壊れ勇者と魔王の話
子供の頃の話をしよう。
私の母は、今思えば変わった人だった。
「部屋の片付けしてあげたんだから、お皿を洗うのを手伝いなさい」
この母の口調から、何か感じてくれた人は心の友になれるかもしれない。
分かりやすく言えば、母は常に‘’何かをしてあげたのだから、かわりに何かをしてくれ‘’あなたにこれだけ与えたのだから、その与えた分を返してくれと常にいう人だった。
もうひとつ被さっている意味は、非常に恩着せがましい事。常にやってあげたのに、これだけしたのに、どれだけあなたに尽くしているか分かっているのかと、毎日の生活で感謝を求めて恩を着せてきた。
この理由は大人になったら判明するんだけど、物心ついてから毎日勝手に与えられたものを言われたままに返す生活を繰り返すと、非常に利己的な人間に出来上がる。
そんな訳で、私は自分が良ければそれで良し、という人間になったんだよ。分かったかな?
美味そうに煙草を吸う女は、黒いゴムの前掛けに黒い作業服を着ていた。木の椅子に座って昔話をしている姿はそこらへんにいるオバサンにしか見えない。
梁からスキル封じの鎖で吊り下げられている俺は、大量の脂汗が尻から背中を逆に流れていた。
俺は影の人間だ。グラン王国とは敵対するサナズ帝国の手の者で、いつもなら逆の立場に居るはずなのに。
何故、吊り下げられているのか理解出来なかった。そしてきっと殺される。
女の目を見れば分かる。
この女は人として壊れている。
◆◆◆◆
グラン王国の騎士団精鋭6名が消えた。彼等は何者かを探していた。
帝国としては先日魔王が復活した事だけでも手に余る話なのに、ここにきて聖教の本山があるグラン王国が動きだし対応に追われている。
「27、お前は騎士達の足取りを追え」
「承知」
「31、お前はグラン王国へ潜入してこい」
「承知」
俺は27。騎士達の足取りを追ってきたらおっかない化け物に捕まったようだ。
幸いここまでの足取りは、既に報告している。俺の仕事は完璧だろう。
ただし、この化け物は人の手に余る。
それだけ伝え損ねたのだけが心残りだ。
女は、ふぅぅぅと深く紫煙を吐き出す。煙草を吸い終わったようだ。重い体を椅子から剥がし、女の纏う空気が変わった。
あまり苦しまなければいいな。
「あんた影の人間だ。言わなくてもわかるよ」
俺は勿論無言だ。
「親兄弟はいたのかい?」
「…捨て子だった」
「そうか、なら私の気持ちはわかるかい?」
「…俺に、俺の意志は無い。さっさと殺れ」
女はそうかいと呟くと。
『鑑定』
辛うじて叫び声はあげなかった。俺の矜持だ。しかし体は海老の様に跳ねている。目と耳から血が流れるのが分かる。
「ブルーノかいい名前だね」
「ふざけるな!捨てた親がつけた名前なんざ!クソ喰らえ!俺の名を汚すんじゃねーぞ!糞ババアっ!俺は27だ!27…」
「とくに目新しいスキルは無いね」
俺の最後は…。
「お疲れさんブルーノ」
女が包丁を振り上げて途切れた。
◆◆◆◆
細切れにした肉塊を撒いていると、馴染みの魔獣が現れる。この世界にきて良かったのは、こいつ等と知り合えた事かもしれない。
人間は弱い。故に団結すると強い。
でもそんな強さは、たかが知れている。
30年前に、魔王が世界を壊すのを待ってくれと言ったから止めただけであってこの世界を壊すのに躊躇いなんかない。
グレイの毛皮をまとった逞しい魔獣がスリスリと体を擦りつけてくる。
「ご飯は終わりだよ、もう無いから」
つぶらな6つの紅い目がご飯の後のブラッシングを期待しているようだ。
全く。なんて可愛いんだろう。見返りのない愛情というものを教えてくれたのは母ではなく、異界の魔獣達だった。
◆◆◆◆
この世界に召喚されたのは、母との関係がどうしようもないなと感じている時だった。
『2年後には貴女の住んでる近くに引っ越して、市営住宅に住みたいから、悪いけど○○市役所にいって資料貰ってきてくれない?』
母から離れて早いもので25年経つ。相変わらずだなと、田舎の母からのメールにモヤモヤとした嫌悪が湧く。
簡単に言うけど電車で片道40分往復1時間以上だ。
何もしてもらっていないのに、何故、電車賃と自分の時間を使わなければ?
もしかして、この間頼んでもいないのに米を送ってきたのはこれの為ってこと?
面倒くさいわ。
今まで母からの連絡で嬉しいと感じた事が一度も無い。感情だけで返事をすると母の思う壺なので半日掛けてどんな返事が良いかを考えた。
『最近流行してる感染症のせいで働いている工場の派遣切りが決まりました。仕事の関係で引っ越すかもしれないので来年はここにいないかもしれません。引っ越すなら頑張ってください』
『違うよ、1年はこっちでまだ仕事します。行くのは来年になります。家も探さないとね、頑張ります』
全然メールの内容が噛み合わない。
あれかな、ボケてきたのかな。
それとも、遠回しに言わないでストレートに伝えた方がいいのかな。
取りあえず○○市のホームページにあった市営住宅の募集要項をメールしてやった。
その市に最低でも半年間は住まないといけないとメールすると。
『なら半年前に移住しないとね!』
勝手にしてくれ。
記憶を思い起こすと、前に母は自分から私の世話にはならないと言ってきた。強がりか親としての矜持なのか良くわからないが、私としては心から安堵したものだ。
高齢になった母の親兄弟が最近相次いで亡くなり、私の側へこようとする母の意思が透けて見える。勘弁して欲しい。
まだ祖母も叔父も生きている頃に、30年引き篭もっている叔父について思っている事を母に電話で伝えた事がある。
あの時は、母から金の無心をされるのはたまにあったが1万や2万程度で我慢できる範囲内だった。
その月は10万金を寄越してくれ、次の月は5万寄越してくれと、毎月の金額がきつかった。流石に3か月目は勘弁してくれと、女の一人暮らしで貯金もない、これ以上は弁護士雇ってもいいから生活保護を受けてくれと言ったら電話を切られた。
金を出してるのだから、母の生活について口出ししても良いのではないのかと思ったが、電話を切られた事ではっきりとしたお互いの拒絶を理解した。
言い出すと切りがない。
お土産を贈っても、ありがとう1つもなく、あまり小さくてゴミだと思って捨てる所だったと言われた。
他人から被害妄想と言われても、もっと大きい物を贈れと暗に言われてる気がして気分が悪くなった。
生活が苦しいと金を無心され2万程送った月に高級な蜂蜜が届いた。
何故蜂蜜?頭の中は疑問でいっぱいだ。生活が苦しい筈では?
添えられている手紙には、農園に遊びに行きました、蜂蜜を贈っておきます。体に良いので食べて下さいと書いてあった。
この時ばかりは、本気で理解出来なかった。私が食費や欲しいものを我慢し身を削ったお金で農園に遊びに行けるのか不思議だ。
仮に行っても行ったことを態々知らせる真似を何故するのか。
あまりにも理解できないのが1周回るとどうでもよくなって1言「ありがとう」とだけ返答しておいた。
はっきりと言えば私は母が嫌いだ。大嫌いだ。母に育てられ母とソックリな人間になって、それはもう若い頃は生きるのが苦しかった。無意識に意地が悪い自分に何度絶望しただろう。
言わずとも察して欲しい、察してくれなければ機嫌が悪くなるなんて最悪だと思っていた事を同じように私は人にしていた。
人が困っていても、損得が優先して相手の気持ちにより添えない人間。
血のつながりは全く無いのにここまで性格がそっくりだと笑えてくる。
実の母が父と産まれたばかりの私を捨てた。母がすぐ後妻にきて2年後に父と離婚。それから血の繋がりのない母が私を態々引き取って育ててあげてもらったのだ。
恩着せがましいのはこの為だ。
その事実を知った時、私の足元には召喚陣が光っていた。
あ、開放されるんだとホッとしたのを覚えている。
◆◆◆◆
生臭い鉄の錆びた匂い。召喚された先は血と肉塊の海だった。私は粘つく血を全身に浴びている。
あっちでも地獄、ここも地獄と言うところだろうか。ろくでもない所だけは理解した。
「お待ちしておりました、勇者様」
「…勇者?私が」
「左様でございます。いや素晴らしい」
「何が?」
「この惨状を見にしても、全く動じない勇者様でございます!」
「そんな事よりも、あなた達は私に何をしてくれるの?」
「え、ええと。いえ、勇者様には魔王を討伐して頂きたく…何をしてと言われましても、敢えて世界を救った名誉を差し上げるでしょうか…」
「名誉なんて見えない物で、何かしてくれっていうの?ふざけた冗談でも言ってるの?何もしてくれないなら私も何かしてあげる義務もないわ」
思っていたのと違ったのだろう、白いローブを被った集団はざわついていた。
中には豪華な服を着てる人間と揉めだしている。
「話と違うじゃないか!どういう事だ」
「そう言われましても…」
「今までの勇者と違うぞ」
ボソボソと内輪もめしているのが聞こえてくる。
しかし、咽返る程の血の匂いに平気で立っている。この人達。普段から慣れてるんだろうな。恐ろしい。
「ねぇ。いつまでこうしてたら良いの?」
ハッと意識が私に向くと彼等は謝罪してきた。
「申し訳ございません。洗浄スキルを使いますので陣から出て頂けますか?」
「スキル?スキルって確認できるの?」
「はい、ステータスと」
『ステータス』
◆近江奈々江:オウミナナエ
◆年齢:45
◆職業:呪召喚された異世界の者
◆固有スキル
昏睡:意識が深いレベルの睡眠をもたらす
搾取:相手の同意なくスキルを奪える
鑑定:相手の同意なくスキル情報を見る事が出来る
◆取得スキル
現在取得無し
自分だけに見える表示、どこにも勇者なんて書いてない。こいつ等、呼ぶ人間を間違えたとか?でも今更また向こうに還されてもなぁ。
血の海の陣からでると控えていた侍従が洗浄スキルを使ってくれた。あっという間にスッキリした。
洗浄してもらっていたら、建物内外が騒がしい。何事だとローブ姿の1人が部屋から出て行くとすぐに血相かいて戻ってきた。
「陛下!一大事でございますっ!!」
「何事だ」
「ま、魔王が」
「なんだ、魔王軍が国に攻めてきたのか?」
「魔王が既に城に乗り込んできました!!」
「な、なんだと?!」
「いや、本当ですよ。どうも魔王です」
「うわああああ!」
黒い捻れた角が左右から生えていて、3つの目と人間よりふた周り大きな体躯、肌は薄緑色の男が気軽に部屋に入ってきた。
この部屋の惨状を見て。
「うわ、くっさい!何これ?気色悪ぅ」
まぁ、この反応が普通だ。人間でもないし見た目も凄いけど、ここにいる誰よりも人道的だ。
パチッと彼と視線が絡む。
「うわぁ…最悪、もう呼んじゃったんだ…」
頭を抱えている魔王の後ろから、魔王の側近達もやってきた。皆魔王と似たりよったりで全然見分けがつかない。
「ナージャ遅かったよ〜。もう呼んだ後みたい」
「魔王様!まだ、間に合うかもしれません。諦めずに取りあえず説明をしてみては如何でしょうか」
「そうだね…なんか聞いてくれそうな雰囲気だし」
私を見た魔王が、凶悪な顔を笑顔で輝かせて言う。
「じゃっ。説明長くなるし僕の家いくね!」
魔王が指を鳴らすと、次の瞬間には魔王城の前にいた。外装は赤や黄色のネオンで装飾されたド派手な建物で、中に案内されると、ショッキングピンクと黒のクロスが素晴らしいバランスで調和をとっている。
イメージはド派手なゴスロリだ。
魔王城の応接室に通されるとスケルトンのテーブルと巨大なスライムのソファに体を預けて魔王の説明を聞くことになった。
魔王曰く、未来視で私がこの世界を滅ぼすのを視て、何とか滅ぼすのだけは勘弁してくれないかと泣いて懇願された。
「酷いことをされない限りは滅ぼすとかは…しませんよ」
「良かったぁ!ナージャこの人良い人だよ!あ!僕ドナエタマハーヤナタルタン。ドナって呼んでよ、君は?」
「…ナナエ」
側近を振り返り子供のように喜ぶ魔王に毒気が抜かれる。良かったですね魔王様なんて言われてるし、出されたお菓子も美味い。
まあ自分に降りかかる火の粉は払うけど。進んで壊すことはしないでおこう。良い人なんて面と向かって言われたの初めてだ。
「ねぇ!これからどうする?あのさ、良かったらここで暮らしたら?」
「誘って貰って有り難いけど、折角だしこの世界を旅してみたい」
「そっか!そうだね色んな所見てきなよ。僕ら寿命も長いしナナエが世界中見てきても生きてると思うからさ、また来てくれるの待ってるよ!」
じっと魔王を見た。
何だろうこの生き物。今まで生きてきたけどこんなに温かい気持ちになったのは初めてだ。
会ったばかりの私なのに、心配だからと、あれもこれも持っていけと色々渡された。ついでに護衛として魔獣も3匹つけてくれた。
見た目凄いけど、彼の心根はもの凄く綺麗で、ひねくれてる自分なんかが傍にいたら汚しそうで怖いからさっさと旅に出た。
あれから30年。
呼び出したグラン王国は今でも私を必死に探しているらしい。なんせ勇者は世界で1人、私が死なない限りは次の勇者を呼べないそうだ。
気ままに旅をして最初の頃はスキル搾取にはまり盗賊や破落戸を狙ってはスキルを奪い、結構強くなると戦いが起きたと聞けば出向いて兵士や騎士達のスキルを奪い尽くしていた。
そんな生活も10年で飽きたけど。
若返りをすると、よくトラブルに巻き込まれるので見た目30後半で時を止めておいた。
それからの20年はまったりと趣味と実益を兼ねて肉屋でスローライフを送っていて、最近まで私が旅に出てすぐに魔王が眠りについたとは全然知らなかった。
久々に魔王に会いに行くとナージャが出迎えてくれた。相変わらずゴスロリの魔王城だ。
「ナナエさんお元気そうで」
「ナージャさんもお変わりなく」
うちの店で一番売れてるパナタのベーコンの手土産を渡すと本題に入った。
「魔王が最近まで昏睡してたなんて知らなかったんですけど」
「本人が伝えないでと言ったものですから」
「むう、ところで魔王は?」
「起きてからリハビリがてら森に行ってますよ」
「そうですか、元気ならいいんです」
「貴女でも心配するんですね」
「まぁ、初めて出来た友人ですからね。心配くらいはしますよ」
「そうですか、魔王様も喜びます」
「ところで魔王が昏睡した原因って?」
「あぁ、魔王様が大人になったと言いますか、蛹から蝶になったようなものです」
「ナナエーーー!」
魔王ことドナが駆け込んできた。
いきなり抱きつくと、ぎゅうぎゅうに抱きしめられた。
2倍だった体格が3倍になって、顔立ちは3つあったはずの目が2つに、何より薄緑色の肌は褐色になっている。誰だこのイケメンは?
「え?どちら様で」
「やだ僕だよ!ドナだよ」
「え?でも姿が」
「僕達の種族って成人するときに好きになった相手の姿に変わるんだ!どう?ナナエ僕格好いい?」
「え、あ、イケメンはイケメンだけど」
「だけど?」
「人間は信用出来ないから、その姿はちょっと…。前のドナの姿のほうが好きだけど」
「え!」
「え?」
「エエエー!僕もう姿変えられないよう!!どうしようナージャ!!」
「不憫でごさいます、魔王様」
「同情なんてやめてよー!」
「と言うか、30年前の私。何処に好きになる要素が?」
「だって魔王城にきてもビビらないし、めっちゃクールだし!気がついたら好きになってたけどナナエすぐどっか行くから。
見た目が無理なのかと思って、丁度成人だから内緒でびっくりさせようとしたら手間取って30年も掛かっちゃうし」
うわーんと泣きまねしてる。チラッと私を見て泣きまねが効果ないと、いきなり泣き落としに切り替えた。
「ナナエの残虐なところも!冷徹で人を壊すの躊躇いがないのも!痺れるくらい好き!
普通の人のフリして穏やかに暮らそうとしてるのも全部好きなんだ!だからねぇお嫁さんになって。
僕こんな体じゃ、お婿に行けないんだからあああ!」
言うと足に縋りついて離れない。なんか30年前も似たような状況が…。
「私からも是非。もう魔王様は体も作り変えられ返品もきかない状態でごさいます。取りあえずお試しなど如何でしょうか」
横からナージャがすかさずフォローしてくる。とりあえずお試しって。
「私は付き合うのに向いてない性格してるけど、まあお試しなら…」
「言質とったから!お試しでもなんでもいいよ!ナナエの傍にいれたらそれで」
ぎゅうぎゅうに私を抱きしめて幸せそうにしてる。ドナが喜んでるところに水を差すのもなと思って言わなかったけど。
見た目30後半だけど、もう召喚されて30年経つ実年齢は75歳だ。
色々なスキルがあるから若い頃と遜色なく生活してるけどこの世界にいられるのも後少しだ。
最後の時間を誰かと過ごすのも悪く無いかもな、とだけ思った。
「じゃ宜しく旦那さん」
「ナナエーーーーうわああああん!」
人間として色々壊れている自分に罪悪感や嫌悪感があったのが、ドナといると自分が許されて少しずつ楽に生きれる様になってきた。
なんだか流されて結婚したけど幸せかも、そんな新婚生活の話はまた別の機会に。