聖都編 アルシェに来た少女
――ライトニング
…そして彼女の唇からこぼれ落ちた半透明の細い文字列が空中のある一点に向かい一直線に泳いだあと、吸い込まれるように消えていった。そこに得体のしれぬ何かが居座り、そいつが愉快そうに目を細めるのが私の目には見えた。
…やがて白い閃光が迸り…大音響に、足元がふらつく。
…彼女の右手には白い蒸気を上げ続ける黄金の戦斧、そして、左手には、すでに息絶えた敵の、洗練された美しさの首と頭蓋を鷲掴んでいた。
…最後に彼女は私にむかってこう言った。
「ぜひあなたに会って欲しい人物がいます」
◇◇◇
白い壁に囲まれた質素な部屋の中、黙々と作業を進める少年が一人。名をニールという。
最近、このアルシェという寂れた街に長期滞在することが決定した、不運な神官である。
彼はいま、目の前の机の向かい側に座る少女がしどろもどろに語る言葉を拾い、一言一句漏らすことなく、羊皮紙に書き込んでいる。
「レオーネ姉さま、どこにいったの…」
まるで夢遊病のように、突然、少女が呟く。
ニールはそれを聞いて少し考えた。
そして今日の質疑応答はこれまでにすることを宣言した。
「え、もう終わり…?」
「そうだ…なにか問題でも」
なんだろうか。気疲れしているのではと心配してあげたってのに。少女がどことなく不服そうな態度なのが、ニールは不思議に思い…途端に苦い顔をし、呟いた。
「僕は、まだここでやることが残ってる。君は自室に戻っているといい」
「…?」
少女は尚も首を傾げた。
「自分の部屋がわからない? 階段上がってすぐに左だ」
「アンダーソンさん。あたし、一人になりたくありません…」
思いがけない返答に、ニールはしばし固まった。
「あそう…じゃあそこに、静かに座ってて」
「はい」
小さな椅子に少女はぺたんと座った。そして当然の権利のように、まじまじと、つい先ほどまで自らを尋問していた、ニールアンダーソンという少年の横顔を観察し始めた。
……人の顔なんて、見ていて何がおもしろいんだろう。
かわいそうに。
俺はさっきまで全く分かっていなかった。
やはりあんな事が起き、具体的には身内が何人も殺され、加えてやむを得ずその場で行われたという死体処理などを通して、この子の情緒は徹底的に破壊され、完全におかしくなってしまったのだ…
それなのに、こんな辺鄙な町に来てしまったが最後、質の高いカウンセリングを受ける機会は、もはや永遠に失われたも同然なのだ…あーあ、かわいそうに。まあ俺のほうがもっと可哀想だけどな。
ニールの右手がオートマタのような正確さで羊皮紙とインク瓶を往復し続ける一方、頭の中にはいくつもの考えが夜空を周回する星々のように巡っていた。
その中に、とりわけ力強い望みがあった。
この町、アルシェから脱出することだった。この思いは日増しに強くなっていっている。
だが、ギルドの方々の頼みとあっては、今回も引き受けざるを得なかったのだ。ニールは渋々条件を飲み、この町で今しばらく、神官兼、尋問官として振る舞うことに決めた。
そう、これは契約だ。
分かっているつもりなのだが…
愚痴が止まらない。
ここは何よりも、人手不足が甚だしい。
まだ1年目、俺は低く見積もってもいまだ成長著しい期待の新人…それが尋問官だと?くそいまいましい。役所は何をやってる。俺は雑用係なんかじゃない!
◇
翌日。尋問は二日目に突入していた。
「もう一度聞くよ??生き残ったのは、レオーネさんと君、2人だけだった…?」
「はいぃ…ライムも、まだ小さかったジェニーも…全員…」
「……そうか。」
「もし、姉さまが来てくれなければ、あたし…」
少女はしゃくり上げ、こちらに目を合わせようともせず、言った。
「あの吸血鬼に身も心も捧げて、いまごろ淫魔になってました」
午後。空模様は安定し、窓から日の光が差し込み始めていた。
淫魔になってました。
淡々と告げられた、その一音一音が違和感を伴い、彼の頭の中を反響していた。
淫魔?抜かせ。吸血鬼にそんな力はない。
ニールは反射的に口を開きかけたが、年端もいかない少女相手に唐突な専門家ムーブかましてみた、なんて同僚への土産話にもならないだろう。ふとそう思い、やめた。
だが好奇心から、つい質問をした。
「身も心も捧げて?淫魔に?
キスカちゃんは、なぜ自分がそうなると思ったの?」
「……それは……
アイツが、あたしの血、いい匂い、嗅ぎたい。
って耳元で囁いたんですぅ、あとあと…」
◇
それは衝撃的な告白だった。
そしてバレバレの嘘だった。
俺はそうと知りながら、その初々しい妄想上のやり取りを全部聞いてあげた。
少女は聞き手の態度の変調にやがて何かを察し、最後には気まずそうに、
「全部嘘でした…」
と認めた。
「ああそうだね。まず吸血鬼には匂いを感じ取るための器官が無いんだよ。この僕の耳をごまかせるとでも思ったの?」
「…はい。」
なにがはいだよ。
俺は黙っていられず、その話に登場した吸血鬼の代わりには到底及ばないものの、机に乗り出すと耳元で言った。はっず。キスカちゃん本当に恥ずかしい子だよ君ってやつは。
どうやらこの大人を舐めた小娘に質の高いカウンセリングなど元から不要だったらしい。俺はかねてからの懸念事項が晴れてほっと胸をなで下ろしつつ、しかし先ほどの話がまだ気になっていた。
彼女の創り上げた妄想の世界で起きた事象はまず、襲われるはずだった吸血鬼になぜか見初められ、成り行きでとても人には言えないような大変なことをされたあげく、最終的には可愛くてえっちな淫魔へと変貌を遂げてしまう、らしいのだが…。
そもそも吸血鬼と淫魔は似ても似つかない別種の生き物である。
淫魔は異性の身体から色々と搾り取るのを格別に好み、快楽をこそ至高とする悪魔である一方、吸血鬼は異性の血を好みはするが、その本質は淫魔と違い、単なる食欲に他ならないのである…
だが、吸血鬼に襲われた被害者が自ら体験したことを語る際に、軽微なセクハラをされたと訴えることは、割とよくある。その大半は人間側の被害妄想であると考えられる。これは単純な話だ。されたと宣う張本人は無論生きており、対して被疑者のほうは、すでに現場に駆け付けたエクソシストや聖騎士の手によって殺されている場合がほとんどなので、この場合被疑者の方に弁解の余地はないし、そもそもの話吸血鬼などという人外は法廷の席に立つことが許されていない。
勘違いして欲しくないのは、人間社会にとって害悪でしかない吸血鬼を、弁護しようなんて気はさらさらない。
しかし…この偏見だけは、社会に放置するわけにはいかず、見過ごせないと考えている。以下理由を説明していく。
歴史上、たしかに彼らは生命に対する冒涜的行いの数々を得意分野としてきたし、今もそうだろう。しかしながら、吸血鬼と接触した結果、女としての尊厳を奪われた。そんな話は滅多に聞かないし、仮に聞いたとしても経験上、信じるに値しないものばかりだ。
彼らはそのような、非人道的かつ、中途半端で無駄なことはしない。ぞっとするほどに合理的な生き物なのだ…
「う…でも私アイツに、おしり撫でられた!!これは嘘じゃない!!」
そりゃケツくらい目の前にあったら触るだろ…
「!?!!?」
そういうとこが甘いと言ってるんだよ。逆に聞くが君は吸血鬼のことを一体なんだと思ってるんだ?基本的には知性をもって生まれた我々とそう変わらず、彼らも時には苦しみ、悩むことだってある。血に狂った吸血鬼など尚更だろう。そしてそれはきっと唐突にやってきた。たまたま目に入ってしまったんだ、偶然忍び込んだ屋敷のベッドに寝ていた小娘の、丸出しの桃尻がね…
「服の上からですぅ!!」
吸血鬼にだって自分がロリコンなのかどうか主張する権利がある、とか別にそこまで言いたいわけじゃない。大前提、彼らは人に仇なす悪の代表格である。
だが、この世には吸血鬼なんか比較にならないほどの、化け物がたくさんいるんだ。
何か都合が悪くなるとすぐに、彼らのような、基本的には絶対悪という立場を体よく利用、本来人が贖うべき業を押しつけ、それによって無知蒙昧な市民の目を背けさせ、影でコソコソ暗躍し、暴利を貪り、巨万の富名声その他を貪り喰らう、奴らだ。きっといるのだ。特に黄金が人を象って往来する王都、その中枢…俺はそういう奴らが絶対に許せないし、なにより羨ましすぎる。最近は特に暇すぎて、顔も、名前も、本当に存在するのかどうかも知らない誰かに対し、この純度100%の怒りと憎しみと覚悟をぶつける口実だけが欲しい、そんな最悪な毎日だ。
そこまで話し終えると気がつけば日は暮れ、机に突っ伏した少女がすやすやと寝息を立てていた。
こうして尋問生活二日目が幕を閉じた。
◇
「キスカちゃんおはよ。いきなり起こして悪かったね。
でもこの町、アルシェは…
平たく言えばね。
呪われてるんだ。
驚いた?
なぜか、日が昇るのが極端に遅いんだよ。
それでね、いまはなんと朝の9時だ。
君もここに住むなら、はやいところ慣れたほうがいいよ…」
三日目。
ビンタされた頬がまだヒリヒリする。
まだ寝起きで不機嫌な少女を部屋に無理やり担ぎ込むと、昨日同様、椅子に座らせた。
「君が助けられたという、神官レオーネ。彼女が吸血鬼をどうやってやっつけたのか、もう一度説明できるかな?」
「ふえーん、言いますぅ。言うからこの全身に巻き付いた紐を解いてよー!」
「おいてめ……妙な言いがかりはよせ!」
少女は語った。
「まず始まりは…彼方から聞こえてきたあれは、そうです、熾天使達の奏でる、凱旋歌に他なりませんでした…」
これはおそらく、神官レオーネの放った特級呪詛ライトニングのことを、無理に誇張して言ったのだろう。
「そして、あんなに元気に走り回っていた、汚らわしい吸血鬼が一瞬で死にました」
少女はここで悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「四肢がずたずたになり、最後に腹から間欠泉のように噴き出して…」
俺は顔をしかめるでもなく、これを淡々と羊皮紙に書き記すのみだった。クソガキが。この態度が気に食わなかったのか、少女の仏頂面に拍車がかかったが、俺はかまわずに「続けて」と言った。
◇
少女と初めて出会ったのは先週の日曜日。雨が降っていた。
神殿内の応接間でまずは大人同士の、正式な取り次ぎが行われていた。
国境をまたぐ問題はデリケートで、慎重に行われるべきなのだ。
それは、隣国の大使とアルシェの実質的トップが睨み合う、物々しい会合だった。
「紹介しよう。このチビ助が、アルシェ傘下の神官筆頭、経験豊富なエクソシスト、冷血非道の尋問官だ。
心するように」
ギルドの顔なじみ、ゾーイが言った。
神官筆頭、経験豊富なエクソシスト。冷血非道。
俺はこのように、やたらと威圧的な紹介を賜った。
彼が喋る俺に関することは、ほとんど全てが間違っており、何から何まで嘘だった。
だからといって感情を逆撫でされるようなことはなく、そればかりかいきなりよく分からない理屈で褒められたり、かと思えば厳命されたりを繰り返し……
いつも酒場にいる髭面のおっさんと、隣国から吸血鬼を追ってはるばるいらっしゃった、軍人の高官。一体俺はどちら側につけばいいのだろう。徐々に感情が滅茶苦茶になっていった。こんなことは初めてだった。
俺の意思とは関係ないところで話だけがどんどん進んでいく。
面倒くさくなって配布資料に目を通すと、事件の重要参考人である、少女の顔写真とプロフィールをみつけた。
神官レオーネに最近まで付き添っていたとみられる、使用人の少女。
そう説明書きが添えてある。
「ふーん、使用人ね。つまりメイドさんか…ふーんメイドさん」
長い会議が終了し、少女が連れてこられるという話に移った。
内心、わくわくしていた。
ここ、アルシェは、自然の閉鎖された環境が生み出した魔窟なのだ。
稀に外界から流れてくる、人や物、情報…なんでもいいから刺激が欲しかった。
そして迎えた日曜日、雨が降っていた。
レインコートが脱がされると、写真通りの少女が顔を出した。
いくつ?と聞くと、あたし12、と返ってきた。
同時に、だからなに?という顔で、少女は睨んできた。
ぎりぎり年下かあ。しかも初対面でこの態度、おそらくこいつ××××で、きっと親にも日頃から○○××とか言ってたタイプだ。
俺はがっかりした。
そのあと、詰め所から宿舎に移ってアイスブレイクにトランプでもしようと持ち掛け、二三会話した。
きみ本当にメイドさん?と失礼承知で聞いてみたら、自分が話し相手にどういう目で見られていたのかそこで初めて理解したらしく、顔を真っ赤にして黙った。それ専用のコスチュームを今は着ていない。という言い訳を、少女はしどろもどろに説明したが、それに対して俺は「いや外見の問題ではない」と至極真っ当な指摘をした。
◇
卓上の暦表を横目で睨む。
「(むむむ…)」
四日目。
俺は焦っていた。
か弱い少女の健康状態に配慮した優しい雇用主は、五日という期限を俺に与えた。
期限は残り一日に迫っていた。
もう、ここまでの聴取で知り得た情報を筋道立てて並べてレポートにまとめ上げる、そんな段階なのである…
なぜ非戦闘員たる彼女が戦場にいたのか。
これさえ明らかになればよかった。
しかし、この簡単なことがなかなか理解してもらえず、困り果てていた。
事件のあまりに酷い残虐性によるものではない。
これはキスカという少女自身の、人格的問題といって差し支えない。
頭のなかにはこの四日間のさまざまな集積物が螺旋を描いて回っていた。
吸血鬼に寝込みを襲われ、絶叫、一度は撃退したものの、その後もしつこく追いかけられた。おそらく一回ぐらいは悪魔に取り憑かれた。というのは多分勘違いで、ちょっとセクハラされたぐらいだろう。身も心も穢された。だから言い過ぎだ、世間を舐めるな。ねえアンダーソン。おいこら、さんをつけろ。レオーネ姉さまは、お姉さまはどこ?どこなの?知らねえよ。お姉さまがいないとあたし、発狂しちゃうかもです。しないでくれ頼むから…
俺に孤児院で長いこと暮らしていた過去がなければ、今頃はストレスで爆発四散しているだろう。だが俺はやはり孤児院で長いこと暮らしていた過去がある上に、学校にも真面目に通い、教育を受けたいい大人である。よって平気。
だが吸血鬼退治の一部始終は、この俺も少し聞き入ってしまうくらいのスリルと迫力に満ちており、つまるところ、いかにもな脚色がところどころに見られ、とても公的な文書に残せる代物ではない。まずそもそも、こんな子供の言ってることを100%鵜呑みにするわけにはいかない。
そのため、尋問は簡単に終わってくれそうにない。
それでも確かなことが一つ言えた。それは神官レオーネの、規格外の戦闘力に関してだ。
討伐隊など派遣しなくても吸血鬼ごとき、彼女一人いればそれで十分だったという話だ。
吸血鬼にもグレードが存在する。下っ端は、一般人でも徒党を組めばもしかしたら勝てるかも、程度の雑魚だと聞いているが、今回のは相当強力な個体で巷を騒がせていたと聞いている。
一体どれだけの研鑽を積み、何を犠牲にすればそこまで強くなれるのかな…すごいや…
そんなことを思いながら五日目、なんだかんだ報告書は無事完成した。
最終的に少女とはまずまず打ち解け、まずまずの退屈しのぎにはなったと言えた。でもさすがに疲労のほうが勝った。
永遠に思えた五日間が終わり、俺たちは解放された。
もう会うこともないだろう元メイドの少女と、軽い挨拶と握手を交わし、静かに退室する。冷たいようだがこんなものだ。
少女は去り際にひと言、
「でもニールくん、私、前髪は上げたほうが似合ってるとおもうの…」
なんとアンダーソンさんからニールくんに降格しているのである。余計な世話だ、舐めやがって…。俺は誰にも見えない所で歯ぎしりした。そして不要なことが口から飛び出る前にさっさと部屋を出た。




