなんて不祥事ですからね、証拠隠滅です」
魔王様の呼びかけに、ハウトもすぐさま応える。
ハウトも聖剣を、魔法陣のすぐ傍に突き立てた。
――紅と青。
二つの色が混ざり合い、魔法陣の輪郭が光に縁どられる。
炎を思わせる柔らかな輝きなのに、星のように冷たい……そんな不思議な力だ。
魔法陣に固定されたマンドラゴラは、根元の動きを鈍くさせられていた。
「もう少し」
「持ちこたえてよぉ……!」
魔法陣へとマンドラゴラが吸い込まれていく。
窓の柵や扉。壁や床に至るまで。しがみつこうと這わせるツタに、僕は魔弾で迎撃し。
このままいけば、問題なくマンモラゴラを鎮められる——そう思っていた矢先だった。
「マンモラゴラ……!?」
「エリュ!」
「エリュちゃん!」
マンモラゴラが真っ直ぐ飛び出したかと思えば、生みの親に威嚇を飛ばし。
「危なっ」
エリュ様も連れ戻さんと、マンドラゴラの目の前に出てしまったのだ。
「ギェエエエエエエエエエエエ!!!!」
好機を得たと言わんばかりに、マンドラゴラの奇声が炸裂。
「動け、な……?! 魔術も、使えないっ」
マンモラゴラを抱え直して伏せたまま、エリュ様は丸腰の状態だ。
「身体が固まってるってのか」
ハウトも僕も、全身が硬直させられて身動きが取れない。
目や口こそ機能するが、四肢の自由が効かないでいた。
……マンドラゴラの叫びの力、ここまでとは。
「ギェエエエエエアアアア!!!!」
大きく振りかぶったツタがエリュ様目掛けて迫ってくる。
「エリュ様!」
「……っ!」
息が詰まり。
冷や汗が額に噴き出し。
ここまでか――。
最悪の結末を脳裏に描いた、その時だった。
――戯れは終いだ。
刹那、悲鳴が鼓膜を劈いた。
だけど彼は、悲鳴を前にして冷酷に告げる。
「誰の赦しを得て、エリュに手を出す気か」
何本ものツタの全てが、床から伸びた針に貫かれていたのだ。
血を固めたような、紅の凶器が魔物を仕留め。
針山に刺繍針を留めるように、何十本も、無造作に突き刺さる。
針から滴る紅い汁が、床を紅く色付けている。
気付けばエリュ様を庇うように、彼がローブをはためかせていた。
「魔王の前だぞ」
瞬間、冷たいものが脳髄を駆けた。
臓物の中に、金属が沈みこむような感覚。
地鳴りのような音が轟き、身体を流れる血が共鳴する。
僕の位置から表情は見えない。
声色からも、感情が読めない。
忠臣である僕にも、主の底が知れない。
いつもの魔王様からは考えつかない「魔王」の姿に、呼吸さえ忘れてしまう。
一本もの乱れもない、さらさらと流れる髪に。
たなびく漆黒のマントに。
魔物へと伸びる手に。
僕は目を奪われていた。身も心も――全て差し出しているような感覚に陥っていた。
「目を瞑っていろ、エリュ」
一言、それだけ囁いて。
気付けば、マンドラゴラは文字通り滅多刺しにされていた。
舞い散る針の欠片は、さながら血飛沫。
「うわぁ、おっかねぇ~……」
魔王様の向かい側ではハウトが引き気味に呟いていた。
「貴様は愛する妹を脅かした。死に値する重罪だ」
熱波が喉の粘膜を絡め取る。
しかし声が出ないのは、それだけが理由なのではない。
ゆっくりと腕を前に伸ばす様は物々しく、まるで裁定をくだすかのよう。
否。裁定などという生温いものではない。
でなければ、こんなにも身の毛がよだつはずもない。
「憐れな魔に、然るべき運命を」
頬に打ちつけたのは、今やバラバラになった魔物の体液。
凄惨な光景なのに。理不尽極まりないというのに、どうしてだろう。
それが正しいと――そうあるべきだと、不思議と納得させられてしまうのだ。
――魔王様には敵わない。
それは決して「過去のもの」などではない。
誰も疑わぬ、この世界の常識だ。
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飛び出したマンモラゴラを守るように、アタシは背中を丸める。
マンモラゴラは震えていて、涙がアタシの上着に落ちる。
アタシも、身体が動かない。
魔物の奇声をもろに浴びて、魔力を込めることもできずにいた。
呼吸は浅く、鼻の奥がツンと痛む。
胸の鼓動が速まって、そのまま外に飛び出てしまいそう。
「……っ!」
ダメかも。
身体を強張らせたアタシに、マンドラゴラが身体を大きく揺らす。
そして、空気を裂く音とともにツタが迫ってきた。
……だけど、痛みは無かった。
アタシに飛びかかったツタが、床から突き出た無数の針に絡め取られていたから。
頼りない兄の背中が、今はとても大きく感じて。
真っ黒なローブ――「魔王」の証が、兄様の一部だと思い知る。
「に、にいさ……」
「目を瞑っていろ、エリュ」
声は低くて、杭のように身体に打ち付けられた。
次に目を開けたアタシの前には、さっきまでマンドラゴラだったものが転がっていた。
アタシの腕から跳ねて出てきたマンモラゴラが、遺骸に葉先を突付く傍で。
「無事か?! エリュ!」
振り向いたのは、いつもの……ちょっぴり頼りない兄様。
「う、うん……」
「よ゙がっだぁああああ〜! お前に何かあったら、兄ちゃん生きていけないぞおお!!」
おいおいと泣きじゃくって、兄様はアタシに抱きついた。
もう、兄様ったら大人げない。
だけど、カッコ悪いなんて思わなかった。
「エリュ様!」
アタシのもとに、モルダが駆け寄ってくる。
「お怪我はありませんか」
「平気」
「良かった……一安心です」
胸を撫でおろすモルダに、
「美味しいとこ、持ってかれちゃったなぁ」
からっと笑いながらハウトも歩み寄る。
「二人とも、心配かけてごめんなさい」
アタシが言い終えると、二人は兄様に目線を向けて。
それが「兄様に伝えることがあるんじゃない?」と言っているんだってすぐに分かった。
「……」
いつもはうるさいし、鬱陶しいのに。
今はすごく……あったかくて。
兄様の胸の鼓動が、落ち着くの。
「……ありがと、兄様」
アタシはこっそり、兄様のローブを握った。
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