表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/10

魔王様は敵わない!

 ――魔王様には敵わない。

 そんな常識も、今となっては過去のものだ。


 勇者と魔王の戦いが終わって、百七十年――。

 魔王城にも緩慢な時が流れ、魔王様の幹部や部下の戦場は、書類作業や経理、雑務へと移っていた。業務には「魔王様の妹君の育児」も含まれ、ある意味で手強かったのも懐かしい思い出だ。


 武器の仕入れや城の拡充、備品の発注に明け暮れる……血の一滴も流れぬ平和な毎日。


 だがその平穏は、突如として打ち破られた。

 

 「我が忠臣モルダよ」


 小鳥の囀りが子守唄に聞こえる、和やかな朝のこと。

 名を呼ばれて跪いた僕に、他ならぬ魔王が告げた――その一言で。




「『勇者』を討とうと思う」




 ――――


「今、なんと仰いました?」


 僕は努めて平静を装って聞き返した。朝に弱い頭が、一発で冴えるほどの衝撃。

 だが腐っても魔族、何より魔王様の右腕。ここは冷静で居なくては。


 ドラゴン一体を収納できる高さの天井から、シャンデリアの絢爛な光が彩る大広間。今や見ることもなくなった、ヒトの返り血の如き真っ赤な絨毯が続く先。

 黒玉に装飾された玉座に鎮座し、魔王様は再度口を開く。


「進軍だ。勇者を、この手で討つ」


 ブロンズの髪から、紅色の目が垣間見える。滲むのは混沌。獣のような眼光の鋭さが、眼差しの重みが、開戦への意気込みを語っている。


「しかし何故、今更」

「今更などではない。今だからだ」


 手すりに両肘を付き、両手を組む。

 眉を顰め、広間を覆い尽くしてしまうほどの大きな嘆息が反響する。


「…………妹に構ってほしい」

「しょーもなっ」

「『しょーもなっ』とは何だ!! 一大事だというのに!」


 玉座から腰を上げた魔王様は、窓へゆっくりと歩き出す。

 肩に掛かる長さの髪が、進むのに合わせて揺れる。ただ歩いているだけなのに、どうしてこうも荘厳さと優美さに満ちているのだろう。真っ黒なローブにこれまた漆黒の外套、荘厳なる二本の角が、支配者としての迫力を一層引き上げる。

 外見は人間の青年であるにも関わらず、明確に人間とは違うと思い知らされる。

 魔王の座に相応しい佇まいだ。目的以外は。


 漆黒を固めたカーテンを開けると、陽の光に髪が艶めく。反射した毛は、傀儡を辿る糸のよう。朝日に目を細める様でさえ、惹かれてしまう。

 本当に端麗な姿だ。目的が不純でなければ。


 物憂げに溜息をついたシスコンは、頼んでもいないのに事の経緯を解説し始めた。

 さて、僕はモップ掛けでもやっておこうか。


「最近エリュがな。毎日のように外へ繰り出してな、帰ってくるのも朝方なのだ」


「エリュ」と言うのが妹君の名前だ。


 眉根を寄せて語る魔王様は真剣そのもの。

 魔王様の不安も、十分理解できた。

 確かに、エリュ様が城を不在にする時間が増えたのは事実なのだ。

 しかしエリュ様も年頃の女の子。青春というものを謳歌しているのだろう。


「兄として不安なのだ……悪い虫がついているなら、抹殺せねばと」

「お気持ちは分かりますけど」


 僕の返答に、主の言葉が続く。


「それにだ……侍女たちの話によるとな、相手は男だと言うのだ」


 両目が怨嗟で濁っていた。


「そういう訳だから、勇者を倒してエリュにオレの勇姿を見せるのだよ!!」

「そんなことで軍を動かしてたまるか!」

「『そんなこと』?! で、では一人ででも……」

「軍のイメージが悪くなるのでやめてください。ただでさえこのザマなのに」

「ひどぃ……」


 縮こまる魔王様に、僕はつかつかと詰め寄る。


「久々に正装が着たいと仰っしゃるので何事かと思いましたが……洗濯するので脱いでください」

「断る! 勇者を倒すまで脱がんからな!!」

「我儘言わないでください」


 魔王様が、両手で装束を押さえて抵抗している。

 それはさながら、お気に入りの玩具を取られたくない子どものよう。


「魔王」の威厳は、戦いの平定とともに葬ったのか。


「安心しろモルダ、必ず勝ち星を上げてやる!」

「そういう問題じゃないです!」

「勇者をこの手で一網打尽にし、エリュの心を射止めてやろう!!」

「私怨でとばっちり喰らう勇者の身にもなれ!!」


 脱げ脱がないの押し問答。


「流石はモルダ……このオレと互角だったのは、歴代の勇者とお前だけだっ」

「お褒めに預かりっ、光栄です……!」


 お互い両手を突き合わせた均衡状態。

 一糸乱れぬ攻防が続く。


 だが……。


「あっ」


 勢い余って押し倒してしまった。

 仰向けの魔王様に対して、四つん這いの姿勢、これはチャンスと見た!


「観念してくださいよ……!」


 と、マントのボタンに手を掛けたその時。


「モルダ、お小遣い前借りした……」

「「あ」」


 やべ。


 木製の扉が開かれ、小柄な少女が現れた。

 朱色の髪を肩のあたりで切り揃え、幼さを残した顔立ち……魔王様の実妹、エリュ様のだ。

 カーキ色の上着に身を包んだ姿は、羽型の角を隠しているのも相まって人間の少女と変わりない。


「……ごゆっくり」


 そして即退場。

 普段あまり表情を変えないエリュ様が、露骨に引いていた。


「「違う!! 納得しないで!!」」


 大広間に重なる、僕ら2人の心からの叫び。

 脊髄反射で飛び上がるのも、息ぴったりだ。


 しばらくして、徐ろに扉が開く。

 金色の取っ手を押しながら、エリュ様が顔を覗かせた。


「……相変わらず、兄様が支配者とは思えないんだけど」

「僕もです、エリュ様」

「町の人にも舐められてるし」

「仕方ないです、エリュ様」

「辛辣……エリュ~、兄ちゃんは悲しいぞぉ」


 そう言って抱きつこうとした魔王様を華麗に躱し、僕に駆け寄ってきたエリュ様。

 紫色の結晶を思わせる、人ならざる瞳が僕を見上げ。

 そして、事も無げに言ってのけたのだ。


「デートするから、お小遣い前借りしても良い?」

「……」


 魔王様、塵になる。

 僕も言葉が詰まりかけた。


「えと、デートですか?! 誰と?」


 灰燼魔王に見向きもせず。

 慌てて聞き返すと、エリュ様は淡々と事も無げに答えた。

 対照的に、僕らは開いた口が塞がらない。

 その内容が……相手が、僕らには信じがたいものだったから。


「城下町の『勇者』と」

「「は………………?」」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ