王太子から悪女役を命じられました。本物ですけど大丈夫?
「俺は真実の愛を見つけた」
顎をわずかに逸らし、ソニアを見下すようにしながら、ディークは言い放った。
「さようですか。お相手はエリーゼ・シニアン男爵令嬢でしょうか?」
「……そうだ」
驚く様子もなく淡々と問うソニアに、ディークは鼻白んだ顔つきになる。
(取り乱してほしいのなら、きちんと隠しておいてくださらなくては)
すました顔で、内心ではため息をつきながらソニアは思った。
ここは王宮の一室。
目の前の男は、ディーク・ベイミス。
ベイミス王家の第一王子であり、王太子であり、シールズ公爵家の令嬢ソニアの婚約者である。
名前の出たエリーゼ・シニアンは、近ごろ王立学園に編入してきた少女だ。
領地育ちのせいかやけに他人との距離が近くて馴れ馴れしく、身分違いの、それも婚約者がいる異性に次々と声をかけるので、周囲からは眉をひそめられていた。
あんな見え透いた色仕掛けに引っかかる者はいないだろうと思っていたが、温室育ちのディークには効果的だったようだ。
すぐにディークは、婚約者であるソニアをかえりみず、エリーゼと行動をともにするようになった。
学園内だけでなく王宮に呼んだり、お忍びで城下町へ出かけたりした。
そうした言動は、取り巻きの令嬢やお節介な侍従たちによっていちいちソニアの耳に入っていたし、ソニアの目の前で見せつけるように二人が笑いあっていたこともある。
「エリーゼは純真無垢で素直、優しくたおやか、美しさも申し分ない。ゆたかなピンクブロンドの髪に蜂蜜色の瞳、咲いた薔薇のような頬と咲きかけの蕾の唇……」
(ずいぶんと詩人におなりあそばしたわね)
ディークとの仲をわざわざソニアに見せつけるエリーゼが、『純真無垢で素直、優しくたおやか』とは思わないが。
真顔で見つめるソニアに気づき、ディークはバツが悪そうに咳払いをした。
「おまけに、聖魔法を使うこともできるのだ」
「まあ、希少な聖魔法を」
感心したようなソニアの声に、ディークはにんまりと笑った。ようやく主導権を握れたと思ったらしい。
「そうだ。エリーゼこそ聖女、国の宝となる人物であることは間違いない。俺はエリーゼを妻に迎えることとする」
大仰な身振りで両手を広げ、ディークは胸を張って宣言した。
と思えば、ソニアを指さす。
「エリーゼと俺が結婚できるように、お前は悪女を演じろ、ソニア」
「悪女、ですか」
「ただ婚約者を交代させたのでは外聞が悪い。お前は金を浪費し、ほかの男に色目を使い、エリーゼをいじめて彼女に同情を集めるんだ。そうすれば婚約者がお前からエリーゼに変わっても、不自然ではない」
我ながらいい案を思いついたものだとディークは鼻高々の様子だ。
(甘やかしすぎたわね)
ディークがそのように育ってしまったのは、ソニアにも一因がある。
「できるだろう?」
ソニアの内心を読んだかのように、ディークは言った。
「ソニア、お前は俺に逆らったことがない。なんでも俺に従う女だ。だから命じる。お前は俺とエリーゼの結婚のために尽くせ」
「かしこまりました」
ソニアは頭をさげる。
ディークの言うとおり、ソニアは常にディークの意に添うように行動してきた。やれと言われたことはやったし、やるなと言われたことはやらなかった。
今のように、即座に、迷いなく、「かしこまりました」と頭をさげる。それがディークの思うソニアだ。
「一つだけ、お願いがございます」
「お願い?」
「はい。誓約魔法をかけさせていただきたいのです」
「誓約魔法だと?」
「わたくしと殿下双方に、です。万が一にもこの会話の内容が誰かの知るところになれば、エリーゼ様の名誉にも傷がつきましょうから」
ディークは少しのあいだ考え込んでいたが、もっともだと思ったのか「いいだろう」と頷いた。
「では――誓約魔法をもって、《この部屋での会話を封ずる》」
ソニアが唱えると、ソニアとディークの前にそれぞれ魔法陣が現れた。魔法陣は二人の胸元に近づくと溶けるように消えていく。
魔法陣をおっかなびっくり眺めていたディークは、見えなくなると気を取り直したかのように笑った。
「うまくやれよ、悪女ソニア」
「はい」
ソニアはまた頭をさげる。ディークはいよいよ満足げな顔をして、部屋を出ていった。
(さて――)
顔をあげたソニアは、初めて唇をゆるめた。
匂い立つような、毒々しく妖艶な笑みが彼女の表情を彩る。
ディークには見せていなかったソニアの別の相貌だ。
「悪女――悪女ね」
ソニアは呟いた。
「ほしいドレスがあったのよね。あまり目立ってはいけないかと思って買わなかったけれども。香水もアクセサリーも、お許しをいただけたから、たくさん買えるわ」
現在のソニアの外見は、どちらかといえば地味なもの。
落ち着いた色のドレスに、最低限の装飾。まっすぐな黒髪もほとんど手を加えていない。化粧も控えめだ。
それは、ディークがそう望んだから。
次期王太子妃として悪目立ちはするな、と釘を刺した彼の本心は、自分よりも人目を引くソニアの容姿を恐れてのことだっただろう。
ただ、真実の愛とやらに舞いあがったディークはそのことを忘れたようだ。
エリーゼとの火遊びを放置したかいがあった。
(悪女役、ですか。演じられますとも。演じるだけではすまないでしょうけれど、ね)
ふふ、と吐息だけの笑い声を残して、ソニアもまた部屋をあとにした。
・◆・○・◆・○・◆・
命じられたとおり、ソニアはまず浪費を楽しんだ。
さすがに公爵家へ出入りしているだけあって、お抱えの商人はソニアの意図をよく汲んでくれた。
「こちらはエストレッド領のルビーを使ったイヤリング、こちらはセーン領のダイヤを贅沢にあしらったネックレスでございます」
「いいわね、どちらも宝石の産地として名高い鉱山があるものね」
「こちらのドレスは隣国から輸入した貴重な布を、王都のベレル工房で仕立てました」
「まあ、ベレル工房といえば貴族でもなかなか予約がとれないという?」
「お嬢様のご命令どおり、金を積みましたからね。刺繍は一級品ですよ」
応接間に並べられたおびただしい品々を、ソニアは値も尋ねずに「すべて買うわ」と即答する。
楽しげに唇をたわませるソニアは、以前とはまったく違っていた。
艶やかな黒髪は宝石の光る髪飾りでサイドへまとめ、巻きながら白い肩へたらしている。
化粧の仕方も変え、ドレスも露出の多いものを着るようになった。人目を引くレースやフリルの合間から、磨きあげられた白い肌が覗く。
商人がさがると、執事がやってきて、次なる訪問者の名を告げた。
「お通しして」
部屋に入ってきたのは、亜麻色の髪に青い瞳を持つ青年。
彼に向かって、ソニアは優雅に礼をする。
「お越しいただきありがとうございます」
「やあ、ソニア嬢。あなたが新しい事業を始めたという話を聞いてね――」
*
すっかりと様変わりした姿で舞踏会へ出れば、令息たちの視線はソニアへ集まった。
(ほかの男に色目を使え、ともおっしゃったわね)
ディークの言葉に従い、ソニアは令息たちに意味ありげな流し目を送った。さらにほほえみかければ、誰もが頬を染めてソニアに熱っぽい目を向ける。
「あれはソニア嬢か?」
「なんと美しい……」
笑えるのは、悪女になれと命じたディークですら、ぽかんと口を開けてソニアを見つめていることだ。
最近のディークは最後の慎みすら失って、ソニアを放置して舞踏会でもエリーゼの手をとっているのだが、その状況でソニアに見惚れるのでエリーゼはへそをまげてしまう。
「あら? 誰かと思えばエリーゼ嬢ね」
ソニアを睨みつけるエリーゼを、ソニアはいま気づいたというそぶりで振り返った。
「なにかしらその目は? だいたいあなた、そんなドレスやアクセサリーでよく恥ずかしくないわね。そもそもどうやってもぐり込んだのかしら、今夜は第二王子シャイラス殿下主催の舞踏会よ? あなたみたいな身分の者がくるところじゃないわ」
扇に口元を隠しつつ、視線だけで嘲笑ってやれば、エリーゼはますます眉間の皺を深くする。
「わたしの格好のなにが悪いのですか?」
「あっ、エ、エリーゼ……」
反発するエリーゼに、ディークが焦った声をあげた。
悪女となってエリーゼをいじめるように命じたのはディークだ。ただし、誓約魔法のせいで、ディークはそのことをエリーゼに伝えられない。
ディークが褒めていた、『純真無垢で素直』な性格が災いしたのか。
周囲の同情を誘うために泣き崩れなければならないはずのエリーゼは、反対に声を荒らげた。
「このドレスもネックレスも、隣国から輸入した流行の最先端のデザインです。ディーク殿下が贈ってくださったものですよ! わたしが今夜この場にいるのも、ディーク殿下がお許しくださったからです!」
「まあ――あらあら」
話にもならない、というように肩をすくめ、ソニアはその場を立ち去った。
(ワインでもひっかけてさしあげようかと思ったけれど、あれでは殴りかかってきそうだわ)
「エリーゼ、落ち着いて。ソニアの言い方も悪かったけれど……」
「ああ、ディーク殿下! わたしとっても怖かったのです。あのような方にあんなふうに蔑まれては……」
「そうだな、あいつは君を辱めようとして酷いことを言った。公爵令嬢としてあるまじき行いだ」
背後で、ようやく媚びを思いだしたらしいエリーゼがディークの腕にひしとしがみつく。
弱々しい声で訴えるエリーゼの肩を、ディークが抱きよせ、懸命にソニアが悪かったと印象付けようとしている。
ソニアは、茶番劇にため息をつきたくなるのを耐えなければならなかった。
(やれやれ――)
「――やれやれ、というところだね」
内心の声を言い当てられて、ソニアはそちらへ視線を向け、すぐに深々と礼をした。
「シャイラス殿下」
苦笑を浮かべて歩みよってくるのは、亜麻色の髪に青い瞳を持つ青年。
先日シールズ公爵家へソニアを訪れた彼は、ディークの弟であり、第二王子である、シャイラス・ベイミスだ。
「申し訳ございません、殿下主催の舞踏会だというのに、騒がしくいたしまして」
「いいよ、気にしないで。兄上にも困ったものだ」
シャイラスの非難はエリーゼではなく、ディークに向けられた。
ソニアがディークの命令でこんなことをしているのだと、シャイラスは気づいているのだろう。ただそれを口に出すことはできないので、ソニアはあいまいにほほえんで見せるだけ。
シャイラスの表情に、ふっといたずらっぽい笑みがよぎる。
「一曲踊っていただけますか、ソニア嬢」
本来ならば、婚約者のいる相手――それも兄の婚約者に対してダンスを申し込むなど、言語道断だ。
けれども今のソニアは、さしだされた手をとることができる。
・◆・○・◆・○・◆・
シャイラス主催の舞踏会から一か月後。
今度は、ディークが主催の舞踏会が開かれた。ソニアのもとへ届いたのは、婚約者とは思えない、他人行儀な招待状。
迎えもなく公爵家の馬車に乗り、エスコートもされないまま一人で大広間へ足を踏み入れれば、すぐにエリーゼをつれたディークがやってきた。
「ソニア・シールズ! 貴様のような者を王太子妃とすることはできぬ! 今夜、ここに俺の名において、貴様との婚約を破棄する!」
エリーゼを抱きよせ、ディークは声を張りあげて宣言する。
集まった貴族たちは騒然とした。
興奮した様子で周囲の者と言葉をかわし、続くディークの台詞はそっちのけになっている。
「そして、俺とこのエリーゼ・シニアン嬢の婚約を――おい、うるさいぞ! 驚くのはわかるが口をつぐめ! 王太子である俺が話しているというのに――」
「皆様、お静かに」
凛とした声が響き、大広間は静まり返った。
鶴の一声で貴族たちを黙らせたのは、たったいま婚約破棄されたソニアだ。
ディークを無視して、貴族たちの注目はソニアにそそがれている。
視線を一身に集めながら、ソニアは、
「婚約の破棄、かしこまりました」
と答えた。
穏やかな声色に動揺はない。それも当然といえば当然、悪女役を命じられたことは婚約破棄の事前通知に等しかったのだから。
そしてもう一人、動揺を見せない人物がいた。
ソニアの隣へ進みでた、第二王子シャイラスだった。
「皆が騒いでいるのはね、兄上。独身の貴族令息なら早くソニア嬢に求婚しなければと思うからですよ」
「はあ? お前、何を言っている」
ソニアはたった今、罪を問われて婚約を破棄されたのだ。求婚したい者などいるはずがないと鼻で笑うディークに、シャイラスが向き合う。
「兄上、あなたがソニア嬢との婚約を一方的に破棄したこと、ぼくが証人です」
冷静なまなざしで見つめられ、ディークは不機嫌そうに眉をひそめた。
「一方的にだと? ソニアには婚約を破棄される十分な理由がある」
「ほう? どのような理由が?」
「第一に、あの派手な見た目と、浪費の数々だ」
ディークがソニアを指さす。先日の舞踏会では誓約魔法のせいでエリーゼに説明ができなかったが、条件はソニアも同じ。
自分の格好はディークが命じたからだとソニアが訴えることもできない。その事実がディークに自信を与えていた。
けれど、ディークの言い分に対してシャイラスは小さな笑みを作ったのみ。
「ぼくはよくお似合いだと思いますよ。それに浪費と言っても彼女は自分の稼いだ金を使っただけです。兄上はご存じないのですか、ソニアのデザインしたドレスはいま王都で大人気なのです」
「なんだと……?」
ディークは広間を見まわした。あらためて見てみれば、たしかに令嬢たちは皆、ソニアのドレスに似たデザインのドレスを着ている。
「広告塔として彼女自身がドレスを着ることは何もおかしくないでしょう」
「だが、あいつはあの格好で男たちに色目を使ったのだぞ」
旗色が悪くなったことを悟ったディークは次の理由へと話題を変えるものの、シャイラスは不思議そうに首をかしげた。
「兄上の隣にいる……エリーゼ嬢、でしたっけ。彼女のほうが、色目を使うどころか、ソニア嬢という婚約者のあった兄上を誑かしたように見えますが」
「!!!」
エリーゼが息を呑む。ディークも苦々しい顔つきになった。
ソニアが悪女になれという命令に従った時点で、すべては自分の思い通りに進むのだとディークは思い込んだ。
なぜなら、これまでソニアに命じたことは、なんでもうまくいったからだ。
それが、弟シャイラスによって一つ一つ、茶番だったのだと明らかにされてゆく。
常識のある人間から見れば、非常識なのはディークとエリーゼの側だったと。
(あらあら……)
扇に表情を隠し、ソニアはつつましくうつむいた。
シャイラスの指摘は、まさにソニアが言おうとしていたことだった。そうなるように仕組んだのだ。
(きっとシャイラス殿下はすべてを理解されているわね)
ならお手並み拝見といこうではないか、とソニアは高みの見物を決め込む。
「で、ですが! ソニア様がわたしにつらく当たっていたことは、シャイラス殿下もご覧になったはずです!」
こうなればもう同情を買うしかないと思ったのだろう、エリーゼが必死に訴える。
「ああ、舞踏会で、ソニア嬢が厳しい意見を言ったことだね」
「そうです! それに、ソニア様は学園でもわたしをつき飛ばしたり、ドレスを切ったりなさったのです!」
目に涙をためながら、エリーゼは必死に言いつのった。
ディークの言ったとおり、ゆたかなピンクブロンドの髪と同じ色の睫毛に縁どられた蜂蜜色の瞳は、潤んでいっそう艶を増す。
ソニアとは異なる魅力に、男なら息を呑むだろうと思われたが、シャイラスは違った。
「まず、ぼくの舞踏会でソニア嬢が君に忠告したのは、君が一目で隣国のものだとわかるドレスとネックレスをつけていたからだ」
エリーゼは今夜も同じネックレスをつけている。それを指さし、ぱちくりと目を瞬かせるエリーゼに、シャイラスは一から説明する。
「この数か月、ぼくは父上から国内産業の振興を任されていた。あの舞踏会は王都にいる貴族たちに領地の産業を見据えて交流してもらう場だったんだ」
「え……そ、そんなこと、わたし……」
シャイラスの父といえば、当然、ディークの父でもある。国王陛下だ。
エリーゼはちらりとディークを見た。しかしディークは何も言えず、ぐっと顔をしかめるだけ。
「まあ聞いていないだろうね。兄上にもお伝えしたが、ぼくの言葉などどうでもよかったんだろう。それに対してソニア嬢は――」
シャイラスがソニアを示す。
「エストレッド領産ルビーのイヤリングにセーン領産ダイヤのネックレス、それらに似合うデザインのドレス。生地は輸入でも、仕立ては王都の工房だ。刺繍やラメ入りのレースなど国内の職人たちの技術をふんだんに用い、こうして活用できるのだと貴族たちに教えてくれているんだよ」
ゆったりとドレスの裾を広げ、ソニアは優雅に一礼した。
出入りの商人たちはよくやってくれた。もともとソニアのデザインしたドレスの販売もしていた彼らは、ドレスによくあう国内産の宝石や宝飾品を見つけだしてくれたのだ。
「国内産業振興の場に異国のドレスをこれ見よがしに着てくるんだ、ぼくでも恥ずかしくないのかと尋ねるね」
鋭い視線を向けられ、エリーゼは青ざめた。
そんな場だとは知らなかった。知らなかったのはディークのせいだ――教えてくれなかったから。
そんな恨み言が脳裏を駆けめぐるが、どうにもならない。
「それから、学園でのことだが」
「は、はい!」
怒りに歪みそうになっていた顔をあげ、エリーゼは悲しげな顔を作る。
こうなればソニアを責める口実は学園での非道しかない。
「突き飛ばされたり、ドレスを裂かれたと? それが本当にソニア嬢のしたことかは疑わしいと思うが、君に危害を加えた人間がいたことは事実だね?」
「ええ、そうです。わたし怖くて怖くて……突き飛ばされたときには足を打って、しばらく歩くたびに痛かったのです」
「そうだ、俺も覚えている。足に包帯を巻いて、痛々しかった」
ディークもふたたび肩を抱き、エリーゼを援護する。
しかし涙ぐんで弱々しい声を出しながらも、エリーゼの瞳には「また何か厄介なことを言われるのでは」という警戒が滲んでいる。
そして予感は的中した。
まるで最後の一撃はあなたに、とでも言うかのように、シャイラスはソニアへ目配せをした。
奇妙な心遣いに笑ってしまいそうになりながら、
「それはおかしいですわね」
顎に指先をあて、ソニアは小首をかしげる。
「ディーク殿下からは、エリーゼ嬢は聖魔法を使えると聞きましたが。聖魔法は自分に害をなす悪意をはね返したり、傷を癒やしたりできるのではないのですか?」
「あ……っ!!」
目を見開き、エリーゼは硬直した。ディークもまた驚愕の表情を顔に張り付けている。
呆然とする二人に、シャイラスは肩をすくめた。
さすがにこれは抑えなくていいだろうと、ソニアも小さく息をつく。
「……ディーク殿下。エリーゼ嬢が聖魔法を使ったところを見たことは?」
ソニアに尋ねられてもディークは答えない。それが答えのようなものだった。
やがてシャイラスはディークに向き合い、重々しく告げた。
「父上からのお言葉です。弟が国のために働いているときに、自分は女にうつつを抜かすなど言語道断。おまけに相手は聖女を騙る不届き者だ。王太子の座は考え直す、と」
「な……!! そんな、馬鹿な!!」
「馬鹿はどちらですか。ソニア嬢の行為を様々に誤解して、彼女を悪者に仕立てあげようとしたのは兄上でしょう」
ディークは「ひぐっ」と喉を鳴らした。弁解しようと思っても、言葉は張り付いたように出てこない。
ソニアのかけた誓約魔法のせいだ。
無理に言おうとすれば、息が詰まるような苦しさに襲われる。
(誤解したわけじゃない。俺が……俺が言った。そう振る舞えと。今ならエリーゼに罪を押し付けて、俺がソニアを変えたということもできるのに)
魔法をはねのけてまで事実を口にする気概はディークにはない。
脂汗を流しながらソニアを見れば、美しく様変わりした令嬢は扇で顔を隠してしまう。
ソニアが誓約魔法をかけた本当の意図はこれだった。
ソニアの変化をディークの手柄にさせないため。
「エリーゼ嬢には、取り調べを受けてもらう必要があるね」
シャイラスが冷たく言い放つ。
隣でへなへなと座り込んでしまったエリーゼに引きずられるように、ディークも床に尻をついた。
先ほどまでのように同情を誘うためではなく、本当に涙がエリーゼの目からあふれる。
そんな彼らを、貴族たちは冷ややかな視線で見下した。
「ああ……そんな、そんなあ……」
「どうして……どこで、間違えたんだ、俺は」
恐慌に襲われる二人の声がソニアの耳にも届いた。
どこで間違えたのかといえば、最初からかもしれない。
ソニアはずっと従順な婚約者を演じ続けてきた。ディークに命じられたことはなんでも彼の意に沿うようにした。
ソニアがもたらす成果を、ディークは自分の実力なのだと思い込んだ。
そうしてディークが破滅に向かって暴走するのを静かに見つめていたのなら、演じるまでもなくソニアは悪女だと言えるだろう。
微笑を浮かべてたたずむソニアの手を、シャイラスがとった。
「……先ほども言いましたが、あなたに求婚したい貴族はたくさんいますから。牽制の意味も込めて、ぼくから言わせてください」
ソニアの手を持ちあげると、シャイラスは身をかがめて白い甲に口づけを落とす。
「ぼくと結婚してください、ソニア嬢」
「シャイラス殿下……」
上目遣いに見上げてくるシャイラスは、褒められるのを待つ忠犬のようだ。
『あなたの意図をすべて見抜いたぼくは、あなたにふさわしいでしょう?』
青い瞳がそう囁いている。
「ええ、そうですわね」
ソニアと同じしたたかさを、シャイラスは持っている。
この人となら楽しい人生をすごせそうだと、ソニアはほほえんだ。
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